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第二十一話

 事件発生からおよそ一時間。

 時空の歪み周辺地域に出された避難命令を無視して、総真達四人は高校地下にある西加の研究室へとやって来ていた。


「良いのかよ? 避難しなくて」

「構わん。どーせあの歪みが限界に到達すれば、何処に居ようが死ぬのだっ。ならば今出来る事を全力でするのみっ!」

「ご安心を、総真様。きちんと政府に連絡を取って許可は得てあります」


 西加の断言をアルトリーナが補足する。

 なら良いか、と総真は目を正面の巨大なモニターへと戻した。

 そこには、彼には理解不能な様々なグラフだの数値だのが無数に並んでいる。病室で見た歪みに関するデータの、より詳細なもの……らしい。

 難しい顔をしてモニターを睨んでみる総真を、隣にやって来た冷夏が冷ややかな双眸で見詰めた。


「というか貴方こそ、病院で寝ていなくて良いんですか。まだ退院には早いでしょう?」

「良いんだよ、緊急事態だ。怪我もとっくに完治してるしな」


 先程の西加とのやり取りを棚に上げ言い切る彼に、冷夏は呆れ顔。

 そうして二人でモニターに視線を向けた。正確に言えばその端に映されている、時空の歪みの映像だ。


「大きくなってるな。なぁ博士、後一体どれだけ持つんだ?」

「先程も聞いただろうに。……このまま行けば約四時間。データから出した私の推測を述べるなら、三時間と五十二分後には、世界は崩壊する」

「たったそんだけか。……まだ解決手段は浮かばないのか?」

「簡単に言うなっ。そもそも私は時空や至断時流理論については専門外なのだ、そう期待されても困る。考えてみてはいるがなっ」

「頼むぜ、博士。悪いけどよ、俺のちっぽけな頭じゃ解決策なんて浮かびそうにねぇ。精々一か八かで時流者大量に集めて突撃、とかそんな事しか思いつかないぞ」

「それでは中で行動出来ないと言っただろう。……別に無理して考えなくても良い。今、世界中の織者達が頭を目一杯に稼動させて解決を図っている。お主に出せる答えなど無いのだっ」

「だよなぁ。……はぁ。ほんと俺って役立たず、情けねぇ」


 無力感に打ちひしがれ、肩を落とす。

 そんな総真をそっと気遣い、アルトリーナが近くの椅子を持って来る。


「落ち込むことはありません。解決策を出せないのは、世界中の誰もが同じです。それよりも総真様は病み上がりなのですから、今は少しでも休息を」

「ああ、ありがとうアルトリーナ。って言っても、世界が滅んじまったら休みも糞もないけどな」


 ははっ、と自嘲するような乾いた笑いが広い研究室に響く。

 大人しく椅子に座る彼を数秒、冷夏はジト目で見詰め……直後、突如背中を叩いた。


「いてっ。何するんだ、冷夏」

「柄にも無くしんみりしているからです。貴方はもっとこう、馬鹿で能天気な顔をして、それでいて無駄に真っ直ぐに走っているべきだと思います」

「何だそりゃ。馬鹿にしてるのか?」

「さあ。どうでしょうね」

「んだよ無駄にはぐらかして。……まぁでも、少しは気合が入ったよ。そうだな、落ち込んでてもしょうがない。とりあえず何かあった時の為に準備運動でもしておくかー」

「そこでそんな単純で意味の無さそうな発想しか出てこないから、貴方は馬鹿なんですけどね」


 ぼそり呟いた冷夏の言葉は、もう彼には届いていない。

 やおら立ち上がり宣言通り準備運動を始めた総真を、慌ててアルトリーナが止めに入った。心配そうな彼女に応える少年の声は先程までと違い、明るく気力が宿っている。


「そう、そうあるべきなんですよ。じゃないとこっちまで不安になってしまいます」


 平時と変わらず落ち着いているように見える冷夏だが、実際には彼女とて内心は不安で一杯だった。

 何せ世界の崩壊、それも解決の目処すら立たない。この状況で不安にならない人間の方が少ないのだ。むしろ事態を正確に把握しながら正気を保っていられるだけ、彼女等は大したものだろう。

 アルトリーナに抑えられ、再び椅子に座らされた少年をそっと窺う。まるで世界の終わりが迫っているとは思えない和やかな雰囲気で――事件が起こってから初めて、冷夏は小さく笑みを浮かべた。


「――むっ、不味いぞ!」


 と、焦った少女の声に一同の視線が集中する。

 小さな身体でモニターを見上げる西加が、彼女としては珍しく額に汗を搔き、本気の焦燥を見せていた。

 そこに事態の悪化を感じ取り、総真は急いで問い掛ける。


「どうした、何があったんだ博士っ」

「時空の歪みが加速しているっ。何処まで行くかは分からんが……この調子だと予測を大きく外れて、一時間と持たずに限界を迎えるぞっ!」

「んなっ……マジかよ!?」


 ただでさえ短かったタイムリミットが更に短くなった。

 驚愕の事実を知らされ、落ち着いていた空気が一気に騒然となる。歯噛みし、西加を見る総真だが、窺える横顔からはまだ解決策など思いついていない事を容易に察する事が出来た。

 思わず飛び出しかける。だが何も出来ない事を思い出し、悔しさと共に踏み止まった。


「何か、無いのか。何か手段は……っ」

「…………」

「なぁ博士、本当に何も手は無いのかっ? 何でも良い、何か……」

「……それは……」


 一瞬の躊躇い。付き合いの長い総真は、西加のこの常ならぬ態度に彼女の内心を敏感に読み取った。


「もしかして、あるのか? 解決策が」

「…………」

「何で黙ってるんだ博士。やっぱりあるんだろう? この事態を解決する手段が、何か!」


 両肩を捉まれても尚、西加は口を開かない。

 暗い表情で俯く彼女に、総真は眉間を顰めた。だがそれ以上は何も言わない。

 此処で彼女を責めても仕方が無いのだ。今出来る事はただ、じっと彼女の口が開くのを待つ事、それだけである。

 やがて。冷夏とアルトリーナからも見詰められ、西加は観念したように重い口を動かした。


「方法は、ある。あの歪みを正せるかもしれない、方法が」

「本当かっ!? 博士!」


 現れた希望に喜色を滲ませる総真だが、西加の表情は相変わらず暗い。

 此処まで言うのを躊躇った事からも、それが尋常な手段でない事は総真の単純な頭でも容易に想像が付いた。

 だがそれでも聞く。他に道が見つからず、解決しなければ世界が滅んでしまうから。


「それはどんな手段なんだ。博士」

「…………」

「此処まで来て、今更言わないってのは無しだぜ」

「……あぁ。分かっている」


 意を決するように一度溜めをつくり。西加は、その『解決方法』を提示した。


「あの歪みを正す方法。それはな」

「それは?」

「――総真。お主が行き、丹羽を直接打倒する事だ」


 ポカン、と総真の口が開く。

 まん丸に見開いた目を幾度かパチクリ。混乱する頭で先程の言葉を反芻し、吞み込んで、漸く理解した所で――


「はぁぁあああ!? いや、だってそれは無理だって……」

「私が何時そんな事を言った? 冷夏が勝手にそうだと決めつけ、お主もそれを信じただけだ。違うか?」

「え、いや、それは……そういえばそう、か?」


 病院でのやりとりを思い出す。

 そう、確かに『自分が行けば良いのでは』と提案した所で、丁度冷夏がやって来てそれは無理だと突っ込まれたのだ。

 博士もアルトリーナも何も言わなかったのでその通りだと思っていたのだが、実は違っていたらしい。だが、そうなると疑問が生まれる。


「それなら、もっと早く言ってくれれば良かったのに。何で黙ってたんだ?」

「…………」


 また、西加はだんまりを決め込んでしまう。

 仕方が無く総真がアルトリーナへと視線を動かせば、彼女はその美しい顔を困惑に染めて返してきた。


「アルトリーナ?」

「すみません、総真様。私もてっきり、総真様ではあの歪みの中には入れないかと……」

「え? アルトリーナも知らなかったのか? 一体どういう事なんだよ、博士」


 訳が分からず、総真もまた困惑の表情を西加に向ける。

 再び六つの瞳に見詰められた彼女は、大きく溜息を一つ。何処か力なく、背後のコンソールにもたれかかる。


「博士……?」

「……トーレン・ライドというシステムはな。実は、ただ加速するだけのシステムではないのだ」


 突如語り始めた西加を、しかし総真は遮らなかった。

 トーレン・ライドが特殊なシステムだというのは自分も知っていることだ。加速に加え、負荷や衝撃の軽減まで行っているのだから。

 だが、西加の話したい事はそれとはまた別に思えた。だから、総真も冷夏もアルトリーナも、今は黙って耳を澄ませた。


「トーレン・ライドはな、リージェネレイト・エネルギーを使った超加速により時流者の展開する遮断時流の中でさえ、高速で動く事を目的としたシステムだ。相手が時間の流れを遅くするのなら、此方は純粋に速度を上げれば良い。十分の一の時間に対し十倍の速度を。そんな馬鹿なシステムが、トーレン・ライド」

「ああ。まだ小学生だった俺が考えた、馬鹿の極みだ」

「だがな。実際に造ってみると、どうもただの加速だけで対抗する事は難しい、という結論が出た。そこいらの時流者相手ならば問題ないのだが、何せ目標があのクララ・ミッシェルハートだ。世界一の時流者である奴と闘う為には、現在のトーレン・ライドでは速度が足りん。かと言ってこれ以上速度を上げようにも、そうすれば加速による負荷と軽減のバランスが崩れ、義肢の方が耐えられん。これを今の私の技術でクリアする事は、不可能だった」

「…………」

「そこで、私は別の方向からのアプローチを探ったのだ。それが――リージェネレイト・エネルギーの干渉力を使った、遮断時流への干渉」

「――!」


 驚愕に、総真達の目が見開かれる。

 自嘲するような口調で西加は続けた。


「専門ではなかったが、私は天才だからな。予想以上に試みは上手くいったよ。余剰分のエネルギーを遮断時流からの干渉、それそのものへの干渉に使う事で、遮断時流によって受ける影響を軽減する事に成功したのだ」

「もしかして、私の体液を採取したりと時流者の研究も行っていたのは、その為に……?」

「あの時には既にシステムは出来上がっていたがな。結果、加速度的に必要なエネルギー量や処理情報が増えることから無効化こそ出来なかったものの、トーレン・ライドは加速と同時に遮断時流の軽減をも可能なシステムとして完成したのだ。これにより、漸くクララ・ミッシェルハートとも闘える土俵に立てた」


 自慢できる話のはずなのに、相変わらず西加の表情は暗い。

 それは、こんな機能を付けるべきではなかった、という後悔……なのだろうか。


「そして、此処からが重要な点だが。この機能は要するに、『時流によって受ける影響を軽減する』機能だ。故にちょっと調整すれば、時空の歪みによって受ける圧力をも軽減――いや、あの程度のものならば、ほぼ無効化する事が出来るのだ」

「なっ……! じゃ、じゃあそれを使えばっ」

「ああ。あの歪みの中にも、入る事が出来る」


 吉報に総真の表情に明るみが増す。

 だが直ぐに表情を引き締めた。西加のこの様子、恐らく何らかの問題があるのだろう。それも世界の崩壊を前にして尚、話す事すら躊躇う程の問題が。

 西加がまた一瞬躊躇い……しかし、結局は口を開く。


「圧力を無効化出来る事に加え、長距離を高速で踏破可能な飛行能力。更に制御者である丹羽を強制的に止め得る、武力まで持っている。断言しよう、この世界であの歪みを止めるのに、総真以上の適任者は居らん」

「そう、か。止められるのか、世界の崩壊を。俺が行けば――「行くなっ!」っ!?」


 突然の叫びに総真の身体が硬直する。

 どうしたのか、と西加を見やれば、彼女の肩は震えていた。顔は先程まで以上に俯き、握り締められた拳もまた微かに震えている。


「お、おい博士――」


 心配し近寄った総真の腹部を、どんっと小さな衝撃が叩いた。


「博、士?」

「行くな……総真、お主は行っては駄目だっ」

「いや、でも。世界が滅んじまうんだぞ? 危険かもしれないけど、行かなくちゃ――」

「行けばっ! ……行けばもう……戻ってこれんのだぞ……」

「え……」


 呆然と声を漏らす。

 此方を見上げる西加の、潤んだ瞳と目が合った。彼女は顔をくしゃくしゃに歪め、今にも泣き出しそうな表情で言う。


「あの歪みは、何らかの手段で作り出したそれに、丹羽が干渉する事で拡げ続けているものだ。故に丹羽を止めれば、歪み自体は勝手に収まり、消える」

「そうだ。だから俺が行くんだろう? 外からじゃ攻撃は届かないし、下手に時流者が干渉して直そうとすればむしろ余計に加速する。だから俺が、直接丹羽を止めに……」

「丹羽がっ。あの男が一体どんな思いで世界を崩壊させようとしているか、それは分からん。だがこれ程の事だ、生半可な思いでは無いだろう。説得が通じるとは思えん、止めるには、殺すか、気絶させるか……何にせよ、強制的に制御を手放させるしかない」

「ああ、分かってる。ぶん殴って無理矢理止めれば良いんだろう?」

「分かってない! 総真は、何も分かっていない!」


 駄々っ子のように、西加は首を左右に振った。

 涙が飛び散る。病衣に小さな染みが生まれた。


「歪みは、消滅してしまうのだぞ。当然、中に居る者達も……一緒に消滅してしまう!」

「それって……。いやでも、脱出する時間くらいは!」


 西加の危惧を漸く理解し、それでも総真は食い下がる。

 確かに歪みは、その空間は消滅してしまうかもしれない。しかし丹羽を止めた瞬間、という事もないはずだ。波だって自然に収まるには時間が掛かる、あの空間だってそうなのではないか。


「脱出する時間は……ある、かもしれん」

「ならっ」

「あくまでも『かも』、だ! 確証などない。むしろ確率としては低いくらいだ。まず真っ先に消えるのは、正常な時流と接している入り口部分だろうからなっ」


 入り口が閉じれば当然脱出は出来ない。

 例え歪みの完全消滅までに猶予があろうと、その時点でゲームオーバーだ。死……いや、消滅が確定してしまうのである。


「けど、このままじゃあ世界は滅び、結局俺達だって死んじまうんだ。じっと終わりを待つより、危険だろうと生き残れる可能性に賭けた方が……」

「その可能性がっ! 低過ぎると言っている……。私の計算通りなら帰還確立は一,七%だ。それも無事丹羽を倒せた前提でな!」


 時空の歪みは不安定で未知数であり、完全な予測は出来ない。

 だが、天才足る西加の出した推測が大きく外れることは無いだろう。少なくとも帰還が絶望的である事は間違い無かった。


「だから……博士は言わなかったのか?」

「……あぁ。言えばお主は必ず行く。そう分かっていたから……言わなかったのだ」

「でもよ。さっきも行ったけど、このままじゃあどの道皆死んじまうんだぞ。だったら――」

「代わりの案なら、私が出すっ! 時間は無いが、必ず見つけてみせるっ。だからっ!」


 だから、と呟き縋りつく西加を、総真は離せない。

 その手があまりにも小さくて。その身体があまりにもか弱くて。何時ものような活力などまるで無い、今にも壊れてしまいそうな少女の姿は、衝撃的に過ぎていた。

 それは冷夏とアルトリーナも同様だ。三人、誰も動けず言葉も発せず、広い研究室にはただ少女のすすり泣く音ばかりが響き渡っていく。


「西加……」

「総真は、総真は私にとっての家族なのだ。父と母を失い、一人ぼっちだった私に出来た、大切な家族なのだっ。その家族が死地に向かう事をどうして許容出来る!? そんな真似をする位ならば、共に滅んだ方がまだマシだ!」


 彼女の言葉は勢いだけにも見えたが、同時に真があった。

 心の底からそう思っているのだろう。彼女にとっては総真を失う位なら、自分も共に死んだ方がマシなのだ。

 あまりに自分勝手で破滅的に思える主張だが、しかし総真には少なからず理解出来てもいた。彼とて両親を亡くし、一人になった所を西加に拾われた身なのだ。もし大切な家族である西加が生還の絶望的な試みをするとなれば、張り倒してでも止めるだろう。

 まして、両親を亡くしてもまだ友人・知人の居た総真と違い、西加には友人すらまともには居なかった。彼女が天才過ぎるが故なのだが、だからこそ初めて友となった総真への想いはこの世の誰よりも強いだろう。


「頼む、総真っ。行かないでくれ。私を、置いていかないでくれ……」


 力を無くしたように膝を着き、それでも服を掴む手だけは放さない西加を見下ろし、総真は唇を噛むと顔を歪める。

 分かっていた。この少女の手を離してはいけないと。思っていた。行けば間違いなく死ぬというのなら、行きたくなどないと。


 けど。


「それでも。行かずには居られないんだよな……」

「そうま……?」


 見上げてくる少女の頭を、苦笑と共に軽く撫でる。


「悪い、西加。それでも行くよ」

「っ、な、何故だ。行けば死ぬのだぞ!」

「行かなくても死ぬさ。このままじゃ。……幾ら西加が天才でも、この残り時間で画期的な解決案を考えて、しかも実行に移す……ってのは不可能だろ。それくらい、馬鹿の俺にも分かる」

「そんな事は無いっ、そんな、事は……」


 西加自身分かっているのだろう、語尾は次第に弱まり儚く消えた。

 俯くその頭を、総真はもう一度撫でる。


「西加が俺を大切に思ってくれているように、俺も西加が大切なんだ。いや、西加だけじゃない。アルトリーナも、冷夏も、学校の友人達も。後はクラスメートとか近所のおばさんとか良く行くパン屋のおっさんとか。皆、皆、大切なんだ」

「そう、ま……」

「そんな皆を守りたい。そして、それが出来るのは俺しかいない。だったら行くしかねぇだろ。後はまぁ……ついでに世界も救ってやるさ」


 そう言って笑う少年に、西加は顔をくしゃくしゃにして左右に振る。


「死ぬのだぞ。行けば、死ぬのだぞ!」

「それでも、だよ。……アルトリーナ。悪いけど服を用意してくれるか、この研究室にも予備が幾らかあったはずだ。さすがにこの服じゃ、気合入らないからな。病院に返さなきゃならないし」

「総真様……」


 死地に行く覚悟を決めたとは思えないほどあっけらかんと言う彼に、アルトリーナは意を決して切り出す。


「私では、駄目なのですか。行くのは、私では」

「アルトリーナ……」

「私にとてトーレン・ライドは搭載されています。ならば行くのは、私でも良い筈です」

「馬鹿言うな、そんな事――「無理だ」……西加?」


 させられるか、と自分を棚に上げて言おうとした総真を、西加が遮る。

 彼女は長い紫髪に遮られた顔をゆらりと横に振り、


「アルトリーナでは無理だ。総真に搭載されているものと違い、アルトリーナのそれは簡易版。出力的にも機能的にも、あの歪みに入るには足りていない。不可能だ」

「ならば博士。今からでもアップデートは出来ないのですか? 総真様のものと取り替える、という手段も――」

「無理だ。そう簡単にはいかん。それにアルトリーナ、お主もまた私の家族なのだぞっ。行かせられると思うか?」

「博士……」


 ロボットでしかない自分は死んでも良い。

 そう考えていたアルトリーナは、博士の重い声音に間違いを悟った。自分は既に彼女の家族であり、代えようのない存在なのだ、と。


「ですが、博士っ」


 だがそれでも、西加と総真に仕える者として、また二人の付き合いの長さと自らが完成してからの時間を考えて、アルトリーナは声を荒げる。

 総真が行き、死ぬよりは、自分が行って死んだ方が良い。その結論にやはり変わりは無かったのだ。例えそれが実際には不可能な事でも、『心』を持ったアルトリーナは、叫ばずには居られなかった。

 そんな彼女を、総真は静かに手で制す。


「アルトリーナ。無理なもんは無理なんだ、もう分かっただろ? それに例えアルトリーナが行けたとしても、やっぱり俺が行くさ。誰に言われた訳でもなく、俺がそうしたいから」

「総真様……しかしっ……」

「それに勘違いされちゃ困るがな。俺は別に死ぬ気は無いぞ? どんなに低くても生還の可能性はゼロじゃないんだ。だったら、そこに賭けるまでだ」


 軽く言ってみせる総真の目を見て、アルトリーナは、そして西加も冷夏も察する。彼を止める事は出来ないのだ、と。


「……馬鹿ですね。まるで宝くじに大金を注ぎ込む愚か者です」

「良いじゃねぇか、宝くじ。当たればどーんと人生薔薇色だ。夢と希望に溢れてる」

「現実は、全く当たりませんけどね。甘くはないんですよ」

「どうかな。此処最近、トーレン・ライドが完成したりクララの奴と戦えたり、奇跡みたいな事ばっかり起こってるからな。案外もう一度位起こるかもしないぞ? 奇跡」

「楽観的な貴方らしい意見ですね。……そうなると良いと、私も思いますけど」


 呆れたように肩を竦める冷夏。

 その顔は、薄っすらと微笑んでいた。色んな感情がない交ぜになったような……複雑な笑み。

 始めてみた彼女の表情に、思わず総真は言葉を失う。


(こいつこんな顔も出来たのか。てっきり仏頂面と嘲笑しかないのかと)


 失礼な事を考えながら、総真は残りの二人へと振り向く。

 そのままじっと見詰めた。やがて、アルトリーナが歩き出す。


「服を取ってきます」


 部屋を出る瞬間、早足のアルトリーナと目が合った。

 悲しそうな目をしていた。けれど同時に、信じているという目でもあった。


「西加」


 そして、最後の一人。


「まだ、駄目か? 行っちゃ」

「……駄目だ。駄目だ駄目だ駄目だっ! ……けどっ」


 袖で目元を必死に拭い、


「調整だけは行ってやる。後は勝手にすれば良いっ。もう総真の事など知らんっ!」


 そう良い捨てて、西加はまたモニターと睨めっこを始めてしまう。

 小さな背中を見詰め、総真は僅かに口の端を吊り上げた。全く素直じゃない、と思ってしまう。そしてこれが、きっと最大の譲歩なのだろう、とも。


(ごめんな、西加。けど、それでも……守りたいんだ)


 世界崩壊まで後四十三分。

 全ての準備が終わったのは、それから五分後の事だった――。

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