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涙を知った野獣  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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エピローグ

◎小林綾人


 かつて人を殺し、刑務所に入っていた。出所後、明智に拾われ片腕となっていた。拙作『はぐれ者〜』にも登場。



 真幌市の外れに建っている古ぼけたビル。その地下から、凄まじい音が聞こえていた――

 音の主は、言うまでもなくダニーだ。彼がサンドバッグに蹴りを叩き込む度、爆弾が爆発したかのような音が響き渡る。だが、ダニーの耳にはそんな音は聞こえていないらしい。彼はわき目も振らず、トレーニングに集中している。

 ダニーの体から滴り落ちる汗は、床に水溜まりを作っていた。しかし、ダニーはトレーニングを止めようとしない。己の内に潜む怨念を叩きつけるかのように、ダニーはサンドバッグを蹴り続けた――


「ダニー、ちょっと休んで、俺の話を聞いてくれ」


 声とともに、ジムに入って来た者がいる。小林だ。ダニーは動きを止め、汗を拭く。

「やあ、小林さん」

「ダニー、今日はお前に渡すものがある」

 そう言うと、小林はその場にしゃがみ込んだ。持っていたスポーツバッグのチャックを開け、中身をダニーに見せる。

 ダニーは驚きの表情を浮かべる。中には、札束が詰まっていたのだ――


「ダニー、この金は全部お前のものだ。明智さんから託された口座の通帳も、このバッグに入ってる。持って行け」

「えっ?」

 困惑した様子で、小林とスポーツバッグとを交互に見るダニー。

「いいから持っていけ。金はいくらあっても困らないし、向坂さんだっていらないとは言わないだろう。二人で幸せに暮らせ」

 そう言って、小林は微笑んだ。

 とても、優しい笑顔だった。かつての明智のような……。

「こ、小林さんはどうするの?」

「ダニー、俺はこのままで済ますつもりはない。明智さんを、あんな目に遭わせたラエム教は許せねえ。ラエム教だけは、必ず叩き潰す。教祖の猪狩寛水の両手両足をぶった切り、あいつの目の前で犬に食わせてやるよ」

 小林の口調は静かなものだった。だが、その瞳は冷ややかな殺意に満ちている。ダニーは何も言えず、呆然と小林を見つめていた。


「ラエム教だけじゃねえ。明智さんを見捨てやがった桑原徳馬も、明智さんを拉致した西村陽一も、計画を知りながら見てみぬふりをした銀星会の連中も……全員、俺が殺す。皆殺しにしてやるよ。でないと、俺は明智さんの墓に顔向けできないんだ」

 小林の声からは、激しい怒りと深い悲しみとが感じられる……ダニーは、小林がここまで感情を露にする姿を初めて見た。


 目に凄まじい憎悪をたぎらせながら、小林はなおも語り続ける。

「ダニー、俺はアメリカに渡る。アメリカに行って、傭兵の訓練を受けて来る」

「訓練?」

「そうだ。戦い方を学んで来る。それだけじゃねえ……向こうの地下でくすぶってるような連中をスカウトして、日本に連れて来る。でなきゃ、ラエム教を潰せねえからな」

 小林がそこまで言った時、ダニーが顔を上げた。

「俺も行く! 兄貴を酷い目に遭わせた奴らを、全員殺してやる!」

「駄目だ」

「何でだ!? 俺もやる! 兄貴の仇を討つ――」

「じゃあ、向坂はどうなるんだ?」

 小林のその言葉に、ダニーの顔が歪んだ。黙ったまま下を向く。向坂を放ってはおけない。だが、明智の仇も討ちたい……。

 ダニーは、どうすればいいのか分からなかった。昔なら、迷った時には明智が教えてくれたのだ。でも今は、明智がいない。

 向坂に相談したら、何と言うだろうか?


 迷い悩むダニーに、小林は静かな口調で語る。

「ダニー、お前は日の当たる世界で生きろ。もう、こっちの世界には来るな。明智さんも、それを望んでいるはずだ」

 神妙な顔つきで諭す小林に、ダニーは何も言えず下を向いた。

 明智は、それを望んでいるのだろうか?


「いいかダニー、今のお前には向坂がいる。向坂を助けてやれよ。それが、お前のしなくてはならないことだ」

 そう言うと、小林はダニーの肩を優しく叩いた。

「ダニー……お前は、俺のたった一人の友だちなんだよ。そのお前が傷つくところは、絶対に見たくないんだ。明智さんも、絶対にそう言うはずだよ」

「わ、わかった」

 下を向きながら、ダニーは承諾した。

「分かってくれたか。お前は素直だな。その素直さを忘れないでくれよ」

 微笑みながら、小林は右手を差し出した。

「ダニー、今まで本当に楽しかったよ。元気でな」

「もう、会えないのか?」

 ダニーの言葉に、小林は頷く。

「俺とお前は、住む世界が違うんだ。俺と会っていたら、お前らに迷惑がかかることになる。俺たちは、もう会わない方がいい」

 その言葉を聞いた途端、ダニーは下を向いた。彼の目から、涙がこぼれる。

「そんな……兄貴だけじゃなく、小林さんまでいなくなるなんて……」

「ダニー、お前は誰よりも強い。そして、誰よりも優しい男だ。お前なら、俺なんかよりずっとマシな友だちが出来るよ。俺は裏の世界から、お前の幸せを祈っている」

 そう言って、小林は微笑んだ。ケロイド状の皮膚に覆われた、ダニーの顔……だが今の小林には、そんなものは気にならなかった。


 この世界で、ダニーほどの男はいやしない。

 ダニーの顔を醜いという奴がいたら、俺が殺してやる。


 今になって、小林は明智の気持ちが分かったような気がした。明智は、ダニーという男を誰よりも深く理解していたのだ。単純な強さだけではない、心の美しさも。

 小林はもう一度、ダニーの手を握る。

「ダニー、握手だ……俺は裏の世界で生きる。さっきも言った通り、俺がそばにいたら、お前たちの迷惑になるんだ。でもな、どうしても俺の助けが必要な時には……俺は必ず、お前を助けるために駆けつけるよ」

「小林さん、今までありがとう……」

 小林の手を握りしめ、肩を震わせるダニー。

「いえいえ、どういたしまして。それよりダニー、俺の名は小林綾人コバヤシ アヤトだ。今度また会うことがあったら、綾人って呼んでくれよ」

「あ、綾人さん……」

「そうだよ、ダニー。忘れないでくれな」

 小林は、にっこりと微笑んだ。




 その一ヶ月後――

 空港では、今日も様々な人間が行き交っている。小林もまた、その中の一人として手続きをしていた。

 見送りの人間は、誰も来ていない。もともと天涯孤独の身である。親戚とは一切の付き合いがない。小林もまた、誰にも来て欲しくなかった。

 もう、これからは一人なのだ。

 最悪の場合、たった一人で奴らに挑まなくてはならない。

 だが、それも覚悟の上だった。


 小林は飛行機に乗り込もうとした時、ふと立ち止まり振り向いた。

 様々な顔が、浮かんでは消える。柔田三郎、成宮亮、明智光一、そしてダニー……小林の胸に、一瞬ではあるが後悔の念がよぎる。

 だが次の瞬間、その思いは消えた。猪狩寛水、藤堂潤、桑原徳馬、西村陽一、そして銀星会の面々……奴らの顔が浮かんだ瞬間、小林の心をドス黒いものが塗り潰していく。


「お前らは全員、俺が殺す。皆殺しだ」


 小林は低い声で呟き、飛行機に乗り込んで行く。

 その表情は静かなものだった。しかし、彼の瞳は異様な光を帯びている。

 まるで、悪霊に取り憑かれているかのように。







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