30:勇者対魔王
有能であるということを、失敗が少ないという意味で解釈している人間は案外に多い。
彼らは本を開いた時、どういうわけか、まず確実に登場人物達の失敗を見て嗤う。
なんと無能なのか、現実ではありえない。
もちろん自分はこんな間抜けなことはしない、と。
”所詮はフィクションだ”などと言いながらも、今までとは違う視点で物事を考える切っ掛けとして活用する者達は確かに存在するというのに、そんな人々を尻目に、彼らは本を閉じた後、現実で全く同じ轍を踏むわけだ。
”読書は偉大だ、人生を豊かにしてくれる”と言いながら。
彼らはただ自分自身が優越感や満足感を得るための手段として、その機会を消費する。
かつて王都に住んでいた者達。
その良し悪しは別として、少なくとも彼らはそういう類の人間達だった。
そして異世界から転移し、この世界で勇者となったヒロト。
彼もまた――。
★
「次元断裂斬!」
勇者殺しの剣によって使えるようになった力を振るい、ヒロトは向かって来る教会軍を、いや、教皇軍を一方的に殺していた。
味方の陣営は邪魔になるだけなので、後ろに下がらせて壁代わりにしている。
「すごい……」
「なんて強さだ……」
敵と味方、双方からその強さに驚く声が彼の耳に届く。
自分が特別な存在であることを再確認する時間と空間。
ヒロトにとっての認識はそれだけだ。
(そうだ。称えろ、俺を!)
異世界から転移してきたヒロト。
元々の世界の神から”本来は英雄になるはずだった運命を手違いで変えてしまった”と謝罪され、その埋め合わせとして送られたのがこの世界だ。
もちろん真実は全く異なる。
二度と元の世界に戻って来ないよう、丁重に厄介払いしただけだ。
先天的な賢明さの片鱗も、後天的な懸命さの欠片も見せない者が、まさか英雄になどなり得るはずもない。
「よくも台下を!」
人は現場に不満を持つ時、往々にして環境のせいだと思いこむ。
しかし、その影響を受けるのは”不満”の度合だけだ。
例えそれがいかなる環境であれ、”満足”するためには自分自身で道を切り開いていかなければならない。
しきりに教皇の仇と連呼してヒロトに向かっていく者達。
少なくとも、彼らは自分達の意志でその行動を選択した。
それが利益を得るために賢い選択であったかどうかといえば、おそらく違うだろう。
だが自分自身の人生なるものに対する納得を得るために、彼らは彼らなりの殉教を選択した。
「ふん!」
そんな人々を容赦無く切り捨てていくヒロト。
いったい彼らの行動が何を意味しているのか、それを考えようという素振りは一切無い。
なぜか?
決まっている。
面倒だし、興味もないからだ。
他人の事情や失敗を自分に結びつけて想像を膨らませることによる、心理的なストレス。
彼はそれを何よりも嫌がっていた。
考えるのが面倒だし、まるで自分が本当に失敗している気がしてくるではないか。
他人は無能。
自分は有能。
他の連中がするような失敗を自分はしない。
それは結論ではなく、前提だ。
見ろ、自分は強い。
向かってくる連中を片っ端から殺し、しかし自分は反撃の一つも許してはいない。
自分は他の奴らとは違う。
それがここで改めて証明されている。
全てが上手くいっている。
懸念なんてどこにもない。
今までだってずっとそうだった。
これからだって大丈夫に決まっている。
当然だ。
この世界は自分のために存在する世界なのだから。
……と、まあこんなところだろうか?
人はただ年齢を重ねるだけでは進歩も成長もしない。
とにかく物事に向き合うだけの根気強さを持たないヒロトは、ただ自分が一方的に敵を蹂躙しているこの現状だけで満足していた。
そこには視界の外で何が起こっている現実、そしてこれからの未来を考えようという気概は一切存在しない。
ヒロトにそれを実行するだけの能力が備わっているかなど、もはやどうでもいい話だ。
振るわれない名剣がその真価を証明することは無く、駄剣もその出来の悪さを本格的に咎められることはない。
そしてそんな勇者の復活を満足そうに見るアドレナと、自分達の勝利を確信したヒロト傘下の、いや、ヒロト軍の者達。
しかし、彼らには決定的に未来への根拠が欠けていた。
(……威力が低いな)
城壁の上からヒロトの戦いを見ていたカインは、振るわれている勇者の力の出力がやけに低いことに気がついた。
様子を見ている限りでは、どうやらヒロトが”次元断裂斬”と勝手に恥ずかしい名前を付けて使っている力は、カインの見えない壁と同じ原理のようだ。
敵の体を横断するように壁を発生させ、それを移動させることで切断しているらしい。
(俺が見ているから、力を抑えているのか?)
普通に考えれば十分にあり得る話である。
彼らはそもそもカインと戦うためにここまで来たのだから、それを意識していても不思議ではない。
仮にカインが彼らの立場だったとしたら、おそらくは彼も手の内はギリギリまで隠そうとするだろう。
(俺の勇者の力がSSSランクなのは知られていると考えておくとして、勇者殺しの剣で得られる力はどれぐらいなんだ?)
過去の一族からの情報では、当時の勇者と魔王を纏めて屠ったとしか書かれていなかった。
勇者殺しというぐらいだから、もしかすると勇者に対してのみ有効な能力も備わっているかもしれない。
「……」
カインはヒロトに蹂躙される人々を見ていた。
「バラバラになるな! 一緒に仕掛けるんだ!」
「教皇台下ばんざぁぁぁぁい!」
カインは、最後の言葉に教皇グレゴリーの名を選んで散っていく者達を見ていた。
愚かな者達だ。
勝てるはずは無いというのに。
これでは完全に無駄死ではないか。
「……」
彼らの姿に、どこかで見た光景が重なった。
十年前、あの広場で国や自分の名を叫んでいった者達の姿に。
「……」
わかっている。
彼らは敵だ。
今は敵同士で勝手に潰し合っている。
こちらはただ相手が弱っていくのを眺めていればいい。
それが得策だ。
……わかっている。
彼らはあくまでも教皇の下についた者達であって、自分の下についた者達ではない。
――わかっている!
★
「ふう……、こんなもんか」
数えるのも嫌になるほどの屍。
文字通りの意味での山。
ヒロトは、ついに向かってきた最後の一人を斬り捨てた。
これで教皇軍と呼ぶべき教会軍は、倒れたグレゴリーの周囲にいて戦いに加わらなかった数人だけだ。
少し距離が開いている彼らを殺しに行くかどうか、一瞬だけ迷ったヒロト。
「この戦いが終わった後で見せしめにするのはどうかしら?」
「……それはいいね。そうしよう」
すぐ後ろまで近づいてきたアドレナの提案を聞いて、彼は頷いた。
「後はカインを倒して……、終わりだ」
そう言いながら、再び王都の方向へと視線を向けたヒロト。
直後――。
――バシュ!
「……え?」
視界の端に立っていたアドレナの姿が消えた。
「誰を……、倒すんだって?」
誰もいなくなったはずの背後から聞こえてきた声。
慌てて振り返ったヒロトの視界には、聖剣でアドレナの腹部を串刺しにしたカインが立っていた。
「いつの間に!」
「一瞬で現れたぞ!」
その瞬間を視界に入れていた者達が一斉にどよめく。
「うっ……」
自分の身に何が起こったのかわからないまま、痛みで声を上げたアドレナ。
カインは彼女から剣を引き抜くと、そのまま着ていた黒いワンピースを引き裂いた。
隠されていた少女の肌が露出し、背中に刻み込まれた魔法陣が姿を現す。
「これが魂移しの魔法陣か」
「――! なぜそれを!」
アドレナは驚愕した。
まさかカインに魂移しの存在を知られているとは思っていなかったからだ。
「さて、なぜだろうな?」
そう答えながら、カインは聖剣で魔法陣の刻まれた肌を軽く傷つけた。
一瞬遅れて、赤い血がじわりと滲み出る。
(しまった……!)
先程までは余裕のあったアドレナの顔から、一瞬で血の気が引いた。
魂移しは体に刻み込んだ魔法陣が無事でなければ効果を発揮しない。
非力な娘の体で戦場に出れば再び死ぬ可能性が高いため、保険として再度の魂移しの準備をしておいたというのに、それが使えなくなってしまった。
手間も時間も掛かる魂移しをこの戦いの最中にやり直すことはまず不可能。
聖戦士として力がまだ残っているとはいえ、肉体的な生存能力に関して言えば、彼女はこの時点を持って、この戦場の最底辺へと叩き落とされたことになる。
「きゃ!」
その場で殺してしまえばいいというのに、カインはアドレナを生かしたまま横方向へと放り投げた。
もちろん理由は決まっている。
敵が早々に希望を失ってバラバラに逃げ出さないようにするためだ。
ヒロトもアドレナも、所詮は害虫を寄せ集めるための餌でしかない。
「王国軍が動き出しました!」
見張りの男が声を張り上げる。
カインが仕掛けたのと同時に、彼らもまたヒロト軍を半包囲しようと移動を始めていた。
「雑魚はお前達で相手をしておけ! 僕とアドレナは魔王を倒す!」
「はっ! ご武運を!」
白い光を帯びて輝くヒロトの剣に対し、黒紫のオーラを纏ったカインの剣。
人々は、物事を事実ではなく印象で判断する。
旧王都民に比べれば大幅なマシな水準にあるとはいえ、それが人の集団であることに起因する限り、大衆の本質は変わらない。
長所は短所に押し潰され、残るのは崇高な建前と腐った本音だ。
故に彼らの視点から見た構図はこうだ。
勇者を駆逐するための力を得た勇者ヒロト。
魔王を駆逐するための力を得た魔王カイン。
女神から与えられたのはどちらも勇者の力だというのに。
神託という事前情報があるというのに。
しかしそれでも人々は目の前の光景を”勇者対魔王”だと捉えた。