31:乱入者
背後からリリアナを斬ったカイン。
鎖骨を砕く短い感触の後、石のような硬い反応が剣を通して彼の腕に響いた。
(これだ!)
聖剣が食い込んだのはちょうど敵の胸の中心付近。
背後からでは直接見ることは出来ないが、カインはその感触が間違いなく敵の核のものであると確信した。
白のタリスマン。
純白の十字架から伝わってくる胎動は、それが強大な力の源であることを直感するのに十分な存在感を放っている。
(チャンスはこの一回! ここで決める!)
このまま聖剣を振り抜けば打ち砕けるはずだ。
そう直感したカインは、躊躇うことなく止まりかけた剣に力を掛けた。
普通の人間の力では無理でも、勇者の力で強化された今のカインなら、強引にいける。
――ピシッ!
衝撃を受けた白のタリスマンにひびが入った。
その表面の金属光沢とは裏腹に、その割れ方は石のようだ。
「ア……、ァアッ!」
リリアナは狂った悲鳴を上げた。
それが痛みを感じたからなのかどうかはわからない。
あるいは単に漏れ始めた力に反応しただけなのか。
少女の柔肌を切り裂く後ろめたさを僅かに感じながら、カインはそのまま白のタリスマンを砕こうとした。
だが――。
(……押し込めない?!)
白の十字架は確かにひび割れている。
しかし食い込み始めた聖剣は、そこから先に進むことが出来なかった。
いや、それどころか引いても剣は動かない。
『何をしているカイン! 早く殺れ!』
通信機から聞こえたアベルの声は、明らかに焦りに満たされていた。
その理由は言及するまでもない。
いよいよ魔王の聖鎧の力が失われ始めたのか、巨獣の体が前へと動き始めていく。
さらにカインの背後からは傷ついた本体を守ろうと触手が迫ってきた。
「ちっ!」
カインは少女を片手で抱きかかえるように腕を回すと、胸に埋め込まれた白のタリスマンを左手で鷲掴みにした。
そのまま勇者の力で強化された握力に物を言わせて引きちぎる。
人外とはいえ、『聖女』リリアナだった上半身の強度は人間と同じだ。
力の源泉を奪われないように抵抗することなど出来はしない。
背後にいるカインを認識していないかのように無防備な少女の上半身は、あっさりとひび割れたタリスマンを失った。
「――?! キャアァアァアァアァアァアァアァアァア!!!」
核を失ったリリアナの悲鳴がカインの鼓膜を激しく叩く。
それまでにアベルに対して一直線に力を掛けていた巨獣の力が抜かれ、断末魔の咆哮を上げて暴れ始めた。
「やばいぞ! 逃げろ!」
少しでも援護しようと再び距離を詰めていた魔族達が、慌てて逃げ出す。
その様子を視界の隅で確認しつつ、カインが自分の足元が怪しいのを感じとった。
(限界か……?!)
既に敵の毒で力を失いつつあったカイン。
リリアナの悲鳴で失った聴覚と平衡感覚のままでは揺れる巨獣の上に立ち続けることは出来ず、彼はそのまま下に振り落とされた。
右手に力が入らない。
聖剣がカインから離れて落ちていく。
意識を失った”ボスおむつ”が同じ方向に落ちていくのが見えた。
その場で苦しみ暴れ続ける巨獣。
しかし力の供給が断たれてもまだ、その動きが止まる気配はない。
「……まだ駄目かっ?!」
間違いなく痛手にはなったはずだ。
だが苦しんでいるとはいえ、まだ力そのものが衰えているようには見えない。
カインは『天呪』リリアナが白のタリスマンから得た力を体内に貯めこんでいるのだと直感した。
だとすればそれが尽きる時まで、この戦いは終わらないだろう。
……それはいつだ?
この後すぐ?
今日の夜?
あるいは明日か?
……それまで、自分達は耐えきれるのか?
敵が尽きるより前に、こちらはもう既に手を出し尽くしたと言っていい。
カインは二本の聖剣を失い、毒で再び動きを封じられた。
アベルの聖鎧も既に力を失った。
”おむつ”達も既に力尽き、残っている魔族だけでは有効打は与えられない。
ここからは一方的にやられるだけだ。
だからこそ、この巨獣に早くトドメを差さなければならないのだ。
いつ訪れるかもわからない終わりを期待してなどいられない。
何か、何かの方法で――。
「なら俺が手伝ってやるよ」
地面に落ちる直前、カインの耳に誰かの声が届いた。
下に視線を向けていた彼にとって真後ろ、つまり天頂の方向からだ。
別に叫んだわけでもないというのに、遠くから発せられたはずの声はまるで耳元で囁かれたかのようで、同時にそこには返答を期待している様子は含まれていない。
そして声色から感じ取れる狂気は、カインに極めて悪い未来を直感させるのに十分だった。
――ドンッ!
直後、カインが地面に激突するのに合わせるかのように、場違いに高速な何かが天頂から飛来した。
それは巨獣の頭部で操り人形のように歪な姿勢を取っていた少女の上体を貫き、地面に着弾して大きな衝撃と土煙を発生させた。
風切り音がカインの耳に到着したのは、それよりも一瞬だけ後だ。
それほどの速度だった。
「今度はなんだ?!」
どうやらまだカイン以外に天頂の何者かの存在に気が付いた者はいないらしい。
再び暴れ始めようとしていた巨獣の対応に気を取られていた魔族達は、予想外の事態に思わず足を止めた。
土煙が風に乗って広がり、付近一帯の視界を奪っていく。
これでは状況を確認するのだって容易ではない。
誰もが息を殺し、視界が晴れるのを待った。
ここで音を立てれば、それを目印に攻撃されそうだったからだ。
晴れ始めた土煙、動きを止めてついに崩れ落ちた巨獣。
まだ辛うじて意識を保っていたカインは、思うように動かない上体を起こして上を見た。
「……?」
『天呪』リリアナにとどめを刺した何者か。
それはカインも初めて見るシルエットだった。
赤黒いローブを身に纏った銀髪の人間。
しかしその背中には蝙蝠のような真紅の翼が生えている。
口元には予想通りの狂気が浮かび、そしてその瞳は――。
「赤……?」
空に浮かぶ相手の瞳が王族特有の赤であることを理解したカイン。
しかし彼は該当する人物の候補を考えるよりも前に、相手の視線が自分ではないどこかへ注がれていることに気が付いた。
……酷く嫌な予感がする。
天頂から”エイリーク”が見下ろす先、カインはそこにゆっくりと視線を向けた。
「……アベル?」
地面に突き刺さった真紅の槍。
エイリークが天頂から放ったそれが地面に縫い付けるようにして貫いていたのは、機能を失った聖鎧に身を包んだ、魔王アベルだった。




