表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
しあわせと呼ばれた人  作者: なつのいろ
39/40

38



 同時刻、アリシアは王の執務室で彼と向き合っていた。黙々と書類に目を通すアリソン王の紙をめくる音しか響いていない室内で、アリシアはかれこれ数十分は立ち尽くしていた。

 何のために呼ばれたのかと内心緊張し続けているアリシアに気付いているのかいなのか、気まぐれな王は不意に言葉を投げかける。



「あれを外へやったな」



 一瞬息をつめたアリシアに目を向けることなく、王は書類を確認し続けている。



「何のことです」

「面倒だ、隠し事は無しにしよう。この世にたった二人の大切な兄弟じゃないか」



 どの口が、と吐き捨てそうになるのを堪えて、アリシアは無表情を貫いた。



「幸運の女神というのは繁栄の象徴だ、どの国も喉から手が出るほど欲するはず。ここ百年ほどは姿を消していたが、それがまた私の代に現れた」

「私には理解できません。なぜ兄上がそのような存在に固執するのか、あの女にそこまでの価値があるのか」

「言っただろう、価値がなければそれまでだ。おまえも知っているだろう」



 黙り込んだアリシアに、アリソン王は面白がるように言った。



「私も問おう、なぜおまえはそこまであの女にこだわる?」

「理由などありません。強いて言うなら、兄上がこだわる理由が分からないからです」

「嘘をつくな。理由など、おまえには必要ない。そうだろう?」

「・・・・・・どういう意味です」

「おまえは、私の命に逆らえない」



 ぐっと眉間にしわが寄り、アリシアの表情が険しくなる。じっとその様子を観察する王は、好奇に満ちた目を細めた。そして何事かと口にしようとした時、まるで図ったようにノックの音が割って入った。



「失礼いたします、陛下。クレア嬢がアリシア殿下をお待ちです」

「ああ、クレア嬢が来ているのだったな。人の恋路を邪魔する奴はなんとやらだ、早く行きなさい」


 

 一点を睨みつけて立ち尽くしていたアリシアは、ぐっと堪えて踵を返した。

 アリソン王は、退室するアリシアに続こうとしたリュカを呼び止める。



「銀狼。おまえの本来の主は私だ、思い上がるなよ」

「・・・・・・は。失礼いたします」



 廊下へ出たアリシアは、機械的に足を動かし、無意識に王の庭へと足を踏み入れていた。緑の中で立ち尽くし、深呼吸を繰り返す。



「ありがとう。報告を聞こう」



 リュカの淡々とした報告を聞き、アリシアは深いため息をついた。そして、体調がいいようであればこの場所にコチョウを連れてくるようにと命じる。


 この庭は、かつてのアリシアにとって唯一心の安寧を得られる場所だった。生まれると同時に父から譲られたこの庭を、兄は何故か毛嫌いした。ゆえに、ここに足を踏み入れるのはアリシアと、彼自らが許した者だけだ。何物にも侵入されず、侵されることのない、自由に息ができる場所。


 たわわに実のなっている桃の木の下、そこに置いてある椅子に崩れるように腰を下ろす。



――おまえは、私の命に逆らえない。


 そう言った兄の目は残酷に凍てついていた。項垂れながら、己の両手を見る。あの時と比べてずいぶん大きくなった手。その手に、絶命した人間の体温や、ぬるりとした感触が生々しく蘇る。

 はあはあと荒々しい己の呼吸音、ぽたぽた落ちる汗と涙、横たわる体はずっしりと砂袋のように重く、押せども押せどもなかなかその場所から動かない。幼いアリシアはあの場所で何かをなくし、何かが壊れてしまったのだ。



「俺は、あの時から何も変わっていないのか」



 ぽつりと零れ落ちた言葉が、人工的な土の上に沁み込む。兄に壊されたものは、数えようとしても数えきれない。しかし、あの兄もきっといつからか壊れてしまったのだ、誰かに、何かに壊された。

 自分にも、誰かを守れるだろうか。あの人を、大切に出来るだろうか。






 花々が咲き乱れ、思わず言葉を失うほどの美しい庭園。水の流れる音や小鳥たちの鳴き声のするその場所を、コチョウが訪れるのは二回目だった。少し前を歩くアリシアの背中を見つめながら、ゆっくりと歩く。やがて、庭の中央にあるガゼボに少し間を開けて並んで腰かけた。それは静かで、驚くほど穏やかな時間だった。コチョウは陽の光に輝く緑を眺め、目を細めた。



「疲れているところすまない。ここなら人が来ればすぐに気が付く」



 アリシアは少し離れたところにある桃の木を眺めながら言った。大丈夫だとこくこく頷いてみせるコチョウを一瞥して、彼はまたすっと視線を逸らす。



「美しい庭だろう。ここは歴代の王の嗜好に合わせてその美しさが保たれてきた場所だ。不自然を不自然に感じさせず、いかにも自然に見せている」



 魔法のことだろうかとコチョウは首をかしげる。この庭に自然のものなど何一つない、全ては魔法によって保たれていると語るアリシアの髪を、優しい風が揺らしていく。



「・・・・・・俺は魔法が嫌いだ。何かを得る代わりに何かを失う、どんな魔法でも必ず対価を支払わなければならない」



 アリシアはゆっくりと深呼吸をした後、まっすぐにコチョウの目を見た。美しい青の瞳が、日の光にゆらゆらと輝く。



「幸運の女神」



 はっと目を見開いたコチョウを見て、アリシアは努めて無表情を保った。



「王は貴方のことをそう呼ばれる存在だと信じている、この国に必要な存在だと。俺は・・・・・・そうは思わない。例え本当にそう呼ばれる存在があったとして、それならばなおさら権力者からは隠されるべきだ」



 逃がすことも考えたが、アリソン王はどこまでも追うだろう。すでにこの城に囚われてしまった彼女のことを思うと、重苦しい気分に襲われた。



「王は――我が兄は、恐ろしい人だ。あの人に執着されてしまえば最後、自由になるには死しかない」



 じっと話を聞いているコチョウに目をやり、アリシアはその細い手足に巻かれた包帯を見て目を細めた。



「だから、俺が、貴方を自由にする」



 心優しいこの人を、この人だけは、見殺しにはしない。アリシアはそう心に誓った。それは彼女のためでもあり、彼のためでもあった。



「だから、もう少し待っていてほしい。傷だらけの貴方には酷だが、もう少しだけ時間がほしい」



 すまない、と謝るアリシアに驚いて、コチョウは慌てて首を横に振った。それから、やはりこの人はあの時の男の子なんだなと思った。転んだコチョウを心から心配して、泣いていたコチョウの心を慰めてくれた、優しい男の子。


 コチョウは悩んだ末に、そうっと彼の手に触れた。弾かれたように顔を上げたアリシアの左手を裏返し、掌に文字を書く。



「・・・・・・礼を言うにはまだ早い」



 いいえ、貴方のその心が嬉しかったのです。コチョウはいっぱいになった胸を抱きしめながら、声が出ないことを悔しく思った。彼に、ありったけのありがとうを伝えたかった。







「そろそろ戻った方がいい。それから、これを」



 手渡されたそれは、笛のようだった。小指ほどの長さで、黒く光沢のある木でできている。



「何かあればこれを吹け」



 もう怪我を増やすなとアリシアは言った。コチョウは、宝物のようにそれを両手に抱いた。

 立ち上がり背を向けて歩き出したアリシアを追って、コチョウもゆっくり立ち上がる。ガゼボを離れ、たわわに桃を実らせる大木の下を通った時、コチョウは突然ふっと全身から力が抜けるような感覚に襲われた。立っていられなくなり、ぐらりと体が傾く。そのまま地面に倒れ込むかと思われたその体は、次の瞬間何者かのほっそりとした腕の中に抱きかかえられていた。



「あっぶない、ぎりぎりセーフ」



 至近距離で、燃えるようなその目と見つめあう。白い髪に赤の瞳、女性かと見まごうほど端正で美しい顔。



「久しぶり、僕のこと覚えてる?」



 にこ、と笑う少年には、ロイエーズの屋敷で一度会ったことがあった。ルノ、とその名を呼ぶと、彼は満足そうに破顔した。



「――何者だ」



 はっと我に返ると、少し離れたところでアリシアが険しい顔をして腰元に手を置いているのが見えた。そちらに気を取られ体を離そうとすると、いつの間にか腰に回されていた手がぐっとそれを拒んだ。



「お前に用はないよ、この役立たず。せっかく貸してあげたのにこんな傷だらけにして、あいつが言わなかったらここで殺してやったのに」



 ぴり、と空気が張りつめる。離れようと藻掻くコチョウの腰を抱いたまま、ルノはまるで小さな子どもをあやすようにぽんぽんとその頭を撫でる。



「大丈夫、もう怖いことは起こらないよ。だからしばらく眠っていて」



 額にキスが降ってきて、途端に強烈な眠気に襲われた。くたっと力を失った体を抱きしめて、ルノはやっと会えたねと微笑んだ。その直後、襲い掛かってきた剣に右手を翳した。弾き飛ばされたアリシアは距離を取りつつ、じりじりと油断なく攻撃のタイミングを見計らう。



「邪魔だなあ、せっかく見逃してあげるって言ってるのに」



 打って変わって不機嫌そうに、ルノはぎろっとアリシアを睨みつける。



「その人に触れるな!」

「はあ? この子はもとから僕のものだから」



 再び斬りかかってきたアリシアをあしらいながら、ルノは不敵に口角を上げた。



「教えてあげるよ、僕はルノ。この凶運の女神に相まみえたこと、せいぜい光栄に思うんだな」



 コチョウを抱え上げ、ルノはふわりと宙に浮かび上がる。



「幸運の女神は返してもらう。次会った時は殺すから、覚悟しておいて」



 そうして、迫りくるアリシアの剣を目前にふっと掻き消えた。



「くそっ、リュカ!」

「はい」



 アリシアを追い抜き矢のように飛び出していったリュカが、同じように空気に掻き消える。残されたアリシアは、ぐっと両拳を握り締めた。



「・・・・・・コチョウ」



 祈りのように零された名前がぽつりとその場に落ちる。次に顔を上げた時、彼の晴れた日の海のような瞳には、静かな炎が燃え上がっていた。




- 第一部 完 -


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ