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第三話

 むしむしと暑苦しい熱気に当てられながら、一路学校にあるという研究室を目指して歩く総真と冷夏。

 だがその二人の様相はまるで真逆。欠伸を上げてのんびり暢気に歩を進める総真に対し、冷夏はといえば。


「……よく涼しい顔をしていられますね。ドMなんですか? 貴方は」


 だらだらと汗を流し、顔を顰めながら愚痴愚痴と文句を垂れ流していた。

 そんな彼女を、総真はざまぁとばかりに嘲笑う。


「言ってなかったが、俺は内臓も幾つか人工化していてな。四肢と合わせて、ある程度の体温管理が出来るんだ。お蔭様で俺はまるでクーラーの効いた部屋の中に居るように快適だぜ」

「ズルです卑怯です変態です。何処の改造人間ですか、貴方は? というか何でこんなに暑いんですか、おかしいでしょうこの使えない地球め」

「何処の、と訊かれりゃ博士産の、としか答えようがないな。後地球にまで文句を言うのか、お前は」

「第一徒歩というのがまずありえません。せめてもう少しまともな通学手段は無かったんですか? というか絶対にあるでしょう、さっきから貴方と同じ制服を着た人間を一人も見かけません。皆、別のもっと快適な手段で登校しているのでは? 貴方の事ですから、この猛暑の中汗だくになる女の子の姿を見たくてわざわざ徒歩という手段を使っているのでしょう。ド変態どころかメガ変態ですね、進化おめでとう御座います」

「んな訳あるかぁっ! それにしても、そうか。お前は記憶を失っているから分からないのか」

「? 何がです。一々もったいぶらないでさっさと話して下さい」

「今、夏休みな」


 一言で論破され、冷夏はまた一つ顔を歪めた。

 蝉の良く鳴く八月初旬の一幕である。


 ~~~~~~


「で、此処が貴方の通っている高校ですか? 広さだけはそれなりですが、他はとりたてて特徴の無い学校ですね。こんな所に本当に、貴方を改造人間に仕立て上げた天才博士とやらが居るんですか?」

「はっはー、学校を悪く言われた所で何とも無いぜ、俺だって勉強漬けの学校なんて嫌いだしな。むしろ上機嫌だ」

「……ちっ、しくじりました」


 暑い中散々歩いたせいだろう、冷夏は最初の頃と比べて露骨に不機嫌になっていた。

 そんな中到達した敷島高校の外観は、彼女の言った通りそこそこ広い事を除けば実に平凡な一高校である。四階建ての本舎、大きな体育館、離れた部活棟、広々とした校庭。

 他にも中庭や隣接する学生寮も備えた、在籍生徒数八百名超と人数だけはやはりそこそこの、特に優秀な進学校なわけでもない中堅高校だ。


「さて、そんじゃさっそく博士の所に――」


 事が起こったのは、その瞬間であった。

 冷夏を拾ったという時点で既に難事ではあったが、もし『難事が始まったのは何時か?』と訊かれれば、総真は迷い無く答えただろう。

 今この瞬間だ、と。


「れ~い~か~ぁぁああああああ」

「っ!? な、何だこの不気味な声はぁっ?!」


 地獄の底から響くような、ニンニクとゴーヤとリンゴをぐちゃぐちゃに混ぜ込んだ挙句七味唐辛子をぶちまけたような不快な声に、総真の全身が粟立った。

 実際に名前を呼ばれた冷夏に至っては、無表情のまま本能だけでぶるりと体を震わせている。

 そしてその声の主は、二人が顔を上げた先。校舎の壁面に、まるで蜘蛛のようにへばりついていた。


「うっそだろおい。何処のアメコミヒーローだよ」

「蜘蛛男ではありませんよ、全身タイツではありませんから。代わりに全裸のようですけどね」


 その男は、全裸であった。どのような力によるものか、重力に従う事も無く広がった長い黒髪にある程度隠されてはいるが、それでも間違いなく全裸であった。

 そして同じく黒髪に隠された双眸が、ぎらりと妖しく光輝いている。ちらりと覗く顔から判断するに総真達よりも幾つか上、という程度の若さのようだったが、此処まで来るともう見た目の年齢など当てになるものでも無いだろう。

 奇怪過ぎる光景に一周回って冷静になる総真。といってもそれは頭の方だけで、心の方は動揺し過ぎて激しいビートを刻んでいたが。


「やっっっと見つけたよ~、冷夏~ぁああぁぁああああぁああああ!」

「おい、お前の名前を呼んでるぞ。知り合いじゃないのか?」

「残念ですが、貴方以外に変態の知り合いは居ません。居たとしても知りません、記憶喪失ですし」

「うひひひひ、ひゃはははは、冷夏ーーー!」

「うわ、こっち来たぞ! とりあえず逃げろっ!」


 しゃかしゃかと四足歩行で壁面を、そして地面を駆ける変質者の姿に、総真は咄嗟に冷夏の手を掴むと駆け出す。

 何処に逃げれば良いのかも分からないまま、ただひたすらに学校の敷地内を逃げ惑う。一度落ち着きたい所だったが止まって考える暇も無い、異常に目を見開きだらだらと涎を垂れ流す全裸の変質者が四足歩行でしかも猛スピードで追ってくるのだ、これで止まれる人間が居たら彼はそいつを一生尊敬するだろう。


「糞、こっちだ!」


 冷夏の手を引き、校舎の角を直角に曲がる。

 直後、変質者も後を追い角を曲がるが、


「冷夏~?」


 そこに、既に総真達の姿は無かった。


「冷夏~、何処だ~。良い子だから出ておいで~」


 ふしゅー、と口から白く生暖かい息を吐き出しながら、冷夏を追い求め彷徨う変質者。そうして彼がその場を去ってから、たっぷり十秒は経った後。


「ふー。何とか逃れられたか」


 置かれていたゴミ集積用の大きなボックスの中から、総真と冷夏がひょっこりと顔を出す。

 咄嗟に冷夏を連れこの中に身を隠したのだが、どうやら正解だったらしい。もし気付かれていれば逃げ場は無かった為、賭けでもあったが。


「最悪です。超ド級の変態に追われた上、ゴミ捨て場に入れられるなんて」

「文句ならあの本物の変態に言え。それとまだましだろ、今は夏休みのおかげでゴミはほとんど無いし」

「何より最悪なのは、貴方に抱きしめられている事です。いつまでそうしているつもりですか? やっぱり貴方もさっきの変質者に劣らない位の変態ですね。死んで下さい」

「俺があれと同じだとぉっ!? ふっざけんな、それだけは絶対認めねー!」


 ぎゃいぎゃいと騒ぎながらもボックスから出た二人は、外の美味しい空気を肺一杯に吸い込んだ後、開いていた近くの窓から校舎内に入り一先ず身を隠す事に成功した。

 とはいえ、長く持つものでもないだろう。あの様子だと到底この程度で諦めるようには見えない、何れあの変質者も校舎内に入ってくるはずだ。


「学校の外に逃げる訳にはいかなかったんですか?」

「無茶言うな、この辺りは障害物が少ない。校舎をよじ登って上から見られるあの男には簡単に見つかるぞ」

「それでは先生方に助けを求めるのは? 夏休みとはいえ、教員はそれなりに居るはずです。というかそもそも私は時流者なのですし、普通に迎撃しても良かったのでは? 遮断時流も使えば危険な事も無いでしょう」

「駄目だな。二つとも共通の理由で却下だ」


 共通の理由? と首を傾げる冷夏に、総真は周囲を警戒しながら答える。


「多分、あの男も時流者だ。壁に張り付いたり人間なのに四足歩行であんなスピードを出したり、まず常人じゃありえねー」

「……私の知識の限りでは、時流者だからといってあんな変態そのものな機動になる訳ではないのですが」

「そりゃあいつが悪いだけだろ。広い世の中だ、一人位あんな時流者も居るさ。てな訳で、下手に常人に助けを求めたり戦ったりすれば最悪、殺される。巻き込んだ人間もろともな」


 会話を続けながら慎重に二人、歩を進める。

 恐る恐る廊下の角から顔を覗かせ先を窺ってみるものの、あの変質者の姿は見当たら無い。


「よし、このまま進むぞ」

「というかさっきから一体何処に向かっているんです? まさか私を密室に連れ込んで、厭らしい事をする気なんですか? 最低ですね、変態です」

「お前、実は変態好きなんじゃないのか……?」

「そんな訳ないでしょう。すぐそうやって自分に都合の良い解釈をして、これだから社会不適合者になるんですよ」

「きちんと高校にも通ってる俺の何処が社会不適合者だ! ……今はな、研究室に向かってるんだ」

「研究室? 例の博士の居るという?」


 首肯一つで返し、そっと教室の中を窺う。そうして変質者が居ない事を確認してから、身を屈めてその前を通過した。


「そうだ。あそこなら守りは万全、外への連絡も行える」

「……というか、携帯で助けを呼べば良いだけなのでは?」

「それなんだがな」


 ポケットから取り出した携帯の画面を見せながら、一言。


「バッテリー、切れちゃった☆」

「……(ビキッ)」

「待て待て待て、無言で腕を振りかぶるな! しょうがないだろ、研究室についてから充電すれば良いと思ってたんだ。普段そこまで使わないしな」

「はぁ。まあ良いでしょう、このまま言い争っていても何も解決しません。友人からの連絡も録に来ない貴方の哀れさに免じて、此処は許してあげます」

「本当に口の減らない奴だな、お前は……!」


 小声で言い争いながらも、着実に歩を進める。人が居ないせいでやけに静かな校内は、外と比べて一段下がった温度もあり、妙に不気味で緊張感を掻き立てた。

 ごくり、無意識の内に唾を飲み込む。顔を伝う一筋の汗は、夏の暑さのせいだけでは無いだろう。ちらりと後ろを窺えば、冷夏も先程までとはまた違った意味で表情を無に変えている。


「もうすぐだ。此処から出た先に、小さなプレハブ小屋が見えるだろ? あれが、俺達物宮研究部の研究室だ」

「貧相なんてものではありませんね。てっきり犬小屋かと思ってしまいました。あんな所に天才博士が居るなどありえないでしょう、やっぱり貴方私を騙して連れ込むつもりですね?」

「寝言は寝て言え、いや寝てても言うなっ! あれはただの入り口だ、本命は地下にあるんだよ」

「地下に? 学校の地下に秘密基地など、古臭いアニメじゃありませんし。第一どうやって許可を取ったんです?」

「許可は取ってない、完全に博士の趣味と独断だ。安心しろ、もしもの時はお約束の自爆装置で証拠を隠滅する」

「それ、学校は大丈夫なんですか……?」

「大丈夫なように計算し設計している所が、あの博士が天才足る所以だよ」


 そろり、外に通じる扉まで辿り着く。身を屈め近くの窓から外の様子を窺うが、未だ変質者は影も形も見えてこない。

 非常識過ぎる状況に、あれは夏の暑さが見せた幻だったのでは、と現実逃避しそうになる脳と心に渇を入れる。幻覚でもあんな気持ち悪いものを創る程、総真の心は病んでいない。


「ここからが勝負だ。プレハブ小屋までおよそ百メートル、幾らかの木々を除けば視界を遮る物は何も無い。そしてその木々も、人二人隠せる程太くは無い」

「祈り、走り抜けるしか無い、という事ですか。どうせなら先に行って、様子を見て来てくれません?」

「俺を囮にするつもりかっ! こちとら無力な一般人だぞ!」

「冗談ですよ。流石に此処まで助けてもらっておいて、そんな事をするつもりはありません」


 僅かに顔を逸らし、呟くように冷夏は言う。

 その態度に一瞬面くらい。ぷっ、と軽く総真は吹き出した。


「……何を笑ってるんですか? 遂に頭がおかしくなりました? いえ、元からでしたね、すいません」

「謝意が全く感じられないぞ! ……いや、別に。大した事じゃないんだ」


 照れた冷夏が、一際可愛く映ったから。そんな事を言えばまた罵られそうなので、この言葉だけは心の内に仕舞って置こう。


「さて、それじゃあ行くぞ。準備は良いな?」

「……(コク)」


 無言の肯定。ひんやりとしたスチール製の扉に手を掛けて、空いた左手の指を三本立てる。

 二。一本、折り畳む。遠くから響く蝉の声が、やけに激しく耳に届いた。

 一。もう一本、折り畳む。密着する程身を寄せた、冷夏の心臓の高鳴りが微かに聞こえる、そんな気がした。


「――零っ」


 呟くのと、最後の指を折り畳むのと、扉を開け放つのは同時だった。刹那、開けた視界の先、ゴール地点に向かって走り出す。

 伸びる石畳のロード。短いようで長い、ウイニングラン。素早く左右に視線を巡らせるが、自分達以外の姿は無い――


 瞬間。ぞくりと、背筋に悪寒が走った。


 顔だけで振り向く。居た――自分達が出てきた扉の上。獲物を待つ蜘蛛のように、壁に張り付く男の姿。

 にたり。男の口が不気味に歪む。


「――走れっ!」


 気付けば総真は叫んでいた。自分も冷夏も既に走っている、それでもそう叫ばざるを得ない程に、男の姿は不気味に過ぎた。

 壁を蹴り、男が跳ぶ。四足でもって着地を決めた男は、長い黒髪を振り乱し、そのまま四足で以って追いかけて来る。


「冷夏~。僕の冷夏~! どうして逃げるんだよ、なあっ!」

「くっそ、何処のホラー映画だよ!」


 若干蛇行、視界に入ったゴミ箱を引っ掴み、投げつける。咄嗟に投げたにしては見事な事に、ゴミ箱はまっすぐ男の下へと飛翔して、


「けははははははははは!」

「そんな防ぎ方ありかよぉ!?」


 微かな出っ張りを口で掴んだ男によって、呆気無く投げ捨てられた。

 ふざけた真似しやがる、骨の髄まで変態か、あいつは!


「なら、乾電池にしてしまいましょう」


 呟いた冷夏が、懐からスタンガンを取り出した。そのまま躊躇う事無くトリガーを引き、男に向かって雷撃を解き放つ。

 当たった。間違いなく、雷撃は男に直撃した。が、


「まるで効いてねぇぞ! 幾ら時流者だからって、どんだけタフなんだ!?」

「恐らくですが、あの無駄に広がった髪をアース代わりにして、地面に電気を逃がしたのでしょう」

「本格的に人間じゃねぇな、そりゃあっ!」


 残り五十メートル。後半分、体育で走れば数秒で終わるこの距離が、何とも遠い。

 徐々に距離は詰められている。だが、このまま行けばぎりぎり間に合う。しかし得てして、そういう時には非情な何かが起こるもので。

 総真が前を確認したその時、男の口が言葉を紡ぐ。風に乗っても届かぬ小声で、それを認識出来たのは丁度振り向いた冷夏だけであった。


「危ないっ!」

「っ!? 何――」


 冷夏に押し倒されるようにして、総真は地に伏せる。直後、真横から伸びた男の腕が頭上を通った。


(真横から? ついさっきまで、男は確かに後ろに居て――)

「時流者でも無い人間相手に使うのはどうかと思ったんだけど~、仕方ないよねぇ。だって、僕と冷夏の邪魔をするんだもん!」

「遮断時流かっ……!」


 時流者は、強大な力を持つ者としてそれに相応しい教育を受ける事を義務付けられる。緊急時を除き、一般人相手に無闇に遮断時流を展開してはならない、という教えもその一つだ。

 だが遂に、男はその楔をも引きちぎってしまった。いや、そもそもそんなものに期待する方が甘かったのかもしれない。そんな常識が通用するのなら、今こうして逃げ惑う事も無かったはずなのだから。

 此方の狙いを悟ったのだろう、男がゆらりと動き、プレハブ小屋への道を塞ぐ。完全に詰みの形であった。そもそも遮断時流を展開された時点で、総真に対抗出来る手段は無い。

 思わず唇を噛む。必死で頭を巡らせて妙案を捻り出そうとするが、都合よくそんなものが浮かんでくるはずも無く。

 どうする、どうする、どうする、どうする――


「…………」

「冷夏っ!?」


 無言で冷夏が、前に出ていた。総真を守るように男の前に立ちはだかって。


「よくよく考えれば、大して役にも立たない貴方に頼る必要はありませんでした。相手が力尽くで来るのなら、此方も力尽くで排除すれば良いだけです」

「んなっ……! 危険だ! もしお前が気絶していたのがあいつのせいなら、勝てる見込みは……!」

「関係ありませんね。私の敵は、私が排除する。それだけの話です。貴方には関係無い」


 冷たく言い放ち、冷夏はもう一歩前に出た。慌ててその肩を引っ掴み止めようとする総真だが、それより早く電撃が身体を撃ち貫く。


「冷、夏、」

「貴方はそこで、無様に眠っているのがお似合いでしょう。さて、では行きましょうか。時流者だけが到達出来る、時間の領域へ」

「冷夏~! ようやく僕の想いに、応えてくれる気になったんだね~!」


 ゆっくりと崩れ落ちる身体。冷たい石畳の床に打ち据えられながら、明滅する視界の中で、二人は同時に宣言する。


「「クロック・ロック」」


 瞬間、二人の姿が掻き消える。けたたましい蝉の鳴き声と、遠くから聞こえる運動部の掛け声だけを耳にしながら、総真の意識は優しく闇に溶けていった――。

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