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「まあ、熱の方はとりあえず大丈夫だな。飯は三食きっちり食べてるな? ちゃんと食べてしっかり寝りゃあ大概の病は治る、おまえさんはもっと太った方がいい」
優しいランプの光に目を細めながらこくこくと頷いたコチョウは、突然きゅる、と鳴った自分の腹の音に思わず赤面した。途端に胡乱げな目をしたマキタに耐えかねて俯く。ふるふると震えながら羞恥に耐えるコチョウはさながら小動物のようで、マキタはうっと詰まってから荒っぽくため息をついた。
「食べるか?」
差し出されたその包みの中には、直径四センチほどのころんと丸いものがいくつか入っている。色はパステルカラーで、ピンクやらクリーム色やら目に優しい。マキタの顔を仰ぐと、彼は甘いものは嫌いか?と首を傾げた。それはまるで甘いものが嫌いな人間などいるわけがないといった調子で、実際コチョウも甘いものは嫌いではないので慌てて首を振る。
「巷で人気らしくてな、俺も味見したがなかなか美味いんだよこれが」
再度促され、コチョウは恐る恐るそのクリーム色のお菓子を一粒摘んだ。口に運ぶと、さくっとした食感の後、不思議なもちもちした食感とともにふんわりと口の中に何とも言えない優しい甘さが広がった。ミルキーだがほんのりと柑橘系の風味もあり、上手く言葉では言い表せないがとにかく彼女が今まで口にしたものの中で一番美味しかった。思わず顔を緩ませたコチョウを見て、マキタは気付かれないように胸を撫で下ろした。リュカから一応は体調も落ち着いていると聞き、今度診察に行く時は何か食べるものを持って行ってやろうと画策していたのだが、それなりに歳を食っているマキタに若い女性が好みそうなものなど甘いもの以外思いつかなかったのだ。
「その黄色いのは太陽の味らしい。人間が太陽を喰らおうたぁ、随分大それたことを考えたもんだ」
太陽の味。コチョウは包みの中のお菓子をまじまじと見た。優しくて温かくて、ほんのりと甘い。確かに太陽という形容はなかなかしっくりくるものだ。マキタの話によると、月や星、愛なんてものまであるらしい。まあいろいろ試してみなさいよと言いながら、彼は商売道具の詰まった鞄を持って立ち上がった。
「花か。まあ、何にもないよりはいいな」
コチョウは、マキタのそんな呟きによって初めて、部屋のあちこちに飾られている花の存在に気付いた。今までどうして気付かなかったのか不思議なほど、室内にはたくさん花が咲いていた。途端にふんわりと上品な香りが鼻をくすぐり、コチョウはほうっと目を細めた。
「いやー、殿下も案外粋だな」
え、と固まったコチョウににやっと笑いかけて、マキタは少し離れたところにあった花瓶をひとつベッド脇のテーブルの上に移動させた。ピンクと白の可愛らしい配色の花が、遠慮がちに空間を彩る。まあ別に礼は言わんでいいぞと続けられた言葉は右から左に抜け、コチョウは驚きが収まらないままじっと花を見つめた。この花を、あの人が自分のために?素直に嬉しいという思いとまさかとても信じられない思いが交差し、やがてじんわりと前者が滲み出す。そしてふと、あの屋敷に時折届いていた花束と手紙を思い出した。ありえないと打ち消していたつもりだったが、実は心の奥底でひっそりと期待してしまっていたのかもしれない。もしも、もしも本当にあの人だったのだとしたら。
マキタは、花を見つめて何とも言えず喜色を滲ませるコチョウを眺め、少しだけ顔を緩めた。おそらく、彼女がこれから歩んでいく道は厳しいものになる。王族に気に入られるということは平穏な日々を捨てざるをえなくなるということであり、知らぬところで数多の敵を作るということでもある。どうしてこんな普通の娘が、ともう何度目かになる嘆きが彼の胸中を占めた。
「俺は職業柄口は堅い、何でも話すといい。俺みたいな立場だからこそしてやれることも何かあるだろ」
申し訳なさそうに遠慮がちに微笑んだコチョウをもどかしい思いで見守りながら、マキタは相変わらず包帯を巻かれ続けている腕に目をやった。
「腕はどうだ? 触るぞ」
そうっと包帯を解くと、その下には傷は塞がったもののまだまだはっきりと痕が残っていた。
「痛むか?」
首を振って否定するコチョウを余所に、マキタは懐から小さな容器を取り出し、その中の薬を塗り込んだ。
「自家製の塗り薬だ、打撲擦り傷に効く」
大人しく薬を塗ってもらいながら、コチョウはこの人といいいつも世話をしてくれているあの銀髪の少年といい、何故これほどまでに自分に優しくしてくれるのだろうと思った。自分を唯一人として扱ってくれたロイエーズ家の主人が死んでから、もう随分時間が経ってしまった。故に、コチョウは優しくされることには慣れていない。他人からの無償の優しさを甘受するには、些か戸惑いが大きすぎるのだった。
「どうした?」
あまりにも困った顔をしていたからか、薬を塗り終わり新しい包帯を巻いてくれているマキタにそう問いかけられる。コチョウはしばらく迷った後、ゆっくりと口を動かした。
「あーあー、何でそう謝るかね」
じっと口元を見つめ、コチョウの言葉を正確に読み取ったマキタは心底呆れた声を出した。謝られるべきは、事情もろくに知らされずに王の気まぐれに巻き込まれた彼女の方だ。そんなもんどーんと構えていればいいんだと豪語しながら、マキタはどうあっても遠慮がちな彼女の態度にもどかしげに頭を掻いた。
「優しさは素直に受け取っとけばいい。それにそう縮こまられるよりは、にこにこしてもらった方が世話の焼き甲斐があるってもんだ」
ぽん、と頭を撫でられて、コチョウは思わず目を見開いた。突然懐かしさが込み上げてきて、しかしこうまでも郷愁の念にかられる理由が思い当たらず首を傾げる。もしかしたら、幼い頃にこうして頭を撫でてもらったことがあったのだろうか。こういう人をお父さんみたいな人だと形容するのかもしれないなと漠然と考えているコチョウを横たわらせ、マキタはまた診に来ると言いながら、来た時と同じくごそごそと窓から出て行った。不思議な、けれどとても優しい人だ。コチョウは随分久しぶりに心が凪いでいるのを感じて深呼吸をし、いつの間にか部屋を彩っていた花の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。




