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「体調は戻ったのか」
その感情の込もらない声に、コチョウはこくこくと頷いた。緊張のあまり冷たくなってしまっている手で掛布を握り締めながら、失礼にならない程度に目を伏せる。今更ながら、今自分はあの時の少年と向かい合って話しているのだという実感が彼女の胸の内にじわじわと湧き上がっていた。あの時とは何もかもが違う、けれど彼は確かに彼女を気遣い優しさをくれたあの男の子なのだ。
そうだ、あの時も全くの偶然の出会いだった。コチョウはあの日、生まれ故郷で彼と出会った。しかし、あの場所で彼と出会ったということは覚えていても、何故かその前後の出来事はすとんと記憶から抜けている。
「あの日、何故あの場所にいた」
コチョウは一瞬自分の胸の内を悟られたのかとどきりとした。しかし、彼があの時のことを覚えているはずがない。冷や汗をかきながら必死に頭を巡らせてようやく思い当たったのは、体調を崩す前に一度だけ外へ行くことを許された時のことだった。
コチョウはロイエーズの屋敷から連れ去られた後、ほぼずっと両腕を拘束された状態でこの部屋に監禁されていた。訳も分からず混乱して泣く彼女に、時折訪れる侍女たちはただただ沈黙を守り身の回りの世話をした。拘束する絹の細い帯はしかし、その本来の上品な肌触りとは裏腹にぎっちりと彼女の腕を締め上げる。そのじわじわと襲い来る痛みのように、彼女の精神もまた同じように少しずつ少しずつ削られていった。
そんな折、ある朝突然腕の拘束を解かれたかと思うと有無を言わさず目隠しをされ、そのままどこかへと連れて行かれた。彼女がようやく視界を取り戻した時、そこは美しい庭園の中だった。侍女たちは役目を終えたのかさっさと退出し、一人残されたコチョウは震える足でまるで天国のように美しいその場所に立ち尽くした。自分は一体、ここで何をすればいいのだろう。一歩、二歩と歩みを進めたコチョウはしかし、すぐに何者かによって引き倒されて気を失うことになる。
「ーー聞いているのか」
はっと我に帰ったコチョウは、困り果てて深く俯いた。答えようにも、今の彼女にはそれを伝える術がなかった。
「殿下、この者は口が聞けません。首を振らせるのが得策かと」
横からリュカが冷静にそう進言し、アリシアは一瞬の沈黙の後に再び口を開く。
「あの日あの場所にいたのは、おまえの意志か?」
首を横に振る。
「何故ここに連れてこられたのか知っているか」
首を横に振る。
「・・・・・・どこか、痛いところはないか」
コチョウは驚いて顔を上げた。途端にぱち、と合った目は、まるで晴れた日の海のように美しい。思わず魅入ってしまい反応を返せないコチョウを見て、アリシアはぐっと眉間に皺を寄せる。途端に険しい表情になった彼に、コチョウは慌ててふるふると首を振った。
「何かあればすぐに言え、これは私の部下だ」
言葉につられて側に控えていたリュカに目をやると、そっけなく目を逸らされる。コチョウは混乱しながら、不意に投げ掛けられた自分を案じる言葉を頭の中で何度も反芻した。相変わらず冷たい声だったが、それは確かに彼女のために発せられたものだった。




