表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/24

桑原徳馬

◎桑原徳馬


 『桑原興行』の代表取締役。かつては銀星会の幹部だったが、今は対立している。危険な男として、ヤクザの間でも有名。



 その日、明智とダニーの二人は、のんびりと公園を散歩していた。ダニーは相変わらず、帽子とサングラスとマスクを付けた姿だ。端から見れば、完全なる不審人物である。そのため二人とも、人の集まる場所を避けて歩いていた。

 遠くの方では、遊具で遊んでいる母と子の姿が見える。子供の方はいかにも楽しそうに、笑顔でキャッキャッ言いながらすべり台に乗っていた。一方、下でそれを見つめている母親もいる。こちらの方は、さすがにどんな表情をしているのかまでは分からない。だが、恐らくは幸せな表情を浮かべているのであろう。

 そんな仲睦まじい母と子を、ダニーはじっと眺めていた。あの親子の姿を見て、ダニーは何を思っているのだろうか……明智は気にはなったが、敢えて何も聞かなかった。ダニーにも、言いたくないことはあるだろう。


 すると突然、ダニーが立ち止まった。

「兄貴、鴨が泳いでるよ」

 そう言うと、ダニーは池を見つめる。サングラスとマスクを付けているため、どのような表情をしているかは分からない。だが声の調子から察するに、楽しい気分ではあるのだろう。

 明智は、池を泳ぐ鴨を見つめた。彼は正直、何も感じていない。生物であろうが無生物であろうが、明智にとっては似たようなものだ。ただ、目の前を横切るだけの存在にすぎない。

 だから、明智は生物を殺すことに何のためらいも無かった。

 言うまでもなく、その生物の中には人間も含まれている。




 明智が初めて人を殺したのは、大学を卒業した直後だった。

 きっかけは、本当に些細なことだったように記憶している。つまらないことで知人と揉めた挙げ句、相手が殴りかかって来たので殴り返したら、頭を打ち死んでいた……ただ、それだけだ。知人が死んだと分かっても、何も感じなかった。

 もっとも、死体の処理はかなり面倒であったが。手足や首それに胴体を、様々な道具で細かく切り刻み、高熱で時間をかけて燃やした。それでも骨は残ってしまったため、ハンマーで粉々に砕いて海に撒いたのだった。

 言うまでもないことだが、死体の処理など、明智にとって生まれて初めての経験であった。にもかかわらず、明智は最初から最後まで淡々と作業をした。途中で空腹を覚え、鳥のささみとブロッコリーを口の中に放り込むため中断した以外は、休むことなくやり遂げたのである。

 知人は結局、行方不明ということになっている。親や兄弟たちは今も独自に捜しているようだが、そんな事情は明智の知ったことではない。


 明智はその時、はっきりと理解したことがある。

 前から何となく気づいてはいたが、自分には人間として大事な何かが欠けている。恐らく、それは生まれついてのものだ。それも、脳に重大な欠陥があるとしか思えない。

 かつて周囲から、完璧超人などと言われていた明智……だが、自分は断じて完璧ではない。

 人として欠けているものを補う、そのために他の能力が発達したのではないだろうか。


「兄貴、あそこに猫がいるよ」

 ダニーの言葉に、明智は我に返った。ダニーの指差す方を見る。

 茂みの中に、一匹の猫がいた。じっとダニーのことを見つめている。お前は何をしに来たのだ? とでも言わんばかりの様子だ。

 その猫に向かい、手を差し出すダニー。だが、猫はビクリと反応した。すぐに茂みの奥へと逃げて行く。

「フフフ、嫌われちまったみたいだな、ダニー」

 明智の言葉に、ダニーは照れくさそうな様子で立ち上がった。

 どうやらダニーは、動物が好きらしい。タイに居た時には、ドーベルマンと闘い殺すのが仕事だったというのに。

「ダニー、お前は猫も好きなのか?」

「うん、好き」

 いかにも楽しそうに答えるダニー。

「じゃあ、犬は好きか?」

「うん、犬も好きだよ」

 ダニーは即答した。すると、明智の目がすっと細くなる。その好きな犬を殺していたことについて、どう思うんだ……と言いかけたが、思い直した。そんなことを、今さら言っても仕方ない。

 明智はふと、ダニーと初めて会話した時のことを思い出した。当時、ダニーは日の当たらない地下室に入れられていたのだ。首に革製の首輪をはめられ、頑丈な鉄格子の付いた部屋で、得体の知れない何かの肉を手づかみで食べていた。

 見た目や行動は、まさに野獣そのものであったダニー。そんなダニーに対し、最初に明智がしたこと、それは……彼の首輪を外すことだった。

 首輪を外され、戸惑うような素振りをするダニーに、明智はこう言った。

「今日から、お前の雇い主は、この俺だ。俺のことを兄と思ってくれ」




 そんなことを思い出しながら、明智はそばにあったベンチに座る。その隣には、ダニーもいた。ダニーは楽しそうに周囲を見回している。もっとも、サングラスとマスクをしているため、表情は分からないが。

 その時、彼らのすぐ近くに雀が舞い降りた。雀は、二人から二メートルほど離れた場所で、地上をうろうろしている。餌をくれる人だとでも勘違いしているのだろうか。

「ピッチーは、飛べるようになったんだよ」

 突然、ダニーは呟くように言った。明智は、思わず首を傾げる。ピッチーとは何者だろうか。

 だが、明智はすぐに察した。ダニーが飼っている雀のことであろう。

「ピッチーって、あの雀の名前か」

「うん。ピッチーは凄く元気になった」

 そう言うと、ダニーは雀の方に顔を向ける。

「ねえ兄貴、ピッチーも空を飛びたいのかな」

 不意に、ダニーが言葉を発した。

「どうだろうな――」

 明智が言いかけた瞬間、茂みの中から何かが飛び出した。先ほどの野良猫だ。野良猫は目にも止まらぬスピードで雀に襲いかかる。雀は、慌てて逃げようとするが間に合わない。野良猫は、その強靭な顎でしっかりと雀を捕らえていた。

 そして野良猫は、勝ち誇ったような表情で雀をくわえ、意気揚々とした態度で去って行った。

 一方、明智とダニーは、野良猫の去り行く後ろ姿をじっと見ていた。

「あの猫も、食わなきゃ生きていけないんだよね」

 ダニーが、呟くような声で言った。その言葉に、明智は頷いて見せる。

「そうだ。野良猫も生きていかなきゃならない。生きることは闘いだ。闘い、殺し、そして食べる。お前だって、タイにいた時はドーベルマンと闘っていただろうが」

「えっ……」

「お前だって、殺したくて犬を殺した訳じゃないだろ? 食うために、仕方なく殺したんだろ?

「う、うん」

 答えるダニー。その声は沈んでいる。タイにいた時のことを思い出したのだろうか。

 明智は、なおも言葉を続ける。

「ダニー、お前のピッチーは外に出たいかもしれないし、空を飛びたいかもしれない。だがな、外には敵が多いんだ。今みたいに、野良猫に食われるかもしれないんだ。しかし鳥カゴの中なら、ピッチーは安全に過ごせる。餌も、腹いっぱい食べられる。どちらがいいかは、わからないぜ」

「うん」

 頷くダニー。明智は、池の方に視線を移した。

 その時、明智のスマホが震える。誰であるかは、いちいち見るまでも無い。このスマホに掛けてくるのは、小林くらいしかいないのだ。

「どうしたんだ」

(今から、そちらに伺ってもいいですか?)

 小林の口調から察するに、仕事の話があるらしい。

「ああ、構わないよ」

(でしたら、あと一時間くらいしたら行きますんで)



 言葉の通り、一時間ほど経ってから姿を現した小林。その表情には、いつものような余裕がなかった。

 もっとも、開口一番に発せられた彼の言葉を聞けば、それも頷けたが。

「桑原の奴が、近いうちに取り引きしたいと言っています。日時さえはっきりすれば、帝銀ホテルの一室を予約しておく……と言っていました。あと、明智さんにも是非とも来てもらいたい、とも言っています」

 小林の声は、若干ではあるが上ずっている。急な話に動揺しているのだろう。

「それは急な話だな。で、向こうは幾ら買いたいと言ってるんだ?」

「一キロです。グラム五千で五百万の取り引きになりますが、どうします?」

 小林の問いに対し、明智は上を向き考えた。五百万……はっきり言ってしまえば、少額の取り引きだ。以前の取り引き相手である沖田よりはマシだが、わざわざ自分が出向いて行くほどの価値は感じない。

 もっとも、今回の取り引きは金額ではないのだが。向こうの腹の内を見極める、その部分の方が重要だ。お互いに初顔合わせでもあるし、桑原徳馬という人間を知るには丁度いい。桑原が組むに値する相手かどうか……直接会って確かめたい。

「いいだろう。桑原に、近いうちに会おうと伝えておいてくれ」

「そうですか。分かりました。しかし、気をつけてください。桑原に関しては、いい噂はほとんど聞いてないんですよ」

「この手の人間に、いい噂なんかないだろう。ましてや、桑原は敵の多い男だ。いい噂なんか、ある訳ねえだろうが」

 吐き捨てるような口調で、明智は言ってのける。そう、この業界において、いい噂などほとんど聞かない。この業界の人間については、悪い噂と……もっと悪い噂を聞くだけだ。

「それもそうですが……奴の場合、何をしてくるか分からない怖さがあるんですよね」

 浮かない顔の小林。この男は、事の前にはいつも不安を口にする。極めて慎重な男なのだ。本人もそれを自覚しており、自分は小心者だ……と、よく口にしている。確かに、黒ぶちメガネをかけた顔は愛嬌のある童顔だ。どちらかというと癒し系であり、とても裏の世界の住人には見えない。

 しかし、明智は知っている。小林は十代の時に、人を三人殺しているのだ。いざとなれば、そこら辺のチンピラなどよりは度胸はある。


「小林、大丈夫だよ。今回はクリスタルの取り引きをするだけだ。いくらなんでも、たかが五百で命のやりとりはしねえさ」

 明智は諭すような口調で言った後、ダニーの方に視線を向けた。

 部屋の隅で、ダニーは鳥カゴを見ていた。カゴの中には、ピッチーと名付けられた雀がいる。

「おいダニー……ピッチーだって、あんまりジロジロ見られるのは嫌だと思うぞ。ほっといてやれよ」

 明智がそう言った途端、小林がプッと吹き出した。しかし、ダニーの方は真剣そのものだ。

「う、うん、わかった」

 そう言うと、ダニーは慌ててこちらを向いた。一方、明智はジロリと小林を睨み付ける。もっとも内心では、腹を立ててはいない。むしろ、小林の緊張がほぐれてくれてありがたいと思っている。

 しかし、明智に睨まれた小林は慌てて下を向いた。真面目くさった表情を作ってみせる。

「何がおかしいんだ、小林?」

 尋ねる明智。すると、小林は慌てて首を振った。

「い、いえ……」

「まあ、笑える余裕があるのは結構なことだよ。桑原と会う時も、その調子でいてくれ」






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ