12:魔王と戦いたい者達
天気は雲一つ無い快晴。
自分達の栄光を女神が約束してくれているのだろうと思い上がる者達を引き連れ、カインは魔王城のある北へと向かっていた。
周囲は見晴らしの良い平野となっていて、魔王軍の姿はまだどこにも見えない。
「後ろが遅れているな……」
馬に跨って中団の少し前付近にいたカインは、後方集団の移動速度が遅いことに気がついた。
今回の魔王討伐軍は先頭と最後尾が正規の騎士団、中団付近が貴族達のいわゆる諸侯軍、そして後方が志願した民兵となっている。
勝ち馬に乗ろうと積極的に志願した者が予想以上に多く、この世界の歴史上でも類を見ないような大軍となったのだが、その分だけ平均を下回るような体力しか無い者も多い。
「所詮は平民だ。そんなものだろう」
並んで移動していた騎士団長アーカムが吐き捨てた。
この男は、とにかく他人の弱いところを見つけると即座に食らいつく性分らしい。
自分の方が上だと確かめたくて仕方がないようだ。
人は完全にも完璧にもなれないというのに、他人の欠けた部分を見つけるとそれを罪だと追求する。
それならば最も大きな罰を与えられるのは、お前自身だろうに。
(さて、どうするか……)
我らが騎士団長様にはまだ大事な役目が残っている。
カインは横にいる男の首を刎ねたい気分を堪えながら、民兵の進軍速度を確認した。
「そう言えば……、実際に魔王と戦う際の指揮なのですが……」
騎士団長の眉がピクリと動いた。
なんともわかりやすい男だ。
牢で話した時もそうだったが、この男はやたらと上下関係にこだわる。
カインに対する言葉遣いからしてそうだ。
今は平民とはいえ、相手は仮にも元国王。
それも、いつまた王に戻っても不思議はない立場である。
そのカインに対して、現在は自分の方が上だという理由で尊大な態度を崩さないのだから、全くもって先のことを考える能力がないと言っていい。
いや――。
カインの胸中を踏まえて考えれば、あるいは一番わかっていると言っていいかもしれないが。
とにかく、現在は平民であるカインの指図を受けたくないというのが見え見えである。
「残念ながら、私は軍を指揮した経験がそのものがありません。おそらくは魔王との戦いが始まればそれどころでは無いでしょうし、全軍の指揮は騎士団長殿にお願いしても?」
「……ふん、いいだろう。確かにそれが出来るのは、俺ぐらいしかいないようだからな」
賢者と愚者の違いはなんだろうか?
挙げればキリはないだろうが、しかしその中にはおそらく自分の力量を正確に把握できるかどうかが含まれるはずだ。
無知の知。
人は安易に完全を志向し、しかし永遠にそこには辿り着けない。
優れていようがいるまいが、それはあくまでも人間の枠組みの中での相対的なものであって、自分の力量が不足する事態にいつかは直面する。
部屋の片隅で本を開き、神輿にされていることにすら気が付かない愚かな主人公に自分を投影して、苦痛というスパイスも敗北というアクセントも無い、ただただ甘いだけの安い空想に浸り続けるのでも無い限り、その時は必ず訪れる。
問題となるのは、実際にその時を迎えた場合だ。
このまま進めば敗北しかないという現実を、殆どの者は直視できない。
そもそも自分の力量に真摯に向き合おうという意志そのものがなく、勝利の可能性を探し回ろうともしない。
代わりとして、彼らは脅威の程度を過小評価し、そして自身の力を過大に評価する。
そうやって作り上げた妄想の現実を元にして、物事を改めて判断するのだ。
「それで提案なのですが、騎士団長殿が正面から魔王軍を相手取っている間に、私が寡兵で魔王に奇襲を仕掛けるというのはどうでしょう? 今回の戦いは十年前の禍根を水に流すという側面もありますから、その時の方々と一緒に行きたいのですが」
「……ほう?」
自己顕示欲や承認欲求というものは、ただひたすらに人間を腐らせる。
この時、騎士団長の脳裏には、自分が英雄となる未来が描かれていた。
これは魔王討伐。
普通に考えれば、主役は勇者であるカインだ。
しかし、もしも彼が魔王と戦えなかったから?
例えば、例えばの話だ。
奇襲をしようとカイン達が回り込んでいる間に騎士団長達が先に魔王と交戦し、そして勝利してしまったとしたら?
これだけの数の人間が見ている前で、騎士団長アーカムが魔王と一騎打ちし、人類の脅威を打ち破ってしまったとしたら?
傲慢な妄想は謙虚な現実に勝る。
そして人々は自分に都合の良い未来を過大に評価し、そこに実現の可能性を検討するという発想は存在しない。
故に、騎士団長はその考えがもはや約束された未来だと思い込んだ。
騎士団長アーカム改め、英雄アーカムの誕生が彼の中で決まったのである。
現時点で魔王と戦って生還した人間は、勇者ヒロトただ一人。
騎士団長である彼は今回の魔王どころか、前回の魔王の力すらも直接は見たことがないというのにだ。
それどころか、魔王討伐に加わるのですらこれが初めて。
愚者が経験に学ぶと言うならば、つまり彼はまだ何も学んでいないことになる。
それを咎める声を受け入れるだけの器はどこにもない。
自分の想像と妄想で作り上げた”勇者”と”魔王”、それだけをもって未来を推し量り、そして自己の判断を手放しで称賛する。
多くの者達が本の中の投影だけで済ませる空想を、彼は現実と置き換えていた。
出過ぎた杭は、もはや誰にも打つことは出来ない。
「いいだろう。……それでは後ろの平民を少し待ってやるか。あいつらも一応は討伐軍だ」
騎士団長は先程、正面を見ながら吐き捨てたばかりの民兵を振り返った。
別に彼らを戦力として考えているわけではない。
所詮は下等な平民。
騎士団にも平民はいるが、どいつこいつも”騎士道”のなんたるかを理解できない馬鹿者ばかりだと、この男は本気で思っていた。
しかし観客は必要だ。
自分の偉業を証言する者達が。
英雄アーカム誕生の瞬間を目撃する者達が。
そんな彼の横で、悪魔の赤い瞳が光る。
”お前はそもそも、誰が魔王かわかっているのか?”とでも言いたげに。
勇者ヒロトが持ち帰った魔王の情報は、相手が全身を鎧で包んだ男だったということだけ。
そして、全のために己を犠牲にするという発想を一切理解できていなかった彼は、それ以上のことを口にしなかった。
言えば自分の惨めさを喧伝することになる。
勇者の力以外に取り柄の無い彼は、それに耐えられなかった。
つまり王宮側の視点で見た場合、今代の魔王が女神によって聖剣と聖鎧を与えられているという話は、使者として王都を訪れた”魔族によって”もたらされたものである。
当然のことながら、敵が持ってきた情報など素直に信じるわけにはいかない。
そしてそれを抜きにして考えても、鎧の中の魔王に関しては、やはり一切の特徴がわかっていないのである。
だから仮に。
仮にだ。
もしも魔王が鎧を脱いで、この魔王討伐軍に紛れ込んでいたとしても――。
そして、その彼が馬に跨って騎士団長の横にいたとしても――。
――それが魔王だとはわからないのである。
★
四方向の内の三つを山と崖で囲まれた平地。
そこで魔王討伐軍と魔王軍は正面から睨み合った。
両者の距離は目算で数キロ。
しかし――。
「……魔王はどこだ?」
自分の手で魔王を討ち取ろうと目論んでいた騎士団長は、肝心の獲物がどこにも見当たらないことに気がついた。
両脇と魔王軍の背後が山になっているので、もしかするとそのどこかに伏兵がいるのかもしれない。
騎士団長は、魔王が右側の山にいないことを願った。
なぜなら、そこはカインが他のクーデター参加者達を引き連れて、別働隊として進んでいるはずのルートだからだ。
場合によっては、自分だけで手柄を独り占めするはずだった計画がひっくり返り、逆にカインや他の参加者達に良い所を全て持っていかれてしまうかもしれない。
正面に展開している魔王軍の軍勢は、せいぜいが数千程度。
それに対し、急な編成で正確な数を把握していないとはいえ、こちらは確実に万単位。
数倍どころか、十倍以上の戦力だ。
例えこれで戦いに圧勝したとしても、指揮官である自分が褒め称えられることはないだろう。
(どこだ、魔王はどこにいる……?!)
手に入ると思っていたものが手に入らないとわかった時、なぜか大魚を逃した気分になるから不思議なものだ。
……さて、そんな騎士団長の焦りを嘲笑うかのように、カインは山の中を進んでいた。
引き連れているのは十年前のクーデターに直接参加した者達、およそ二十名ほど。
騎士団の者が多いが、文官も少し混じっている。
勇者と一緒に魔王を討伐したという名声が手に入るとあって、彼らの士気は非常に高い。
先日までは簒奪王ヒロトの協力者として死刑に怯えていたのだから、尚更だ。
(さて、そろそろいいか)
騎士団長の指揮する本隊からは、かなり距離が開いた。
ここならば何をしても見られる心配はないだろう。
「うっ!」
腰の聖剣を僅かに抜いて立ち止まったカイン。
その直後、先頭を走っていた数人が見えない何かにぶつかって尻餅をついた。
「何だ?!」
「敵か?」
他の者達も慌てて立ち止まって武器を抜く。
敵襲かと思って身構えたのだが、しかしどこからも追撃は来ない。
「これは……、壁か?」
最初に倒れた男達は起き上がると、自分が何にぶつかったのかを確認しようと、何もない空間に手を伸ばした。
目には見えないが、触れるとしかし確かに壁のようなものがある。
「まさか……、閉じ込められたか?」
その言葉を聞いて、他の男達も慌てて周囲を探り始めた。
「こっちは見えない壁で通れないぞ!」
「こっちもだ!」
「今来た方向も塞がってる! なんだこれは!」
檻の中のなんとやら。
彼らの四方は見えない壁によって完全に囲まれていた。
そして彼らの”自分達がこの空間に閉じ込められたのではないか”という考えが確信に変わった瞬間、ちょうど空間の中央にいたカインの声が響いた。
「なあ、お前達。お前達は本当に”魔王”と戦いたいと思っているのか?」
「え? な、なにを急に……」
積み上がる予想外。
それは彼らの自己満足によってのみ肯定される冷静さを崩し、そして混乱へと突き落とすには十分だった。
「あ、当たり前です! 我々はカイン様の剣となり盾となるためにここにいるのです!」
薄情者は都合の悪い過去をすぐに忘れる。
彼らは今さっき自分達がこの場所に閉じ込められたということすら、既に頭の中から吹き飛んでいた。
「そうか。それは……、大変に残念だ」
その言葉とは裏腹に、残念そうな気配など微塵も無いカインの表情。
そして彼の瞳が再び赤く輝いた直後――。
カイン以外の全員の両腕から、大量の蛆が一斉に湧き出した。