第二話
「それで君、誰?」
「どうも、記憶喪失の美少女です」
ごちゃごちゃと散らかった部屋の中、ベッドの上で目覚めた少女は、何食わぬ顔でそんなことをのたまった。
家の前で倒れ気を失っている少女を見つけた総真がとりあえず、と家に連れ込んでベッドに寝かせたのが三十分前。
幸い目立った外傷は無いようなので、何か複雑な事情があるのかもしれないと警察への連絡を一先ず思い留まり、眠る少女の様子を観察してみたのが二十分前。
肩程で切り揃えられた黒髪と、気を失っていても良く分かる少し幼い整った顔に、朝から幸せな気分になったのが十分前。
そして、今。ぱちりと唐突に目を開け、むくりと当たり前のように身を起こした少女と目が合った総真が最初にした質問がそれであり、謎の少女が最初に返した答えがあれだった。
はぁ? と疑問を漏らせば、少女の真っ黒な瞳と目が合う。そうして彼女はじっと感情の薄い表情で、
「何ですかその間抜けな声は? 私は実に簡単簡潔単純に自身について説明したと思うんですが、まさか今ので分からなかったんですか?」
いらっとした。幸せになった気分が帳消しどころかマイナスに急下降する位、総真はこの少女にいらっとした。
無意識の内に、最大の怨敵であるあん畜生を思い出す。奴と違ってこの少女は無表情な上、声も平淡であったが、露骨な煽りと言う点では悔しい程共通している。
「それが自分を助けた相手に言うことかぁ!?」
「別に助けてくれとは言っていませんし。大した怪我も無いですし、放って置いてくれても何も問題はありませんでしたし」
「そこいらの怪しい男にでも浚われたらどうすんだよ?」
「流石に乱暴されそうになれば起きますよ、そこまで間抜けじゃありません。私はこれでも自分の危機感知本能というものに自信を持っていますから。後、既に浚われてます、目の前の冴えない男に」
「表に出ろ、ぶっ飛ばしてやる」
「いたいけな少女に手を挙げるんですか? 最低の男ですね」
「俺ぁ男だろうと女だろうと、屑には容赦しねぇっ! きええええええええええい!」
ちょっとお灸を据えてやろうと、総真は少女に飛び掛った。
といっても別に本気でぶっ飛ばしてやろう、などと考えていた訳では無い。ちょっと驚かしてやろうと、それだけのつもりだったのだ。
が、少女は空中の此方を冷たい瞳で見詰めると、
「クロック・ロック」
呟く。次の瞬間、少女の姿は掻き消えていた。
(こいつは、まさかっ)
ベッドに着地しながら総真は驚愕に目を見開く。
心当たりがあったのだ、先程の少女の言葉と今のこの現象に。これは、間違いなく――
「えい」
「遮断時りゅ――あばばばばばばばあああ!?」
プシュー。煙を上げながら、総真は無様にベッドに這い蹲った。
「か弱い少女を襲おうなんて考えるからそうなるんですよ、変態さん」
「て、手前。スタン、ガン、なんて持って、たのか」
「護身用です。何かと物騒な世の中ですからね」
「嘘付け、護身用なんて出力じゃなかったぞ! 見ろ、全身の毛という毛が逆立っちまってるじゃねーか!」
「凄い蓄電性能ですね。良かったですね、変態から乾電池にランクアップしましたよ」
「ランクアップしてなお無機物と同レベルか俺はぁ!?」
「えい」
「あばばばばばばばばば!」
感情のまま詰め寄ろうとした総真を、少女の改造スタンガンが無慈悲に撃ち抜く。
「射、射撃まで、出来る、だと」
「短距離限定ですけどね。威力も落ちますし。というか貴方には学習能力が無いんですか? 私を襲うなんて無理だって分からないんですか? 馬鹿ですか? 変態ですね」
「違うわぼけぇ!」
怒る総真だが、今度は近づかなかった。流石に無駄だと、憤る感情の中でも理解したのだ。
溜息と共に怒りを吐き出す。少しは冷静になった頭で、今度はもう少しまともな話をしようと切り出した。
「さっきの、遮断時流だろ? お前、時流者だったんだな」
「みたいですね」
「みたいって……本当に記憶喪失なのか? にしちゃあ、迷う事もなく遮断時流を展開出来てたみたいだが」
「良くあるでしょう、思い出だけ失くして知識はある、という奴です。後は身体は覚えている、とも言いますか。それ位予想がつかないんですか?」
「いちいち棘のある奴だな。じゃあ名前は? それも分からないのか?」
「分かります」
沈黙。数秒、互いに黙って見詰めあい、
「……そこは名乗る流れじゃないのか?」
「何で貴方に私の名前を教えなければならないんですか? 第一、相手の名前を知りたいのならまず自分から名乗るのが常識というものです。知らないんですか? 知らないですよね、だから変態なんですし」
「その名前から何かしら手掛かりが掴めるかもしれないだろぉ? 後俺の名前は四速総真だ、これで良いかぁ?」
怒りを懸命に抑え込み、総真は己の名を名乗る。
ぎりぎりと音が鳴る程に握り締めた拳を解き放ち、拳骨の一つもかましてやりたい所だったが、また感電する未来が見えたので止めておいた。
くそう。これだから時流者というのは反則なのだ。
「冴えない自己紹介ですね、まあ良いでしょう。私も、自分が何者かは知りたい所ですし。名残 冷夏です、冷夏様と呼ぶ事を許しましょう」
「へー、冷夏様かぁ。いい名前だなー、冷夏様。しかし心当たりは特に無いなぁ、冷夏様ー」
「……冷夏で良いです。貴方に様付けで呼ばれると、何だか無性に腹が立ちます」
どうやら、わざと『様』を強調して呼ぶ作戦は上手くいったらしい。
よっぽどのアホか本当に高位の立場にでもない限り、他人に様付けで呼ばれるなど大概の人間は拒否するものだ。
一つやり返せた事で気を良くしながら、総真は続いて質問を投げかける。
「で? その残ってる知識の中に、何かしら自分の素性を示す手掛かりになるようなものはないのか? 或いは携帯なり学生証なり持ってるとか」
「いいえ、何もありませんが。……信じたんですか? 私が記憶喪失だと?」
「ああ、そうだが。何か問題でも?」
「いえ。そうですね、馬鹿の思考を理解しようとしたのが間違いでした。常人には理解出来ないからこそ、馬鹿でしたね。後、変態です」
「変態じゃないからぁ! 馬鹿かもしれないけど、そこだけは否定しておくっ!」
「はいはい、ソウデスネ。しかし、持ち物ですか」
冷夏が自身の全身をまさぐりだす。おそらくは何か手掛かりが無いか、と探しているのだろう。
しかしノースリーブのシャツに短いスカート、という出で立ちの彼女には大して探る場所も無かったらしく、直ぐに肩を竦めて此方に向き直った。
「駄目ですね、何もありません。強いて言うならばスタンガンの予備バッテリーが二つ程、ポケットに入っていた位でしょうか。これで心置きなく貴方を乾電池に出来ます」
「止めろぉ! 流石にそんだけ撃ちこまれたら死ぬぞ、俺も!」
「気を失っている少女を家に連れ込むような変態なんて、死んでも良いと思いますが」
「俺の善良な心に謝れっ!」
くそう、何とかこの少女を一泡吹かせられないものか。
抗議しながら総真は己の脳みそをフル回転させた。そうして一つ、思い至る。
(そうだ、これなら――)
思うが早いか、にやりと笑みを浮かべそうになる顔面を必死で抑えて、早速行動に移した。
「……? 何ですか、この手は。セクハラしたいんですか?」
「握手だよ、握手。このまま言い争っていても何も事態は進展しないしよ、ここらで仲直りしておこうと思ってな」
「そう言って、私に触りたいだけなのでは?」
「違う違う。お前だって訳の分からない状況だろうし、協力者は欲しいだろ?」
「…………」
無言でじっと差し出された手を見詰める少女だが、彼の言い分も最もだと考えたのだろう。
そっと自身の右手を伸ばし――
「やっぱり拒否します。何だか、嫌な予感がするので」
「おいおい、そりゃないだろ。ほらっ」
「だから拒否すると言ったはずです、この変態」
ばしん、冷夏が差し出された手を叩く。
途端――ごとりと音を立てて、総真の右腕が床に転げ落ちた。
「は……?」
呆けた声を出す冷夏。そんな彼女の前で総真は先の無くなった右肩を抑え込み、その場に蹲ると叫びを上げる。
「ぐ、ぐぁぁああああああ! れ、冷夏、お前ぇえっ!」
「は、あ、え?」
事態が呑み込めず、目を見開いて痛みに体を震わせる総真とその右腕との間で視線を往復させていた冷夏だが、やがて徐々に理解が及ぶとその顔を青白く染め上げた。
「時粒子による身体能力の強化がどれ程か、知識があるなら知ってるはずだろうがっ! よくも、よくも俺の右腕をぉ……!」
「え、いや、私は、そんなつもりじゃ……」
硬直し、動く事も出来ずただ小さな身体を震わせる。
その様子に『もう良いか』と判断した総真は落ちた右腕を拾い立ち上がると、呆然とする彼女に言い放つ。
「なーんて、嘘でしたー」
「は……?」
「ほらこの通り、元から義手なんだよ、俺は。お前が手を叩くのに合わせて、その結合を解いたって訳。あんな軽く叩いただけで腕がもげる訳無いだろー、血も出てないし」
ぷらぷらと右腕を揺らしその機械的な断面を見せてやれば、漸く真実に気付いたらしい冷夏は俯き、先程までとはまた違った理由で体を震えさせている。
あ、やべ、と直感で悟った。
「いい度胸ですね、貴方は。乾電池ではなく、黒こげのステーキになりたいと」
「あ、いや、ほらちょっとした茶目っ気って奴じゃないか。そう怒らなくても」
「茶目っ気? ふふ、そうですか、ステーキではなくハンバーグがお好みみたいですね」
スタンガンを持つ方とは逆の拳を力一杯握り締める彼女の姿に、頬を冷や汗が通るのを感じた。
これは、本気でまずい。冗談抜きで生命の危機だ。
「落ち着けええええ! それは駄目だって、今度こそ本気で死んじゃうって!」
「安心して下さい。死なない程度に甚振って、死ぬほど後悔させてあげます」
「やっば――!」
素早く右腕を再接続。腕を振りかぶる彼女に合わせ、左腕を盾のように前に出すと、右腕で支える。
直後、同年代の少女のものとは思えない程衝撃的な威力を持った張り手が、左腕に叩き付けられた。
「ぐうっ!」
「……今の感覚、貴方もしかして」
衝撃で数メートルは飛ばされながらも、何とか立っている此方に目を向けた冷夏が、訝しげに呟く。
どうやら大分怒りも霧散したらしい彼女の疑問に、総真は肩を竦めて答えた。
「あんだけ強く叩けば流石に分かったか? お前の思っている通り――左腕も、義手だよ」
「……右腕の時も思いましたが、一体どんな超技術を使っているんです? 確かに此処数十年で義肢技術は飛躍的な発展を遂げましたが、流石にそこまで精巧な義手の開発には至れていないはずです」
「何、知り合いに天才博士が居てな。その百年も二百年も進んだ技術で何とかしてもらったのさ。ああ後ついでに言うと、両足と片目もだな」
さらっと告げられた事実に、冷夏はその双眸を僅かに見開いた。
四肢全てが義肢。おまけに片目も義眼。だがこれまでの彼の動きを見る限り、そんな兆候は露ほども見えなかった。
嘘かとも思った冷夏だが、一度外れた右腕と左腕の奇妙な感触が真実を告げている。ここまでくれば、恐らくは残りも真実なのだろう。
「事故ですか?」
「まあな。ちょいと昔にでかい事故に巻き込まれてよ、両親もその時他界した。博士と知り合っていて助かったぜ、でなけりゃ今頃車椅子生活だ」
口調とは裏腹に、その内容は非常に重苦しいものだった。これには冷夏も罵倒は吐けず、居心地悪そうに僅かに俯く。
そんな彼女を見て総真は困ったように頭を掻くと、
「俺の事はどうだって良いだろ? 今はそれよりも、お前の事について、だ」
「そう、ですね。変態の過去には興味ありませんし、どちらかといえばその天才博士の方に興味があります」
「口の減らない奴だなぁ。しかし、博士か。そうだな……」
顎に手を当て、考え込む。
突如黙った総真に訝しげな目を向ける冷夏だが、彼女が口を開くよりも早く、彼の考えは纏まった。
「丁度良い、なんなら一緒に研究室に行くか?」
「はい? 何ですか、私の脳でも調べるつもりですか。そんな事をした所で、記憶を取り戻す事なんて出来ないと思いますけど」
「そうかもしれないが、一応脳に損傷があるかどうか位は調べた方が良いだろ? それにもしかしたら、博士が天才的なテクノロジーで何とかしてくれるかもしれないしな」
「望み薄な気もしますが」
「聞いてみなけりゃ分からんさ。それにこのままじゃお前、泊まる所も無いだろう? 研究室になら宿泊施設も整ってるし、暫くはそこで寝泊りすれば良い」
「おや、意外ですね。てっきりこの家に住めよ、とか言い出すのかと思っていましたが。そうして夜寝静まった所で、少女の未成熟な体を貪りに……。ド変態に格下げです、おめでとう御座います」
「手前の勝手な想像だけで俺を貶めるんじゃねえ! はぁ。幾らなんでも、録に知らない相手を家に住まわせる訳にはいかないからな。その点研究室なら、セキュリティはしっかりしてる」
「最低限の危機管理意識はある、という事ですか。評価点を十ポイントプラスしてあげましょう。これで二百ポイント、ダイオウグソクムシに格上げです」
「そもそもが人間から下がってんだよ!」
怒鳴ってみるが、少女には何も効果無し。どころか白けた目で見られる始末。
おかしいのは俺なのか? と屈しかけた総真だが、気力を総動員して何とか持ち堪えた。男として、理不尽な暴力に屈してはならぬのだ。
「とにかく、もう行くぞ。俺も今日は大事な用事があるんでな、あまり遅れるわけにもいかんのだ」
「しょうがないですね。リムジンを用意して下さい、それから上等なワインも」
「高校生に何を求めてんだ。第一お前、俺と同じ位の歳だろ? 酒は飲めないだろうが」
「えー」
「えーじゃないっ! ほら、さっさとする!」
急かせば、冷夏は渋々といった様子で付いてくる。
彼女と共に家を出ながら、思う。
(前途多難な一日になりそうだ)
その予感が一週回って更に斜め上の方向で的中するはめになるとは、この時の総真には想像出来る訳も無く。
今はただ、やけに晴れ渡った空から降り注ぐ陽光に目を細めるのが精一杯であった。