銀星会
◎銀星会
日本最大の暴力団。最近では、あらゆる方面に進出してきている。
真幌市はもともと下町であった。駅から五百メートルも離れると、そこは昔ながらの風景が残っている。築三十年の木造アパート、鉄条網に囲まれた空き地、得体のしれないゴミ屋敷、さらには町工場の残骸などが未だに放置されているのだ。
しかし駅の周辺は開発が進んでいて、ごくたまに若者向けの雑誌などで取り上げられることもある。お洒落な店も一応は存在していた。
真幌駅から約十分ほど歩いた位置に建てられている大貫ビル。そこの一室は、以前より銀星会の息のかかった企業が借りていた。もっとも、実態のない幽霊会社ではあるが。事実、今までは人の出入りなどなかった。
しかし一月ほど前から、その部屋には五人の男たちが住んでいる。そのうちの一人は、指名手配犯の二瓶辰雄であった。
「おい、てめえ本当に二人も殺したのかよ?」
ぶるぶる震えている二瓶に向かい、ジャージ姿の男が尋ねる。言うまでもなく銀星会の組員だ。一見すると粗暴な雰囲気ではあるが、訓練された兵士のようなストイックさも併せ持ち、そこらのチンピラなど比較にならない凄みを醸し出している。耳は餃子のような形になっており、その目付きにも油断がない。他の組員も、似たような雰囲気の持ち主である。
そう、今この部屋にいるのは……たった四人とはいえ、組員の中でも荒事に特化した者ばかりであった。格闘家や自衛官といった経歴を持つ、銀星会の中でも一騎当千の強者たちなのだ。万一の事態に備え拳銃は持っていないが、催涙スプレーやスタンバトンのような合法的な武器は持っている。それ以前に、彼らは全員、素手で簡単に人を殺せるのだが。
そんな彼らが、殺人犯の二瓶を逃がさないために部屋に常駐している。さすがの二瓶も、本物の武闘派ヤクザを前にしては、震えることしか出来なかった。もちろん、逃げることなど出来るはずもない。
そんな時、いきなりドアホンが鳴る。
組員の一人が、防犯カメラのモニターを見た。ドアの前には、運送会社の制服を着た背の高い男が立っている。帽子を目深に被りサングラスをかけているため、顔の判別は出来ない。その手には、小さなダンボール箱を持っている。荷物を届けに来た配達員のように見える。
しかし、サングラスをかけた配達員などいるだろうか。ダンボール箱と一緒に、バラの花束を抱えているのも意味不明だ。
「どちらさんで?」
組員が尋ねる。
「お届け物です」
答える男。やはり配達員らしい。だが、男の素性など知ったことではない。
「てめえ何なんだ? こっちはてめえなんかに用は無いんだ。とっとと失せろ」
ドアホンに向かい、組員は言った。荷物が届く、などという話は聞かされていない。何かの間違いであろう。
だが、配達員に引き下がる気配はない。
「いや、こちらの部屋で間違いないんすよ。早く受け取ってください。こっちも後の仕事が詰まってるんすけどねえ」
配達員の口調は、傍若無人なものであった。カメラに映し出されている姿も、いかにも頭の悪そうな態度で足を小刻みに動かしている。
「あのバカ、中に入れてきっちり説教してやるか?」
組員の一人が、怒りも露な表情で声を荒げる。
「やめとけ。俺が面みせて追い返して来る」
別の組員が、そう言って立ち上がった。体は大きく耳は潰れており、顔つきも堅気には見えない。町のチンピラくらいなら、その鬼瓦のごとき顔で追い返せるだろう。
組員は肩をいからせ、玄関に向かい歩いて行く。
「おい、お前どこの会社だよ。ちょっと伝票見せてみろ」
ドスの利いた声で言いながら、組員はゆっくりとドアを開いた。
・・・
目の前で、ゆっくりとドアが開かれる。明智光一はニヤリと笑った。
やがて、いかつい顔がヌッと突き出されてくる。顔の主は明智を睨み、なおも言葉を続ける。
「おいコラ、てめえ何処の会社だよ? 言ってみろ――」
そこで言葉は止まった。明智の持っていたダンボール箱から、妙な液体が吹き出したのだ。液体は水鉄砲から放たれたかのような軌道で飛び、組員の顔に当たる。
すると、組員の目にやけつくような痛みが襲う。野獣のような声を上げ、反射的に両目を手のひらで覆った。
しかし、さすがに精鋭の組員だ。不測の事態に対する反応も早い。すぐさま中にいる組員に叫ぶ。
「くそ! やられた! 襲撃だ!」
それまで寛いでいた組員たちは、その声に反応し戦闘態勢に入る。
だが、彼らは気づいていなかった。真の敵は、ベランダに潜んでいたことに。
黒い目出し帽を被ったダニーは、音もなく部屋に侵入した。
こちらの侵入に気づかず、背中を向けていた組員めがけ、背後から強烈な右ハイキックを放つ――
不意に、金属バットのフルスイングのような一撃を食らった組員は、何をされたのか分からないまま意識を刈り取られた。
ダニーは間髪入れず、さらに攻撃を続ける。だが、彼の存在に気づいた一人の組員が鋭い声を上げた。
「クソ、てめえら何処の組だ!」
直後、その組員は武器を取り出すべく内ポケットに手を伸ばす。結果、一瞬ではあるがダニーから視線が逸れる。
ダニーが、その隙を逃すはずがなかった。一瞬のうちに間合いを詰め、組員の首を両手で掴む。
直後、飛び上がるような膝を顔面に入れる――
顔面を砕かれ、崩れ落ちる組員。すると、別の組員が凄まじい形相で襲いかかる。百キロを超えているであろう体格から、鋭い左ジャブが放たれた。ジャブと言えど、この体格で打てば大抵の人間はノックアウトできるだろう。
しかし、ダニーはそのジャブを簡単に払い落とす。と同時に前進し、横から抉るような右肘を叩き込む。さらに、下から突き上げるような左肘を放つ――
顔面から血と歯を吹き出しながら、組員は倒れた。
その時、悲鳴を上げながら立ち上がった者がいた……二瓶だ。二瓶は常軌を逸した様子で、慌てて玄関に向かい走り出した。
しかし、そこには制服姿の明智が立っていた。
「どこに行こうってんだよ、おい」
その言葉の直後、二瓶は強烈なボディーブローを食らって悶絶した。
「さて、これで良し。マニアが見たら喜ぶぜ」
そう言っている明智の目の前には、五人の男たちが並んでいる。全員が土下座のような姿勢で、手首と足首とをダクトテープでぐるぐる巻きにされている。ご丁寧にも、右手首と右足首、左手首と左足首という形でテープを巻かれているので、否応なしに尻を高く上げ、顔を床に着けた体勢を取らざるを得ない。
さらに、口には猿轡をかけられている。しかも全員、衣服の類いはいっさい身に着けていない。全裸の土下座という状態で並ばされているのだ。
そして……彼らの肛門には、バラが一輪ずつ突き刺さっていた。
「この画像を拡散したら、面白いことになるだろうなあ」
言いながら、明智はダニーに手で合図した。ベランダの方を指差し、次いで親指を下に向ける。
すると、ダニーは声を出さずに頷いた。ベランダの方に音も無く歩き、手すりを伝って下へと降りて行く……ここは六階であり、落ちればただではすまない。にもかかわらず、ダニーはするすると降りて行った。
一方、明智は組員たちの無様な姿をスマホで何枚も撮影する。
だが、その動きが止まった。一人の組員が、凄まじい目付きで睨んでいる。サングラス越しにも、その組員の憎しみは伝わってきている。
明智は、ふふんと鼻で笑った。
「こんなことして、ただで済むと思ってんのか。俺たちは銀星会だぞ……そう言いたいんだろ? でもな、銀星会だろうが何だろうが、死ぬ時は死ぬんだよ」
言いながら、明智はライターオイルを取り出した。そして、組員の尻の周りにかけ始める。
すると、組員の顔つきが変わった。恐怖に怯える表情だ。
だが、明智はお構い無しである。
「さて、特別に君のバラには火を点けてあげよう。燃え上がる真っ赤なバラを、君の尻に捧げよう」
そう言うと、明智はライターを取り出す。
そして、バラに火を点けた。
「だから、来れば分かるって言ってんだよ。大貫ビルの六〇一号室だ。早く行きなよ。間違いなく、柔田さんの手柄になるから」
数分後、駅前の電話ボックスの中で、受話器に向かい一方的に喋る明智。その表情は落ち着いている。先ほどまでの狂気の振る舞いが嘘のようだ。
(手柄なんざ、どうでもいい。そいつらは全員、銀星会なのか?)
受話器から聞こえてきた声は、完全に冷めきっている。銀星会という単語に対しても、怯む気配がない。
「いや、一人は違う。指名手配犯の二瓶辰雄だよ。あんた大手柄だぜ。さっさと行かねえと、銀星会の連中が来て、別の場所に移しちまうかもしれねえぞ」
(ちょっと待て。銀星会と二瓶が何で一緒にいる?)
「話すと長くなる。それに、あんただって刑事なんだから、その辺のからくりは分かるだろ? とにかく早く行きなよ」
明智がそう言うと、受話器の向こうから、チッという舌打ちが聞こえた。
(面倒くせえことさせやがって。今から行くよ)
「それでこそ柔田さんだ。あと、一人ケツが燃えてる奴がいるけど、気にしないでくれ」
柔田三郎……もともとは暴力団の事件を担当していた刑事だったが、銀星会の人間にハメられて異動させられてしまった。その後、真幌署でくすぶっていたところを明智と出会う。
今の柔田は、ただの悪徳警官である。明智に弱みを握られ、協力させられてはいるが……今も銀星会に対し、恨みは抱いている。したがって、今回の件にはちょうどいい手駒であった。
翌日、明智は昼過ぎに目覚めた。リビングに行くと、ダニーがテレビを観ながらサンドイッチを食べている。
「兄貴、おはよう」
ダニーは楽しそうに挨拶する。顔はともかく、その仕草は無邪気なものだ。昨日、武闘派の組員たちを一瞬で片付けた者と同一人物とは思えない。
「おはよう、ダニー」
言いながら、明智はテーブルに着いた。テレビでは、ワイドショーが放送されている。その話題は、昨日の二瓶辰雄に関するものであった。刑事の柔田が、大貫ビルの一室に潜んでいた二瓶を逮捕した事件は、あちこちの局で大々的に放送されている。もっとも、銀星会の組員たちは「なかったこと」にされているが。
テレビ画面では、したり顔のコメンテーターが勝手な空想をペラペラと撒き散らしている。明智は、あまりの馬鹿らしさに苦笑するしかなかった。
さらに、別のコメンテーターも適当なコメントをしていた。どいつもこいつも、みんな嘘ばかり吐いている。いや、むしろ堅気の人間の方が嘘吐きだ。自分を大きく見せるために、嘘ばかり吐いている。
真実を知っているのは自分たちだけだ。今回の事件は、明智なりの銀星会への宣戦布告である。このまま明智らがのし上がって行けば、いずれは銀星会ともやり合うことになる。それまでに、少しでも戦力を削いでおきたい。
しかも、この事件の詳しい顛末は、他の組にも知られているはず。銀星会が二瓶の身柄を押さえていたが、何者かの襲撃を受けた挙げ句に警察の介入を許してしまった……この事実は、確実に銀星会の株を下げただろう。
そんなことを思いながら、明智はダニーを見た。ダニーは、テレビのコメンテーターのような嘘を吐かない。嘘を吐く必要がないからだ。本物の天才には、自分を大きく見せようなどという姑息な気持ちなど無い。自分の凄さを、きちんと自覚出来ているせいだ。
しかし、その本物の天才は……闇の世界で生きなくてはならないのだ。
いつか、誰にも文句を言わせないくらいの金をかき集める。
そして、ダニーを表の世界に送り出してやる。
俺の金と力でな……。