第四話
「と、思ったかぁぁああああああああ!」
ぎちりと歯を食いしばり、然る後叫びを上げ、意識を強制的に繋ぎとめる。
硬い床に爪を突き立て、目を一杯に見開いて、総真は体を無理矢理起こした。
意識がちかちかする。身体は三日は寝ていないようにふらついた。どうやら最初に喰らったスタンガン二発は、相当出力を絞ったものであったらしい。
「あからさまに、自分を犠牲にするような真似をしやがってよぉ。あの馬鹿が、爺ちゃんが昔命についてこう言ってたぜ、『捨てるは愚か、賭けるは見事』ってな!」
揺らぐ足で必死に地を踏み締める。
最早誰に言っているのかも定かではなかったが、こうでもしないと今にも意識が飛んで行きそうだ。異常に早く鼓動を刻む心臓を落ち着かせようと、思いっきり空気を肺に取り込むが、喉を通るのは嫌な吐き気のみだった。
「糞ったれが、まだ終わらせないぞ、畜生めっ。スゥー…………博士ぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」
叫んだ。肺の中の空気、その全てを搾り出すような大声で、天に向かって己の最も信頼する少女の名をただ叫んだ。
傍から見れば、明らかに常軌を逸した行為。だがその声に、応える者は存在する。
『はっはっはー! この私を呼んだか、総真ああああああああ!』
声は、プレハブ小屋の上部に付けられたスピーカーから流れ出ていた。
未だ残る痛みに顔を引きつらせ、それでも笑い、総真は大声で呼びかける。
「協力してくれ、博士えええええ! ぶっ飛ばしたい奴が居る!」
『さっきのあの変質者の事だな! スピーカーと一緒に取り付けたカメラで見ていたが、正直厳しいぞ! あれは中々優秀な時流者と見た、このラボにある装備では侵入は防げても、此方から攻める事は出来まい!』
「分かってるっ! だから――トーレン・ライドを、使うっ!」
その言葉に、スピーカーの向こうが一瞬息を呑んだ。
『本気か総真っ。確かに準備は終わっているが、最終調整無し、ぶっつけ本番は危険すぎるぞ!』
「構わねぇ! 多少所じゃない危険も、承知の上よっ!」
『しかしだな、科学に事故は付きものだ! だからこそ、慎重に慎重を重ねて――』
「女の子が変態ストーカーに襲われてるってのに飛び込めないような男なら、一生自分の部屋に引きこもってマスでも掻いてろっ! だろ、博士えええ!」
『ぬうっ、下品な言葉を! だが、一理あるっ!』
スピーカーの向こうで、博士も笑っている。それが何となく分かる。
『良いだろう、総真っ。あポチッとな!』
古めかしいピコン、という音がスピーカーからしたかと思うと、総真の近くの石畳が競り上がり、掃除用具入れのような長方形の物体が現れた。
『こんな事もあろうかと、用意しておいた接続スポットだ! さあ総真、そこからケーブルを引き出して己に繋げいっ!』
「応ともよ!」
右手を突き入れるようにその接続スポットとやらに突っ込み、勢い良くケーブルを掴み出す。そのままバガン、と表面の一部が開放された左腕、その端子にケーブルの先を突っ込んだ。
『制御システムのアップデートを行う! 三十秒待っていろ!』
「それだけで良いのか!?」
『所詮問題となっていた一ヶ所を直す為だけの修正プログラムだからな、大した時間は必要無いのだ! 全体的なプログラムはとっくにインストール済みだし、ハード面の整備も抜かりない! アップデートが完了すれば直ぐにでも使えるぞ!』
「さっすが博士、天才だぜえ!」
『そうだろうそうだろう、もっと私を褒めろ総真ああああああああ! だが気を付けろ、さっきも言ったが最終調整はまだだ! 一部、最適化されていない機能がある。使えん機能もな!』
「奴をぶっ飛ばす分には!?」
『問題ないっ!』
力強い断言に、一層笑みが深くなる。狂ったように脳内麻薬が出ているのが分かる、異常に気分が高揚していく!
『アップデート終了!』
「よっしゃあ!」
己に刺さるケーブルを、勢い良く引き抜いた。左腕が元に戻り、義眼となっている左目の視界に映る、真っ赤な『complete』の文字。
『私が独自開発した時流者探知レーダーによれば、あの二人が今居るのは此処から北東に三.七キロ行った先にある特別開発地区だ! まだ人の住んでいない場所を選ぶとは、その程度の良識はあるらしいな!』
「冷夏が上手く誘導したんじゃねぇの?」
『冷夏、あの女の事かっ。彼女の事は良く知らないが、今は二人共脚を止めているようだ! 今ならまだ間に合うぞ!』
「よぉし、行くぜっ!」
危険な行為だと分かっているのに、総真には不思議と恐怖は微塵も無かった。
何せこちとら時流者でも無いくせに世界最強の時流者を倒そうというのだ、この程度の敵、この程度の危険乗り越えられずして何とする。
「トーレン・ライド・システム……起動おおおおおおおおおおおおおおおお!」
――Data Set Ready,Go!――
義眼に流れる了承の合図、同時起動する馬鹿と天才が造り上げた大馬鹿者の無謀なシステム。
データ通信及びエネルギー送信用の超高速転送ケーブルと化している総真の全身の神経を通じ、四肢と義眼、一部内蔵が時流者へと対抗する為の最適解へと移行を遂げた。変化は一瞬、義眼の瞳が真っ赤に染まり、四肢の偽装表皮が儚く消える。
露になった灰色の装甲の一部が展開し、内部に隠されていた幾多の噴射口が白日の下に晒された。心臓に埋め込まれた『αレンド機関』から生成されたリージェネレイト・エネルギーが全身を駆け巡り、染み渡り、彼の体を予想される驚異的な衝撃から保護する為の目に見えない膜となる。
「おいおい博士、偽装表皮はそのままじゃなかったのか?」
『最適化されていない機能があると言ったろう! 後の問題点はシステムの方が勝手に教えてくれる、それを見とけっ』
「はっ、随分投げやりな事で。が、その方が楽で良い!」
ボヒュボヒュ、と軽く音を立てて、試すように噴射口を稼動させる。噴出されたリージェネレイト・エネルギーが薄っすらと空気を揺らし、あたりに緩やかな風を巻き起こす。
『初の稼動、初の実戦使用だ! 無茶は死なない程度に抑えろよっ!』
「了解っ。んじゃまあ変態ストーカーをぶっ飛ばして、毒舌少女を助ける為に……行きますかっ!」
――Top One!――
軽く前傾姿勢を取り、踏み締めた地を思い切り蹴っ飛ばす。同時、四肢から噴射されたリージェネレイト・エネルギーが彼の体を急速に加速させ、合わせるように発せられた義眼からの要請により、脳がその速度に適応出来る領域まで加速する。
常人では残像さえ捉えられないその速さとは裏腹に、爽やかな一陣の風だけを後に残して、四速総真は遥か広き大空へと飛び立って行った。
~~~~~~
「冷夏~、いい加減諦めなよぉ。僕の言うことに素直に従うんだ! それが君にとって、一番幸せなんだよっ!」
「悪いですが、遠慮しておきます。そもそも貴方は誰なんです? 市中を全裸で駆け回るような変態、私の記憶には全く存在しませんね。まあ、当たり前ですが」
「なんだってそんな酷い事を言うんだい!? 忘れたのか、僕と共に過ごしたあの一夜を! 共にまどろみから目覚めた、あの朝を!」
「ええ、忘れました。綺麗さっぱり」
「冷夏ああああああああ!」
絶叫と共に飛び掛ってくる男を、地を転がるようにして辛うじて避ける。
さっきから何度も自身を付け狙う理由を問うている冷夏だが、まともな答えは返って来ない。明らかに正気では無い男の姿を見れば、それもある意味妥当な事かもしれないが。
この様子だと、特別開発地区に連れて来たのはやはり正解なのだろう。知識にあるだけだったので不安だったのだが、立ち並ぶ建設途中の高層ビル群や大通りの数々には、全くと言って良い程人が居ない。
市と建設業者とのトラブルで、開発が滞っているというのは本当であったらしい。もしこれで人が居たのなら、あの変態極まる男の事、無差別に殺していてもおかしくは無かった。少なくとも、周囲の被害を気にして戦う事は無かったと、そう断言出来る。
男が再度跳びかかり、そのまま蹴りを放ってくる。咄嗟に横っ飛びで避ければ、跳び蹴りが突き刺さったビルの一角が轟音と共に崩れて行った。
遮断時流を展開している為、ゆっくりと落ちて行くコンクリートの破片を視界に入れながら、冷夏は思う。
やはり、戦闘能力ではあちらが圧倒的に上。まともに戦った所で、此方に勝ち目は微塵も無い。
例え自身の全力で以って拳を打ち込んだ所で、あの男には大して効きもしないだろう。残る手立てはスタンガン位だが、
「これが効かないのは、既に証明されていますしね」
砕けたコンクリートの破片を足場にして迫る男から必死で距離を取りながら、愚痴るように呟いた。
仮に髪をアースに出来ない空中で喰らわせたとしても、あのレベルの時流者相手にこのスタンガンの威力では、一瞬動きを止める程度の働きにしかならないし、そもそも遮断時流の中では己の手を離れた時点で電流さえも遅くなる。
男の身体能力ならば、そんな電流程度は避ける事が可能なはずだ。はっきり言って現状は、詰みに近い。
「冷夏あああ~!」
「だからといってこんな男を受け入れる程、私は変態ではありませんがっ」
またも正面から襲い掛かってきた男に、カウンターで回し蹴りを食らわせてやる。
見事男の顔面を捉えた冷夏の細く白い足はそのまま勢い良く振り切られ、男を余裕で数メートルは弾き飛ばした。が、
「痛いじゃないか、冷夏ぁ!」
「全然痛がってないくせに、良く言いますね。ゾンビか何かですか、貴方は?」
男は空中で反転、素早く体勢を整えると四肢を使って見事に着地し、ノータイムで再度此方に迫ってくる。
そんなおぞましい獣から逃げるように後ろに下がりながらも、冷夏は懸命に打開策を探し続けていた。
(何とか警察署まで辿り着ければ、『時流者を取り締まる為の時流者』が居るはずです。ただ問題は、中々そうさせてはもらえないという事でしょうか)
男はその理性をかなぐり捨てたような風貌・言動とは裏腹に、非常に理知的な動作を行う事があった。
即ち冷夏が助けを呼ぶ、或いは助けとなるような場所に向かう事を阻害する動きである。
この特別開発地区に来たのだって、半分は冷夏の意思ではあるが、もう半分は男の誘導によるものだ。此方に来る以外、逃げ道がなかったのである。
(何処か、あの男を撒ける場所は――)
一瞬、周囲を見た。その遮断時流における一秒にも満たない隙が、命取り。
「冷夏ぁっ!」
「っ、しま――」
ぐいんと大きく後ろの脚を曲げた男が、蛙のように勢い良く飛び跳ねる。異常な気配に気付き視線を前に戻した時には、既に手を広げた変質者の姿は目の前に迫っていた。
「捕まえたぁあ!」
「ぐっ……女性の扱い方も知らないんですか。所詮は誰にも相手にされない、哀れな変態ストーカーですね」
「どうして僕を拒絶するんだ、冷夏! あんなに愛し合っていたのに!」
男に押し倒され、熱気を放つコンクリートの地面に押さえつけられながらも、冷夏の態度は変わらない。
冷たい表情の中に不快さを滲ませて、男にはっきり言い返す。
「昔の事なんて知りませんよ。今、私は貴方が嫌い。それが全てです」
「っ……! れ、い、かあああああああああああああああああああ!」
男が大きく体を逸らし、天へと慟哭の叫びを上げる。
その時。はっきりと露になった男の顔を見た瞬間、冷夏の脳に電流が走った。
「貴方は――「ぉぉぉぉぉぉぉおおああああああ、とりあえずキーークッ!」」
そうして、目を見開く冷夏の目の前で。飛び込んできた『誰か』の脚が男の横っ面に突き刺さり、その体をピンボールのように弾き飛ばす。
「は……?」
勢い良くビルに突き刺さった男に代わり、己の目の前に立つ彼は、ゆっくりと振り返るとにやりと笑って言い放った。
「待たせたな冷夏。助けに来たぜっ!」
「いえ、待ってません」
沈黙が、場を制した。
「おいおいおいちょっと待て、それは無いんじゃ無いか? そこはお世辞でも『きゃー来てくれたんだー』って喜ぶべき場面だろ?」
「何ですかその妄想は、ヒーロー気取りの中学生ですか。いえ、今時中学生でもそんな妄想はしませんね、おめでとう御座います貴方は小学生に認定されました」
「これでも立派な高校生だから! もう一度ちびっ子の中に混じってやり直すのは嫌だぁ!」
嫌だ嫌だー、とくねくねと気持ち悪い動きで抗議の意を示す彼――四速総真に、冷夏は呆れて溜息を吐く。
けれど、その顔がちょびっとだけ笑っていた気がしたのは……多分、間違いでは無いだろう。