11:騎士団長
五体不満足となったヒロト不在のまま謁見が終わり、カインは魔王討伐隊――予定する規模から言えば魔王討伐”軍”と言った方が近い――の準備が出来るまでの間、野次馬対策ということで王宮の客室に泊まることになった。
獅子身中の虫。
しかし王都内に宿を取るか、あるいは家を用意することで大衆を扇動しやすい条件を整えるよりはいいだろうと判断を迫られた結果である。
大衆の人生の軽薄さは、それを扱う王宮の者達だってよくわかっている。
彼らは常にわかりやすい勝ち馬に乗ろうとするのだ。
もしも今のカインが一声掛ければ、連中は容易く王宮に対して牙を剥くだろう。
カインが王で無くなってから十年。
元々が薄情の極北とも言えた者達は、ヒロトの安い民主主義政策によって完全に思い上がっていた。
王は民のことを考えて当然。
人の上に立つ者は下の者達のために働くのが常識。
国とは人のことであり、世界の主役は苦労も世間も知らない王族や貴族ではなく、汗水流して働く民衆。
王や貴族達は何か不手際があれば自分達に対して泣いて詫びるべき……、なのだそうだ。
……同じ種族は無条件に味方だとでも思っているのだろうか?
彼らは実態を決して見ない。
自分の空想と妄想の中に作り上げた、”現実”なるものを元に全てを考える。
衆愚が箱を開けて中身を確認することなどなく、彼らは常に箱の包装だけを見て、全てをわかった気になるだけだ。
そして容易に騙される。
箱の中に入っているものが例え本物だったとして、包装に偽物と書いてあれば本気で偽物だと信じて疑わない。
(ここまで見事に腐っていると逆に清々しいな)
夕食を取った後、カインは案内された客室でシャワーを浴びてからベッドに入った。
この十年の寝床とはまるで違う、埋もれるような感触。
久し振りに見る華やかな天井を見ながら、カインはこれからのことを考えた。
事前にいくつか考えていたプランの内の一つに、これでほぼ乗った。
もちろん細かいところでは予定外や予想外のところはあったが、それも大勢に影響を与えるレベルではない。
(勇者と魔王。これで場にあるジョーカーは二枚に見えるはずだ。さて、一匹しかいない狼が、この後どこまで上手く進めるか……)
ただ目先の気分が満たされればそれで済むというのなら、さっさと玉座に座ってしまえば終わりだ。
後はヒロトやアシェリアを初め、十年前に関わった連中を苛め倒し、気に入らない者を処刑してやればいいだろう。
が、しかしだ。
それであの時死んだ者達が生き返るわけではなく、損失は一切補填されない。
名誉の担い手がいない以上、”彼らの汚名を晴らす”などという発想もナンセンス。
そんなものは一週間もすれば忘れ去られるのだから論外だ。
他人の名誉など大した価値はないし、それを保存する者など、どこにもいない。
(まずはアーカムをどうするかだな)
十年前に騎士団長の身でクーデターに参加した男、アーカム。
その後も統合された新生騎士団の団長に収まっていたらしいが、カインが勇者になったことを受けて牢に入れられたらしい。
他にもクーデターに参加した者は殆どが捕らわれて処分を待つ身だ。
(ふん、生贄にしようというのが見え見えだ)
ヒロトやアシェリアをそうしなかったことを踏まえると、この青写真を描いた者が誰かは、かなり絞られてくる。
(王宮側はあの宰相か財務大臣辺り。教会側は……、やはり教皇だろうな)
十年前にせよ今回にせよ、完全に教会は利する側に立っている。
夢と理想を語る悪魔。
猿をおだてて踊らせるという意味で言えば、彼らほどそれに長けた者達もいないだろう。
大衆はその本質を理解しようなどとは思わない。
彼らがただひたすらに刹那的な発想しかできないことを、教会の連中はよくわかっている。
この十年ずっと考えていたカインは、教会系の勢力をどう上手く料理するかが鍵になるという結論に達していた。
大義名分という観点からすれば、これほどやりにくい相手もない。
正義を後生大事に抱える連中は脅威ではないが、しかし自分の利益のためにそれを利用するだけの連中は全く逆だ。
”何が正しいか”という問いに倫理や道徳を結びつけるのは全くのナンセンス。
それは善悪の程度ではなく、損得の程度を問う質問だ。
つまりは”自分にとってはどれが一番得か”という意味になる。
教会系の連中は、それをしっかりと理解していると見ていい。
(だがまずはアーカム達からだ。特に俺が王だった時代に交流のあった奴らは、出来るだけ早い段階で減らしておく必要がある)
一瞬だけ、カインの脳裏に彼らだけでも処刑を願い出るという選択肢が浮かんだ。
(……いや、駄目だ。不自然すぎて感づかれる。重要なのは、あくまでもこちらの目的を悟らせないことだ)
教皇グレゴリー。
やはり最も警戒しなければならない相手は奴だろう。
仮にも教会系の勢力争いを制し、その頂点に君臨する男だ。
迂闊な行動を取れば、こちらの本当の狙いを見抜かれる可能性が高い。
(ベストとは言い難いが……。やはりそれが一番良さそうだな)
十年前の公開処刑で使われた五つのギロチン台。
そもそもそんなものを用意できるのは誰かと考えれば、自ずと警戒が必要な相手は絞られてくる。
油断は出来ないが、武力の勝負で負けはおそらくないだろう。
となると、考えられるのは獲物に逃げられる展開だ。
今のカインにとって信用できる味方など一人もおらず、当てに出来るのは自分の体のみ。
もしも狩り損ねた獲物が世界中に散らばってしまった場合は非常に厄介だ。
場合によっては、全てを狩り終える前に自分の寿命が終わる可能性だってある。
いかにして上手く一網打尽にするか。
最大の問題はそこだ。
★
「魔王討伐軍に……、ですか?」
翌日。
宰相エルガの部屋を訪れたカインは、彼に対して騎士団長アーカムを初めとする囚われた者達を開放し、魔王討伐隊に加えるようにと”嘆願”した。
もちろんそれは事実上の命令である。
しかしその正式な決定権を持つのはあくまでも宰相達、つまり王宮側だ。
あくまでも平民である今のカインではない。
「しかし、あの者達は直接カイン様を玉座から降ろした者達……。いくらなんでもカイン様の身が危険では?」
宰相は本音が漏れないように注意しながら、しかしカインの意見を不採用に出来ないかと試みた。
これがいい結果になれば勇者のおかげと持ち上げねばならず、悪い結果になれば責任の一端を負わされる。
彼らにとっては非常に分の悪い話である。
はっきり言って受けたくないのだが、自分自身の今後を考えると、ここで直接駄目だとも言えない。
間違っても反カイン派だと名指しされるような大義名分を与えるわけにはいかないからだ。
「それも致し方ないでしょう。私も彼らに対して思うところが無いわけではありませんが、とにかく今は魔王を滅ぼすことに注力するのが最優先です。女神様の話を信じるならば、今回は今までのように闇雲に勇者をぶつければ勝てるという話ではないそうですから」
女神様の話を信じるならば。
その言葉によって、宰相は退路を断たれた。
もしもここで”勇者さえぶつければ勝てるのではないか”などと言えば、それはつまり女神の言葉を信じていないということになる。
そんな話が外部に漏れれば、例えカインの脅威を免れたとしても、政治生命は間違いなく終わりだ。
いや、それどころか命すらもが危うい。
きっと、教会によって宗教裁判に掛けられ、家族諸共、磔にされることだろう。
教会系の勢力の中にだって、点数稼ぎをしたい者は幾らでもいるのだから。
(やむを得ないか……?)
このカインの言葉自体は正論である。
武官の出身ではない宰相にはそう思えた。
もちろん最善手を探せば他にあるのだろうが、少なくとも的を大きく外してはいないはずだ。
カインの思惑通りに話が進むことに対し、危機感を感じないと言えば嘘になる。
しかしこれが至極真っ当な意見である以上、ここで採用してしまっても、後で非を追求されるリスクは比較的低い。
それに……、だ。
(もしもアーカム達がどさくさに紛れてこいつを殺してくれれば……、それで全てが解決だ)
繰り返すが、宰相は武官の出身ではない。
故に、彼はカインの戦力を正確に推測することが出来ていなかった。
そもそも戦場になど出たことなど無い彼は、カインどころか、ヒロトが実際に戦う姿すら見たことがないのである。
そして武道の心得が無いために、各種の情報や、あるいは普段の彼らの振る舞いから実力を推し量ることも出来ない。
「大義のために彼らを許すとは……。流石は女神様に選ばれた真の勇者ですな」
三文芝居。
果たして宰相自身はこの演技に何点を付けるのだろうか?
(俺なら零点だな)
観客はカインただ一人。
それを騙せなかったのだから、まさか高得点というわけにはいくまい。
見ているこちらをも道化になった気分にしてくれるのだから、その意味では結構な出来栄えではあるが。
「わかりました。それでは騎士団長達を解放し、討伐軍に加えましょう。彼らへの説明はカイン様にお願いしてもよろしいでしょうかな? 彼らも半信半疑でしょうから、直接カイン様の言葉を聞けば納得するでしょう」
「ご理解に感謝致します。宰相殿のような方が常に側にいれば、さぞや仕事もしやすいのでしょうね?」
宰相の眉がピクリと動く。
その反応が何を意味しているかなど、言及の必要もないだろう。
「はっはっは。流石にお上手だ。私は自分の役目に徹しているだけですよ。それが”どのような立場であれ”」
さり気ないアピールのつもりか。
宰相の声を聞きながら、カインは反吐が出そうな気分を飲み込んだ。
仕方のないことだ。
こういうのでなければ、こいつらは食いつかない。
カインが王に戻った場合に、ヒロトについていた自分達がどうなるのか。
こいつらにとってそれが最も重要であるのは間違いがない。
(ボルドーならとっくに身を引いているだろうな)
かつてカインの横でそれを支えた宰相ボルドー。
女心に関してはさっぱり当てにならなかったが、しかしこういう場面では確かに手腕を発揮していた男だ。
それと比べて、果たして目の前の男が宰相として横に置いておきたいかどうかと考えれば、自ずとその評価も定まるだろう。
「彼らがいるのは地下牢でしたね? では早速行ってきます」
話を切り上げて部屋から出ていくカインと、それを見送った宰相。
(……しまった!)
カインの姿が視界から消えて安堵した数秒後、彼は自分の判断ミスを悟った。
(このタイミングでわざわざアーカム達を開放するということは、カインがあいつらに何か用があることは明白だ。てっきり危険地帯に放り込むのだと思っていたが、そうではないとしたら……?)
アーカム達は、仮にも現役の国王だったカインに牙を向けた者達である。
つまり鉄砲玉としての素質は十分。
もしもカインが、彼らを許す代わりとして粛清部隊の役目を与えたとすればどうなる?
(あいつらのことだ。例え相手が教皇でも殺しに行くぞ……!)
カインは今、アーカム達のところへと一人で向かっているはずだ。
裏取引をすることも、魔王討伐後の処遇と引き換えに密命を下すこともできる。
見張りの牢番がいるが、今のカインならばそんなものはどうにでもなるはずだ。
(いかん……!)
慌てて部屋を飛び出した宰相。
廊下を確認するが、カインの姿はもうない。
(急がなければ……!)
宰相はカインの姿を求めて地下牢へと早足で向かった。
★
「どうぞ、こちらです」
「ああ、久しぶりですね。騎士団長殿?」
牢番に案内されて、アーカムが入っている牢屋の前まで来たカイン。
見知った顔を見つけた彼は、早速声を掛けた。
「……誰だお前は?」
(ああ……、こいつ……)
――さては俺の顔を覚えていないな?
脳筋という言葉があるが、しかし世の中には本当に同じ種族なのかが疑わしいほどに知能が低く、学習能力が低い者というのは実在する。
十年のブランクがあるとはいえ、それ以前には何年にも渡って顔を突き合わせていた相手のはずなのだが、どうやらアーカムは本当にカインの顔を忘れていたらしい。
栄養状態の悪い生活を続けた結果として頬はやせ、さらに身なりも王族のそれではないが、しかし自分達がなぜこうして牢に入れられているのかを考えれば、すぐに気がついても良さそうなものだ。
「カインですよ。十年前まで王をやっていた。……今はただの”勇者”ですがね」
王族では無くなったカインに、名乗る性はもう無い。
今はただの平民にして、勇者カインだ。
「カイン?」
この地下牢には、他にも当時のクーデター参加者達が入れられている。
そのため、カインの名を聞いた周囲は少し騒がしくなったのだが、しかしアーカムはさらに首を傾げるだけだ。
どうやらこの段階になってもまだ、彼はカインのことがわからないらしい。
記憶障害にでもなっているのだろうか?
単純に知能が低い場合も含めるのであれば、きっとそうなのだろう。
「へ、陛下……」
別の一人が声を上げた。
女神の神託が王宮に伝えられた後、彼らは早い段階でこの牢に入れられている。
そのため外で何が起こっているのかを知らず、どうやらカインが再び王になったと思ったらしい。
それを聞いたアーカムもようやく気がついたようだ。
「玉座に戻ったわけではないので、今は平民ですよ」
「……ふん。平民が俺達に何のようだ?」
カインのその言葉に反応したのはアーカムただ一人だ。
なるほど、どうやら彼は相手の立場によって露骨に対応を変える質らしい。
もしもカインが王だったとしたら、きっとここで尻尾でも振っているのではないだろうか?
強い者にはへり下り、弱い者には威張り散らす。
まさに美学の無い人間のお手本のような男だ。
しかし、誰が自分よりも強いのかを理解できないのは、このタイプにとって致命的な短所だと言っていい。
「これから全ての戦力を持って魔王を倒しに向かいます。騎士団長以下、ここにいる全員にも参加して頂きます」
牢内がどよめく。
カインの後を追ってきた宰相が入ってきたのはその時だ。
「ちょうど良かった。たった今、この場にいる方々に魔王討伐軍への参加を伝えたところです。それでよろしいですね? 宰相”閣下”?」
「は、はい。騎士団長、カイン様の仰る通りだ。全員、職務に復帰し魔王の討伐軍に参加するように」
「そういうことです。私も皆さんに対して思うところがないわけではありませんが、物事には優先順位というものがあります。魔王討伐の大任のため、互いのわだかまりは水に流しましょう」
糞のような演技。
カインは自分の心臓に聖剣を突き立てたい衝動に駆られた。
しかしここは辛抱だ。
これぐらいの寒いやり取りでなければ、こいつらを騙すことはできない。
食虫植物に群がる虫と同じく、そもそもの判断基準や感覚が自分とは異なるということを肝に命じなければ。
牢に入っていた者達が、どう反応するべきかと互いの顔を見合わせた。
果たしてここは解放を喜ぶべきか、あるいは最前線に投入されることを懸念すべきか。
「騎士団は国王陛下の直属だ。お前達に指図される謂れはない」
器の小さい者は、やたらと立場の上下にこだわる。
本能で自分の方が格下だと自覚しているからかどうかはわからないが、とにかく自分の方が上だとやたらに誇示したがるのである。
本物の強者達が、むしろ周囲を萎縮させないようにと気遣って、自分自身を小さく見せようとするのとは対称的だ。
「この件に関しては、アシェリア様から私に対して全権が委任されている。今はあの方が国王代理だ」
宰相は、”王妃”や”ヒロト”といった、カインを刺激しそうな言葉をできるだけ避けて答えた。
アシェリアや国王代理という単語が入ったことを考えると満点とは言えないが、しかし咄嗟の判断としては良い方だろう。
「……了解した」
果たして、了解するだけの知能がこの男にあるのだろうか?
それはともかくとして、アーカムは不機嫌さを隠さずに了承した。
どうして騎士団のトップである自分がお前達の指図を受けねばならないのか。
まあ彼の心情はこんなところだろう。
美学も信念も無いが故に、形式的な上下でしか物事を判断できない。
今となっては手遅れだが、カインは王としてもっと人材の発掘と育成に力を入れるべきだったと反省した。
それどころか、先代が健在だった頃からそうするように頼み込んでおくべきだったのだろう。
人は完全にも完璧にもなれない。
故に仕方が無いことではあるが。
何れにせよ、こうして王都周辺の戦力は全てかき集められた。
空前の規模となった魔王討伐軍が北に向けて移動を開始したのは、その数日後である。
王都に残る民衆からの盛大な見送りを受けながら、カインはついに”最初の処分場”へと出発した。
かつて現実的な範囲で善政を敷こうと心掛けていた国王。
今は魔王討伐の任と共に勇者の力を与えられた駆逐者。
赤い瞳の悪魔は、一度だけ敵の巣である王都を振り返った。
――首を洗って待っていろ、屑共。
――戻ってきたら……、次はお前達の番だ。