30
その日の夜、夢を見た。
コチョウは海の上にいた。果てしなく続くその海は深い青一色で、水平線は遥か遠くに白く霞んでいる。空は高く雲ひとつない晴天で、海より幾分か淡い透けるような色をしている。風はなく、波もない。ひたすらに静かなその空間で、コチョウはぼんやりと座り込んでいた。
ーーまた随分と愚鈍そうな娘だ。
不意に呆れを多分に含んだ声が降ってきた。気がつくと、そこには燃えるような目をした女が立っていた。シンプルな漆黒のドレスに、雪のように白い肌ときゅっと結い上げられたプラチナの髪がよく映えている。しかしその女性らしい装いとは裏腹に浮かべている表情は苛烈で、まるで武人のような厳しさを漂わせている。
ーーあなたは?
コチョウは、随分久しぶりに自分の口から零れ出た声に目を丸くした。途端に鼻で笑われて、思わず体を硬くする。
ーー何を驚く、それは元からおまえのものだろう。奪われたのなら奪い返せ、痛めつけられたのなら同じだけ痛めつけろ、殺されるくらいなら殺してしまえ。
息を呑むコチョウを心底呆れた、しかし厳しい目で見据えながら、彼女は淡々と繰り返した。
ーー殺されるくらいなら殺してしまえ、おまえにはそれが出来るはずだ。いくら無力ぶっていてもおまえは無力ではない、いつかその力を恐れる時が来る。
訳が分からずただ目を見開いて呆然とするコチョウを前に、彼女はそこで初めて表情を変えた。それはまるで何も知らない赤子を前にその幸先を憂うような、哀れむような表情だった。
ーーおまえの声はそう遠くないうちに戻る、例え望まれようと望まれまいと、おまえは逃げられない。
だからこそ、もっと憎めばいい。憎んで憎んで、殺してしまえばいい。怖いほど美しい笑みを浮かべてそんなことを言う女を、コチョウは心底恐ろしいと思った。震えるコチョウに、彼女は最後に一言、幸運を、と吐き捨てるように言った。




