8.「こんちはッス、兄貴っ!」
……昨日は結局一睡もできなかった。
原因は明白。
昨日、如月が最後に見せてきた写真と、それに合わせて発言した文言のせいだ。
そもそも、如月があんな写真を撮った理由がわからない。
如月はあの写真を撮ることが、俺の見舞いにきた上でのやり残した事と言っていたが、見舞いに来て入院患者と記念撮影する人など初めて聞いた。俺はパンダか。
それに如月は、あの写真をご丁寧にも俺の机の中に入れておいたと伝えてくれた。
あんなの、誰かに見られたら変な誤解をされるに決まっているというのに。
誤解……つまり、佐藤樹は入院中、同級生にコスプレさせて楽しんでいた変態――と。
あれはただのハッタリか、それとも真実か……。
真実ならば、何故写真は机の中になかったのか……。
誰かが持ち去ったのか、それともやはりただのハッタリか……。
考えが頭の中を無限ループし、気がつけば朝日がおっはーと言っていた。
「……そろそろ下、降りるか」
枕元の目覚まし時計を見ると、時刻は朝の5時。
これ以上ベッドの上で悶々としていても仕方がないと思い、1階のリビングに降りて少し早いが弁当の支度をする事にした。
『〜♪〜♪〜♪』
階下に降りると、何ともご機嫌な鼻歌が聞こえてきた。それに混じって、ジュウジュウと何かが焼かれる音。
寝不足で幻聴まで聞こえるようになったのか。
睡眠の大切さを実感しつつ、リビングへ続く扉を押し開く。
同時に、鼻孔をくすぐる良い匂い。
「〜♪〜♪〜♪」
朝日が照らし出す佐藤家のリビング。
その奥にあるキッチンには、こんな時間はまだスピスピ寝ているはずの我が妹の姿があった。それも、ここ最近見たこともない楽しそうな表情。
……幻聴のみならず、幻覚までとは。
「……寝よ」
流石にマズイと思った俺は、欠伸をしながら回れ右をし、自室へと引き返した。
ベッドに倒れ込んだ俺は、後1時間だけでもと思い、静かに目を閉じる。
幻覚とは言え久しぶりに妹の笑顔を見られたからか、俺はいつの間にか眠りにつくことができていた。
***
「んっ……ん?」
目覚まし時計つ『12:00でやんす』
「12……そっか、12分……あれ、針が2つもある……短い針って何だっけ――って寝ぼけてる場合かっ!」
ここで一気に脳へと血が送られた俺は、ガバッと布団を蹴上って飛び起きていた。
え?
俺、いつの間に寝た?
もう学校に行って親友と仲良くおしゃべりをしてたはず――って夢かっ!?
「……いや、こんなことしてる場合じゃない」
取りあえず、さっさと支度をして学校に行こう。
まだ昼からの授業には間に合うはずっ!
復学2日目早々無断欠席とか、どんな問題児だよ。
ただでさえ昨日色々とやらかしたのに、このままでは完全に変人認定されて灰色の学校生活が始まるぞ。灰色なのは脳細胞だけで十分だ。
俺は高速で制服に着替え、カバンを引っ掴み自室を飛び出した。
そのまま玄関を飛び出そうと思ったが喉はカラカラ。
流石に1杯だけ水を飲もうと思いリビングへ。
「――っは〜」
蛇口から直接水を飲み一息。
「……ってか、フウも起こしてくれたら良いのに。そしたら寝坊も……」
落ち着いた所で、ふと愚痴が溢れていた。
言って、直ぐにただの八つ当たりだと自覚し、自己嫌悪に気分を落とす。
1つ溜息を吐き、急いで学校へ行かねばと顔を上げたその時。
「……ん?」
視界の隅にチラついたモノ。
それは、やけに散らかっている調理台の上にポツンと置かれていた。
中学1年の頃から愛用している弁当箱と、所々赤い血のようなものが付いた一枚の書き置き。
【これお昼ご飯。今日は家で大人しくしてること。兄さんの学校には連絡しといたから。】
……俺は良くできた妹を持ったものだ。
俺はその素っ気ない書き置きに”行ってきます!”と書き足した後、弁当箱を入れたカバンを持って急いで学校を目指した。
***
ある程度予想はしていたが、これほどまでとは……。
俺が学校に着いたのは、丁度昼休みが始まる頃だった。
まず職員室へ行き、担任の黒井先生に寝坊で遅刻したことを説明&謝罪。
その後、俺のクラス――1−3教室へと赴いたわけだが……。
俺が教室に足を踏み入れると、中で各々昼休みを堪能していたクラスメート達が、皆一斉に口を閉ざして俺の方を向いた。……否、窓際最後尾の黒髪ロングの女子――如月夜月だけは、我感せずと優雅な動作でサンドイッチを食べ続けていた。
……あいつ、俺と同じクラスだったのか。丁度良い。後で昨日の写真の件について問いただそう。
そんな事を考えつつ、取りあえず自分の席を目指して足を動かした俺。
そんな俺の一挙手一投足をチラチラと観察するクラスメート。ただし俺と目が合いそうになると、バッと不自然に顔を背ける。
俺が自分の席に腰を下ろした後も、教室の中は異様な静けさに包まれていた。
聞こえてくるのは廊下に響く足音と、中庭や運動場から聞こえてくる遠い喧騒のみ。
昨日の放課後、俺の事を怖がらずに話しかけてくれた佐藤さんがいればと思っていたが、残念ながら後ろは空席だった。食堂にでも行っているのだろう。
周りでチラチラと俺の様子を窺っているクラスメート達は、俺の事を恐らく……いや、確実に問題児かDQNかだと勘違いしているのだろう。
すぐにでもその誤解を払拭したいのだが、どうしたものか。
――と、ふと右隣から、他とはどこか異なる視線を感じた。
首をそちらに動かすと、セミロングの髪を鶏冠の様に真っ赤に染めた男子生徒と目が合った。
「こんちはッス、兄貴っ!」
「…………」
後ろを振り返ると、皆こぞって顔を背けた。
……顔を戻す。
「どうしたんスか? 兄貴?」
……どうやら、こいつは俺に話しかけていたようだ。
俺を見て首を傾げているこの赤髪は、ネクタイをだらしなく緩め、制服を盛大に着崩している。
座っているから良く分からないが、身長は高校1年男子の平均である俺より低いだろう。
更に中性的な顔立ちで見た目も良い部類なので、女子から”キャー、可愛いー!”との評価を受けそうな外見なのだが、如何せんその不自然なくらいに鮮明な赤髪が邪魔をしている。
もっと普通の格好をしていたら女子にもモテそうなものを。
俺なんか目つき以外は至極ふっつーの格好をしているというのに、現在絶賛避けられ中なんだぞったく。
「兄貴、体調が良くないんッスか? 顔色が昨日よりも悪くなってるッスけど」
「そりゃあちゃんと寝てないからな」
「なるほど! 寝ずに町の悪者共を退治していたんッスねっ! 昨日オイラが話しかけても返事をしてくれなかったのは、そいつ等を懲らしめる参段を練ってたからなんスね!」
「…………」
赤髪が言い終わると同時、遠い目をしてフリーズする俺を余所に教室中が”ざわっ”とした。
……いかん。
こんななんちゃってDQNと話してたら、俺までそういう人に見られてしまう。
無視だ無視。
「いや~。流石は兄貴ッス! 影で町の平和を守るとはっ!」
俺は足元に置いたカバンに手を伸ばし、弁当箱を取り出した。
妹に感謝しつつその蓋を開ける。
「今度は是非オイラも連れて行って下さいッス……って、ん?」
中身は予想通り。
昨日と同じく白米と所々焦げた月面卵焼きだった。
「それ、なんスか兄貴? まるで汚れたスポンジみたいな――」
「殺すぞテメェ!!」
「ひぃっ! す、すいませんッス!」