4:新たな魔王
カインが追放されてから十年後。
王となったヒロトは、妻となった三人の聖戦士と共に、騎士団を引き連れて王国の北側へと来ていた。
怪しい雲行きの向こう側には、一年を通して白いままの山脈が見える。
「そろそろ、相手に動きがあってもいい頃合いかな?」
ヒロトは軍用の馬車の中から外を覗き込んだ。
今回の遠征で使われた馬車はこの一台だけで、共に戦う仲間である三人の妻も一緒に乗っている。
「魔王が復活したいうのは本当なんでしょうか? もしかしたらデマという可能性も……」
「確かにそうね。魔王がいる割には被害が小さすぎるわ」
聖戦士の一人、治癒師アドレナが示した疑問に対し、同じく聖戦士の一人である魔道士エヴァが同意した。
人が住むには適さない北方の地を本拠地とする魔族達。
十数年振りに活動を活発化させた彼らは、辺境にある小さな村の幾つかを壊滅させた。
辛うじて何を逃れた者達の話によれば、その時の一人が他の魔族達から魔王を呼ばれていたというのだ。
「少なくとも滅ぼしたはずの魔族が復活したのは間違いないんです。それだけでも戦う理由には十分ですよ」
二人の懸念を一蹴する魔弓士ユリア。
確かに彼女の言い分にも一理ある。
魔王ほど極端ではないにせよ、魔族もまた人間の生活を脅かす存在だ。
以前の戦いで魔王と一緒に滅ぼしたはずの魔族が、なぜ今になって復活したのかはわからないが。
「ユリアの言う通りだ。人間の脅威と一番戦えるのは僕達なんだからね」
魔王の脅威が去ってから十年以上の空白ができた今となっては、それに対抗する力である勇者と聖戦士への感謝の念は薄れていた。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
それが大衆という者達である。
故に改めて理解させなければならない。
自分達がいったい誰のおかげで日々を平穏に過ごすことが出来ているのか。
そしていったい誰を崇めるべきなのかを。
猿とて群れの上下関係ぐらいは理解する。
それ抜きで生き残れるほど、世界は甘くはない。
であれば、だ。
猿以下の知性と学習能力しか持たず、身の程も知らない愚民共が自力で生き残れるわけがないではないか。
いったい誰のおかげで生きていられるのか。
勇者のおかげだ。
勇者ヒロト様のおかげだ。
それを改めて知らしめねばならない。
彼は……、ヒロトはそう考えていた。
「魔王だろうとなんだろうと、人々の幸せを踏みにじる奴らは僕が許さないよ。……それが勇者だからね」
「ヒロト様……」
「それでこそヒロトです」
「やだ、惚れ直しちゃったわ」
身の丈に合わない称賛を求める行為ほど浅ましい行動というのも、世の中にはそう多くない。
神の威を狩る異世界人が思い上がった直後、それを嗤うかのように馬車が急停止した。
「きゃっ!」
「なんだ?!」
三人の妻の称賛を集めて気分を良くし始めたヒロト。
彼は水を差されたことに腹を立てながら、馬車の窓を開いて頭を出した。
「どうしたんだ?!」
「敵襲です! 既に周囲を魔族に囲まれている模様!」
「なんだと?! 見張りは何をしてたんだ!」
剣を取って馬車の外に飛び出したヒロト。
他の三人もそれに続く。
「うわぁぁぁぁぁ!」
阿鼻叫喚。
雨あられと降ってくる魔法と、それに怯んだ所に襲いかかる魔族達。
馬車の外は、既に戦場となっていた。
猫の耳や犬の尻尾、あるいはコウモリの羽を生やした戦士達が、一方的に人間を屠っていく。
彼らは見た目こそ人間に近いが、筋肉の質が人間とは根本的に異なっており、華奢な体であっても人間の基準では十分に屈強な兵士として通用する。
ましてや彼らの中での精鋭となれば尚更だ。
「ぎゃっ!」
筋骨隆々の男達が鉄の棍棒を振り回し、その圧倒的な力でもって、金属鎧に身を包んだ兵士達を吹き飛ばしていく。
明らかなパワーファイター。
横薙ぎにされた者は衝撃で骨を砕かれ、へこんだ鎧に圧迫されて胴体を潰された。
ある者は、へこんだ鎧が邪魔で肺を膨らませることができず、呼吸ができなくなって窒息した
別の者は、折れた骨が内蔵を突き破り、抗えぬ痛みを抱えて失血死した。
しかしそんな者達でも、人の形をしたままで死ねるのだからまだ良いほうだ。
棍棒を上から振り下ろされた者など、頭部と胴体、そして肉と鎧が潰されて一体化してしまっており、もはやこれを名誉の戦死と慰めることすら出来ない。
これでは魔族と比べて、いったいどちらが化物かわからないではないか。
「いたぞっ! たぶんそいつらが勇者だ!」
ヒロト達の存在に気がついた魔族が声を張り上げる。
魔王討伐隊としてヒロトが引き連れてきた、王国の精鋭五百人。
この時点で、彼らは魔族の奇襲により早々に壊滅した。
ヒロト達を数えないのであれば全滅である。
「仕方がないわね。帰りは交代で馬の手綱を握りましょ」
ここまで馬車の手綱を握っていた男がやはり死んでいるのを横目で確認しながら、杖を構えるエヴァ。
敵の数は目算で数百人規模。
対して残っている味方は勇者ヒロトと、聖戦士三人の、計四人だけ。
しかし彼女はこの戦いに負けるとは微塵も思っていないようだ。
なにせ以前の魔王との戦いでは、この四人だけで魔王城にまで乗り込んだのである。
それを踏まえれば、今更これぐらいの敵に囲まれたぐらいはどうということもない。
むしろ北方の地の寒さの方が、彼女としてはよほど気になるぐらいだった。
「十年経って、魔族達も私達の恐ろしさを忘れてしまったようですね」
魔弓士ユリアもやる気満々だ。
聖戦士三人の中では、王宮での気取った生活が一番性に合わない彼女である。
ここはストレスを発散するに大変都合が良いと思いながら弓を構えた。
「そういうことさ」
ヒロトもまたそれに答えるように聖剣を抜く。
刃が白い光を帯び、彼が紛れもない勇者であることを証明した。
それを見て一歩後ずさる魔族達。
「それでは私も攻撃に加わりましょうか。 ……どうせ今回も怪我人は出ないでしょうし」
この世界の魔法には死者を蘇らせる類のものはない。
周囲の味方が誰も生きていないことはひと目見れば明らかで、つまり治癒師であるアドレナがその本領を発揮できるのは、自分やヒロト達が傷ついた時だけということだ。
ただ怪我人が出るのを待っているのも暇なので、彼女もまた戦うことにした。
エヴァやユリアには劣るとはいえ、聖戦士の力で強化された彼女の魔法の威力は、その辺の一流魔道士よりも数段上である。
「喧嘩を売ったのは君達だ。殺されることに異論はないね?」
ヒロトの言葉で動揺する魔族達。
しかし、もちろんこの言葉には欺瞞が満ちている。
彼にとってこの戦いはただの点数稼ぎに過ぎない。
喧嘩など売られなくとも殺す気満々だ。
「待て」
黒い曇り空の下、やけに通る声が魔族達の背後から響いた。
ヒロト達の元々の進行方向を塞いでいた魔族の壁が割れ、全身を鎧で覆った男が歩いてくる。
いかにも自分は悪の体現者だと言わんばかりの凶悪な鎧の意匠を、紫のマントがさらに強調していた。
(誰だ? この声は……、どこかで聞いたことがあるような……?)
ヒロトはその声を聞いた時、目の前の人物と初対面ではないような気がした。
しかし該当する人物が一人も思い浮かばない。
それにしても――。
ドッドッドッドッドッ。
男と共に近づいてくる、空気を支配するような脈動。
規則正しく、揺るぎない力を誇示するかのように繰り返されるリズムは、彼が明らかな強者であることを世界に知らしめていた。
「アンタが魔王?」
エヴァが遠慮なく杖を突きつける。
相手が魔王かどうかはまだわからないが、少なくとも今自分達を囲んでいる魔族達のリーダーであることは間違いない。
このまま彼女が呪文を唱えれば、敵の指揮官に向かって容赦なく魔法が飛んでいくだろう。
魔族達の様子を見る限り、彼らがエヴァの魔法の威力を知っていることは明白。
指揮官が跡形もなく吹き飛ばされる未来を想像した魔族達の目に、不安の色が差し込んだ。
「如何にも」
しかし魔王は微塵も取り乱すことなく答えた。
発せられる脈動は一層激しさを増し、彼が戦闘態勢に入っていることを周囲の全員に強調する。
彼にはヒロト達に対する恐れや焦りは一切見られない。
それは彼が魔族の中でも別格の存在であるという事実をヒロト達に示していた。
(嘘は言っていない。間違いなくコイツが魔王だ!)
ヒロトは相手の言葉を信じた。
かつて屠った先代の魔王を遥かに上回る威圧感、存在感。
そして――。
王族にだけ受け継がれる、赤い瞳。
それは兜の奥で人目を避けるようにひっそりと、しかし確かに輝いていた。