第十六話
「トップ・ワン!」――Top One!――
戦闘が始まってまず真っ先に、総真はクララの顔面を殴りに掛かった。
四肢から放出されたリージェネレイト・エネルギーが瞬く間に彼の身体を加速させ、弾丸のように突っ込ませる。
振り上げられる右腕。肘からエネルギーを吐き出し加速するその凶器を眺めながら、クララは遮断時流の中で薄っすらと笑う。
ゆらり、後ろに倒れこむ。同時に振り上げられた右脚の底が、総真の拳を受け止めた。
同時に左脚で地を蹴れば、彼女の身体は勢いに乗って背後へ高速で吹っ飛んだ。くるりとバク宙、華麗に地面に着地する。
「それで逃げられるかよっ!」
――Top Two!――
距離を離そうとするクララを見据え、総真はトーレン・ライドのギアを上げる。
更なる加速を得て飛翔する。景色は線となって流れ、距離は瞬く間に零と化した。
勢いのまま左脚を薙ぐ。鞭のような一撃。狙いは即頭部、上手く行くなら後頭部。
ビュウン、と風切音を鳴らして左脚が振るわれて――少女の華奢な右肘が、がっちりと受け止める。
「ちっ、分かってたが……身体能力も一級品かっ」
「超・一級、だよ。それにしてもその機構といい、この感触といい……君の手足は一体、どうなっているのかな?」
「はっ、色々あってな。全部義手・義足だよっ」
体勢低く回転、総真の右脚が鎌となってクララを襲う。
呆気なく、少女の脚部は刈り取られた。スパン、と小気味良い音と共に彼女の身体が宙に泳ぐ。
あれ? と刈り取った総真の方が目を丸くする。
(おかしいな、こいつならこの位、余裕で捌いてくると思ったのに……)
正真正銘、クララは世界一の実力者なのだ。この程度、捌けなくてはおかしいはずである。
彼女をよく研究していたからこそ強く疑問を抱き、戦闘時以外の彼女を良く知らないからこそ、総真は気付かない。
クララが彼の四肢が義肢となっている事に動揺し、攻撃を受けてしまった――などという真実には。
(そ、総真君が義肢って……一体何があったの!? そういえば昨日訊ねた時もご両親の影も形も見えなかったし、もしかして僕と離れた後、何か酷いことが……!?)
驚愕に心を打たれながら、クララは辛うじて身体を動かし受身を取った。
素早く手を床に着き、バク転の要領で起き上がる。ついで二回・三回と回転、一気に総真から距離を取った。
今度は総真、追いかけない。あまりに呆気なくクララが攻撃を受けたせいで、逆に何か企んでいるのではないか、と警戒したのだ。
互いに十メートル程の距離を取り、見詰め合う。
「おい、クララ。お前何処まで手を抜くつもりだ? そんな調子だと、本当にあっという間に終わっちまうぞ」
「ふん、僕がどう戦おうと僕の勝手だろう。君に強制される謂れは無いね。けど、まあ……確かにちょっと、君を侮りすぎていたかな」
一先ず今は、この戦いの事を考えよう。
そう動揺を押さえ込んだクララは、露骨な嘆息と共に両手を挙げ肩を竦めると、総真へと背を向けた。
思わず眉を顰める。
「お前、本当に何のつもりだよ。後ろから殴って欲しいとでも言うつもりか?」
「まさか。君も望んでいるようだし……せっかくだから、本気で戦ってあげようと思っただけさ」
言って、クララは右手を真っ直ぐ天に向かって伸ばした。
パチン、と格好付けて指を鳴らす。
「さあ姉さん! 『アレ』を出してくれ!」
――シーン。
何も起こらない。静寂が場を満たす。
あれ、とクララがきょろきょろと当たりを見回し……自分の向いていた方向と真反対に居る姉を発見して、大声を上げた。
「あー! 何やってるのさ姉さん、そんな所で!」
「何って……皆さんにご挨拶に。大事な事でしょ?」
「そんな事はどうでも良いのさ! カルバリオ・ランチャーを用意しておいてって、僕言ったよね!?」
「ええ、勿論。だからこうして、ちゃんと用意しているじゃない」
距離が離れているため大きめの声で答えていたメルトが、傍に置いてあった灰色のケースを持ち上げる。
かなりの大きさだ。中学生くらいの子供ならば余裕で入るだろう。造りもしっかりしており頑丈そうで、そんなものを軽く持ち上げる辺りやはり彼女も時流者という事なのだろう。
飄々と妹の怒りを流すメルトに、正確に言えばその手の物と彼女等の会話に、総真はやっと来たかと気を引き締める。
クララが、ぷんすかと怒気を立ち昇らせた。
「全くもう。それじゃあ早く、それ頂戴!」
「良いの? 昨日は『こんなもの使わなくても余裕だけどねっ』とか自信満々の顔で言ってたじゃない」
「それはそれ。別に使わなくても勝てるのは事実だけど、憐れな総真君の為に使ってやろうって言ってるのさ。何せこんな機会でもなければ、彼が本気の僕と対峙出来る事なんて一生ないからね!」
総真を嘲りながら、腰に手を当て嘲笑するクララ。
そんな彼女に呆れながら、メルトはケースを床に置くと開け放つ。
そうして中の物を手にとって、
「それじゃあ、投げるから。ちゃんと受け取ってよ~!」
「もっちろん! さぁ来い、カルバリオ・ランチャー!」
妹の催促に応じ、勢い良くぶん投げた。
巨大な重量物が宙を飛ぶ。常人ならば押し潰されるような『それ』をしっかりと手にとって、クララは腰溜めに構えた『それ』の銃口を総真に向ける。
「ふふん、これこそが僕の本気。カルバリオ・ランチャーだ! どうだい驚いたかい、総真君っ」
ドヤ顔のクララの手には、一丁の銃砲があった。
ただの銃では無い。重機関銃よりも巨大で、まるで玩具のような色彩と子供染みた格好良さを追求したデザインは、多くの人間が非効率的だと言うだろう。
だが侮る無かれ。これこそが、クララ・ミッシェルハートという人間を時流者の頂点たらしめている要素の一つなのだ。
クララが、銃砲のトリガーに手を掛ける。
「ふふん、どうした総真君。驚いて声も出ないかい?」
「いや、別に。ってか驚く要素は特にないだろ? お前のそれは有名だし」
冷静に、総真は返した。
彼女はあの武器を去年、どころか一昨年の世界大会からずっと使用している。故に総真どころか西加も冷夏も、この場の誰も驚く訳がないのだが、目論見を外されたクララは一人頬を膨らませ癇癪を起こす。
「くぅぅ、総真君のくせに生意気なっ」
「はいはい、生意気で結構。しかしやっと出してきたか。これで俺も本気が出せるぜ」
「へぇ? 今迄は本気じゃなかったと? この僕と戦っているというのに、総真君ごときが?」
「ごときは余計だ。……お前に勝てればそれで良いと思っちゃいるが、流石にそこまで手を抜かれて勝てても釈然としないからな。様子を見てたのさ」
「ふふんっ、なら見せて貰おうじゃないか、君の本気を。その上で叩き潰してあげよう、君の全力を!」
「ああ、良いぜ。勝つのは俺だけどな。――トーレン・ライド、トップ・スリー!」
――Top Three!――
総真の心臓部に埋め込まれたαレンド機関が激しく鳴動する。
エネルギー伝達ケーブルと化した全身の神経を膨大な量のリージェネレイト・エネルギーが駆け巡り、呼応するように意識は更に高速化した。
万事問題無し。博士の調整が完璧な事を実感して、総真は口の端を吊り上げる。
「さあやろうぜ、クララ・ミッシェルハート。準備運動はお終いだ。こっからが正真正銘、本物の喧嘩だ――!」
「ははは、余り思い上がられては困るな。これは喧嘩じゃない。僕による、一方的な蹂躙さ――!」
総真が飛び出すと同時、クララがトリガーを引き絞る。
瞬間的に展開された遮断時流の中に、吐き出された弾丸がばら撒かれた。
それらは本来有り得ない――通常空間に置ける弾丸のような――速度で遮断時流の中を飛び、総真へと殺到していく。
「どうだい、僕の『アクティブ・レイド』は! 他の時流者には不可能なこの遮断時流内での飛び道具の使用こそが、僕が特別である事の確固たる証なのさ!」
――通常、時流者は遮断時流の中に置いて、銃器などの飛び道具を使用する事が出来ない。
いや、正しくは使えないのではなく、使わないのだ。何故なら、使った所で意味がないから。
例え銃を使ったとしても、遮断時流の中では放たれた瞬間、弾丸は遅くなる。相手に通じるものではなくなってしまうのだ。
それは当然物を投げた時も同様であり、これは時流者の特性――身に付けている物以外には、時粒子を付与できない=遮断時流の中で速度を維持出来ない――のせいなのだが、彼女、クララ・ミッシェルハートだけは例外だった。
「僕だけが、この停滞した世界の中で飛び道具を扱える。僕だけが、皆の手の届かない場所から攻撃出来る。絶対的な速さと、圧倒的な『遠距離攻撃』の所持――それこそが、僕。これこそが、世界最強!」
高笑い、クララが銃を乱射する。
圧倒的な弾幕を前に総真は近づくことが出来ない。近づけないのでは殴れず、殴れなければ勝つことは出来ない。
正に一方的。幾ら総真に機動力があろうとも、状況は織田の鉄砲隊に挑んだ武田の騎馬隊の如く絶望的だった。
だが彼がかつてのそれと違ったのは。事前に相手の情報を知り尽くし、対策を考える事が出来た、という点である。
「見てな。その余裕顔……引きつらせてやるぜっ」
拳を握り締め速度を上げる。
避けに徹する彼が動きを変えたのは、それから間も無くの事だった。
~~~~~~
「やはり状況は一方的、みたいですね」
観客席から戦う二人を見下ろし、冷静に呟いたのは同じく遮断時流を展開した冷夏である。
眼下の戦いはあまりに速く、時流者の冷夏をしても把握しきれるものではなかったが、それでも総真が圧倒されているという事くらいは容易に分かる。
停滞した時間の中で、返る声は二つ。
「あれでも自慢の妹だからね。伊達じゃないのよ? あの子の実力は」
「……ですが、総真様とて確かな実力を持っています。このまま終わることなど、有り得ません」
陽気なメルトと、ちょっとむっとしたアルトリーナである。
拙い遮断時流を展開し辛うじて戦いを観戦しているメルトに対し、アルトリーナは機械らしい高性能なモニターとセンサーで戦いを見ていた。
普通の機械では不可能だが、アルトリーナは天才の博士製。世界最高峰の速度領域にも、充分付いて行けるのだ(戦えるかは別である)。
残る一人、博士に関しては……残念ながら、会話に参加出来そうには無い。彼女は自身の発明品である望遠鏡と、意識の高速化によって一応観戦は出来ているのだが、流石に会話までする余裕はないのだ。
くす、とメルトが失笑を漏らす。
「気に障ったのなら御免なさい。けどこっちとしても、世界一の時流者であるあの子が簡単に負けたりしたら、青天の霹靂も良い所よ。常識的に考えたら、どうしてもこのまま終わるとしか思えなくてね」
「そうですね、私も同意します。世界一って、そんな簡単な壁じゃないと思うんですよ」
「あら、賛同ありがとう」
「ですが」
あくまで静かな声で、冷夏は言う。
「アルトリーナさんの言う通り、このまま終わりではないでしょう」
「あれ、意外。貴女はわりと中立……っていうか、むしろこっち側かと思っていたのだけれど」
「そうですね。別に総真さんの肩を持つつもりはありません」
でも、と呟いて彼女は続けた。
「彼が何年もクララさんを打倒しようと、努力して来た事は聞いていますから。まさか馬鹿で単純な総真さんでも、無策で此処まで来ることはないでしょう」
「へぇ。彼のこと、信じてるんだ」
「……そんなんじゃありません」
「ふふ、そう。そういう事にしとこうか」
頬を赤らめそっぽを向く少女に、メルトは笑う。
同時に、あの子にライバル登場かなー、何て思っていた。
と、戦場から鳴り響いた轟音に、視線を二人の戦いへと戻す。
「あーらら、あんなに派手にやっちゃって。あの子、本当に嬉しそうねぇ」
「……まぁ、嬉しそうではありますね。高笑いしながら榴弾をぶっ放すなんて」
「煙が上がっちゃって、観戦してる側からすれば迷惑だけど。流石にあの子も、爆発で上がる煙にまでは時粒子を付与出来ないし」
停滞した時間のせいで、戦場にはもうもうと噴煙が立ち込めていた。
風に流され、ゆっくりと薄茶色の煙が動くその中を、変わらず少年は翔け続けている。
頬に汗が滲んでいるのが観客席からでも分かった。公式戦でも使われるカルバリオ・ランチャーは通常弾・榴弾共に殺傷力を落としてあるはずだが、それでも充分な凶器である。
総真は兵士でも何でもない、ただの一・高校生だ。そんな彼が受けている恐怖やプレッシャーは、きっと相当なものだろう。
「でも、それでも。きっと貴方は戦う事を、止めないんでしょうね」
「ん? 何か言った、冷夏ちゃん?」
「いえ、何でもありません。それと冷夏ちゃんとか呼ばないで下さい、馴れ馴れしいです」
「あはは、御免御免」
全く悪びれる気のなさそうなメルトに溜息を吐き、冷夏はじっと眼下の総真を見詰める。
馬鹿な人だ、と思う。幼少期の挫折や嘲笑など、多くの人間が経験する事だ。経験して、その上で他愛無い事と流し、今を生きている。
なのに彼は、そんな小さく些細な事にずっと拘っているのだ。拘って、そのせいで実戦の恐怖に汗を搔いている。怯え、必死に歯を食いしばっている。
どうしようもない位に馬鹿だ。本当に、本当に、馬鹿で子供で――
「でも、ちょっと格好良いじゃないですか。そういうの」
誰にも聞こえないように呟いて、冷夏は薄っすらと唇で弧を作る。
心の中で。小さく『頑張れ、男の子』という言葉が漏れた。




