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涙を知った野獣  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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白井雪

◎白井雪


 かつてダニーの顔を侮辱し、逆に明智の暴力で顔面を潰された女。



「あ、兄貴が行方不明?」

 驚愕の表情を浮かべるダニーに、小林は頷く。

「ああ。で、俺もずっと探していたんだが……やっと見つかったんだ。どうやら、ラエム教の施設に囚われているらしい」

「えっ……」

 そう言ったきり、ダニーは言葉につまり、何も言えなくなってしまった。囚われている、だと? それはどういうことなのだ? どんな酷い目に遭わされているんだ?




 明智とダニーが袂を分かってから、三ヶ月が過ぎていた。ダニーは向坂史奈の家に住み、彼女と共に生活していた。

 何事もなく、平和に暮らしていたダニー。しかし心の中では、明智のことが気になっていた。

 そんな時、彼のケータイに電話が来る。

 小林からだった。


(ダニー、大事な話がある。今から、ちょっと出てきてくれ)


 小林の声は普通ではない。何か恐ろしいことが起きたのだ。ダニーはすぐに、小林と会うことにした。

 だが、そこで聞かされた話は、ダニーの予想を遥かに上回るものだった。




 様々な思いが頭の中を駆け巡り、混乱しているダニー……だが、小林は語り続ける。

「ダニー、足を洗ったお前に、今さらこんなこと頼みたくなかった。だが、お前しかいないんだよ。明智さんが行方不明になってから、桑原徳馬は手のひらを返しやがった。ウチの知ったことじゃねえ、だとよ。他の連中にも頭を下げてみたが、誰も助けてくれねえ……かろうじて、柔田と成宮が情報をくれただけだ。しかも、人手は貸してくれねえ。柔田は曲がりなりにも刑事だし、成宮はしょせん情報屋だ。俺一人で行くしかないんだよ」

 そう言った次の瞬間、小林は深々と頭を下げる。

「ダニー、頼む。一度だけでいい、力を貸してくれ。悔しいが、俺一人で乗り込んで行っても犬死にするだけだ。お前以外にいないんだよ。頼む」

「分かったよ! 早く行こう!」




 小林の運転する車の中、ダニーはずっと足を揺らしていた。そうでもしていなければ、心がどうかなりそうだったのだ。


 兄貴……。

 俺、変われたんだよ。

 今、俺は普通に生活しているんだ。

 暴力とは無縁の世界で、静かに暮らせてる。

 人間として、生きていられるんだ。

 兄貴のお陰だよ。

 兄貴が、俺を檻から救ってくれたから……俺は今ここにいるんだ。

 今度は、俺の番だ。

 俺が、兄貴を救い出す。




 不意に、車が停まった。

「ダニー、ここだ。ここに、明智さんは囚われているらしい」

 言いながら、小林は十メートルほど先にある一軒家を指差す。もっとも家というより、お洒落なペンションのような雰囲気の建物である。周囲は自然に囲まれており、人通りは無い。豊かな緑と穏やかな感じの建物がいかにも平和そうな雰囲気を醸し出しており、新興宗教の施設としては、ふさわしい見た目である。

「本当に、ここなのか?」

 呟くダニー。

「ああ、そうだ。成宮の話だと、中には銃で武装したガード専門の信者もいるらしい。いいかダニー、お前だけが頼りだ。中に入ったら、全員を殺してくれ。でないと、明智さんを救い出せない」


 緊張した面持ちで、車を出る小林。普段と同じスーツ姿だが、トレードマークの黒ぶちメガネは外している。もともとが伊達メガネであるため、特に不自由は無いのだが。

 後から続くダニーは、いつもと同じパーカーを着ている。サングラスをかけ、マスクを着けているのも普段通りだ。

 小林はドアの前に立ち、ブザーを押す。

「どなたでしょうか?」

 ドアホンから聞こえてきたのは、言葉こそ丁寧だが警戒している声音だ。小林はにこやかな表情で、ドアホンに語りかける。

「すみません、藤堂潤さんの使いで来た者ですが……ここでは何ですから、ちょっと入れてはもらえませんかね」

「はい? どういうことです?」

「ですから、藤堂さんの使いです。あなたじゃ話にならないんで、とにかく開けてください」

 あえて挑発的な言葉を吐く小林。すると、向こうはまんまと乗ってきた。

「んだと……開けてやろうじゃねえか」

 その言葉と同時に、ドアが乱暴に開き、大柄な若者が出てきた。一応スーツ姿であるが、致命的に似合っていない。類人猿にスーツを着せたかのようである。いかにも粗暴犯のような顔つきで小林を睨みながら、男は口を開く。

「おい、俺じゃ話にならねえってのか? 上等じゃねえか――」

 喋り終わる前に、小林は拳銃を抜いた。男の腹に押し当て、トリガーを引く。

 男の顔に驚愕の表情が浮かび、次いで恐怖へと変わる。腹を手で押さえ、よろよろと後ずさった。

 その瞬間、ダニーが男を突き飛ばし部屋に飛び込んだ――

 ダニーは躊躇せず、手近にいた別の男に左ミドルキックを叩き込み、続いて横殴りの肘打ちで顎を砕く。

 その時になって、ようやく中の者たちも襲撃を察知した。三人の男が一斉に立ち上がり、拳銃を抜こうとする。しかし、ダニーの動きの方が早い。一人の顔面に飛び膝蹴りを入れ、続いて顔面に肘を落としていく。その二発で、相手は崩れ落ちた。

 しかし、ダニーの攻撃は止まらない。間髪入れず、他の二人にも襲いかかって行った――

 一方、遅れて入った小林は拳銃を構える。ダニーが一瞬で三人を片付ける様を横目で見ながら、部屋の奥へと進んでいく。室内は、まるでホテルのロビーのような造りになっている。ソファーとテーブル、それにテレビが備え付けられていた。

 そんな部屋の奥には、唖然とした表情の女が立っている。小林は、その女に拳銃を向けた。

「おい、明智さんはどこだ? 言わねえと殺すぞ」

 その言葉を聞いたとたん、女の表情が変わった。まず頬が緩み、次いで口元が歪む。

 やがて、彼女は笑い出した――

「何がおかしいんだ! さっさと明智さんの居場所を言えや!」

 怒鳴ると同時に、小林は拳銃を撃つ。弾丸は彼女の左足を貫き、女は悲鳴を上げ倒れた。

 だが小林は容赦しない。倒れた女に、さらに蹴りを叩きこむ――

「おら! 明智さんはどこにいんだよ! さっさと言わねえと、腕切り落とすぞ!」

 その言葉に、女は憎しみをこめた視線で小林を見上げた。

「そこにある鉄の扉を開ければ、下の階に続く階段がある。明智は、下の階にいるよ」

 そこまで言うと、女は再び笑い出した。笑いながら、小林を睨み付ける。

「ほら、早く行ってみなよ! その目で、明智がどうなったか見てみるんだね! あんた、どうしようもないバカだよ! 今さら、あんな奴を助けたって何にもならない――」

 女が最後まで言い終える前に、小林が女の頭に銃弾を撃ち込んだ。


 ダニーと小林は、慎重に階段を降りていく……女の最期の言葉が何を意味するのか、今の彼らには分からなかった。だが、いずれにしても明智は生きているのだ。ならば、出来るだけ早く救出する。小林は逸る気持ちを押さえ、ゆっくりと階段を降りていった。

 やがて二人は、地下室に着いた。目の前には、鉄製の頑丈そうな扉がある。

 小林は、扉に耳を当ててみた。微かな声が聞こえるが、それだけだ。どうやら、中には少なくとも二人いるらしい。

 小林は、ダニーの耳元で囁いた。

「ダニー、俺がドアを開ける。お前は中に入って、邪魔な奴らを全員殺せ。お前だけが頼りだ。いいな」

 ダニーは無言のまま、コクリと頷く。小林は慎重に、ドアノブに左手を掛けた。右手には拳銃を握っている。

 息を吸い込み、一気にドアを開けた。と同時に、ダニーが野獣のごとき勢いでなだれ込んで行く。

 しかし、ダニーの動きはすぐに止まった。呆然とした様子で、その場に立ちすくんでいる。何か恐ろしいものを見て、衝撃のあまり動けなくなってしまったかのように。

 小林は拳銃を構え、すぐに入って行った。と同時に、怯えたような叫び声が部屋の中に響き渡る――

「な、なんだお前たちは! 時間はまだだろうが! さっさと出て行け!」


 地下室は、中世ヨーロッパの牢屋のようだった。石造りの壁に覆われており、部屋の明かりも、どこか暗い雰囲気だ。部屋の半分は鉄格子に覆われた檻のような形状になっており、中には木のベンチが設置されている。

 そして声を発したのは、髪の毛の薄くなった四十過ぎの男だった。ブクブクとだらしなく肥え太り、腹の周りに付いた脂肪は浮き輪のようだ。男は全裸で、檻の中で震えている。

 だが、ダニーと小林の動きが止まったのは、その男が原因ではなかった。

 男がしっかりと抱きしめていたもの、それは明智だったのだ――


「あ、兄貴……あにぎいぃぃ!」

 絶叫するダニー。小林も、目の前の光景が理解できず呆然としていた。

 明智の両腕は、肘のあたりから切断されている。両脚もまた、膝のあたりから切断されていたのだ。

 さらに首輪を付けられ、全裸で虚ろな表情を浮かべている。ダニーたちが来たことにすら、気づいていないらしい――


「ウオォォォ!」

 ダニーは、野獣のような声を上げた。同時に、男に向かい突進していく――

 男は悲鳴を上げ、反射的に両手で顔を覆った。しかし、ダニーは男の髪の毛を掴み、力任せに無理やり引き上げる。

「兄貴から……離れろおぉぉぉ!」

 喚くと同時に、ダニーは片手で男をぶん投げた。百キロ近い肥満体の体が宙を舞い、鉄格子に叩きつけられる。

 さらに、倒れた男を容赦なく蹴りまくるダニー。肉を打つ音と、うめき声が室内に響き渡る……。


 やがて後ろから、小林がダニーの肩を叩いた。

「ダニー……もういい。このクズは、もう死んでる。それより、明智さんのそばに行ってやってくれ」

 小林が、声を震わせながら言った。すると、ダニーの動きは止まる。

「あ、兄貴……」

 ダニーは体を震わせながら、倒れている明智のそばにしゃがみ込んだ。優しく抱き上げる。

 その時、ダニーは初めて気づいた。明智の股間にあるはずのものが、綺麗に切り取られているのだ。

 さらに、明智の目はどんよりしている。未だに、ダニーの存在にすら気づいていないようなのだ……。

「薬だよ、ダニー。明智さんは、薬で頭を狂わされちまったんだ。明智さんは、自分がどこで何をしているかも分かってないんだ」

 小林の虚ろな声が室内に響いた。ダニーは体を震わせながら、じっと明智を見つめる。

 次の瞬間、その目から涙が溢れた――


「ウワアァァ!」

 ダニーは吠えた。明智を抱き上げ、狂ったように喚き散らす。彼は、生まれて初めて泣いていたのだ。泣きながら、明智を抱きしめる――

 その時、明智の顔が動いた。ダニーを見上げ、虚ろな目で口を開く。

「ダ、ダニー……か」

 その言葉には、力が感じられなかった。蚊の鳴くような、小さな声。だが、ダニーはハッとなった。

「あ、あにぎ……」

「ダニー、来てくれたんだな」

 力なく微笑む明智。小林とダニーはその表情を見て、全身が引き裂かれそうな気分に襲われる……。

 明智の歯は、全て抜かれていたのだ。

 人間としての尊厳を全て奪われ、変態どもの性欲を満たすための道具として扱われ、明智は滅茶苦茶にされてしまったのだ――


「クソがあぁぁぁ!」


 喚きながら、既に死体と化した中年男に拳銃を向ける小林。

 そして、トリガーを引いた。

 銃声が轟き、銃弾が男の肥えた体を貫いた。だが、小林はなおもトリガーを引き続ける。やりきれない怒りを、死体にぶつけるかのように。

 しかし、明智が声を発した。

「やめろ……弾丸の無駄だろうが」

 その声を聞き、小林の手が止まった。彼は顔を歪めながら、ゆっくりと明智の方を向く。

「あ、あにぎ……俺、ビーマンぐえるようになっだよ……ニンジンもぐえるようになっだがら」

 涙を流しながら、声を絞り出すダニー。その言葉に、明智は笑みを浮かべた。

「ダニー、頼みがある」

「な、なに?」

 涙を拭いながら、明るい表情を作り尋ねるダニー。だが次の瞬間、その表情は凍りついた。


「ダニー、俺を殺してくれよ」


「い、いやだ! 俺はあにぎをごろざない! ぜっだいごろざない!」

 叫びながら、ダニーは明智を抱きしめた。

「あにぎ、病院いごう……俺があにぎを病院にづれでいぐ。あにぎのがらだ、なおずがら……ぜっだいになおずがら」

「無理だ。俺の体は治らねえ。だから殺してくれ」

「いやだ! ぜっだいいやだ!」

 涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら、ダニーは必死で首を振る。

「あにぎ……俺とざぎざがと、いっじょにぐらぞう。俺があにぎをだずげるがら……あにぎの面倒、俺がみるがら……」

「ダニー、ピッチーを覚えてるか?」

 不意に、囁くような声で明智は尋ねた。

「お、覚えでる……前にがっでだ、ずずめだ」

「お前は、ピッチーを逃がしてやったな……自由にしてやりたいから、って」

「う、うん」

「だったら、俺のことも自由にしてくれ……俺の、最期の頼みだ」

 蚊の鳴くような明智の声。だが、そこには彼の意思が感じられた。先ほどまでと違い、明智の目には光が宿っている……かつて、ダニーや小林を引き連れていた時のように。

 その目を見たダニーは、無言のままコクリと頷いた。彼は、ようやく理解したのだ。今の明智は、昔の自分と同じだ。首輪を付けられ檻に入れられ、全ての自由も誇りも奪われてしまった。これ以上の生は、プライドの高い明智にとって地獄と同じだ。

 ならば、明智を地獄から解放してあげる。それが、ダニーに出来る最後の恩返しだ。


 ダニーの覚悟を決めた表情……それを見た明智はニッコリと笑い、小林の方に視線を移した。

「こ、小林……お前には本当に世話になった。今までありがとう」

「いえ……いえ……どう、いだじ、まじで……」

 小林もまた、溢れる涙を拭っている。ダニーと同じく、涙でぐしゃぐしゃになった顔で明智を見ていた。

 すると明智は、ダニーの方を向く。


「ダニー、もういいよ。さっさと殺ってくれ」


 明智は微笑んだ。

 今まで見たことがないほど、美しい表情だった。

 それを見たダニーは、凄まじい形相で吠える。

 明智の首に、両手を伸ばした。

 その時、微かな声が聞こえた――


「ありがとう、ダニー」


 ダニーは、もう一度吠える……深い哀しみと怒りに満ちた、野獣の叫び声。

 直後、首をへし折った――


 明智は、ずっと微笑んだままだった。

 ダニーは明智の亡骸を抱え、涙が枯れるまで泣き続けた。

 小林は一階に上がり、施設に隠されていた現金を全てカバンに詰めていく。札束に怒りをぶつけるかのように、乱暴に放り込んでいく。

 悪霊にでも取り憑かれたかのような表情で、小林は金を詰め込んでいた……。






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