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「こちらです、お早く」
久しぶりに外に出たコチョウは、前を歩くリュカの背中から離れないよう必死になっていた。
珍しく熱が下がったものの、相変わらず一日のほとんどを睡眠に費やしていたコチョウを城下町へと連れ出したリュカは、城を出てからほぼずっと無言を貫いている。ようやく口を開いたと思えば彼女を急かし、また道を急ぐの繰り返しだった。
どこへ向かっているのか知らされていないコチョウは、ただ必死に絡まりそうになる足を動かすことしかできない。事実、転けそうになったところを前を歩く彼には何度も支えてもらっている。はあはあと荒い息をしている彼女を無表情でちらっと見て、リュカは外套の裾を翻し路地へと入っていった。
人通りの疎らな細い裏路地の一角。頭上には幾本ものロープが張り巡らされ、たくさんの洗濯物がはためいている。数人の子どもたちが猫を可愛がっているその隣を通り過ぎ、リュカはある薄汚れた扉を複雑な拍子で数回叩いた。しばらくすると鍵が開く音が聞こえ、細く開けた隙間からコチョウを中に押し込む。
「わあっ、あなた、誰?」
中に入るなり危うくぶつかりかけた一人の少女が驚きの声を上げた。茶色のおさげを揺らし、きょとんと焦げ茶色の瞳を瞬かせる彼女は、至近距離で外套の下のコチョウを覗き込んでいる。
「先生は?」
同じように後ろからするりと中に入ったリュカが外套を脱ぎつつそう尋ねると、少女はぱっと快活そうな笑顔を浮かべた。
「リュカ! 久しぶり。先生なら診察室よ。ね、お昼は食べてきた?ちょうど今から仕度しようと思ってたの」
「俺はいい。この方に何か消化のいいものを」
「ね、この子は?」
「患者だ、何も詮索するな」
今度はコチョウが驚きに目を見開く番だった。
「あら、名前くらい聞いてもいいでしょう? あなた、お名前は?」
温かい色をした目が再びコチョウを覗き込む。しばらくおろおろした後、コチョウは恐る恐る彼女の手をとって、迷いながらもゆっくりと自分の名前を指で書きつけた。
「こ、ちょう? コチョウっていうの? 素敵な名前ね。私はミア、ここで住み込みで働かせてもらっているの。よろしくね」
きゅ、と細く温かい手に両手を握られ、コチョウはなんだか気恥ずかしくなって俯いてしまう。診察室に案内するわね、と明るく言われ、手を引かれた。
扉を入ってすぐの物置のような一室を出ると、中庭を抜けてさらに奥の部屋へと案内される。
「ここで少し待っていて。そうだ、上着を預かるわ」
決して広くはないが、食卓と椅子が並んでいて日が差し込むとても居心地の良さそうな部屋だ。コチョウは言われるがままに外套を脱いだ。
「コチョウって、とっても綺麗な顔をしているのね。お人形さんみたい」
まじまじと顔を見られたかと思うとそんなことを言われ、コチョウは反応に困って俯いた。
「ね、リュカって普段どんな感じなの? 怖い? 優しい? いっつも無表情だから、とっても怖そうに見えるでしょう?」
そんなことない、とコチョウはぶんぶん首を横に振った。確かに初めは怖かったが、彼の細やかな気遣いには本当にたくさん助けられた。きっと優しい人なのだろうということには、とっくに気付いている。ミアの手を取り彼には本当に世話になっているのだと一生懸命伝えようとしていると、彼女はあらあらと何やら嬉しそうに笑った。
「おーい、話してるとこ悪いが、診察の時間だぞ」
はっと戸口を見ると、そこには壁に凭れかかるようにしてマキタ医師が立っていた。つかつか近寄って来るなりコチョウをすぐ側の椅子に座らせ、熱を測ったり脈を取ったりと手際よく体調を確認する。
「弱ってるとこ、ここまで大変だったろ。あいつにおぶってもらったのか?」
とんでもない、と首を横に振ったコチョウを見て、マキタは素っ頓狂な声を上げた。
「まさか、歩かせたのか? ここまで、自力で?」
おろおろと視線を彷徨わせるコチョウを前に盛大なため息をついたマキタは、相変わらずスパルタな少年の顔を思い出して脱力する。
「まあ、あいつはそういうやつだな。転んだりしてないか?」
再びぶんぶんと首を横に振るコチョウを見て、マキタは呆れたように笑った。
「先生、診察室に移動しますか?」
「いや・・・・・・客間のベッドを整えてきてくれるか」
明るく返事をして出て行くミアの背中を何とは無しに眺めていると、不意に痛ましげな声がその場を打った。
「ちょっと見ないうちに、また怪我が増えちまったなあ」
包帯が増えている腕を取られ、コチョウは思わず体を震わせる。
「ーーマキタ医師、彼女を早く客間へ」
いつの間にか戻ってきていたらしいリュカが、彼からコチョウを遠ざけさせながらそう急かす。マキタは目を細めて彼を見て、それから重い腰を上げた。




