14:英雄への道
「ぎゃあああああああああああ!」
「なぜですか陛下ァァァあああああああああ!」
鏡面で囲まれた空間は、約二十名の男達による断末魔の叫びで満たされた。
「なぜ? 別に不思議はないだろう? ”許す”とは言ったが”助ける”とは言っていないからな」
許すと助けるは同じようで違う。
前者は感情。
後者は損得勘定だ。
許される前までの彼らは”喜んで殺す”存在だった。
許された後の彼らは”面倒だが殺す”存在になった。
”邪魔だから排除する。もちろん喜んで。”から、単に”邪魔だから排除する”に変わっただけだ。
許したからといって、それが見逃す理由にはならない。
結局の所、彼らがカインの陣営に対して深刻な被害を与えたのは事実であり、死者を蘇生したり時を巻き戻したりしない限りは、覆しようがない。
許されようが許されまいが、カインにとって彼らが”優先的に駆逐し排除すべき対象”であることは、一切変わらないのである。
許しはするが見逃しはしない。
それが答えだ。
機嫌が良かろうが悪かろうが、そもそもの行動は変わらない。
「……ふう」
蠢く白を纏い、やがて彼らもまた先程の男同様に動かなくなった。
腐り、溶け、穴だらけになった肉達、そして残った骨。
全員を処分し終えたことを確認した後、カインは聖剣を鞘に収めた。
これで少し溜飲は下がった。
しかし本当はもっと時間を掛けて苦しませたかったというのも事実だ。
(後が詰まっているんだ、仕方がないな)
”やりたいこと”と、”やるべきこと”は明確に違う。
詳細の是非はともかくとして、少なくとも十年前に死んだ連中が、前者を優先するような行動を肯定したりはしないだろう。
認められるとすれば、今さっきのように、”やるべきこと”のついでに”やりたいこと”をする場合だけだ。
「さて……。次に行くか」
まだまだ”一世一代の名演技”を披露して貰わなければならない連中は大勢いる。
カインは反逆者達の死体をさらに辱めたい欲求を飲み込んで、その場を後にした。
かつて国王だった時代、国内の全ての者達はカインにとって味方陣営だった。
しかし今はもう違う。
敵性要因を放置しておくほど、今の彼は博愛主義ではない。
★
さて、カインが同行していた者達の処分を終えてからしばらくした頃、睨み合っていた討伐軍と魔王軍も動き始めた。
もちろん最初に動いたのは騎士団長のアーカムである。
「魔王の姿が一向に見当たらないな。この大軍を前に逃げ出したのかもしれん」
人は自分の価値観こそが絶対と信じ、全てをその尺度で推し量ろうとする。
騎士団長は、自分が世界で最も勇敢な者、つまりは真の勇者であるという前提の元に現状を分析した。
そういうのは本来、子供に聞かせるような話だというのに。
金があっても不幸せな奴もいる。
社会的地位があっても人格が伴っていない奴もいる。
物事から都合の良い一部分だけを切り取って、まるで木が森全体であるかのように言って見せる。
そうやって子供達の目を現実から逸らし、少しでも希望を持たせようとするのだ。
しかしここは戦場。
大人同士が殺し合う場所だ。
もちろん子供にも参加は可能だが、しかし彼らが主役になれるほど甘くはない。
そして現実を直視できない者に対しても、やはり甘くはないのである。
「よし、まずは一陣で様子を見るぞ。民兵の部隊を二つ出せ」
騎士団長は魔王不在のこの戦場で、如何にして自分の武勇を高めるかを考えていた。
強者の代名詞たる存在がいない中で利用できそうなものは何か。
その結果として出した命令がこれである。
「民兵をですか? しかしそれでは彼らが犠牲になってしまうのでは?」
副団長は周囲の誰もが思った疑問を口にした。
集まった志願兵達は四千人で一部隊として編成されている。
二部隊なのでつまり八千人だ。
魔王軍が五千程度なので数の上では有利だが、しかし武装の貧弱さや個々の力量を考えれば、相当な被害が出ることは目に見えている。
もちろん、戦力としてはあまり期待できない彼らに出来る限りの損害を負担させたいというのは、副団長達にもわかるのだが……。
「言いたいことはわかっている。だが魔王が姿を見せないというのは明らかに怪しいからな。何か隠し玉があるかもしれん。まずはそれをあぶり出す」
「はっ! 失礼しました!」
争いが遠のけば、牙は自然と抜けていく。
人間の国家が統一されて長い月日が経ち、大規模な戦争の無い時代が続いた現在において、その戦術の是非を判断できる者などいなかった。
魔法の発展や軍事技術の衰退が組み合わされば尚更である。
故に、彼らは自分達の中での上下関係を優先したのである。
それは本来、生き残るために合理性を追求した結果の産物であったはずだというのに、彼らはそれを完全に忘れていた。
いや、そもそも初心を理解していなかったと言うべきか。
上下関係には様々な形態があるが、それらの違いすら全く区別できなかったのである。
「栄えある第一陣、これより魔族を粉砕する! 突撃!」
功を焦ったのか。
あるいは数の優位を自分自身の力と錯覚したのか。
民兵の指揮官を任された男は、いきなり真正面からの全力突撃を選択した。
いくら魔族が魔法に長けているからといって、まだその射程圏からは遠い。
タイミングとしては、もう少し距離を詰めてからでも良かったはずだ。
「うおおおおおお!」
しかし平民達にはそんなことなどわからない。
自分達が歴史の表舞台に立っているのだという高揚感と共に、全力疾走で魔王軍へと向かっていく。
彼らの頭の中には、自分達が損害無しで完勝する未来しかない。
「魔法隊、構え!」
流石にこうなっては、魔王軍とて何もしないわけにはいかない。
魔王不在のまま、彼らもついに動いた。
「魔王様の到着まで時間を稼ぐぞ! 魔法、放てぇぇぇぇ!」
合図と共に一斉に放たれる火の玉と氷の矢。
それは放物線を描き、威勢よく向かって来る者達に襲いかかる。
「ぎゃあああああ!」
呆気なく餌食になる平民達。
怯んで足を止めた者もいれば、逆に感情が振り切れて走り続ける者もいる。
「足並みが乱れたぞ! 一気に畳み掛けろ!」
討伐軍の後衛はまだ後方に控えたままのため、最前線に支援攻撃が飛んでくる心配はない。
魔王軍の兵達は、身体能力で数段劣る人間達に容赦無く襲いかかった。
一方的に狩られる平民達。
「うわああああ! 助けてぇぇぇぇ!」
戦場に響く断末魔。
既に勝負は決まった。
「おい、やばいんじゃねぇかこれ……」
「どうしよう。俺、まだ死にたくねぇよ」
先陣を切った者達の惨劇に、後方に待機して見ていた他の民兵達からも、不安の声が聞こえ始めた。
(まったく、情けない奴らだ)
他人が失敗しているのを見て、自分ならば上手く出来ると考えてしまうのはままあることだ。
この時の騎士団長がまさにそれだった。
自分は勇者だ、こいつらとは違う、と。
「団長! このままでは味方が!」
「わかっている。騎士団! これより敵を撃破する! 俺に付いてこい! 行くぞ!」
騎士団長は馬に跨ったまま剣を抜くと、真っ先に走り始めた。
「団長! 指揮は?!」
「お前に任せる!」
指揮官として後ろで眺めていたところで、大衆は自分を英雄だとは思わないだろう。
そう考えた騎士団長は、副団長に後を押し付けた。
視線の先では、民兵八千人が早くも全滅しようとしている。
主役の登場には絶好のタイミングだ。
「おおっ! 騎士団長が行ったぞ!」
数千人の騎士達を引き連れ、平民を狩って乱れた敵陣に突っ込むアーカム。
胴体を覆う程度の革鎧しか身に着けていなかった民兵達とは違い、金属製の鎧で全身を包んだ騎士達に半端な攻撃は効かない。
足をやられた馬を即座に乗り捨て、彼は近くにいた魔族に斬りかかった。
「すげぇ!流石は騎士団だ!」
騎士団長の目論見通り、完全にただの観客となった平民達が歓声を上げた。
乱戦模様となった最前線。
瞬殺された民兵達とは違い、騎士団は魔族達と互角に戦っている。
魔王軍全てに対して正規の騎士団だけで互角だというのなら、そこに他の貴族達の戦力や民兵が加われば、勝ちは確定だ。
故に人々は思った。
この勝負は勝った、と。
……その瞬間だ。
――ドンッ!!!
まるで水を差すような爆ぜる音。
魔王軍の後方の山で土煙が立ち、”何か”が宙へと打ち出された。
「なんだ……、大砲か?」
ちょうど犬の耳を生やした魔族を斬り捨てた直後だった騎士団長は、すぐに音の方向を確認した。
この世界の戦争において、遠距離攻撃の主力は魔法である。
しかし魔力量の問題や対魔法障壁、それに魔法が使えない者達の活用といった観点から、弓や大砲といった武器も現役だ。
昔はマスケット銃が大量に使われていた時代もあったのだが、旺盛な需要を前提に肥大化しすぎた産業は、人間国家の統一による業界規模の縮小に耐えきれなかった。
目先の採算を合わせるための安易な人員削減の結果として、後継者が完全に途絶え、現在は既に技術そのものが失われている。
「あれは……?」
空高く打ち上がった”何か”。
後方で見ていた人間達が指さしたそれは、綺麗な放物線を描き、そして最前線へと落下していく。
――ダンッ!!!
大地を伝わる衝撃。
討伐軍と魔王軍、双方が何事かと”それ”が着弾した方向を見た。
只ならぬ雰囲気に、数瞬前まで熱気に満ちていた最前線が静まり返る。
土煙が晴れ、そしてその中から姿を現した人影。
そこに全ての視線が集まった。
「あれは……、まさか……」
覇気、怒気、殺気。
放たれる圧倒的な存在感。
紫のマントを垂らし、全身を覆った金属の鎧が鈍く輝く。
「つ、ついに来やがった……」
「あれが……」
この戦場にいた全ての人間達が息を呑む。
本能が現実を理解し、恐怖で鳥肌が立った。
「待たせたな、お前達」
どこかで聞いたことがあるような男の声が戦場に響く。
それが誰の声だったのか気がつく者はいなかったが、しかし騎士団長を初め、討伐軍の人間達は全員が本能で理解した。
ああ、間違いない。
コイツが”魔王”だ、と。