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しあわせと呼ばれた人  作者: なつのいろ
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「・・・・・・?」



 あれから数日経ってなんとか体調を整えたコチョウは、ぴくりとも動かなくなってしまった表情筋をそのままに、いつも通り掃除をしようと玄関の扉を開けたところでふとその動きを止めた。視線の先には小さな花束があって、見覚えのないそれはおそらく誰かが置いていったものだろうと思われた。白を基調としたその花束はとても綺麗に包装されていて、可愛らしい水色のリボンが結ばれている。誰かへの贈り物だろうかと考えて、コチョウはそこに添えられている小さなカードに目を止めた。



――すまなかった



そう一言だけ記されたカードを手に、コチョウは無表情のまましばらく首を傾げる。そして、数日前に訪ねて来たサイガの顔が浮かんだ。同時に、無粋な真似をしてすまないと謝っていたことも思い出す。白い花々にそっと顔を寄せると、ふわりと上品な香りが鼻をくすぐる。コチョウは少し迷ってから、その花束を前掛けに包んでこっそり屋根裏部屋へと持ち帰った。



 その日から、ロイエーズの屋敷には時折小さな花束が届けられるようになった。相変わらず届け人は不明だが、毎回花の種類や色を変えて届くそれは、あの日からずっと暗い水底を漂っているコチョウの心を少しだけ癒してくれる。


 コチョウは今日も届いた可愛らしいピンク色の花束に顔を寄せ、その良い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。そしてふと、いったいこの花束はいつ頃ここに届けられているのだろうと思う。コチョウがいつも玄関を掃除するために扉を開けるのは、まだ早朝と言える時刻だ。その時間にはもうすでに花束が置かれているということは、届け人がここにやって来るのは夜中なのか朝のもっと早い時刻なのか。

 コチョウは、受け取っている花束が二つを超えた時から、一方的に貰うばかりで申し訳ないと思い続けていた。何かお返しがしたいし、何よりきちんとお礼が言いたい。誰もいない玄関で、コチョウは静かにある決意をした。




――早朝、まだ太陽が昇ってからさほど間がない時刻。マントを目深に被った一人の男が、足早に森の中を歩いている。歳は十代半ばだろうか、まだ線の細い体はしかし、油断のない動きで山道を進んでゆく。目的の場所へと近付いた彼はしかし、その手前で思わずといったように足を止めた。目線の先には、胸元で寒さにかじかむ手を摩りながら立っている一人の少女の姿があった。彼女は震えながら玄関の扉の近くに立っていたが、やがて立ち竦む人影に気付きぱっと顔を上げた。そしてぱたぱたと走ってきて、遠慮がちに手にしていた紙きれを渡す。



――花束を届けてくださっているのは貴方ですか?



 綺麗な字でそう記された紙をしばらく見つめていた男は、目深に被っていたマントをぱさりと落とした。そこから現れたのは、この国ではさして珍しくない赤茶の髪に深緑の瞳。ぱっと浮かべられた人懐っこい笑みとその顔にあるそばかすが、いっそう彼を当たり障りのない人物に思わせた。



「おはよう、花のお届け物だよ!質問の答えだけど、実は僕もこれが誰からなのかは分からないんだ。頼まれただけだから」



 コチョウはその言葉に肩を落としてから、足元に置いていた籠から小ぶりの包みを取り出し少年に差し出した。



「くれるの?僕に?」



 少年は目を丸くしてその包みを受け取った。赤い紐で結ばれた包装には一枚のカードが添えられていて、彼は目線でコチョウに許可を取ってからそれを読んだ。そこには花を贈ってくれることへの感謝と気遣いの言葉、それから包みの中のささやかなお返しについて触れられていた。



「これは贈り主に渡した方がいいんだよね?」



 少年の問いかけに、コチョウはふるふると首を横に振った。本当はそのつもりだったのだが、彼が依頼主の名を知らないということは、おそらくその人物は自分の名をコチョウに知られたくないのだろう。それならば、この花束を届けてくれた人に貰ってほしい。コチョウは身振り手振りで貴方に受け取ってほしいのだと伝えた。



「でも、この花の贈り主って、君にひどいことをしたんだよね?」



 真っ直ぐな目に射抜かれ、コチョウは少しだけ目を見開く。心当たりがなかったため首を横に振ると、少年はしばらく口ごもった後静かな声で言った。



「・・・・・・あのね。君に花を贈った人が、ひどいことを言って本当にすまなかったって。それだけは、ちゃんと直接伝えたくて」



 コチョウはきょとんとして、それからあの数日前の出来事を思い出した。ずっと心の支えにしてきた人を見失い、途方にくれたあの日。もしも本当にこの花束を贈ってくれたのがあの人だったならと考えて、コチョウは飽くまでもいい方に捉えようとする自分に苦笑した。そして何やら思いつめた表情をしている少年に優しく笑いかけ、再びゆっくりと首を横に振る。

 手の中の花束は相変わらず可愛らしく、彼女の心を癒してくれている。実のところ、この家に来て養父が亡くなってから彼女に贈り物が届いたのはこれが初めてだった。誰かが自分のために心を配ってくれた。それが本当に、嬉しかったのだ。



「――――」



少年は彼女の口から伝えられる声なき感謝の言葉に、ただ泣きそうに顔を歪めることしかできなかった。



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