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30:”ボスおむつ”は怒っていた

 巨獣の体から生えた無数の触手。

 融合前は『聖女』リリアナから生えていたそれは、『聖獣』ルシアだった四足獣の部分とは完全に独立した制御で動いていた。

 

 四足獣の体は正面の魔王へと注力したまま動かない。 

 そして背後から迫る敵に対し、聖女だった上半身の制御下にあった”それら”だけが、鋭敏な反応を見せた。


 そんな様子を天頂から見下ろす視線が一つ……。



 ”ボスおむつ”は背中にカインを乗せ、”通常の”最高速で敵の背後から迫った。


 一般に”おむつ”ことダイパーウォンバットの移動速度は馬に劣るとされているが、通常の”おむつ”よりもさらに大型の体から捻りだされる力は、そんな評価を覆すに十分な水準だ。


 その足音はまるで魔王から響く鼓動に呼応するかのようで、しかし同時にそれ以上の攻撃性を示している。


 敵意と害意。

 滑やかに輝く肉の手が反応したのは、果たしてカインに対してか、あるいは”ボスおむつ”に対してか。


 だが少なくとも、相手を排除するのだという点において両者の意志は共鳴していた。




 ”ボスおむつ”は荒い吐息を吐きながら『天呪』リリアナの後ろ足に飛び掛かると、前後の足で敵の毛を鷲掴みにして駆け上がっていく。

 射程圏に飛び込んできた敵に対し、肉手達が迎撃しようと殺到を開始した。


「ちっ!」

 

 カインは向かってきた最初の数本を右手の剣で切り落とした。

 もう片方は手綱を掴んでいるため、二刀流では戦えない。


 この急な角度を上っている状況では特にそうだ。 

 それを好機と見たのか、敵はカインの左方向から重点的に襲ってきている。


「ふーっ! ふーっ!」


 カインは”ボスおむつ”の吐息がやけに荒いことに気が付いた。


 攻撃の合間に確認してみれば、その口元からは唾液と共に血が零れ落ちている。

 どうやら先程受けた衝撃で、内臓を損傷したらしい。


 軟弱な人間ならば、苦しみと不安で足を止めてもおかしくはないだろう。

 そう、人間ならば。


 しかしダイパーウォンバットは違う。

 この程度の命の危険で止まったりはしない。


 魔獣はより一層強く敵を掴むと、左右に軌道を変えながら巨体の背中まで駆け上がった。

 青空から差し込んだ日光を受け、純白のオムツが輝く。


 それを小馬鹿にするかのように、巨獣の背中から生えた触手達が襲い掛かった。

 カインと”ボスおむつ”を纏めて貫こうとする勢いだ。


「おい! ”おむつ”がやばいぞ!」


「なんだありゃあ? ふざけてんのかよ?!」


 生き残った魔族達と僅かな人間が『天呪』リリアナの背中を駆ける魔獣を指差した。

 魔族達は狙いを定める肉手の数の多さに絶望して、そして人間達はこの局面でオムツを履いた変な生き物が必死になっていることを馬鹿にして。


「ふっ! ふっ!」


 ルシアの頭部から”生えた”リリアナを目指して走る魔獣はそんな視線を感じ取ると、怒りに歯を食いしばった。

 オムツを馬鹿にされたことに、そしてオムツを履いた自分達を馬鹿にされていることに。


 ”ボスおむつ”は唾液と共に再び赤い血を吐き出した。


 なぜ笑う?


 なぜ嗤う!


 オムツは未熟者が身に着ける物だからか?

 ならばそれも今日で終わりだ。


 見ろ! この戦場を!

 

 この戦場で最も勇敢に戦っているのは誰だ?

 この強大な敵に立ち向かっているのは誰だ?


 巨獣から逃げ回るだけの人間と亜人。

 ――まだ敵に背を向けていないのは誰だ?


 オムツは子を想う親の愛情の証。

 そして祖先達から受け継いだ誇り。


 裏切りと薄情を積み上げただけの人間達の歴史になど、劣りはしない!


 それは怒りだった。

 ”ボスおむつ”は怒っていた。


 自分達が軽んじられている事実に。

 蔑ろになるのが当然のように扱われる文化に。

 

 しかしその怒りはどういうわけか、目の前の巨獣に対して向けられていた。


 ……いや。

 むしろ当然なのだ、それは。


 少なくともこの世界の歴史を知っている者達にとっては。

 そして群れの仲間達をやられた長の感情としては。


 左右上下、全ての方向から触手がカインと”ボスおむつ”に襲い掛かり続ける。

 魔獣は一切の遠慮なく地面に爪を突き立て、攻撃左右にかわして巨獣の頭部へと向かっていく。


 カインも剣を振り回して片っ端から叩き落していくが、やはり数が多過ぎるからか、全身に少しづつ傷が増えていく。

 そして後ろから襲ってきた触手を斬り落とした直後、視線がふらついた。 


(クソッ! さっきの毒か!?)


 だが少し耐性がついたのか、意識はまだ残っているし、剣と手綱を握る手にも力は入る。

 それを確認した直後、ざらついたアベルの声が届いた。


『急げカイン! こっちも、もうじき時間切れだ!』


 もうそんなに時間が経ったのかと、焦りがカインの背後から忍び寄る。


 しかし進行方向にはまだまだ大量の触手が待ち構えているのを見て、カインは少しだけ躊躇った。

 このまま突っ込めば全身を貫かれるかもしれない。


 だが――。


 軟弱者!


 ”ボスおむつ”はそんな勇者を叱咤するかのように、さらに速度を上げた。

 いくら体格に恵まれたダイパーウォンバットとて、体力はそろそろ限界に達していて然るべき段階だ。


 しかし魔獣は止まらない。

 止まる素振りすら見せようとはしない。


 それを全身で感じ取ったカインは自分を恥じた。

 そうだ、ここで引けば後がないことなど、わかりきっている。


 進む以外に希望が無いのは明らかではないか。

 カインは剣と手綱を握り直した。


「よし! 突っ込むぞ!」


 魔獣の荒い吐息がその言葉を肯定した。


 この魔獣はなぜ人間の言葉を正確に理解しているのか。

 今のカインにはそれを疑問に思う余裕は無い。


 全身に作られた小さな傷からはリリアナの毒が意識を奪い取ろうと染み込んでくる。

 勇者も魔獣も、それほど長くは戦えないだろう。


 とにかく視界に入る触手を斬り捨て、リリアナを目指す。

 今はそれだけだ。


 そうして巨獣の首付近まで辿り着いた時、正面には触手同士が編み合って作った壁が立ちはだかった。

 隙間からは目標である少女の背中が見えている。


(通れるスペースは無い! どうする?!)


 カインは魔獣に乗ったままで敵まで辿り着くつもりだった。

 故に触手を斬る以外に道は無いと判断した。


『駄目だ! 持たない! 鎧が壊れる!』


 通信機の奥からはアベルの声に混じって聖鎧が自壊を始めた音が響き始めた。


(間に合うか?! いや、やるしか!)


 アベルがこの巨獣を足止め出来なくなれば、振り落とされかねない。

 いや、『天呪』リリアナの瞬発力なら間違いなくそうなるだろう。


 しかしその時、カインは右手に攻撃を受けて剣を落とした。


「しまっ――?!」


 聖剣が視界の後方へと流れていく。

 諦めたカインがもう一本の剣を抜こうとした瞬間、”ボスおむつ”が大きく息を吐いて跳んだ。


「――?! おい!」


 そう、触手で作られた壁に、通れるスペースは無い。

 ……魔獣に乗ったままで通れるスペースは。


 カインは魔獣に乗ったままで敵まで辿り着くつもりだった。

 故に通れないと思ったのだ。


 しかし”ボスおむつ”は気が付いていた。


 上方向に、人間一人だけならば通れる程度の隙間があることに。

 そこを通れば、リリアナの上半身へ辿り着けることに。


 ――ドッ!


 ”ボスおむつ”は器用に体を丸めると、壁にぶつかった衝撃を利用してカインだけを隙間の向こう側へと投げ飛ばした。


「お前っ――!」


 ……そう、”ボスおむつ”は気が付いていたのだ。

 ここで自分の命を諦めれば、まだ希望がつながることに。


 突き出された触手が”ボスおむつ”の体を貫いた。

 思わず気遣おうとしたカインを、死にかけた魔獣の瞳が睨み返す。 


 ここまでお膳立てしてやったのだ。

 後は……、わかっているだろう?


 黒と赤、その視線が一瞬だけ交差し、そして離れた。

 そうだ、”ボスおむつ”は怒っていたのだ。


 カインは反射的にもう一本の剣を抜いた。

 目的は決まっている。


 未だこちらを背を向けたままのリリアナ。

 それは投げられたカインの軌道上にいる。


 そう、魔獣によってお膳立ては既に完了している!


「ふっ!」

 

 カインは大きく息を吐くと、背後からリリアナの胴体へと剣を振り込んだ。



 



 

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