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第二十四話

 シン、と肌を突くような静寂だけが、歪んだ時空に満ちていた。

 己を見下ろす少年に、倒れた男は言う。


「お前は何故、そうまで強く在れる?」


 視線はじっと上を見詰めていた。

 少年――総真が、ゆっくりと口を開く。


「俺には、大切な人達が居るから。父さんと母さんを失って……でも、それでも今を生きて行きたいと。例え父さんと母さんが戻らなくても、一緒に生きて行きたいと。そう思える人達が、居るから」

「……だから。今の世界を守るのか」

「ああ。……お前だって本当は、そうしたかったんじゃないのか?」

「何?」


 ピクリ、丹羽の眉根が跳ね上がる。


「自分を今の世界に引き止める、大切なもの。それが欲しかったから、アルトリーナに告白なんてしたんじゃないのかよ?」


 普通に考えればおかしな事なのだ。

 これから世界を滅ぼそうという人間が、どうして恋人を作ろうとする。その恋人すら、共に滅ぼしてしまうというのに。


「俺が此処まで来れたのは所詮は例外だ。お前だって分かってたんだろう? 幾ら歪みを制御出来ると言っても、それは辛うじて。他人を共に連れて行く事など出来ないと。だから、アルトリーナを迎えに来たりはしなかった」

「…………」

「分かっていたはずなんだ。連れては行けないと。なのに恋人を作ろうとした。そんなに好きなら、戻った先の世界で一から関係を築けば良いのに」


 残り少ない時間で無理に距離を詰めるより、そっちの方がずっと楽だろう。

 でも、丹羽はアルトリーナに告白した。数日後には滅ぶと知って、それでもだ。


「お前も、引き留めてくれるものが欲しかったんじゃないのか。俺が過去への誘惑を、西加や、アルトリーナや、冷夏や……皆のおかげで断ち切れたように。お前も、強引にでも大切なものを作る事で……止められない自分の行動を、止めたかったんじゃないのか」

「…………」


 丹羽は何も答えない。ただ無言で、じっと黄色の天井を見上げている。

 その胸に去来する想いを総真は知らない。しかし、自分の推測が大きく間違っているとは思えなかった。


「なぁ……――っ!?」


 もう一度問い掛けようとして、総真は咄嗟に口を噤む。

 空間が揺れている。まるで地震のようで、しかしこの空間では有り得ない。

 急いで義眼の情報を確認する。時空の異常が、収まってきていた。


「これ、まさか!?」

「気付いたか」


 ゆらり、丹羽が上体を起こす。

 その目が物語っていた。此方の予想が当たっている事を。


「さっきお前の一撃を喰らった時、一瞬だけだが意識が飛んだ。それは本当に刹那の時間だったが……一度手放された時空の制御は、もう二度と戻る事は無い」

「それ、じゃあ」

「そうだ。この時空はもう、俺の制御を離れた。間も無くあるべき姿へと還り、消滅する」

「だとしたら……不味いっ。早く此処から出ないと――「無駄だ」っ!?」


 急いでこの空間から脱出しようとする総真だが、太い声に止められる。

 改めて見た丹羽の顔は、諦観に彩られていた。まるでもう、全てが終わってしまったかのような。


「丹羽?」

「無駄だ。もう出られない。既に、入り口は閉じた」


 その言葉を聞いた途端、頭が真っ白になった。

 しかし直ぐに再起動。慌てながらも呆然とするという、器用な口調で総真は返す。


「嘘だろう? 幾ら何でも、早過ぎる」

「そもそも、あの入り口が開いている事。それ自体が異常だったんだ」


 彼の言葉が自分を此処に留める為の虚言、目的達成を防がれた意趣返し、という可能性を総真は無意識に否定する。

 丹羽の様子からは此方に対する憎悪や怨讐は見られない。だらりと弛緩した身体からは、仕返しをする程の気力も感じ取れはしないのだ。


「異常? どういう事だ?」

「時空は、『本来あるべき形』に戻ろうとする力を持っている。流れや在り方を乱しても、自然と元に戻るんだ。遮断時流を永遠に展開出来ないのも、この元に戻ろうとする力との反発で、維持に制限が掛かるからだ」

「ああ。それは俺も知ってるが」

「俺は内部から歪みを制御する事により、この元に戻ろうとする力を撥ね退け、時空の崩壊を起こそうとした。ただ……それならば本来、入り口は開いていない方が都合が良い」

「都合が、良い?」

「そうだ。歪みの入り口とは即ち、正常な時空との接触点。一際強く戻ろうとする力の影響を受ける部分であり、それを維持する事は歪みの成長の停滞を生みかねない」


 加えて、お前のような邪魔者が入ってくる事もあるしな。

 そう呟いて丹羽は続ける。


「故に本来ならば閉じておいた方が良いし、自然とそうなるのだ。入り口を閉じ、薄皮一枚隔てた外側で歪みを高める。そうして最後、限界まで達した所で、正常な時空――あの世界を一気に吞み込む。後はそれによって生じた巨大な時空の穴とエネルギーを利用して、目指す過去を持つ世界へと飛んでいく。それが、俺の考えた『過去への戻り方』であり、最も効率の良いやり方だ」

「じゃあ何で、入り口が開いていたんだ?」

「……無意識、だな」


 自嘲するように、漏れ出た言葉だった。


「本来閉じて然るべき入り口を、制御者である俺が無意識の内に維持していた。そうとしか考えられん。……お前の言う通りなのかもしれんな。俺は、止めたかった――いや、止めて欲しかったのだろう。自分では止められない蛮行を、誰かに」

「丹羽……」

「入り口は、そうして制御者が維持していなければ、直ぐにでも閉じてしまうものだった。だから閉じた。俺が制御を手放した時点で、あっけなく正常な時流の影響を受けて」

「じゃあ。それじゃあっ」

「ああ。向こうの世界との繋がりが完全に絶たれた以上、最早戻る手段は無い。詰みだ」


 無情に告げられた事実が、総真の胸を容赦なく突き刺す。

 一方の丹羽は、疲れきった様子で固めた時空の上に座り込んでいた。その顔には若干の申し訳なさが垣間見える。

 彼自身は、自分がもう元の世界に戻れ無い事、この空間と共に消滅していく事を納得している。世界を壊そうとした大罪人であり、何よりもう願いは叶わないのだ。そんな自分が死ぬ事に否やは無い。

 だが同時に、この少年――四速総真までもを巻き込む事には、口惜しさを感じざるを得ないのもまた、事実である。


 彼は自分とは違う。共に生きるべき人達が居て、まだ生きるべき未来がある。こんな所で死ぬべき人間では無いはずなのだ。


(だがもう、俺に出来る事は何も無い)


 呆然と立ち尽くす好敵手の姿に、つい唇を噛む。

 彼の口が、ぱくぱくと水を求める魚のように動いた。


「何か、方法は無いのか。皆の元に戻る、方法は」

「……無い。お前とて理解しているはずだ。そして元より、この事態を覚悟して此処に来たはずだ。――諦めろ」


 最後の抵抗を丹羽は無情にも斬って捨てる。

 総真が、がくりと膝を折った。全身から力が抜け、暗く俯き、言葉を失くす。

 その様子を見ながら。丹羽は静かに、目を伏せたのであった。


 ~~~~~~


 歪んだ時空がパラパラと、硝子が砕けていくかのように崩壊していく。

 あれ程明るかった空間は、今は広大な宇宙にも似ていた。所々黄色の輝きを残しながらも、それが剥がれた場所には底の見えない真っ黒な闇が覗いている。

 この光が全て消えた時、この空間もまた消えるのだろう。徐々に迫る終わりの時を、この世界たった二人だけの人間は、じっと座って待ち続ける。


「…………」「…………」


 共に無言のまま、どれだけの時が過ぎただろうか。

 ふと、総真が立ち上がる。ゆらりゆらりと、定まらない足取りで一歩二歩。


(精神的に、限界を迎えたか)


 彼の様子に気付いた丹羽がそう思うのも無理は無い。

 今の総真の姿は、まるで幽鬼のようだ。ゆっくりと丹羽を見て、その鋼の拳を握り締める。


「……俺を殺すか? それも良いだろう。お前にはその権利がある。どうせもう直ぐ消える命だ、好きにすると良い」


 丹羽は、抵抗しなかった。

 これが贖罪になるとは思っていない。だが、受け入れるべきだとは思っているから。

 しかし総真は、そんな彼を一蹴する。


「何ずれた事言ってんだ、お前」

「む……?」

「殺す? そんなつもりはねぇよ。ただ、まだやる事がある。それだけだ」


 やる事? と首を傾げる丹羽に、総真は、


「ああ。――決着、付けようぜ」


 真っ直ぐ、強い意志の宿った瞳で宣戦布告を投げ掛けた。

 訳が分からず呆ける丹羽に、言う。


「このまま死んだらよ、心残りが有り過ぎる。勿論まだ生きたいとか、皆の元へ帰りたいとか、漫画読みたいとかゲームしたいとか。後クララにまだ勝ってないし狂三郎もぶっ飛ばしたいし……色々心残りは有り過ぎるけどよ。けど、それ等はもうどうしようもない」

「…………」

「でも、心残りは少ない方が良い。そして目の前に丁度一つ、解消出来る心残りが残ってる」

「それが、俺との決着か?」

「ああ。まさか、さっきまでの中途半端な戦いで決着が付いたと思ってるのか? 馬鹿言うなよ。しかもさっきの戦いは、お前が戦いに支障が無いくらい一瞬意識を失って、時空の制御を手放しちまっただけだろう。あれじゃ決着とは呼べねぇよ」


 先程までの戦いは、丹羽は歪みの制御に、総真は歪みからの圧力の無効化にリソースの多くを割り振っていた。

 結果、共に全力とは程遠い戦いだったのだ。どうしても不完全燃焼感は出てしまう。


「だから、やろうぜ。もう出られないからこそ、もう直ぐ死ぬって確定しているからこそ、今度こそ。世界がどうとか過去がどうとか、そういう面倒な事全部無しで。純粋にどっちが強いか、それだけを求めて」

「……馬鹿な考えと行為だな。生産性の欠片も無い」

「良いじゃねぇか、別に。そうしたいからそうするだけだ。それに……此処最近の戦いを思い出していてよ、気付いちまったんだ」

「気付いた?」

「ああ。『あれ、俺ってほとんどまともに勝ってないな』ってよ」


 軽く言って、総真は肩を竦める。


「トーレン・ライドを得てから初めて戦い、勝った狂三郎は、徹夜続きで冷夏を捜索していたせいで体調はボロボロ。その後特訓だの何だので戦った時は結局勝敗は付かなかった。丹羽、お前と初めて戦った時は途中で邪魔が入っちまって、けど実際の所負けと言っていい状況だった。クララと戦った時は、一応引き分けにこそなったけど、後から博士に聞いた限りじゃ実質負けだ。ここ数日でまともに勝ったのは、精々お前の子分三人くらい」


 その三人組も時流者としては木っ端も良い所で、到底自慢出来る事では無い。


「分かるか? 強敵相手にゃ引き分けとか負けとかばっかなんだ。せっかくトーレン・ライドを得たのにこれじゃあよ、どうにもすっきりしないだろ?」


 意地に拘り、それだけで歩んで来たからこそ、尚更その事実が気に喰わない。

 だから。


「最後くらい、すっきり勝って終わりたいんだ。お前のような強敵に、一度負けた相手に。リベンジかまして、せめて気持ちよく逝くとしようや」

「勝手な話だな。俺に受ける理由は無い。それに、もし俺が勝ったらどうするんだ?」

「その時はその時だ。俺はその程度の男だったと、一応は納得して逝く事にするさ」

「ふざけた男だ。――だが」


 呆れたように呟き、丹羽は腰を上げると身体の調子を確かめる。


「丁度良い。俺も、お前を殴り倒したいと思っていた所だ。アルトーナさんへの告白を邪魔した、お前をな」

「おいおい、まだ恨んでたのか。ってかやっぱり、一目惚れってのは本当だったのか?」

「無論だ。仮に恋人を作ろうとした理由がお前の言う通りだったとしても、俺は好きでも無い相手に告白するほど不出来な男では無い」

「そうかい。まあ、いかにも実直そうだしな」

「大体、お前は気に食わんのだ。アルトリーナさんに主などと呼ばれて慕われて。お前のようなガキは、彼女に相応しくない」

「んだとこの筋肉ダルマ。夏だからってあんな短いズボンとタンクトップで街中を歩き回るような変態には言われたくないぜっ」

「変態では無い! 第一、今のお前だって似たような格好だろうがっ」

「俺のこれはトーレン・ライドを使う為って理由があんだよっ。手前とは違う!」

「何だと……!?」

「あぁ!? 文句あんのか!?」


 ガルルル、グルルル、と獣のような呻きを上げて睨み合う両者。

 が、少しするとどちらともなく、


「「くっ……はははははははは!」」


 大声で、腹を抱えて笑い出す。

 暫くそのまま苦しそうに笑い続け……やがて、二人揃って息を吐く。


「はぁ~。……いよいよ、時間が無いみたいだな」

「ああ……」


 パラパラと、剥がれた時空の破片が二人を包むように降り注いでいた。

 もう全体の七割以上が砕け落ちて消えている。それは即ち、この空間の消滅が近いという事。


「――それじゃあ、やるか」

「――ああ」


 すっと、互いの表情から緩みが消える。

 空間が再び歪んだと勘違いする程の戦意が両者の間でぶつかり合い、視線がバチバチと火花を散らして交差する。


 二人だけの舞台の上で、彼等は誰よりも真剣で、命懸け。それは最後の最後まで命の炎を燃やそうという、男の意地に他ならない。


「トーレン・ライド」「クロック・ロック」

 ――Data Set Ready,Go!――


 宣言は静かに。しかし溢れ出す激情を籠めて。

 真正面の激突から、決戦は始まった。

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