6:再び世界の中心へ
「マズいことになりましたな……」
「まったくですな……」
王宮のある一室で、宰相エルガと財務大臣トリエールは一緒に頭を抱えていた。
魔王を討伐すると言って出発した国王ヒロト達。
彼らが全滅したと言うのである。
いや、正確には全滅ではない。
ヒロトだけはまだ生きている。
魔王軍の使者を名乗る魔族達が、証拠として両腕両足を失った彼を”持って来た”のである。
正式な宣戦布告に来たというが、なんとご丁寧に聖剣までもこちらに渡してきたのだから驚きだ。
宰相は彼らの話を元に大急ぎで馬を走らせ、実際に全滅している魔王討伐隊を確認した。
聖戦士三人をそのままにしておくのはマズいということで、今は遺体の回収に部隊が向かっている。
魔王軍の使者からはその部隊に対して攻撃を仕掛けない旨が告げられたのだから、宰相達は更に驚いた。
しかし冷静に考えてみれば、自分達の戦力を誇示するためだろう。
聖戦士どころか、勇者すらも歯が立たない魔王。
そして聖剣を返却してしまうだけの自身と余裕。
大衆がこれを知ったらどういう反応をすることか。
きっと全てを読み切っての行動に違いない。
「陛下はもう剣すら握れない身。これでは魔王に勝てる者が見当たりませんぞ……」
財務大臣は頭を掻いた。
最大の問題はそこだ。
数の上でなら五百人の損失はまだ許容できる範囲だが、質の面に関しては初戦で最高戦力を失ってしまったのだから当然である。
「ひとまず教会に依頼して神託を願うとして……、可能性がありそうな者に聖剣を握らせてみますかな?」
聖剣は勇者の証。
剣を抜き、刃が光を帯びればそれが勇者である証明となる。
宰相の発言はつまり、人々に片っ端から剣を持たせて次の勇者を見つけ出そう、ということだ。
「確かに何もしないよりはましでしょうが……。そもそも勇者の力は女神から与えられるもの。その女神からの神託がないということはつまり……」
財務大臣トリエールの推測は当たっていた。
聖剣はあくまでも勇者の力を発揮するための道具であり、別に聖剣自体が持ち主に勇者の力を与えてくれるわけではない。
「そういえば……、魔王は女神から力を与えられたんでしたかな?」
宰相エルガは使者の言葉を思い出していた。
聞く所によると、魔王は女神から聖剣だけでなく、聖鎧まで受け取ったという話だ。
「馬鹿な。いくらなんでも、魔族が次の勇者になるなどと。ハッタリに決まっている」
財務大臣は吐き捨てた。
魔王が聖剣と聖鎧を使うなど、聞いたこともないと。
世界で唯一の善性を持つ人間だけが勇者となる資格を持つ。
それがこの世界に唯一存在する宗教の教義であり、そして人々の共通認識だ。
「左様ですな。しかし何もしないというわけにもいきますまい。でなければ、反国王派の貴族達に弱みを見せることになる」
近くの物は大きく見え、遠くの物は小さく見える。
宰相は魔王よりも、むしろ王国内の貴族の方を気にしていた。
領土的な意味でも、役職的な意味でも、国王ヒロトから遠くにいる者達はその分だけ恩恵を受けにくい。
かつての国王カインと宰相ボルドーが、その辺を調整することで一定以上の不満が溜まらないように配慮していたのに対して、前国王を否定することで支持を集めたヒロト達はそれを一切しなかった。
彼らはこれまでその配慮を受けていた者達を既得権益者と非難し、自由と自己責任という甘美な誘惑の下に彼らを切り捨てたのである。
持てる者達の没落に大衆は歓喜した。
これぞまさしく平等、国王ヒロトは正義の実行者である、と。
それが低俗な人気取りであることすら理解できず、彼らは大いに溜飲を下げた。
勢いがついてしまえば呆気ないものだ。
それまで押さえつけられていた地方の民は調子付き、事実上の王の許可を得て反乱や暴動を起こした。
悪化していく経済と治安。
管理を義務付けられた土地を離れられない貴族達を尻目に、平民達はこぞって王都に向かった。
猿もおだてりゃなんとやら。
ヒロトの治める王都へと向かう人々を、手放しで持て囃す世論。
急激に人口が増えた王都では仕事が見つからない者が多く発生し、彼らのためにヒロトが王都の国民全員に最低生活費を支給すると宣言した時、大衆の尊大な妄想と思い込みは確信へと変わった。
勇者ヒロトこそが救世主。
国王ヒロトは歴史上最高の善王、最善王だ、と
そしてそれは同時に、経済に明るい地方貴族や商人達が反国王へと舵を切る決定打にもなったのである。
「宰相閣下!」
慌てた様子で役人が部屋に入ってきた。
「なんだ?! 大事な話をしている最中だぞ!」
「たっ、大変です! 広場で魔族達が演説を始めました!」
「……なに?」
★
かつてカインがギロチン台にかけられ、そして全ての忠臣達を殺された広場。
そこでは今、魔王軍の使者としてこの王都に来た者達の一人が声を張り上げていた。
周囲に他の魔族はいない。
「傲慢の化身である人間達よ! 聞け! お前達の王、勇者ヒロトは、我らが魔王陛下によって倒された!」
帽子を取って犬の耳を生やした頭部を晒した大男に、人々の注目が集まる。
「なんだ?」
「おい、魔族だぞ!」
人間の国であるこの王国では、現在魔族は人間として扱われていない。
子供を殺しても、女を強姦しても、一切お咎め無しである。
それどころか、むしろそれが奨励されているぐらいだ。
幼い子供を殺せば害獣駆除、若い女を犯せば武勇伝として扱われる。
魔族が目立つ行動をするなど、これまでの常識からすれば考えられない事態だ。
「勇者は両手と両足を失い、既に王宮に戻っている! 嘘だと思う者は確かめてみるがいい!」
一瞬、彼が何を言っているのか理解できなかった人々。
大衆は物事を理屈ではなく印象で判断する。
魔族の言葉の意味を正確に汲み取れた者は極僅かだった。
「何言ってやがる!」
「ふざけてんじゃねぇぞ! 魔族ごときが!」
彼の言葉を理解できた者達が、自分達よりも下だと思っていた魔族の態度に激昂して物を投げ始めた。
それを見た他の者達も、魔族の男が自分達にとって都合の悪いことを言ったのだと判断して追従する。
別に彼らが自分の頭で考えて判断したわけではない。
容赦無く向けられる敵意。
そこには慈愛も敬意も、そして当然のことながら美学などあるわけがない。
飛んでくる瓶や刃物をかわし、受け止め、魔族の男は王都の外に向かって走り出した。
魔族の身体能力は人間を大きく上回るので、彼を止められる者も追いつける者もいない。
「魔王様は女神に認められて聖剣を与えられた! お前達の時代もいよいよ終わりだ! 人間共!」
王都の外では他の魔族達が待っていた。
馬車――馬でなく魔獣が引いているので獣車というべきか?――に乗って、早く来いと手招きしている。
「やってやったぜ!」
「逃げるぞ! 急げ!」
満面の笑みで獣車に飛び乗る男。
別にこの行動で歴史が大きく動くわけではないが、しかし彼らの心情としては極めて大きな意味があった。
待ちくたびれたとばかりに魔獣が走り出し、追ってくる群衆を突き放す。
どんどん離れていく王都と獣車の距離。
王都の外まで来た人々はそこで足を止めた。
離れていく魔族達を追いかけていく気概のある者など、いるわけがない。
赤い瞳の王の時代には、魔族が歩いても白い目で見られるだけで済んだ街。
意を決して国王に直訴しても、不敬罪にならなかった街。
あれから十年。
王都は理由なき侮蔑と同調圧力、そして誠実な悪意が渦巻く街と成り果てていた。
★
さて、魔族の男が広場で非常に短い演説を始めた頃、聖地にある中央教会所有の神殿においても異変が起こっていた。
「台下! 女神様から新たな神託が下りました!」
「神託が? いったいなぜ今……」
部屋に飛び込んできた神官の知らせに、教皇グレゴリーは首を傾げた。
実はこの時点で勇者ヒロトは既に魔王に敗北しているのだが、その情報は王宮で止まっており、教会側まではまだ伝わっていない。
そのため、神託の目的に全く心当たりが無かったのである。
部隊を王都の外に向かわせたのは一応把握してはいたが、ヒロトに援軍を送ったのだろうと判断していた。
十年前のクーデターにおいてヒロトを影から支援していたのは他ならぬ彼らであり、その時の経験から、勇者ヒロトが敗北するとは万に一つも考えていなかったのである。
……同行した兵士達からは死人が出るだろうとは思っていたが。
「それで、神託にはなんと?」
もしかすると魔王を倒した後の対応に関することかもしれない。
教皇はそう推測した。
だとしたら神託がこのタイミングであることにも頷ける。
きっとヒロトが魔王を倒したのだろう。
次の魔王が現れないように封印を行ったりしろというのなら、それはむしろ歓迎だ。
そういう仕事は教会の役目であり、自分達の発言力の強化につながる。
そんなことを考えたグレゴリーだったが、その予想は直後に裏切られた。
「はっ、それが……。新たな魔王に対抗するために、その……」
神官の男は口籠った。
「……どうしました?」
つまり魔王はまだ生きている。
教皇は自分の予想が外れたことに内心で少し落胆しつつも、続きを促した。
しかし、そもそもなぜこの神官は口籠ったのか。
それは、彼自身もこれが果たして事実なのかどうか信じきれていないからである。
だがここまで来たら最後まで言わなければならない。
神官の男は意を決して続きを話し始めた。
「せ、先代の国王カインを、新たな勇者にすると……」
「――?!」
十年前に権力の頂点から堕とされた男、カイン。
かつて教会を差し置いて、善政を敷き始めていた若き国王。
教会の影響力を維持するために、グレゴリー達がヒロト達を影で操り、一度は排除に成功したはずの男。
その彼が、再び世界の中心に舞い戻ろうとしていた。