真幌市
◎真幌市
この作品の舞台となる街。かつては町工場が立ち並ぶにぎやかな場所だったが、今は見る影もない。不況の煽りを受け、ゴーストタウンのようになっている一角がある。
「いったい何事ですか、国友さん?」
言いながら、明智は目の前にいる男を見つめる。
すると、男は笑った。
「こいつらを連れて、飯でも食いに行こうかと思ってな。ついでに、お前の面も見ておこうか……そんだけだよ」
そんな白々しいセリフを吐いた男の後ろには、ものものしい雰囲気の男たちが控えている。明智は口元を歪めた。正直、鼻で笑ってやりたい気分である。こんな連中をわざわざ連れてきて、飯を食うも何もない。間違いなく、明智に用があってここに来たのだ。
そんなことを思いながら、明智はゆっくりと男たちを見回す。彼の横には、ダニーと小林が控えていた。二人とも、何かあればすぐに動く体勢だ。
ひとけの無い空き地で、明智らと男たちが向かい合っているその場面は、爆薬のごとき危険な空気に満ちている。ちょっとした衝撃で、すぐに爆発しそうだった……。
国友流人は、銀星会の幹部だ。しかし、ヤクザとしての顔よりはビジネスマンとしての顔の方が有名である。実際、都内で幾つもの店を経営しており、傍目にはヤクザに見えない。本人も、ヤクザとしてのシノギにはほとんど手を出していないし、法に触れるようなこともしていない。国友を一言で評するなら、成功した実業家そのものである。
しかし今、明智の前に立っている国友は、完全にヤクザの顔を剥き出しにしていた。
「ところで明智、お前も知っているよな? この前、大貫ビルに潜伏していた指名手配犯の二瓶辰雄が逮捕された話だよ。あちこちのテレビ局が、派手に報道してたけどよ」
国友の言葉に、明智は大げさな仕草で相づちを打った。
「ああ、はいはい、もちろん知ってますよ。それが何か?」
「それがな……あの二瓶は、ウチの人間が身柄を押さえてたんだよ。警察との取り引きに使うつもりでな。ところがだ、どっかのトチ狂ったバカが首を突っ込んできやがったんだよ。ウチの組員を叩きのめした挙げ句、二瓶を警察に渡しやがった。二瓶を逮捕した柔田って刑事は、匿名のタレコミがあったと言ってたけどな」
いかにも不快そうな表情で語る国友。明智は驚いた表情をして見せた。
「おやおや、そんなことがあったんですか。俺はそんな話、ちっとも知りませんでしたよ」
とぼけた口調で、言葉を返す明智。すると、後ろに控えている組員たちが、敵意を剥き出しにした目で睨み付けてきた。
しかし、明智はその程度で怯むような繊細な神経は持ち合わせていない。ひょうひょうとした態度で、さらに言葉を続ける。
「ところで国友さん、用件は何なんです? 俺たちも忙しい身なんですよ。これから三人で、あちこち営業に回ろうかと思ってたんですけどね」
すると、国友は目を細める。
「営業だと? 何の営業だよ?」
「いろいろと、ね。ともかく、我々のような零細企業は大変なんですよ。銀星会の幹部である国友さんとは違いますからね。ああ忙しい忙しい」
ふざけた口調で言いながら、明智はわざとらしく首を回して見せる。すると、国友の子分の一人が前に出てきた。
「てめえ、国友さんをナメてんのか――」
「やめとけ。話はまだ終わってねえんだよ」
言いながら、片手で制する国友。そして、明智の方を向いた。
「おい明智、今の二瓶の件だがな、とんでもねえ話なんだよ。部屋で二瓶を見張ってた連中は、組員でも指折りの武闘派だった。たった四人とはいえ、選りすぐりの強者だったんだよ」
「ほう、そうですか。それは知りませんでした」
大げさな身振りで頷く明智。国友は苛ついたような表情をしながらも、話を続ける。
「ところがだ、その選りすぐりの強者たちが、たった一人の男にボコられたんだよ。それも、素手でな」
言いながら、国友は明智を睨み付ける。だが、明智は平然とした表情で、さりげなく視線を逸らした。お前など相手にしてられねえ、とでも言いたげな態度である。
すると、国友は口元を歪めた。明らかに不快そうである。だが、言葉を荒げたりはしない。落ち着いた口調で話を続ける。
「ところで明智、お前はラエム教の施設で暴れたらしいな。五人を病院送りにしたって話を聞いたぜ」
国友のその言葉を聞いた瞬間、小林の表情が僅かに変化した。眉間に皺が寄り、目線が下を向く。
ほんの僅かな変化であったが、国友は見逃さなかった。
「そこの黒ぶちメガネの兄ちゃん、どうかしたのかい?」
「い、いえ、別に」
答える小林の表情は堅いものだった。僅かにではあるが、動揺している素振りがある。
その時、明智が横から口を挟んだ。
「そんなことまでご存知とは、さすが国友さんですね。で、それがどうかしたんですか? まさかラエム教の連中に命令されて、俺たちに復讐しに来たんですか?」
明智の言葉を聞き、国友は目を細めた。
「明智、俺をなめてんのか? なあ、俺が何を言わんとしているか、それくらい分かるだろうが?」
「いいえ、分かりません。はっきり言ってくれませんか、国友さん」
明智はさらりと言ってのける。国友の視線にも、怯む様子が無い。
「じゃあ言ってやる。ラエム教の病院送りにされた連中は、トラブルに対処するための警備員なんだよ。当然、暴力にも慣れてる。その暴力に慣れてる連中を、お前の子分は一人で病院送りにしたらしいな」
「ええ、そうですよ。それが何か」
「ウチの組員を襲った奴も素手だったんだよ。素手で四人をあっという間に叩きのめしたらしい。万が一、二瓶に拳銃を奪われた時のことを考えて、誰にも拳銃を持たせていなかったんだが……失敗だったよ。こんなことなら、人数をもっと増やして、拳銃も持たせておくべきだったなあ」
国友は、そこで言葉を止めた。ポケットから高そうなシガーレットケースを取り出し、一本くわえる。
火を点け、美味そうに煙を吸い込んだ。
「近頃じゃあ、やれ分煙だの嫌煙だのとぬかして、おちおちタバコも吸えやしねえ。ふざけた時代になったもんだぜ」
「いや、時代に文句を言っても仕方ないでしょう。時代に合わせて、自身を変化させる……それこそが、適者生存の基本理念ですよ。自身を変化させられない奴は、滅びるだけです」
淀みのない口調で、明智は言ってのけた。すると、国友の口元が歪む。
「明智、てめえの適者生存に関する講義なんざ聞きたくねえんだよ。いいか、ウチの人間の中にはな、てめえらが襲撃犯なんじゃないか、って言ってる奴までいるんだ」
「ほう、そうですか。実に嘆かわしい話ですね。で、そんなふざけたことを誰が言っているんですか? まず、その人が言いに来るのが筋なんじゃないですかねえ」
「だ、誰でもいいだろうが!」
ここに来て、国友の顔に狼狽の色が見え始めた。彼にとって、この展開は全くの想定外だったのだろう。
一方、明智はにこやかな表情を浮かべていた。彼には分かっている。国友の目的は、あくまでも牽制だ。自分たちに対し、疑いの目を向けてはいるが……何の証拠もない。今の段階では、明智は容疑者の一人に過ぎない。だから、かまをかけて反応を見る……いかにも、国友の考えそうなことだ。
だが、国友は明智を甘く見ていた。明智は、その程度で動揺するような繊細な神経は持ち合わせていないのだ。
「国友さん、それはおかしな話ですよね。天下の銀星会が、証拠もないのに俺たちみたいな弱小の零細企業に疑いをかけている。いや、百歩譲って疑うのはいいでしょう。けどね、そいつを口にしちまったら……マズイですよねえ。まずは、はっきりした証拠を提示するのが筋なんじゃないですか? それとも、証拠もないのに、無理やり俺たちを犯人に仕立てあげる気ですか?」
明智がそう言ったとたん、国友の後ろにいた男たちが一斉に騒ぎだした。
「何じゃとゴラァ!」
「なめてんのか!」
「埋めちまうぞ!」
チンピラにありがちな脅し文句を並べ立て、色めきたつ男たち。だが、明智は顔色ひとつ変えなかった。恐れる必要はない。いざとなれば、ダニーが全員片付けるだけだ。もっとも、死体の始末が面倒だが。
しかし、その心配はなかった。国友が手を挙げ、男たちを黙らせる。
「お前らは黙ってろ。俺と明智が話してんだろうが……横からくちばし挟むんじゃねえ」
男たちの罵声を、ドスの利いた声で制した国友。さらに、明智に視線を移す。
「明智、今日のところは引き上げる。俺だってな、てめえみてえな雑魚を相手にするほど暇じゃねえ。だがな、忘れんじゃねえぞ。俺たちはヤクザなんだよ。ヤクザはな、やられたらやり返す。なめられたら、ヤクザはおしまいだからな。俺たちは、この犯人を必ず捜し出してやる。そいつは、生まれてきたことを後悔するだろうぜ」
そう言うと、国友は向きを変えた。
「お前ら、行くぞ」
国友は背中を向け、去って行く。だが、その背中に向かい明智は声を発した。
「ところで国友さん、いつ脱退されるんですか?」
その言葉を聞き、国友は立ち止まる。
ゆっくりと振り返った。
「明智……てめえ、何を言ってんだ?」
「銀星会は、いずれ二つに分裂しますよね。そして花沢組を中心に据えた、新しい組織が発足する……新・銀星会とでも言うべき組織がね。国友さん、あなたもその新・銀星会の一員ですよね」
そう言って、明智は笑みを浮かべる。一方、国友は唖然となっていた。
「てめえ……誰に聞いたんだ?」
「ある人から聞きました。ただ、そんなことはどうでもいいじゃありませんか。銀星会が分裂したら、俺は国友さんに付きますよ」
そう言って、ニヤリと笑う明智。すると、国友の表情が歪んだ。
「てめえ……」
だが、国友はそれ以上は何も言えなかった。彼は、ようやく明智の恐ろしさを理解したのだ。単なる暴力や狂気だけではない。その裏では情報を集め、緻密な計算を立てて動く……そんな一面も持っているのだ。
一方、明智は淀みなく語り続ける。
「今回、襲われた組員さんですが……言ってみれば、旧・銀星会派ですよね。んな連中が襲われたからと言って、国友さんほどの人がわざわざ動く必要がありますか? まあ、俺には関係ない話ですから、敢えて止める気もないですけどね」
言いながら、明智はわざとらしく腕時計を覗いた。
「おっと、もうこんな時間ですか。そろそろ営業に行かないと……ウチみたいな零細企業は、本当に大変なんですよ。貧乏暇なしって言葉もあるくらいですからね。では、失礼しますよ」
「明智さん、今日はさすがにビビりましたよ。国友の奴、また来ますかね?」
明智の家でソファーに腰掛け、疲れた様子で尋ねる小林。一方、ダニーは鳥かごの前で座り込み、雀の様子を見ている。
そして明智は、テレビを観ながら口を開いた。
「さあな。どう出るかは分からんが、少なくとも当分は来ないだろう。奴も、今は俺なんかに構っている場合じゃないからな。それより小林、桑原に連絡しておいてくれ。近いうちに会いたいとな」
「えっ……桑原って、あの桑原徳馬ですか?」
仰天した様子の小林に、明智は頷いて見せる。
「ああ、桑原徳馬だ。俺は、あいつと組むことにするよ」
「だ、大丈夫ですか? 桑原のクレイジー振りは、業界でも評判ですよ」
小林は不安そうな表情で言った。しかし、明智には怯む様子がない。
「桑原がどれだけクレイジーだろうが、この際どうでもいい。敵の敵は味方だ。国友を牽制しておくために、今は桑原と組む。桑原にとっても、銀星会は敵みたいなもんだからな」
明智の言葉を聞き、小林は納得したような表情を見せた。
「なるほど……分かりました。明日、桑原に伝えておきます。しかし、気をつけてください。奴はニトログリセリンみたいな男ですから。取り扱いを間違えると、いきなりドカンといきますよ」
「ああ、分かってる」
言いながら、明智はダニーの方を向いた。
「おいダニー、雀の具合はどうだ?」
「うん、だいぶ良くなったよ。もう、動けるようになった」
嬉しそうに答えるダニー。その目は、鳥かごの中の雀に向けられている。明智は苦笑した。下手をすれば、銀星会とやり合うことになるかもしれないというのに、呑気なものだ。
まあ、今はいい。明智は再び小林の方を向いた。
「小林、桑原の件を頼んだぜ。さて、飯でも食うか」
明智のその言葉に、真っ先に反応したのがダニーだった。
「兄貴、今日は焼きそば食べたい」
「焼きそばだぁ? しょうがねえな。じゃあ作ってやる。その代わり、ピーマンもちゃんと食べるんだぞ」
言いながら、明智は立ち上がった。今後に備え、食べられる時にはきっちり食べておく。これから先、何が起きるか分からないのだから。