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この庭にアリソン王が足を運ぶことは滅多にない。逆に言えばここまで頻繁に通っているのはアリシアくらいで、城内ではもはや彼のための庭であるような認識がなされていた。
クレアと別れた後その足で王の庭へと向かったアリシアは、いつものように桃の木の近くに座り込むのではなく、広い庭園内をぶらぶらと歩きまわっていた。訪れる者の目を楽しませ癒すためだけに造られたこの庭には、いくつもの魔法がかけられている。時折草花を優しく揺らして通り抜けていく心地の良い風も、水源が無いのに際限なく湧き出る小川も、おそらくは見えない力が働いているに違いなかった。
世界一美しい庭。この庭をそう称することはおそらく間違いでは無いのだろう。ここはそれほどまでに美しく、完璧に完成された場所なのだ。
アリシアは庭園の奥、緑に隠れるようにひっそり建っているガゼボに足を向けかけて、不意に茂みの方からぱきっと小枝が折れるような音を聞いた。動きを止めたアリシアは、じっと神経を研ぎ澄ます。
「殿下、お下がりください」
不意に何もないところから鋭くリュカの声が響いた。アリシアは動じずに宙に向かって口を開く。
「何があった」
「近くで血の臭いが」
じり、と足を後ろに引いて周囲の様子を伺う。武器になりえるのは胸元に忍ばせている護身用の短刀のみ。そろそろとそれに手を伸ばし油断なく身構えていると、茂みの向こうの空気が微かに動いた。
その瞬間を見計らっていたかのように、アリシアのすぐ側をさっと一陣の風が通り過ぎた。やがてどさ、と何かが倒れるような音がして、アリシアは足早にその音の源へと近付く。
「無事か」
「はい」
茂みを掻き分けると、そこにはリュカに後ろ手を捻りあげられ地面に縫い付けられている人物がいた。白い服を纏ったやけに薄い背中は浅い呼吸に合わせて苦しそうに上下しているが、リュカはそれすら許さないというように上からさらに体重を掛けて抑えつける。
「顔を見せろ」
彼によりやや乱暴に向きを変えられたその顔を見て、アリシアは絶句した。ショックが大きすぎたのか気を失ってしまっているその人は、ここ最近ずっとアリシアが気に掛け続けている女性ーー文通相手の花の君だったのだ。
「リュカ、離せ」
「・・・・・・」
「離せ」
「・・・・・・はい」
地面に俯せに倒れている彼女は、丈が長く入院着のような白い服に身を包んでいる。そして何よりも目を引くのは、袖や裾から覗く細い手足に何重にも巻かれている包帯だった。おそらくは、リュカの言う血の臭いというのはこれのことだったのだろう。
アリシアは、そっと彼女を仰向けにして腕の中に抱えた。先ほど地面に押し付けられた際に付着したのだろう土が、ただでさえ青白い頬を汚している。それをそっと手で拭いながら、アリシアは心の底から湧き上がる疑問について忙しく頭を働かせた。何故彼女が、こんなところにいるのか。
「殿下、いかがいたしましょう」
「・・・・・・少し、時間がほしい。彼女を安全なところへ運びたい、手を貸してくれ」
「はい」
最近手紙が返ってこなくなって、何かあったのではないかとずっと心配していた。それが、まさかこんなに近くで再会することになるとは。アリシアは複雑な気持ちで、リュカの腕の中でぐったりしている友人を見つめた。彼女は一般人なのだ、とにかく一度誰にも見つからないところに匿う必要があった。




