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クリスタル

◎クリスタル


 覚醒剤と似た作用をもたらす合成麻薬。明智たちの主な収入源。



 真幌市の町外れに、古びた三階建てのビルがある。三階と二階にはテナントがおらず、ほとんど廃墟と言ってもいいくらいだ。

 そのビルの地下には、かつてキックボクシングのジムがあった。一昔前の格闘技ブームの折にオープンしたのだが……ブームの衰退と共に経営は行き詰まり、やがてオーナーはジムを手放すこととなった。

 現代、そのジムのオーナーは明智光一である。ただし、一般人は入会できない特殊なシステムだ。もし一般人が間違って入り込もうものなら、明智の容赦ないマシンガンのごとき恫喝を受けるか、ダニーのケロイドに覆われた顔と相対することとなる。

 そのジムの中で今、明智とダニーはトレーニングに励んでいた。


 ダニーがトレーニングを開始してから、既に二時間が経過している。

 軽いシャドーや縄跳びから始まり、サンドバッグを叩き、キックミットを蹴りまくる。ミットを持つのは明智だが、ダニーの蹴りで吹っ飛ばされそうになるのを懸命にこらえていた。明智も百八十センチで体重は七十キロと、決してひ弱な体格ではない。だが、ダニーの蹴りを受けるたびに、ミット越しに内臓まで響くような衝撃を感じていた。普通の人間なら、ミット越しでも耐えられずに吹っ飛ばされてしまうだろう。

 明智の方も汗だくになりながら、ダニーの蹴りをミットで受け続ける。


 それが終わると、ダニーは汗を拭いた。そしてジムの隅にある、バーベルのセットされたベンチに仰向けになる。

 肩幅くらいに広げた両手でバーベルを握り、持ち上げた。胸の上で、バーベルを上下に動かす。

 そんなダニーの姿を見ながら、明智はほっと一息ついていた。あの蹴りを受け続けたら、ミット越しとはいえ確実にどこかを痛めてしまうだろう……明智もそこらのチンピラ二〜三人が相手なら、簡単に叩きのめせるくらいの強さはあるのだが。




 完璧超人――

 学生時代、明智に付けられたアダ名がそれだった。

 事実、明智は幼い頃からどんな分野でも人並み以上にこなせた。勉強、スポーツ、遊び、人間関係などなど。自宅での勉強はしたことがなかったが、成績は常に上位をキープ。生まれつき腕力には優れているし度胸もある。お陰で、素手の喧嘩には負けたことがない。美しい顔ゆえ、放っておいても女は寄ってくる。スポーツは、何をやっても人並み以上にこなせた。事実、中学に入ると同時に、明智はあちこちの部から勧誘される。

 だが、明智はその全てを断った。中にはその態度に腹を立て、明智に殴りかかって行った者もいた。しかし、あっさりと返り討ちに遭い、すごすごと退散することとなった。


 つまらないな。

 当時の明智の口癖が、その言葉だった。高校に入学する頃、彼は既に世の中の全てに飽き果てていた。これまで何人もの女と付き合い、タバコや酒も経験し、さらにはドラッグも一通り体験している。ヤク中になることなど、明智は恐れていなかった。この退屈な人生を延々と生きるくらいなら、むしろヤク中になりたかった。ヤク中になって、薬物のもたらす偽りの恍惚感の中で死にたい、とさえ思っていた。

 だが幸か不幸か、明智は薬物が合わない体質だったのだ。大麻を吸おうが覚醒剤を射とうが、気分が悪くなるだけだった。

 結局、明智は退屈さに耐えるしかなかった。何の努力もせず漂うように生き、やがて大学を卒業する。


 そんな時、父と母が死んだ。

 夫婦で海外旅行に行った時のことだ。テロに巻き込まれ、明智夫婦は死んでしまった。

 一人息子の光一に、数千万円の生命保険金を遺して……。

 しかし、明智は何も感じていなかった。喪主としての務めを淡々と果たし、保険金を受け取り、後の手続きは全て弁護士に一任したのだ。

 その後、明智は……現在に至るまで、死んだ両親の存在を思い出したことはない。そもそも、両親がいたことすら忘れているのだ。


 もしダニーに出会わなかったら、明智は今も漂うように生きていただろう。両親の遺したものを食い潰し、挙げ句に野垂れ死んでいたとしても不思議ではなかった。

 ダニーがいたから、明智は裏の世界に足を踏み入れたのだ。




 物思いにふけっていた明智だったが、ダニーのバーベルを挙げる音を聞き、ふと我に返る。

 ダニーの方を見ると、彼はバーベルを挙げている。付いているプレートの枚数から察するに、重さは二百キロを超えているであろう。ダニーの体重は八十五キロだが、その体重でベンチプレス二百キロを軽々と挙げる……まず有り得ない筋力だ。

 しかも、ダニーの力はそれだけではないのだ。ほとんど垂直に近いようなビルの外壁を、僅かな出っ張りを頼りによじ登ることも出来る。走るのも速いし持久力にも優れている。

 ダニーはまさに、本物の超人なのだ。かつては周囲から完璧超人などと言われていた明智だが、ダニーを前にすると、自身が超人などではないことを思い知らされる。

 自分はしょせん、出来のいい凡人でしかない。ダニーのような本物の天才とは違うのだ。

「ダニー、終わったらストレッチしとけよ。あんまり無茶するな」

 そう言うと、明智は一足先にシャワーを浴びて汗を流した。


 時刻は既に五時を過ぎているが、外はまだ明るい。ダニーがストレッチをしている間、明智は外に出て佇んでいた。

 今このマンションに住んでいるのは、明智とダニーだけだ。近所にも、ほとんど人は住んでいない。したがって、明智やダニーのような不審人物がうろうろしていたとしても、特に怪しまれたりはしないのだ。

 明智は、じっと外の風景を眺めながら考える。果たして、次はどんな手を打つか……その時、彼のスマホが震えた。

 小林からだ。

「どうした、小林」

(実はですね……いや、こりゃ電話じゃマズイな。あと二時間くらいしたら、そちらに伺いますが、構いませんか?)

 その言葉を聞き、明智は苦笑する。小林の用心深さは筋金入りだ。どんなに急ぐ時でも、スマホでは重大な話は避ける。証拠として残りやすいメールやLINEでのやり取りはもちろん、電話での会話すらしようとしないのだ。

 時には、小林のそのスタイルが面倒に思える時もある。しかし今の明智にとって、小林はダニーの次に信頼できる男だった。

「分かった。あと二時間だな」




 二時間後、マンションに小林が到着する。相変わらず地味なスーツを着て、とぼけた表情を浮かべている。黒ぶちの伊達メガネをかけ、片手にはスーパーの袋をぶら下げ、ひょうひょうとした態度で入って来た。

 しかし、テーブルに着いている明智とダニーを見て立ち止まる。

「おや明智さん、食事中でしたか。こりゃ失礼。出直してきましょうか?」

「いや、いいよ。ダニーが食い終わるまで待っててくれ」

 明智は答えた。その視線は、テレビに向けられている。

 だが突然、明智はダニーの方を向いた。ダニーは一心不乱に、ご飯と肉野菜炒めを食べている。

 器用に、ピーマンだけを箸で避けながら。

「ダニー、そのピーマンはどうするんだ? 残すのか?」

 明智の言葉に、ダニーの手が止まる。

「ううう」

 そう言ったきり、固まるダニー。だが、明智は容赦しない。

「ピーマン残すのか?」

「ううう、残したい。ダメ?」

 恐る恐る、といった口調のダニーに対し、明智は険しい表情だ。

「残すのは構わない。ただし、その場合はデザートのプリンは無しだ」

 そう言いながら、明智はダニーをじっと見つめる。ダニーはおずおずとした態度で、目線を逸らし下を向いた。

「どっちにするか、自分で決めろ。嫌いなピーマンを残せば、デザートのプリンは食べられない。しかしピーマンを残さず食べれば、デザートのプリンも食べられる。どうするんだ?」

 なおも問いつめる明智。その時、クックックという音が聞こえてきた。見ると、小林が顔を真っ赤にし、懸命に笑いを堪えている。

 ジロリ、と睨みつける明智。すると、小林は身の危険を感じたらしく後ろを向く。もっとも、肩を小刻みに震わせているのははっきりと分かったが。

 その時、ダニーが顔を上げた。

「た、食べる! ピーマン食べる!」

 言うと同時に、ダニーは猛烈な勢いでピーマンを食べ始めた。

 頷く明智。

「そうか。ぜんぶ食べ終わったら、プリンを出してやるから」


 ダニーはすぐに、大盛りのご飯と肉野菜炒めを食べ終えた。そして今は、プリンを美味しそうに食べている。パッと見には分からないが、ダニーのケロイドに覆われた顔にも、喜怒哀楽の感情が浮かぶのだ。一緒に暮らしている明智は、ちゃんと判別できるようになっていた。


「で、小林。今日は何しに来たんだ? 下らねえ話だったらぶっ飛ばすぞ」

 明智の言葉に、小林は苦笑した。

「いや、下らないと言えば下らないんですが……ちょっとした情報を聞いたんですよ。実は、この辺りに銀星会の連中がうようよしてるマンションがありましてね。連中、やたらピリピリしてるんですよ。ですから、そのマンションには近づかない方がいいかと」

「銀星会だぁ? 何で奴らが?」

 思わず聞き返す明智。銀星会といえば、日本でも最大の勢力を誇る暴力団である。もっとも、この真幌市には銀星会の事務所が存在していなかったのだ。

 真幌市にもかつて、銀星会の経営する裏カジノがあった。しかし、どこかのチンピラに売上金を奪われた事件を皮切りに、度重なる手入れと折からの不景気が重なり、撤退せざるを得なくなった。

 しかも、桑原興業や明智らのような中小の新興勢力が根付いてしまい、銀星会が立ち入る隙は無くなってしまったのだ。

 それ以来、銀星会は真幌市への進出を諦めていたはずだった。少なくとも、明智はそう聞いている。


 だが、続いて発せられた小林の言葉は、明智をさらに混乱させた。

「それがですね、奴らはそのマンションに、一人の重要人物を拉致してるらしいんですよ」

「重要人物だぁ? アホな芸能人でも拉致したのかよ?」

 明智の冗談めいた問いに、小林は笑いながら首を振った。

「違いますよ。指名手配犯の二瓶辰雄です。銀星会のチンピラが、町で偶然見つけて集団で拉致したそうなんですよ」


 二瓶辰雄ニヘイ タツオは、かつて付き合っていた女性にストーカー行為を繰り返し、警察から接近禁止令を出されていた。ところが二瓶は、警察の命令などものともしない。女性の自宅に乗り込み、女性と母親の二人を滅多刺しにして逃走したのだ。

 警察は、全国公開捜査に踏み切ったものの、事件から半年が経過した今も逮捕できていない。


 小林は、さらに言葉を続ける。

「銀星会の連中は、二瓶の身柄を押さえておいて警察との取り引きに使うつもりなんですよ。さしあたっては、先月に逮捕された幹部の根室忠を、証拠不十分で釈放させるのが狙いのようですね。まあ、その辺りは俺たちには関係ない話ですが――」

「いや、関係ないこともないだろ。俺はな、銀星会が大嫌いなんだよ。銀星会の連中が、この真幌市でふざけた真似をしてるのは見過ごせねえな。さっそく潰してやろうぜ」

 明智のその言葉を聞いた途端、小林の表情が一変した。

「ちょっと、何いってるんですか? 銀星会とやり合う気ですか?」

「ああ、やり合う気だ」

「待ってください。銀星会とやり合って――」

「まあ待て。小林、真正面からやり合う訳じゃねえんだよ。俺に考えがある」

 そう言うと、明智は物憂げな表情でテレビに視線を移す。だが、その頭の中では考えを巡らせていた。






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