西村陽一
◎西村陽一
裏社会の住人。気まぐれな部分があるが、仕事はきっちりこなす男。
「いやあ、会っていただけるとは光栄ですね。なあ立花」
岸田真治の言葉に、隣に座っていた男は頷いた。だが、その表情は険しい。岸田とは対照的に、岩のような体格の持ち主である。リーゼントで固めた髪型や濃く太い眉は、どこか昭和の不良学生を連想させるような風貌だ。
にこやかな岸田とは対照的に、その男は今にも襲いかかってきそうな雰囲気を醸し出している。
明智とダニー、そして小林。三人は真幌市内にある高級ホテルの一室に来ていた。白土の狂犬として名高い岸田真治からの呼び出しを受けたのである。
三人が部屋に行ってみると、岸田はソファーに腰かけていた。まるでヨーロッパの人形のように整った顔立ちと美しい瞳、そして透き通るような白い肌の持ち主である。白土の狂犬という異名からは、いささかイメージしにくい外見であった。
むしろ隣にいる立花の方が、狂犬と呼ぶに相応しい風貌であろう。
「いえいえ。こちらこそ、白土の狂犬と呼ばれた岸田真治さんとお会いできるとは……実に光栄ですよ」
そう言って、微笑む明智光一。すると、先ほど立花と呼ばれていた男が、勢いよく立ち上がる。
「狂犬とは、どういう意味ですか明智さん?」
口調は冷静だが、その目には危険な光が宿っている……すると、後ろに控えていたダニーが反応した。素早い動きで、明智の横に付き立花を睨みつける。
睨み合うダニーと立花。だが、明智がダニーの腕を掴んだ。
「ダニー、やめとけ。俺たちは喧嘩しにきたわけじゃないぞ」
ダニーにそう言うと、明智は岸田に視線を移す。
「で岸田さん、用件はいったい何なんです? 俺たちも暇じゃないんですよ。堅苦しい前置きは抜きにして、さっさと本題に入ってくれるとありがたいんですがね」
この明智の物言いに、立花は凄まじい表情で睨み付けた。もはや、敵意を隠そうともしていない。完全に武闘派の素顔を剥き出しにしている。
だが、岸田の表情は至ってクールであった。
「立花、まずは座ってくれないか。君のその魅力的な大臀筋を見ていられるのは、僕としては嬉しい限りだが……あいにく、今はもっと優先すべき問題があるんでね」
岸田の言葉を聞き、立花は不満そうな表情をしながらもソファーに座る。
「で、明智さん……あなたの言うことはもっともだし、僕も忙しい身です。単刀直入に言いましょう。我が義理の妹である神居桜子には、今後いっさい関わらないで欲しいですね」
淡々とした口調で言ってのけた岸田。その顔には、ぞっとするような表情を浮かべていた。明智がこれまで見た中で、掛け値なしにもっとも美しい男だ。同時に、もっとも狂気を感じる男でもあるが。
岸田はさらに言葉を続ける。
「明智さん、あなたは美しい。しかも、金と力とを兼ね備えている。そんなあなたなら、女を引っかけることなど、ウルメイワシを釣り上げるより簡単なのではないですか? 申し訳ないが、我が義理の妹である桜子は、あなたに釣り合う女性だとは思えない」
そう言って、岸田は笑みを浮かべた。
「なんなら、桜子の代わりに僕と付き合ってみませんか? 僕は桜子とは違いますよ……あなたと同じ世界に生きていますし、あなたを喜ばせるテクニックも桜子より詳しいですよ――」
「ちょっと真治さん!」
語気鋭く、岸田の言葉を遮る立花。
「冗談だよ立花。で明智さん、これが本題ですが、どうでしょう?」
岸田は、明智をじっと見つめる。不思議な瞳だ。まるで幼子のように澄みきっている。これまで、世間の雑事に触れたことがないのだろうか。岸田は、その澄みきった瞳を明智に向けている。殺意は感じられない。その瞳に浮かぶのは、愉悦だ。岸田は、今のこの状況が好きで好きでたまらないのだろう。
その時になって、明智は目の前の男の本性に気づいた。岸田真治は、他人の命はおろか……自分の命すら大切だとは思っていない。いざとなれば、ここで切った張ったの騒ぎを起こすこともためらわないだろう。損得など考えず、何もかも捨てて、凶気に身も心も売り渡せる男なのだ。
ある意味、自分と近い部分がある。
「なるほど、言いたいことは分かりました。しかし、私が嫌だと言ったらどうするんです?」
言いながら、明智は岸田の瞳を見つめた。すると、岸田の表情に変化が生じる。まるで探し求めていた玩具を見つけた子供のように、嬉しそうな顔つきで口を開く。
「そうなると、僕はあなたたちと戦争しなくてはなりませんね」
「戦争、ですか」
「そうです。あなたたちと、僕らとの殺し合い……実に楽しみですね。あなたたちの武勇伝は、あちこちで聞いていますよ」
岸田は、楽しそうに笑った。いかにも楽しそうに……だが、隣に座っている立花はニコリともしていない。彼は、じっとダニーを睨み付けている。ダニーがちょっとでも妙な動きをしたら、即座に反応できるように。
「ところで岸田さん、もし仮にですが……神居壮介氏が亡くなったとしたら、あなたはどうします?」
にこやかな表情で、明智はとんでもない言葉を口にした。すると、いかにも愉快そうだった岸田の表情が変化する。
「その言葉が何を意味するか、あなた分かってるんですか?」
冷たい表情で、言葉を返す岸田。
「もちろんです。今のところ、神居家の当主は神居宗一郎氏です。そして次の当主と目されているのが、宗一郎氏の長男である神居壮介氏ですよね」
すらすらと言ってのける明智。そう、彼にとって本題はここからなのだ。もともと明智は、岸田とやり合うつもりはない。それよりも、今は味方に引き入れた方が得策なのだ。
「神居家の次男である神居清隆氏、そして三男である公彦氏は事故死していますよね。つまり今、神居家の家督を継ぐ権利があるのは……神居壮介氏と、岸田真治さんだけということになりますね。もし仮に、神居壮介氏が消えたら……」
ここで言葉を止め、相手の反応を見る明智。だが、岸田は表情一つ変えなかった。明智の顔を、じっと凝視している。
二人はしばらくの間、黙ったまま見つめ合う。
先に口を開いたのは、岸田の方だった。
「あなた、正気ですか。もしそんな事態になれば、神居家はおしまいですよ」
「終わってもいいんじゃありませんかねえ。あの家の存在は歪んでますよ。いずれにしても、放っておけば神居壮介の代で神居家は終わるだろう……私はそう考えています」
「その考えを、よりによって僕の前で言いますかね……いやあ、大したもんだ。明智さん、あなたは大物ですね。本当に大物だ」
受け止め方によっては、皮肉ともとれる言葉ではあるが……実際に岸田は感心しているようだった。首を振りながら、目線を宙に向ける。
一方、立花の顔つきも変化していた。先ほどまでは、神をも殺してしまいそうな目付きでダニーを凝視していたのに、今では真剣な面持ちで明智の話を聞いているのだ。
明智は話を再開する。
「そこで、私はこう考えました。どうせ滅びるのならば……いっそのこと、うつけ者であるあなたが神居家を継いだ方が良いのではないか、とね」
「うつけ者、ですか」
口を歪め、苦笑する岸田。だが、不快には感じていないようだ。
「そうです。いいですか、今後の裏社会は大きく様変わりするのは間違いありません。まず、近いうちに銀星会が分裂します。次いで、士想会も代変わりとなるでしょう……あの会長さんも、引退を決意されているようですしね。今後、我々の住む世界は、戦国時代のごとき混沌とした有り様へと変貌していくわけです」
「それは、確かな情報なんですか?」
横から口を挟んだのは立花だ。
「ええ、間違いないでしょうね……そうそう、ついでだから言っておきますよ、立花薫さん。桑原徳馬さんが、あなたによろしく伝えてくれ、と言っておりました」
そう言って、笑みを浮かべる明智。彼は手応えを感じていた。流れは間違いなく、こちらに来ている。後は引き寄せるだけだ。
しかし、ここで焦ってはならない。ここから先は、より慎重に言葉を選び交渉していく。
頭の中で様々な考えを巡らせながらも、明智は言葉を続ける。
「岸田さん、こんな時代だからこそ……あなたのような指導者が求められているのだ、と私は思います。いわば、あなたは織田信長の役割を担うことになるのではないか、と――」
「すみません、ちょっと待ってください」
右手を挙げ、明智の話を遮る岸田。と同時に彼は脇にあるカバンを開け、何かを取り出す。
それは二枚の紙だった。週刊紙と同じくらいのサイズの紙である。どちらにも、別々の絵が描かれていた。岸田はそれを、テーブルの上に並べる。
「明智さん、一つお聞きしたいのですが……あなたは、どちらの絵が価値があると思いますか?」
「はい?」
予想だにしていなかった展開に、さすがの明智も戸惑っていた。思わず口を開け、岸田を見つめる。
だが、岸田はお構い無しだ。
「なに、簡単じゃありませんか。この二枚の絵、どちらが価値があるか……あなたの意見を聞かせていただきたい。さあ、どちらだと思います?」
そう言うと、岸田はいたずらっ子のような笑みを浮かべる。嬉しくて楽しくて仕方ない、といった表情で明智を見つめ返した。
明智は仕方なく、二枚の絵に視線を移す。片方は、綺麗な街の風景を描いたものだ。年齢も性別も職種もバラバラな人間たちが、細かく描かれている。
もう一枚は、完全に真逆の雰囲気であった。全裸の少女の周囲で、美しく着飾った者たちがパーティーをしている……ただし、彼らの頭の部分は犬だったり猫だったり鳥だったりするのだが。
そう、動物の頭を付けタキシードを着た者たちが、パーティー会場でグラス片手に談笑しているのだ。そんな中、全裸の少女だけは床にしゃがみこみ、絶望的な表情でじっと天井を見つめている……そんな奇妙な絵であった。
明智は首を捻る。もとより絵画には、欠片ほどの興味もない。本音で答えることが許されるなら、どちらの絵も一円の価値も無い、と答えるだろう。
だが、今回はそうもいかない。岸田は、何のためにこんなことをさせるのか……間違いなく、明智をテストしているのだ。もっとも、岸田の望むような解答を出せるかは不明だが。
「さて明智さん、どちらを選びますか?」
「そうですねえ……こちらだと思います」
言いながら、明智は右側の絵を指差す。
「ほう、そちらですか。何故そちらを選んだのか、よろしければ聞かせてくれませんか?」
尋ねる岸田に、明智はいかにも意味深な表情を向ける。
「岸田さん、絵を評するのに、いちいち言葉や理屈が必要ですか?」
「はい?」
「肝心なのは、自分がこれを好きだという想い……それが最も大切でしょう。口先だけの言葉を用いて褒め称える、それはむしろ誤魔化しなのではないですか。私は、こちらの絵の方が価値があると感じた……理由はそれだけです」
「なるほど。しかし残念ながら、価値があるのはこちらです。日本の有名な画家の作品ですよ。海外でも、高い評価を得ているそうです」
言いながら、岸田は左側の絵を指差す。街の風景が描かれた絵だ。言われてみれば、こちらの方が綺麗にまとまっている気はする。明智は思わず苦笑した。
「そうでしたか。いやあ、私は見る目がないですね――」
「でも、僕もこちらの絵の方が好きですがね」
そう言って、岸田は右側の絵を指差す。動物の頭を付けた者たちに囲まれ、絶望的な表情を浮かべている少女が描かれている絵を。
怪訝な表情になる明智。これは、どういうことなのだろうか。
だが、その答えはすぐに出た。岸田は微笑みながら、右手を差し出してきたのだ。
「あなたとは、気が合いそうだ……是非とも、本家のバカを始末してください」
「やりましたね、明智さん。これで、神居家とのパイプが出来ましたよ」
帰りの車の中、小林は安堵の表情を浮かべながら言った。
「ああ。岸田は噂以上のキチガイだったが、どうやら気に入ってもらえたらしいな」
「じゃあ、明智さんにも、ついに強力な後ろ楯が出来たわけですね」
何気ない小林の言葉に、何故かダニーが反応した。
「あ、兄貴……後ろ楯って何だ?」
「はあ? 後ろ楯ってのはな、簡単に言うと頼りになる味方ってことだ」
「味方……」
「そう。あの岸田ってのは、俺たちの味方になるんだよ」
「じゃあ、俺より頼りになるのか?」
ダニーの問いに、明智は笑いながら答える。
「当たり前だ。あいつと神居桜子をこっちに引き込めば、お前の手を煩わせるようなことにはならねえよ。お前は、家でのんびりしていればいい」
今の明智は、極めて機嫌が良かった。だからこそ、さして考えもせずに言葉を発した。
その言葉が、どのような影響をもたらすか考えもせずに。




