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ラエム教

◎ラエム教


 新興宗教……とは名ばかりの、悪党が金を巻き上げるために作り上げた団体。ただし、裏の世界にも影響力がある。



「あんたが明智さんかい……噂には聞いていたが、本当にいい男だねえ。そんな顔が付いてたんじゃ、女がほっといてくれねえだろうが。ホストになった方が、よっぽど儲かるんじゃねえか?」

 そう言うと、桑原徳馬はニヤリと笑った。だが、彼の後ろに控えている三人の男たちはニコリともしていない。氷のように冷たい表情で、じっと明智たちを見ている。




 帝銀ホテルの一室にて、明智たちと桑原興行の面々は、テーブルを挟み対峙していた。

 桑原興行の代表取締役である桑原徳馬は、七三分けの髪型に安そうなメガネをかけ、安物のグレーのスーツを着ている。指輪などのアクセサリー類は、いっさい身に付けていない。

 一見すると、うだつの上がらない中年サラリーマンにしか見えない桑原だが……その実は、今もっとも勢いのあるヤクザのうちの一人なのである。その目には、常人ではあり得ないような冷ややかな光を宿している。


 後ろに控えている三人の男たちも、実に個性的であった。

 一人は、小山のような体格をした大男である。短めの髪と岩のように厳つい顔、さらに冷蔵庫のような巨大で分厚い体つきが特徴的である。明智の見立てでは、身長は百九十センチ前後、体重は百三十キロから百四十キロくらいだろうか。間違いなく特注品であろうスーツに身を包み、明智たちに油断のない視線を向けている。

 もう一人は、うって変わって小柄な男だ。しかし、贅肉のほとんど無い締まった体つきをしているのは、スーツの上からでも見てとれる。曲がった鼻と両手の拳ダコから察するに、恐らくは元ボクサーであろう。今も、心なしか左足の方が少しばかり前に出ている。何か事が起きれば、すぐに拳を上げてファイティングポーズをとりそうな雰囲気だ。

 最後の一人は、この中では一番まともに見える。年齢は三十代前半だろうか。中肉中背、服装も地味だ。他の二人とは明らかに違う雰囲気を漂わせている。一見すると、堅気のサラリーマンにしか見えない。もっとも、その点は桑原も一緒だが。


 そんな男たちを前にして、明智は喋り続ける。

「実は昔、ホストやったことあるんですよ。もっとも、一日でクビになりましたがね」

「クビ? 何をやらかしたんだ?」

 尋ねる桑原。しかし、その表情は先ほどと同じだ。一応は質問してはいるものの……明智のホスト云々の話には、欠片ほども興味が無さそうである。

「いや、先輩ホストの態度が生意気だったんで、ぶん殴ったらクビになりました。頭に来たんで、その店は後で潰してやりましたが」

 淡々とした口調で答える明智。バカなチンピラが武勇伝を吹聴しているかのような逸話だが、言うまでもなく明智にはそんなつもりはない。ただ、事実のみを述べているだけである。

「なるほどな。しかし、その面なら女がほっといてくれねえだろうが」

「いえいえ、ここんところ女には全く縁が無いんですよ。ほっとかれてますね。だいたい、ウチみたいな零細は仕事に忙しくて、女ひっかけてる暇なんかないですから」

 にこやかな表情で、言葉を返す明智。すると、桑原は口元を歪めた。

「ああ、確かに忙しいらしいな。お前の噂は最近、よく聞くよ。あちこちで、派手にやってるらしいな」

 言いながら、ゆっくりと首を回す桑原。首の動きに合わせ、その視線も移動する。

 ふと、首の動きが止まった。


 桑原の視線の先には、ハンチング帽とサングラス、それにマスクを付けたダニーがいる。桑原の目は、真っ直ぐダニーを見つめていた。

 そして口を開く。

「なあ、そこのあんちゃんは……なんだって、そんな格好をしてるんだ?」

「いや、ちょっと訳ありでしてね。面に怪我をしてましてね――」

「見せてくれねえか」

 有無を言わさぬ口調で、桑原は言った。その表情は冷たく、何を考えているのかは窺い知れない。

 だが、明智の表情にも変化が生じた。

「桑原さん、あなたはここに取り引きをしに来たんですよね。取り引きとダニーの面と、何か関係があるんですか?」

 凄みの利いた表情で、桑原を見つめる明智。すると、桑原の後ろにいた男たちの表情が一変した。

「何だと! てめえ、誰にもの言ってんだ!」

 真っ先に吠えたのは、ボクサー風の小男である。すると、桑原が振り向いた。

「池野、静かにしねえか。俺たちは、話し合いに来てるんだぜ」

 冷静な表情で、諭すように言った桑原。だが、今度は大男が口を開く。

「桑原さんの前で、面を晒せねえってのか? 気に入らねえなあ……桑原さんを舐めてんのか?」

 その言葉に反応したのは、明智だった。

「おい、そこのデカイ人……あんた、何も分かってねえなあ。俺がいるから、ダニーはおとなしくしてるんだぜ。ダニーが暴れだしたら、あんたなんか一分以内であの世逝きだ」

 小馬鹿にしたような口調で言い放った明智。すると、大男の顔が怒りで真っ赤になる。

「んだと! 上等じゃねえか! やってやる――」

「板尾、うるせえぞ」

 あくまでも、静かな口調の桑原。しかし、その一言で大男は黙り込んだ。

 すると、今度はサラリーマン風の男が顔を上げる。

「明智さん、あなたの言うことも分かります。しかし、取り引きにはお互いの信用も必要です。特に俺たちみたいな稼業の場合は、信用は命にもかかわります。そんな取り引きの場に顔を晒さない奴を混ぜているというのは、こちらを信用していない、と取られても仕方ないですよね?」

 その言葉を聞き、明智の目がすっと細くなる。

「なるほど……で桑原さん、あなたはどうなんです? この取り引きの場で、ダニーの面を見ることがそんなに重要ですか?」

「ああ、見たいな。俺も敵が多い人間だ。相手方にどんな人間がいるのか、面くらいは見ておきたい」

 桑原の表情は、冷酷なものだった。だが、その目の奥には意思が感じられる。明智に有無を言わさぬ意思が。

 一瞬、明智の中に殺意が生まれた。目の前の四人を皆殺しにしたい衝動が湧き上がる。明智の顔に、不気味な笑みが浮かんだ。

 しかし、そこで思わぬ事態が起きる。

「兄貴、俺はいいよ」

 マスク越しの声……言うまでもなくダニーだ。ダニーは、ゆっくりと自身のハンチング帽に手を伸ばす――

 だが、明智の声も早かった。

「ダニー、待て」

 ダニーの動きを制止すると、明智は桑原の方を向いた。

「桑原さん、ちょいと賭けをしませんか?」

「賭け? 何だそれは?」

 怪訝な顔つきをする桑原に、明智は凄みの利いた笑みを浮かべる。

「なに、簡単ですよ。ダニーの顔を見て、誰も眉ひとつ動かさないでいられたら、あなた方の勝ちです。俺たちは、この一キロのクリスタルを半額で渡しましょう。ただし、あなた方がダニーの顔を見て、ちょっとでも反応したら、クリスタルを倍の値段で買ってもらいましょうか」

 この明智の言葉に、後ろの三人の表情がさらに険しくなった。

「おい、てめえ何をふざけたことを――」

「黙ってろよ……お前に言ってんじゃねえんだよ。俺は桑原さんと話してんだ」

 池野の言葉を、低い声で遮る明智。明智はさらに話を続ける。

「どうですか桑原さん、このゲーム、受けてもらえませんかね?」

「もし、俺が嫌だと言ったら……どうするんだ?」

 桑原も負けていない。表情ひとつ変えず、逆に聞き返す。

「この程度のことでグダグダ文句をつけるような相手とは組めないですね。俺たちは帰らせてもらうだけです。しかし、いいんですか? 桑原興行は、こんな他愛のない遊びにも目くじらを立てるヘタレの集団だと、俺はあちこちで吹聴しますよ」

 一切の感情を交えず、静かな口調で言ってのけた明智。すると、桑原の表情に微かな変化が生じた。

「ほう、言うじゃねえか……」

 口調そのものは冷静である。だが、桑原を包む空気は変化し始めた。先ほどまでとはうって変わって、重苦しく、濃厚なものに……殺気と呼ばれるものが、部屋の中に充満している。

 そして桑原は、明智に刺すような視線を向けてきた……だが、明智は冷めた表情で、その視線を受け止める。

 明智は元より、桑原興行と組むことには特にこだわっていない。この場で交渉が決裂になったとしても、明智としては一向に構わなかった。他に組む相手には目星を付けてある。むしろ、こんな下らないことに目くじらを立てるようなら、組む必要はない。

 睨み合う明智と桑原……しかし、少しの間をおいて桑原が口を開いた。

「いいだろう……やってやるよ」

「く、桑原さん! そんなバカなこと、やる必要ないですよ!」

 サラリーマン風の男が、慌てた様子で口を挟む。だが、桑原は露骨に不快そうな表情を浮かべて振り向いた。

「おい隆司、バカなことってのはどういう意味だ? そもそも賢く生きることが出来るなら、俺もお前も最初っからヤクザなんかになってねえだろうが……違うか?」

 問い詰めるがごとき口調の桑原。それに対し、隆司と呼ばれた男は下を向き押し黙った。

 一方、桑原は明智の方に向き直る。

「お前の言ってたゲーム、受けるぜ。だから、そのあんちゃんの顔を見せてくれよ」

 桑原の表情は、心なしか先ほどよりも穏やかになっている気がした。明智は笑みを浮かべ、ダニーの方を向く。

「ダニー、いいぜ。顔を見せてやれ」

 すると、ダニーは頷いた。まずは、頭に被っているハンチング帽を取る。

 髪の毛が一本も無い、ケロイド状の皮膚に覆われた頭皮が露になった。

 直後、板尾と呼ばれた巨漢の口から、ゴクリという音が洩れる。この時点で、明智らは勝ちを宣言しても良かっただろう。

 しかし、ダニーは手を止めなかった。サングラスを外し、マスクを取る。

 ケロイド状の皮膚に覆われた醜い顔が、桑原たちの前で露になった。

 途端に、うっという声が聞こえてきた。

 その反応に、明智は口元を歪めながらも、ゆっくりと桑原興行の面々の表情をひとりひとりチェックしていく。

 元ボクサーらしい池野と巨漢の板尾は、明らかにひきつった表情を浮かべていた。この二人は、今までに死体処理などの汚れ仕事をした経験がないのだろう。一方、隆司と呼ばれたサラリーマン風の男は、二人に比べれば落ち着いていた。意外な反応ではある。

 一方、桑原の反応はまるで違っていた。ダニーの顔を、落ち着いた表情でじっくりと見つめている。ただし、その目には好奇心は無い。何かを確認するかのごとき様子だ。

 明智は、思わず眉間に皺を寄せた。桑原は一体、何を考えているのだろうか。ダニーの顔を見るのに、妙なこだわりを見せていたのだが……ひょっとしたら、何か理由があったのかもしれない。

 不意に、桑原はこちらを見た。いかにも満足そうな表情で、明智に頷いてみせる。

「いい面構えしてるじゃねえか」

 言いながら、桑原は後ろを向いた。

「隆司、一千万だ。出しておけ」

「は、はい」

 隆司は、持っていたカバンの中から札束を取り出した。かしこまった態度で、桑原に手渡す。

 すると桑原は、ニヤリと笑った。分厚い札束を、明智の目の前に置く。

「ほら、一千万だ。そっちの品も見せてくれや」

「分かりました。おい小林、クリスタルをここに出してくれ」

 すると、小林は片手に持っているアタッシュケースを開けた。中には、粉の入ったビニール袋が詰め込まれている。砕けた氷のような粉末だ。色の付いていない、無色透明の結晶が詰め込まれている。

「一キロあります。念のため、味見してみますか?」

 明智の問いに、桑原は微笑しながら首を振る。

「いいよ。俺を相手に偽物つかませたら、ただじゃ済まねえことくらい分かってるだろうからな」

 そこで桑原は言葉を止め、ダニーに視線を移す。

「明智さんよう、そのあんちゃんだろ……ラエム教んとこで派手に暴れたのは。噂じゃ、ラエム教の連中もかなり頭に来てるらしいぜ。中には、お前を殺すって息巻いてるバカもいると聞いた。気をつけな」

「ほう、そんなことになってましたか。さすが桑原さん、情報通ですね」

 明智の見え透いた言葉に、桑原は口元を歪める。だが、機嫌を損ねた訳ではなさそうだった。

「心にもねえことを……だがな、奴らには気をつけた方がいいぞ。資金はかなりのものだし、裏の連中とも深く繋がってる。しかも、信者の数も多いしな。中には頭のおかしいのもいる。噂じゃ、ラエム教はキチガイをヒットマンに仕立てるらしいぜ。本当かどうか、俺は知らねえが」

 桑原の話を聞き、明智は思わず口元を歪める。法的に責任能力のない人間を洗脳し、ヒットマンに仕立てるなど、難しいことではない。俗世間にどっぷり浸かった、拝金宗教団体のやりそうなことだ。

「上等ですよ。もし奴らがトチ狂った真似してきたら、返り討ちにしてやりますから」

 そう言って、明智はニヤリと笑った。






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