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〈森の民〉の物語  作者: 冬木洋子
7/10

番外編『テル・トールマンの手記』(3)


 セレタは、夏と冬とで、その姿を変える。

 彼らは、夏は地上で――半ばは樹上で――、冬場は主に地下で暮らしているのだ。


 セレタの『夏の家』は、大きな母屋を取り囲むように個人あるいは数人用の小さな『寝小屋』が散在する形である。

 寝小屋の多くは、樹上に設けられている。私は体重が重いため――言っておくが決して太っているわけではなく、〈森の民〉に比べて重いというだけである――樹上の寝小屋に登ったことがないが、下から見上げると、巨大な鳥の巣のようである。下からでは木の葉に隠れてよくわからないが、簡単な屋根や壁もあるそうだ。小屋に出入りするためには縄梯子を垂らしてあるが、身の軽い子供や若者は、縄に構わずするすると木に登り、降りる時も、縄を伝わず飛び降りることが多い。縄は小屋の入り口以外にもあちこちの枝から垂らしてあって、それにぶらさがって枝伝いに互いの小屋を訪ね合ったりすることもでき、夏場のセレタで樹上を見上げれば、子供たち若者たちが猿か小鳥のように枝から枝へと身軽に渡る姿がひっきりなしに見られる。

 年をとったもの、たまたま木登りが苦手なもの、そうでなくとも樹上より地上を好むものは、地面に個別の、または数人共同の寝小屋を建てており、私もそうした寝小屋を一つ与えられている。私は身体が大きいので、彼らはわざわざ私用に、一回り大きな小屋を建ててくれたのだ。それでも小屋の中で立ち上がることは出来ないが、彼ら自身の寝小屋の天井も、通常は、座ったり寝そべったりする高さしかない。日中のほとんどを戸外で過ごし、炊事も食事も母屋で済まして、寝小屋は寝るだけの場所なので、それで十分なのだ。

 これらの寝小屋は、一夏だけ使われ、翌年はまた新しく作られる。


 彼らは基本的には木を伐らない。そういう文化なのである。木の種類や季節によっては、若木を間引くことや枝葉や樹皮を採取することがあるが、大きく育った木を根本から伐り倒すのは、ごく限られた特別な機会のみである。なので、彼らの一夏用の寝小屋は、主に、束ねた細枝や葉、草を編んだ筵などで作られる。

 恒久的な建物である母屋には特別な機会に伐った木も使われているが、太い丸太や板を使っているのは柱などの基本構造だけで、屋根は樹皮と乾燥した草で葺き、壁は編んだ細枝で出来ている。そういうと掘建て小屋を想像するかもしれないが、造りは精緻で、風雨にも耐えうる堂々とした館であり、見た目にも、やわらかな丸みを帯びた屋根がどことなく可愛らしい。

 巨大な平屋建ての母屋には、共同の炊事場と、雨天時には様々な手仕事の共同作業場にもなる大食堂兼集会場、世話の必要な病人や長老格のものたちの居室、セレタの財産を収める物置き部屋、半地下式の食料貯蔵庫などがある。炊事場や食堂には巨大な一枚板のテーブルや切り株の椅子など、立派な木製の家具もある。細枝を編んだ、籐細工のような家具も使われている。

 また、隣接する別棟として、湯屋や、赤ん坊を共同で保育する『赤ちゃん部屋』がある。

 その他に、セレタの中には、燻製小屋や、染色や皮なめしなど各種の作業小屋が点在していて、これらもある程度恒久的な建物らしい。


 『冬の家』は、地下にある。セレタの地下に巨大な洞穴があって、冬場は皆でぬくぬくとそこに篭もるのだ。

 これは、木の根の下に自然にできた空洞に幾年にも渡って手を加えてきたものだそうで、食料貯蔵庫を含む幾つかの室が通路で繋げられており、各室ごとに一箇所から数カ所、通風と採光を兼ねて、地上に通じる細い穴が掘ってある。この通風孔は、雪や落ち葉が直接降り込まないように、垂直の縦穴ではなく斜めになっており、その地上の開口部は、草葺の屋根をさしかけて雪で埋まらないようにしてある。だから居室に直射日光が差しこむことはないが、少なくとも真っ暗闇ではなく、日中は目が慣れれば周囲がぼんやり見える程度の明かりはあるので、細かい手作業等は無理でもたいていの用は貴重な蝋燭を灯さずとも足せる。

 皆が集う主室には灯火も置かれ、暖房と調理用を兼ねた暖炉があって、地上に通じる煙突が設けてある。この室は天井も高く、私でも頭がつかえないのがありがたかった。


 彼らはその『冬の家』で、冬の間の大半の時間を、のんびり眠ってすごす。といって、別に動物のように完全に冬眠してしまうわけではないが、明らかに夏場より睡眠時間が長いようだ。二倍は眠っている気がする。食料集めに忙しい夏場と違って、急ぎの仕事がないからだろう。

 ここでは、普段働き者で早起きな彼らも好きな時に寝たり起きたりして、起きている時は主室に集まって、昼間はおしゃべりをしながら様々な手仕事をするし、夕べには皆で、あるいは数人で集まって、炉明かりの元、物語を語ったり遊戯をしたり楽器を演奏したりして楽しむこともある。彼らは、子供たちのする他愛のない遊戯から、大人たちが木の盤を囲んで車座になって繰り広げる非常に緻密で複雑なルールに則った知的なゲームまで、様々な娯楽を楽しんでいる。


 私も一冬、この『冬の家』での暮らしを経験したが、彼らのように長く眠ることが出来ないため、時間を持て余して困った。男たちには外に狩りに行く機会もあったが、私は大きな音を立てたりして邪魔になるからと狩には連れて行ってもらえないのだ。

 が、彼らのうちのたまたま起きているものから様々な話をゆっくりと聞かせてもらうことができたし、たいして役立たないながらも手作業を手伝ったりして時間をつぶしたものだ。

 彼らの盤ゲームも教えてもらったが、一冬中負けっぱなしだったのは悔しいことだ。負け惜しみを言うようであるが、ルールが非常に複雑で簡単には覚えられない実に高度な遊戯で、彼らにあっても一人前の指し手になるには何冬もかかるのが普通だそうなのだ。

 そういえば、その際に気づいたことだが、彼らは、数の暗算に非常に長けている。このゲームには、勝とうと思ったら非常に複雑な計算が必要になるのだが、彼らはそれを、瞬時に暗算でやっているようなのだ。私は最初、それに気づかずに、なぜ彼らが巧みに作戦を立てられるのかわからずにいた。そのうち、計算によって作戦が立てられることに気づき、丸一日考え込んだ挙句にその計算式も割り出したが、その段階で、彼らがそれを暗算でしているらしいことに気づいて衝撃を受けた。

 私にはその複雑な計算が暗算できなかったので、棒きれで地面に数字を書いて筆算していて、彼らに、何をしているのかと不思議がられたものだ。

 文字を持たない彼らは数字も持たないが、何人かが私のしている筆算に興味を持ったので説明してみたところ、最初は概念をつかめず首をひねっていたものの、いったん事情を飲み込むとすぐに理解し、たちまち筆算ができるようになった。

 が、しばらく珍しがってやってみた後で、そんなことは別にいちいち棒きれなど持ち出さずともすぐわかるのに、なぜわざわざこんな面倒なことをする必要があるのかと、みな、止めてしまった。

 それで思い返してみたのだが、そういえば彼らは平素から、何十個の木の実を十何人で分けると一人幾つで幾つ余るというような二桁以上の計算を、考える様子も見せずに瞬時にやってのけていた。

 もとより知性の高い人たちであるとは思っていたが、これにはおそれいるばかりだった。

 これは彼らの種族的な特徴であり、生まれつきの特技であろうと思うので、私があのゲームに負けるのは仕方のないことなのである。


 彼らは、私有財産をほとんど持たない。個人の持ち物といえば普段に着ている衣服やわずかな身の回り品程度で、それも、『たまたまその人がいつも使っているもの』という程度の認識らしく、私有財産という概念自体があまりないようだ。明らかに個人に属している物は、狩りをする年齢になった男性の弓矢くらいのものである。ほとんどの道具は里の共有財産であり、それを必要なものが必要な時に使うことで、問題なくうまくいっているようだ。私には驚くべきことに見えるが、ここではそれが当たり前なので、誰も疑問に思わないらしい。

 だが、よく考えてみれば、セレタはひとつの家庭なので、それを思えば納得がゆく。家庭内にある生活用具は、衣服だの歯ブラシだのといった一部の個人的な身の回り品以外は特に持ち主が決まっていたりせず、みなで共有して必要な人が必要な時に使うのが当たり前ではないか。それと同じことなのだろう。


 彼らは、財産を共有しているだけではなく、狩も、育児を含む家事労働も、すべて共有している。すべての仕事が、セレタの共同作業である。赤ん坊も、母子の絆は尊重されているが、母親個人に属するものではなく里全体の子供と見做されて、すべての女性が協力して保育にあたるのだ。

 彼ら、とくに女性は、みな非常に子供好き、赤ん坊好きである。子供たちも小さいうちから弟妹の世話を手伝って、赤ん坊の扱いに慣れている。彼らはあまり多産ではないので、貴重な赤ん坊の可愛がられることと言ったら、まさしく『セレタの宝』扱いである。

 実際、彼らの赤ん坊は、誰しも抱き上げずにはいられないような可愛らしさなので、よってたかって可愛がられるのも無理もない。


 赤ん坊は、みな、冬の間に『冬の家』の産室で生まれる。身ごもる時期がだいたい決まっているので、生まれてくる季節も決まっているのだ。初夏から夏に懐妊して冬に生まれるということは、妊娠期間は、私の属する種より若干短いのだろうか――私の、自分の属する種についての知識は、そういう方面がかなり手薄なようで、実はあまりよくわからないのだが。


 彼らの衣類は、主に、樹皮や蔓植物の繊維から作られる。他に、何種類もの草の茎の繊維や穂ワタなども使われ、それら多様な材料から、丈夫だが粗いものから薄く滑らかで柔らかいものまで、様々な種類の布が作られて、それぞれに適した用途に使われている。樹皮の繊維で作る布にも、原料になる木の種類によって、煮溶かした繊維を薄く延べて押し固めた不織布と、糸を紡いで織る織物との二種類があるなど、多彩な技術が発達しており、出来上がった布に手の込んだ刺繍や型染めで装飾を施す方法も多彩である。

 驚くべきことに蜘蛛の糸を加工する技術もあるそうだが、当然ながら、これは本当に少量しか生産できないといい、何年も何十年もかけて少しずつ織り進めたその布は、花嫁のベールにのみ使われ、そのベールはセレタの宝物として代々大切に伝えられてゆくのだそうだ。

 他に、狩りの獲物の毛皮や革も、衣類や道具に使われる。

 手に入る樹皮等の量に限りがあり、また、加工に気の遠くなるような手間がかかるため、布は大変な貴重品であるらしい。


 そんな貴重な布を使って、彼らは、背が高い私のために、特別誂えの服を作ってくれた。最初のものは、間に合わせのため、ありあわせの布を長方形につなぎあわせて中央に穴を開け、腰を縄で縛ったただけの単純な貫頭衣だったが、その後、私の体格に合わせて、自分たちのものと同じ、優雅さと実用性を兼ね備えた服を作ってくれ、セレタの成員を示す紋様も施してくれたのだ。

 この衣装が自分に似合っている気は全くしないが、それでも、貴重な布を私の無駄な長身――ひょろ長い体型から見るに、私は自分の属する種族の中でも長身のほうだったのではないだろうか――のためにこれほど大量に提供してくれたことは感謝に耐えないし、セレタの紋様を纏うことを許されたのは、私の誇りである。彼らは私を、セレタの一員として認めてくれたのだ。

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