第一話
――嗚呼、彼が行く……。
壊れかけた世界をその身に背負い、
重すぎる未来をその両手足に括り付け、
意地と想いだけがその心を僅かに支える。
他に居ないからこそ彼は行き、
他に居ないからこそ行かねばならぬ。
無限の空に微笑む彼を、送るこの身が恨めしい。
きっと無力な私さえ、彼は背負って飛ぶのだろう。
だから、願い。故に今、彼は行く――
~~~~~~
「いやったぁぁあああああああアアアアアアアアアアア!!」
小さく白い研究室の中に響き渡る、荒々しく甲高い少女の声。
その嬌声に思わず耳を抑えながらも、四速 総真はこの研究室の主である年若い少女――いや、幼女へと問い掛けた。
「なんだなんだ、急に発情した獣みたいな声上げて。そんなに喜ばしい事があったのか、西加」
「博士と呼べと言ってるだろぉ総真あああああああああ!」
「いってえ! 物を投げるな、糞幼女!」
常からテンションの高い事の多い物宮 西加こと博士であるが、それにしたって今のこの様子は流石に異常だ。
この前九歳の誕生日を迎えた時だってこんなに狂喜乱舞してはいなかった。徹夜明けのハイテンションな訳でも無い、彼女は子供らしくいつも夜十時にはお眠だし、昨日もそうであったはずである。
意味が分かんねぇと首を傾げる総真に、幼女はびしっと指を突きつける。
「これが落ち着いていられるか! 遂に完成したのだぞ、遂に!」
「遂に、って……まさか、『トーレン・ライド』がかぁ!?」
思い至った可能性に、総真までもが異常に気分を高揚させる。
思わず座っていた安っぽいパイプ椅子から立ち上がり、博士へと一気に詰め寄った。
もし彼女の言っている事が本当だとしたら、それは正に自分の、いや自分達の悲願の達成に他ならない。とてもでは無いが落ち着いている事など出来はしなかったのだ。
「そうだっ! 問題になっていた制御システムの欠陥が、遂に解消されたのだ! これで後は最終調整さえ済ませれば、トーレン・ライドは完成だっ!」
「ま、まじかよ……。いやっほぉぉおおおおおおおおおう! さっすが博士、天才だぜぇぇええええええええ!」
「そうだそうだ、もっとこの私を褒めろ総真あああああああ!」
たった二人の研究室に、絶える事無く響き続ける絶叫の渦。
結局この後三十分間、彼等は意味の分からない叫び声を上げ続けていたそうな。
~~~~~~
時流至断理論、という理論をご存知だろうか。
2025年現在からおよそ百年前、突如世に顕れた一人の天才が提唱した特異にして奇怪な理論の事である。
その内容を一言で纏めるならば『時間の操作』、これに尽きる。
夢のような内容だが、当初世界はその理論を否定した。当然だ、誰もがそんな事出来るはずが無いと思っていたし、実際その理論を読んだ研究者達は皆欠片も理解出来ず狂人の戯言と断じて終わらせたのだから。
だがしかし、天才はそれで終わらなかった。凡人にも理解出来るように、とダウングレードした理論を新たに発表し、実演さえしてみせたのだ。
これに、手の平を返したように世界は喰いついた。正に夢が現実になった状態なのだから当然だろう。
そうして多くの人々による研究を経て、現在。世の中には『時流者』と呼ばれる時流を操る事の出来る者達が一定数、存在している。
それは詰まり時流至断理論の体現者、という事なのだが、問題が一つ。
この時流者、誰でも成れる訳では無いのである。
時流者として時間を操作するには、『時粒子』と呼ばれる特殊な粒子を必要とする。だがこの粒子、特定の人間にしか生成する事が出来ないのだ。
おまけにその性質上、生成者自身にしか扱えない。既にその人の色に染まってしまっている為だ。
結果世の中には、時流者に成れる者と成れない者、という明確な線引きがなされる事となった。しかもその差は非常に激しく、99.999%の人間は時流者になれない、というのが実情である。
時粒子が身体を活性化しその能力を大幅に引き上げる特性を持つ事も相まって、世界の要は既存の科学武力から時流者へと変移した。特権的な権利も与えられ、今や子供の成りたい職業第一位は時流者な時代である。
そして此処、敷島高校物宮研究部に所属する四速総真もまた、その時流者で――は、無かった。
「いやー、これであの憎きあん畜生に一泡吹かせられるぜ!」
「相変わらずだな、総真は。そんなにあの時流者が憎いのか?」
両の拳を握り気炎を上げる総真に問えば、ぐるんと身体ごと振り向いて、
「おうともよ。あいつだけは絶対に許せねぇ。博士にも前話しただろ?」
「時流者に成れないお主を、散々馬鹿にしてきたんだったか」
「そうだ! 今でも思い出せるぜ、あいつのムカつくチンパンジーみたいな小馬鹿にした顔をな!」
幼い頃、総真もまた時流者に成りたい、とそう願っていた時期があった。
時流者に成る為の条件である時粒子生成の有無は、生まれた直後ではなくそれから暫く経った後でなければ判断出来ない。早ければ五年、遅くとも八年で、十歳を超えて尚観測出来なければもう希望は零と言って良い。
逆に言えば、十歳までならば誰にでもチャンスはあるという事なのだ。当時の総真もまた大多数の例に漏れず自身が時流者に成る事を夢想し、しかし結局十を超えても彼から時粒子が観測される事は終ぞ無かった。
そうして失意に沈む総真に声を掛けて来たのが、同じクラスに居た憎きあん畜生であったのだ。
六歳の時に時流者として目覚め、その高い素養で天才と持て囃されていたあの糞畜生は、此方を思いっきり見下すような目と態度と表情でこう言ってきた。
『あれ~? 総真君、そんなに落ち込んでどうしたんだい? そういえば今日は、君の最後の時粒子測定の日だったよねぇ。結果を教えてくれよ、あんなに時流者に成りたい成りたい言っていた総真君なんだから、当然観測されたんだろう? 僕としてもさ、お仲間が増えるのは嬉しいし、どうだい? この後一緒に特訓でもさぁ』
妙にねちっこくていやらしい喋り方だったと、総真は記憶している。それこそ、今思い出しても激しい怒りが湧いてくる程に。
しかもそれで終わりではないのだ。ぷるぷると震える子供総真に、更にあん畜生は容赦なく追撃を繰り出した。
『んん? どうしたんだい、何も言わないで。まさか君……観測されなかったのかい!? これは驚いた、あの総真君がねぇ! 絶対時流者に成ってやると、散々息巻いていたあの総真君がか! いや~、悪い事を言った。僕はてっきり君の事だから、限りなく可能性の低い十歳の計測でも、逆転ホームランを決めて時流者に成ってくれると思っていたんだけどねぇ! そうかそうか、成れなかったのか。時流者に、成れなかったのか、君は!』
ぶち切れた。殴りに掛かった。が、時流者であるあん畜生にそんなものが通じるはずが無く、呆気なく返り討ちにあった。
それ以来、総真の中で打倒時流者が目標の一つとなった。どんなに無謀と言われようとも、必ずやあの畜生をぶっ飛ばすと、彼は心に誓ったのだ。
「でもその畜生君は、今や時流者の実力を競い合う世界大会で優勝する程の腕前なんだろう?」
「ああ、ふとテレビを点けてあいつの顔が映っていた時は、まじで頭がおかしくなったのかと思ったぜ。だがな、どんなに目標が高くても俺は諦めねぇ! その為の研究、その為のトーレン・ライドだ!」
「トーレン・ライド……時流者で無い者が、時流者に対抗する為のシステム、か。確かに現状の時流者は時を操ると言っても、止めたり戻したり飛ばしたり出来る訳じゃないから、これで対抗出来るだろうが。よくもまあ、こんな無茶苦茶を思いついたものだ」
ダウングレードされた理論を基にしているせいか、時流者の時間操作は完璧には程遠い。
現状の彼等が出来るのは、精々『遮断時流』と呼ばれる特殊な時流に自分を置く程度の事なのである。
だがこの遮断時流が凶悪だった。まさに他者と違う時間の流れを持つそこでは、周囲の時間の経過が百分の一にも千分の一にも成り得るのだから。
底上げされた身体能力と合わせれば、銃弾だって豆鉄砲より貧弱になる。世界の武力意識が一変するだけある訳だ。
「その点に関しちゃ、博士には本当に感謝してる。俺の考えた馬鹿みたいなシステムにきちんとした形を与えてくれたのは、博士だからな」
「はっはっは、そうだろうそうだろう。この天才足る私だからこそ、あんなアホな構想を実現出来たのだ! もっと褒めろ総真ああああああ!」
「よっ、博士は正に世界一の幼女だぜえ!」
「幼女じゃなーーーーーーーーいっ!」
怒った西加にぽかぽかと殴られながら、総真は思う。
本当に感謝している、と。誰が見たって無理難題な、正に子供の妄想と呼べるようなシステムだったのだ、トーレン・ライドは。
博士がいなければ間違いなく実現出来なかった。きっと無理だと、何処かで諦めてしまっていた。
だから伝えても伝えきれない程に、博士には感謝しているんだ。最も、恥ずかしいのでそこまでは言わないが。言えばこの幼女の事、からかってくるのは目に見えているし。
「ふん、まあ良い。大天才である私はこの程度では怒らないのだ」
(思いっきりぶち切れてたじゃねぇか)
「とにかく、総真!」
びしっ、と格好付けるように此方を指差してくる幼女。薄紫色の長髪が腕に絡んでいるが、痛くは無いのだろうか。
「私はこれより泊まりこみで最終調整を行う。お主は明日の実践に備えて、帰って体を休めておけ!」
「良いのか? どうせなら、俺も泊まりこみで手伝うが」
「馬鹿者、実際にこのシステムを使うのはお主なのだぞ。そのお主が万全でなくてどうするというのだ」
幾ら天才とは言っても、西加は神様では無い。予期せぬ事故、という可能性はどれだけ見直し煮詰めても存在する。
そんな危険な事故を少しでもなくす為にも、被験者でもある総真はなるべく調子の良い状態の方が良いのだ。
「安心しろ、私とて寝ない訳では無いっ。ただ、此処に通う時間の無駄が惜しいだけの事だ」
「そうか。そういう事なら、お言葉に甘えるよ。んじゃまた明日な、西加」
「博士と呼べと言ったろああああ! この盆暗があああああああああ!」
「いって! だから物を投げるな、この糞幼女があああああああああ!」
暫く叫んでじゃれあい、二人は別れた。割と何時もの研究室の光景である。
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予想外の事態、というのは何時だって起こり得る。
だからこそ何があっても良い様に備えておく事が大切なのだが、本当の不測の事態というものは、全く思いもよらぬ方向から来るものだ。
だからこそ、予想外。それは今回とて同じ事。
切欠は次の日の朝。博士を手伝う為早い内から研究室に行こうとした総真が、玄関の前に倒れる一人の少女を発見した事から、騒動は始まった――。
「それで君、誰?」
「どうも、記憶喪失の美少女です」