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しあわせと呼ばれた人  作者: なつのいろ
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序章

 

 

 コチョウは、両手で顔を覆って俯いていた。飛沫が冷たくて気持ちの良いお気に入りの噴水も、心配して彼女の周りをちょこちょこと跳ね回る友人の小鳥たちも、今ばかりは悲しみに暮れる彼女の心を上向けてはくれない。



「うっ、ふえ、ぐすっ」



 噴水の縁に座りしくしくと泣いていた彼女は、すぐ側に一人の少年が近づいてきていることに気付かなかった。



「どうしたの? どこか痛いの?」



 驚いて顔を上げたコチョウは、突然視界に飛び込んできた少年にぎょっとして反射的に走って逃げようとしたが、すぐに足が絡まって地面に倒れ込んだ。



「だ、大丈夫?ごめんね、どこか痛いところは? ごめんね、ごめん、泣かないで」



 地面にべったりと腹這いになったまま、彼女は自分よりよほど痛そうな顔をして謝る少年をぽかんと見上げた。見たこともない薄い髪色に、晴れた日の海のように深い青の瞳を持つその子どもは、まるでおとぎ話の中の王子様のようだった。手を貸してもらってようやく起き上がったコチョウは、転んだ拍子に擦りむいてしまった膝の痛みに顔を顰める。



「怪我してる、血が出てる。ここに座って」



 自分よりも幼い少女に怪我をさせてしまった少年は、慌てて彼女を噴水の縁に座らせた。手持ちのハンカチでそうっと傷を覆う。

 少年は、この辺りでは見慣れない珍しい形の服を着ていた。思わずじろじろと遠慮のない視線を向けてしまっていたコチョウは、その穏やかな物腰からふと、つい先ほど兄に告げられた言葉を思い出した。



ーーコチョウ、おまえはこれから外国に行くんだ。私は一緒には行けない、おまえの兄はもう死んだものと思って忘れなさい。ここにいたら危険なんだ、分かってくれるね。おまえにさみしい思いをさせる兄を許しておくれ・・・・・・



 本当は嫌だと泣き喚きたかった。一人は嫌だ、お兄様と一緒でなければどこにも行かないと駄々をこねたかった。ただ、いつも笑っている優しい兄がとてもつらそうな顔をしていたから。幼いコチョウは泣きたいのをぐっと堪えて、頷くことしかできなかったのだ。



「何か、悲しいことがあったんだね」



 ぽろぽろと涙を零すコチョウの前に両膝をついた少年は、眉をハの字にしてその顔を覗き込んだ。そして、ぽつぽつとあるメロディーを口ずさむ。高い音と低い音が入り混じった、不思議な旋律。美しくも少し切ない、そして何より、それはとても優しい響きだった。



「・・・・・・きれい」



 コチョウが思わずそう零すと、彼は照れ臭そうに微笑んだ。



「子守唄なんだ。母上がよく歌ってくれて、ぼくも大好きな歌なんだよ」



 顔を輝かせてもう一回、もう一回とせがむ彼女に、彼は飽きることなくそれを口ずさみ続ける。



「きれい、きれいね、まほうみたい」



 泣きながらそんなことを言ったまだ幼い少女に何か思うところがあったのか、少年はごそごそと服のポケットを弄り小さな布袋を取り出した。黒いビロードで出来た大人の小指ほどの大きさのその袋は、軽く振るとしゃらしゃらと美しく軽やかな音を立てる。



「これはね、天使さまの羽の音なんだよ」

「てんしさま?」



 袋の中には銀色の玉が入っていて、それを手のひらに載せた少年は優しく転がした。すると何とも言えない美しい音色が耳をくすぐる。



「わあ、きれいな音!」

「ぼくのお守りなんだ。君にあげる」

「いいの?」

「うん。天使さまが、きっと君を守ってくれる。だから、もう泣かないで」



 袋を両手で大切に握りしめて、コチョウは心から感謝の言葉を伝えた。大丈夫だよ、と真っ直ぐに励ましてくれた彼に勇気付けられ、その優しさに背中を押してもらった気がした。



 あの時の少年が実は大陸国の王家の人間だったことを知ったのは、コチョウが生まれ故郷を亡命し、七歳になった時。未だ慣れないその国で華々しく行われた第二王子の聖誕祭であの時の少年の顔を見つけたコチョウは、ただただ唖然とすることしかできなかった。先の見えない暗闇の中でもがく地獄のような日々、その中で、彼女は唯一の光を見出した。


 どんなにつらくてもてもさみしくても、あの優しい男の子がいてくれるこの国でなら。

 あの時の彼の言葉とお守りは、それからずっとコチョウの大切な宝物になっている。



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