士想会
◎士想会
昔ながらのやり方を頑なに守ろうとしているヤクザ。かつては銀星会の次に大きな組織であったが、今は規模が縮小している。
「明智さん、本当に行くんですか?」
小声で尋ねる小林。その顔には、不安そうな表情が浮かんでいる。だが、明智は堂々としたものだ。
「ああ。ついでに、沖田のバカを切るかどうかも決める。あの野郎と、今後も付き合っていけるかどうかをな」
吐き捨てるような口調で言った明智。その表情は小林とは対照的である。落ち着き払ってはいるが、鋭い視線をあちこちに向けている。
そんな明智の隣には、ハンチング帽を被りサングラスとマスクを着けたダニーがいる。彼はリラックスした様子で佇んでいた。
時刻は既に九時を過ぎている。夜の闇の中、潰れた倉庫の敷地で立っている三人の姿は、端から見れば不気味なものであった。
明智たちから、クリスタルを大量に仕入れている沖田昭一。彼からクリスタルの注文が入ったのは昨日のことである。急な話ではあるが、さほど珍しいことでもない。
ただ問題なのは、受け渡しの場所であった。
普段、沖田はクラブにてクリスタルを受け取っている。周囲は人が多いが、その分かえって安全ではある。木を隠すには森、人を隠すには人混み。明智らは人混みに紛れて沖田と接触し、クリスタルを渡していたのだ。
しかし、今回の受け渡し場所は、いつもとは違う。そこは真幌市の外れであり、誰も使っていない倉庫が廃墟のような形で幾つか残っている。そのうちの一つを指定してきたのだ。
「こりゃあ、罠じゃないですか?」
小林は、そう言った。明智も、恐らく罠であろうと思っている。
だが、敢えてその罠にハマってみる気になったのは……明智の気まぐれもあったが、沖田という人間について確かめておきたかったからでもある。沖田が果たして、今後も付き合っていくべき人間であるかどうか……それを確かめるには、ちょうどいい機会だ。
さらに言うと、今の自分は血に飢えている。
暗い倉庫の中に入って行く三人。すると、不意に明かりが点いた。
同時に、周囲から大勢の若者が姿を見せる。髪型や服装はまちまちではあるが、共通している点がある。全員、凶悪な光を瞳に宿していた。
しかも、その手には木刀やチェーンのような凶器を持っている。明らかに、クリスタルの取り引きという雰囲気ではない。
「おいおい、これはどういう訳だよ!? 沖田はいねえのか!?」
若者たちに向かい、怒りを露に表情で怒鳴りつけた小林。先ほどまでの不安そうな表情は、完全に消え失せている。
こんな状況にもかかわらず、明智は笑みを浮かべていた。小林は、こういう男なのだ。一見すると平凡な男であり、事前の段階では不安を口にしたりもする。
だが、土壇場になると思わぬ度胸を発揮する男でもあるのだ。今も、敵意を剥き出しにしている若者たちに対し、一歩も引く様子がない。
小林の言葉に反応するかのように、一人の男が前に進み出て来た。若者たちの中でも、ひときわ凶悪な面構えだ。恐らく、この男が首謀者であろう。
「あんたら、最近ずいぶん儲けてるらしいじゃねえか。悪いけどさ、俺らも混ぜてくんねえかな」
そう言って、男は笑い出した。背は高く体格もいいが、頬の肉が削げ落ち前歯も欠損が目立つ。薬物を常用しているのが、ありありと見てとれる。
明智は、彼らを全く恐れていなかった。人数は全部で六人、しかも全員がザコだ。ダニーなら、ものの数分で病院送りに出来るだろう。
もっとも、それ以前に……明智が今、ここで懐の拳銃を抜いて威嚇射撃をすれば終わりなのだ。彼らは拳銃を見ても日和らないような命知らずではない。確実に全員が凍りつき、戦意を喪失してしまうだろう。戦わずして勝つ、それがスマートなやり方だ。
だが、それでは面白くない。明智の心に潜む狂気が、それでは済ませるなと言っている。
それに、中途半端な状態で逃がせば、後が面倒だ。この際、全員を殺す。
頭の中で、冷酷な考えを巡らせる明智。しかし、向こうはそれを怯えと受け取ったらしい。調子づいた様子で、男は喋り続ける。
「そう言えば沖田くんだけどよう、ちょっと痛めつけたら、お前らのことをペラペラと喋ってくれたぜ。おい、連れて来い」
男の言葉に、一人の若者が何かをひきずって来る。それは、沖田であった。
明智の目が、すっと細くなる。沖田の顔は血まみれで、あちこちが腫れ上がっている。絶え間ない暴行を受けたのは明らかだ。しかも、両手首と両足首には手錠が掛けられている。
しかし、明智にとってそんなことはどうでもよかった。ため息をつき、小林の方を向く。
「小林、明日から大至急で次の取り引き先を探してくれ。最悪の場合、士想会でも構わない。俺たちの商売も、次の段階に進む時らしいな」
「おい! てめえら今の立場がわかってんのか!?」
男の表情が変わった。自分の存在を無視されていることに苛立ったらしい。もっとも、存在を無視されている状態こそが、今この状況においてどれだけ幸せなことか……彼は全く理解していない。
明智は、ダニーの方を向いた。
「ダニー、やれ」
待ってました、とばかりにダニーが動く――
まずは手近にいる若者めがけ、高く跳躍した。意表を突かれ、焦った表情で上を見る若者。
その顔面に、ダニーの全体重をかけた右肘が降り下ろされる。
グシャリという音。直後に、若者は膝から崩れ落ちるように倒れた。
唖然となる若者たち。あまりに急な展開に、心と体が反応できないのだ。
しかし、ダニーは既に動き出している。別の男に左のミドルキックを叩き込み、顔面に右膝を入れる。たった二発の攻撃で、若者は意識を失った――
一方の明智は、先ほどまで勝手なことをほざいていた男に近づいて行く。男は慌てた様子で、拳を振り上げた。
しかし、明智のパンチの方が速い。鋭い左ジャブから、体重の乗った右ストレートが炸裂した。男は血を吹き出しながら、よろよろと後ずさる。
明智は手を伸ばし、男の髪を掴む。
冷酷な表情で、顔面を床に叩き付けた――
数分後、若者たちは全員が意識を失っていた。
そんな若者たちを、冷酷な表情で見下ろす明智。たった六人で、自分たちをどうこう出来るとでも思ったのだろうか。
いずれにせよ、こいつらは頼まれもしないのに、明智の世界に土足で足を踏み入れて来たのだ。ならば、明智のルールで始末すれだけである。
その時、足元から弱々しい声がした。
「あ、明智さん……すみませんでした……」
見ると、沖田が顔を上げていた。金色に染めた髪には、血がべっとりと付いている。顔のあちこちは無残に腫れ上がり、前歯も折れていた。
明智は、そんな沖田をじっと見つめる。
「気にするな。お前ももう疲れたろう。ここでリタイアしとけ」
言いながら、明智はしゃがみこんだ。
ポケットから何かを取り出し、沖田の口の中に放り込む。
その瞬間、沖田の表情が変わった。必死で口を開けようとする。
だが、明智は片手で口を塞ぎ、片手で頭を固定するように掴んでいる。口を開けることは出来ない。
「沖田、お前は俺を裏切った。だから、お前を切り捨てる。心臓が破裂するくらいのクリスタル飲んで、天国に行った気分で死ねるんだ……むしろ感謝してもらいたいね」
言いながら、明智は必死でもがく沖田の口を押さえる。
その横では、注射器を持った小林が忙しなく動き回っている。さらに、意識を失っていたはずの男たちが、泡を吹きながら痙攣していた……。
全てを終わらせ、夜道を歩く明智たち。倉庫には、七人の死体と数百グラムのクリスタル、さらに総額百万円ほどの紙幣が散らばっている。
しばらく歩いた後、明智は電話ボックスに入った。
「……だから柔田さん、これは手柄になる話なんだよ。数人のヤク中が取り引きの最中、仲間割れを起こした。挙げ句にヤクの射ちすぎで、みんな死んじまったのさ。現場には、大量のヤクと金が放置されてるぜ。早く行きなよ。でないと、地元のホームレスに拾われちまうよ」
緊迫感のない声で、明智は一方的に語る。電話ボックスの外では、ダニーと小林が何やら話をしていた。明智は、その様子を横目でちらりと見た。いったい何を話しているのだろうか。
一方、受話器の向こうからは、やる気のなさそうな声が聞こえてきた。
(また、お前らの尻拭いかよ。いい加減にしてくれよな)
「見つけちまったんだから、しょうがねえだろうが。善良な一般市民としては、通報しねえ訳にもいかないだろ。なあ、早くしないと手柄を逃すぜ」
受話器から、ため息をつく音が聞こえてきた。
(わかったよ。今から行ってやる。ただな、お前ら最近やり過ぎだぞ。このままだと、お前らみんな死刑台に行くことになるぞ)
その言葉を、明智は鼻で笑った。
「あのなあ、そん時はお前も一緒だぜ。みんなで仲良く死刑台だ」
電話ボックスから出た後、明智は二人の方に歩いて行く。ダニーと小林は数メートル離れた場所でしゃがみこみ、何やら熱心に話し込んでいるのだ。
「おいダニー、どうかしたのか?」
明智の問いに、ダニーは立ち上がった。そして、両手にあるものを見せる。
その手のひらには、小さな雀が乗っていた。どこかを怪我しているのだろうか、飛び立とうとはしない。怯えた様子で、小刻みに震えている。
今からどういう展開になるのか、明智にはおおよその見当はついていた。それでも、聞かずにはいられなかった。
「ダニー、これをどうしたいんだ? 家に持って帰って、焼き鳥にして食うのか?」
明智の問いに、ダニーは慌てて首を振る。
「ち、違う。怪我を治してあげたい」
「怪我を治す、だけか?」
言いながら、明智はダニーを見つめる。すると、ダニーは助けを求めるような視線を小林に送る。だが、小林は下を向いていた。自分が口出しすべきではない、と判断したらしい。
明智はため息をつき、雀を指差す。
「ダニー、お前はこいつを飼いたいのか?」
「う、うん」
頷くダニー。サングラスを掛けてはいるが、その顔には恐る恐る……といった表情が浮かんでいるのが分かる。
明智は、雀をじっと見つめた。彼はこれまで、動物を飼ったことがない。そもそも、動物を可愛いと感じたことすらないのだ。必要とあらば、目の前にいる雀も、何のためらいもなく握り潰せるだろう。
しかし、ダニーにとっては違うらしい。
「いいかダニー、こいつは治らないかもしれないぞ。すぐに死んでしまうかもしれない。それでもいいのか?」
「う、うん」
慌てた様子で、何度も頷くダニー。
そんなダニーを、明智はじっと見つめた。
「だったら約束しろ。これからは、好き嫌いなく何でも食べるな?」
「うん!」
大きく頷くダニー。だが、明智の問いは続く。
「ピーマン食べるな?」
「た、食べる!」
「じゃあ、ニンジンは?」
「う、ううう……」
そう言ったきり、ダニーの動きが止まる。その時、どこからか、クックック……という声が聞こえてきた。もっとも、音の主は見なくても分かるが。
明智は、小林の方に冷酷な視線を送る。すると、小林は慌てて下を向いた。
小林を睨みながら、明智は言葉を続ける。
「ダニー、どうした? ニンジンは食わないのか? 食わないなら、そいつは飼えないな」
明智のその言葉に反応し、ダニーが叫ぶ。
「た、食べる! ニンジンもピーマンも食べる!」
「そうか、だったら仕方ない。その雀を連れて、車の中で待ってろ」
そう言うと、明智は小林のそばに近づく。手を伸ばし、猫を持つように首根っこを掴み上げた。
「おい小林、笑ってんじゃねえよ」
「あっ……すみません」
しかめ面を作り、頭を下げる小林。明智は手を放した。
「まあ、いい。それよりも、沖田が消えた今、どうしたもんかな」
「そうですね。実は今、士想会だけでなく、桑原興行からも話が来てるんですよね」
「桑原、か」
明智は考えてみた。桑原興行の噂は、以前から何度か耳にしている。銀星会を破門された桑原徳馬が、新たに興した組織だ。キレ者であり、同時に武闘派でもある桑原。かつて銀星会に所属していた時には、幹部にまで昇り詰めている。
そんな桑原の率いる桑原興行は、業界でもそれなりに知られた存在ではある。ただし、その評判は芳しいものではない。異常者であるとか、銀星会の大物に狙われているという噂まである。
どこまでが本当かは分からないが、良い評判より悪い評判の方が格段に多いのは確かだ。
「桑原興行、ねえ」
もう一度、呟くように言った明智。士想会より組織の規模は小さいが、勢いは上だろう。ただし、桑原が銀星会に狙われている、という噂は無視できないが。
「小林、お前はどっちがいいと思う?」
明智の問いに、小林は首を捻った。
「そうですね、強いて言うなら士想会ですか。桑原ん所よりは、安心して取り引き出来るんじゃないか、と思います。ただ、決めるのは明智さんです。俺はその判断に従いますよ」
「そうか。分かった」