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ダニー

◎ダニー


 ケロイド状の皮膚に覆われた醜い顔と、常人離れした身体能力を持つムエタイの達人。明智の忠実な弟分である。



「おい、何なんだこれは……ずいぶんと愉快なことをやってたんだなぁ、お前らは」

 言いながら、震える若者の前でスマホの画面を見せる明智。その端正な顔からは、表情が消えている。氷のような冷たい目で、彼のすぐ前にいる二人の若者を見つめていた。




 都心から少し離れた小さな山の麓に、一軒の旅館が建てられていた……ただし、経営に行き詰まり倒産し、現在では巨大な廃墟と化しているが。

 今、その旅館の跡地には四人の人間がいる。ゴミが散らばり虫や小動物が蠢く広間で、パイプ椅子に座りスマホをいじくっている明智光一。その明智の目の前で、気をつけの姿勢のまま震えている二人の若者。どちらも十代であろうか……顔面が蒼白で、今にも倒れてしまいそうだが。

 さらに、少し離れた位置には妙な男が立っている。男はスーツ姿で中肉中背、明智と同じくらいの年齢に見える。ただ、明智のような危険な雰囲気など欠片も感じさせない。黒ぶちメガネをかけた愛嬌のある顔にはとぼけた表情が浮かんでおり、一見すると人畜無害に思える。

 ただし、その人畜無害な男は壁にもたれかかり、明智たちの物騒な会話を平然とした様子で見守っているのだが。


 震えている二人の目の前で、明智は立ち上がった。二人に近づき、スマホの画面を指差す。そこには、LINEのやり取りが映し出されていた。

「今からクリスタルを受け取りに行くぜ、か。おい……何が楽しくて、LINEで企業秘密をペラペラと洩らしてんだ? こんなことしてて楽しいか? 僕は大量のクリスタルを扱える大物です、って仲間にアピールしてる訳か?」

 語気鋭く、若者たちに迫る明智。若者たちは、震えながら首を振る。

「これはな、ガキの遊びじゃねえんだよ。分かってんのか?」

 言った直後、明智のパンチが飛んだ。彼の右拳が、片方の若者の顔面にめり込む――

 悲鳴を上げ、両手で顔を覆う若者。だが、明智は容赦しない。さらに若者の髪の毛を掴み、床に顔面を叩きつける。

「いいか、このアホなLINEが原因で、お前らが逮捕されたとしよう。そうしたら、とばっちりが俺の方にも来るんだよ。分かってんのかオイ」

 言った直後に立ち上がり、もう一人の若者を殴り倒す明智。さらに、うずくまっている二人を爪先で蹴り続けた。

「分かってんの? お前らがバカ過ぎてパクられんのは、お前らの自由だよ。少刑(注:少年刑務所の略)に行ってガキ共に毎日リンチされ、ボロボロになって出所すんのはお前らの勝手だ。けどな、そのとばっちりが俺の方にまで来るんだよ。分かってんのか? そこの所をよ?」

 冷静な口調で言いながら、二人を交互に蹴り続ける明智。だが、二人から返ってくるのは呻き声だけだ。

 しばらくの間、廃墟と化した旅館の中では、肉を打つ音と呻き声だけが響き渡っていた……。


 やがて、明智の動きが止まった。荒い息を吐きながら、倒れている二人をじっと見つめる。

 だが……おもむろに、上着の内ポケットから拳銃を抜いた。

「さて、お前らみたいなクズはだ……このまま生かしといても、まっとうな一般市民にはならねえだろ。かといって、裏の世界でも使い物にならねえ。だったら、いっそ死んじまえ。ここで死ね」

 言葉の直後、銃口を向ける明智。すると、若者たちの顔がひきつった。震えながら、銃口を凝視している――

 しかし、彼らは動くことが出来なかった。先ほどまでの蹴りのダメージもさることながら、彼らの理解を超えた恐怖が心と体を支配していたのだ。

 一方、明智はつまらなさそうな表情で拳銃を向けている。その構えは、あまりにも無造作だ。何かの弾みでトリガーを引きかねない……。

 だが突然、その明智の手を下ろさせた者がいた。

「明智さん、こんな連中は殺すほどの価値もありませんよ。死体の始末も面倒です。俺に任せてくれませんか?」

 そう言って明智の腕を掴んでいるのは、先ほどまで壁にもたれかかるように立っていた黒ぶちメガネの男だ。明智は不快そうな表情で、男に視線を移す。

「おい小林、てめえ俺に指図する気か?」

 言いながら、明智は男を睨みつけた。だが小林と呼ばれた男には、怯む気配がない。

「明智さん、考えてみてくださいよ。こんな連中を殺したところで弾丸の無駄です。それよりも、生かしておいて落とし前を付けさせる方が、圧倒的に得でしょうが……違いますか?」

 平然とした表情で、言葉を返す小林。すると、明智の態度に変化が生じた。不快そうな表情を浮かべながらも、拳銃を懐にしまう。だが次の瞬間、小林の左頬を殴りつけた――

 明智のパンチをまともに顔面に食らい、その場に倒れる小林。

「いいか小林……てめえに任せてやるよ。だがな、きっちりケジメ取れねえようなら、俺の始末する死体は三体になる。分かってんだろうな?」

 倒れている小林に向かい、冷ややかな表情で言い放つ明智。すると、小林は顔をしかめながら立ち上がった。

「ええ、もちろんです」

 そう言って、笑みを浮かべながら会釈する小林。そして、震えている若者たちの方を向いた。

「いいか、お前ら……死にたくなかったら、俺の言うことを聞くんだ。今から、俺が知り合いの社長に頼んでみる。お前らは、その社長の会社で二年ばかり働いて来い。分かったな」

 小林の言葉に、若者たちは震えながら頷いた。




 二時間後、廃墟に一台のバンが到着した。四人のスーツ姿の男たちが車を降り、明智と小林に軽く会釈する。

 そして、二人の若者をバンに乗せた。


「では明智さん、今回はどうも……」

 一人の男が、意味ありげな表情で挨拶しながらバンに乗り込む。直後、バンは走り去って行った。

「なあ小林、あいつら幾らになった?」

 去り行くバンを見つめながら、冷酷な表情で尋ねる明智。先ほど、小林を殴り倒した時のことなど忘れているらしい。

「はい、一人五百万です。まあ、奴らの内臓と血液はヤクのせいでボロボロですからね。使える部位が少ないから、安く買い叩かれるのも仕方ないですよ。ただ、もう少し粘れば六百万にはなったかもしれませんがね」

 即答する小林。こちらも、先ほど殴られたことなど忘れてしまったようだ。

「いいよ、五百で充分だ。欲をかいて小銭を拾ったところで、大した意味はねえだろうが。それよりも、あの二匹のバカをさっさと始末できたことの方がありがたい」

 吐き捨てるような口調で言った明智。すると、小林は口元を歪めて頷いた。


 あの二人の若者は、小林の提案で仲間に引き入れたのだ。今のところ、ちょっとした雑用も三人で――明智と小林とダニー――行なっている。しかし、だんだんと手が回らない部分も出てきた。そこで、二束三文で使えるチンピラを雇うことにしたのだ。

 そして見つけたのが、先ほどの二人組だった。二人とも札付きの不良で、両親からは既に見放されている。そのため、いきなり消えたとしても、誰も捜索願を出したりしない。いざとなれば、口を塞ぐため殺しても構わない。もし役に立ちそう奴なら、今後も使っていく……明智と小林は、そう考えていたのだ。

 ところが、その二人は思いもかけないことをしでかした。合成麻薬のクリスタルを運ばせてみたところ、LINEであちこちの友人知人に「今から、クリスタルの運び屋やるよ」などと触れ回っていたのだ。情報はあっという間に拡散し……クリスタル目当てのヤク中の襲撃を受ける羽目になってしまった。

 何とかクリスタルは守り抜いたものの、明智はひどく腹を立てていた。

 その結果、二人の若者は地獄へと旅立つ羽目になってしまった。彼らは今から、裏の専門業者の息のかかった病院へと運ばれる。その後は全身麻酔をかけられ、内臓や角膜、血液などといった金になりそうな部位を全て抜き取られ……余った部位は、ゴミと一緒に焼却される。

 先ほど明智が小林を殴ったのも、若者たちを言いなりにさせるための芝居だ。悪人役の明智が恐怖心のギリギリのラインまで脅し、次いで善人役の小林が若者たちを優しく説得する。なまじ恐怖だけで支配しようとすると、心理的に追い詰められた者はとんでもないことをしでかす可能性がある。窮鼠、猫を噛むの諺もある通り、死に物狂いで暴れ出す可能性があるのだ。その結果、殺してしまっては一文の得にもならない。それどころか、死体の始末で金と時間を失うことになる。

 ところが、逃げ道を与えてやれば……人はそこに希望を見いだし、結果として大人しくなる。もっとも、この場合は偽りの希望なのだが。


「ところで明智さん、昨日はラエム教の連中と揉めたそうですね」

 小林の言葉に、明智は露骨に不快そうな表情をして見せた。

「揉めたぁ? 大したことねえよ。あの藤堂とかいう奴には腹立ったけどな」

「いや、大したことですって……明智さんが痛めつけた白井って女は、あの売春宿でもトップクラスの稼ぎ手だったんですよ。それが鼻をへし折られ、顔面を骨折させられ、前歯もほとんど失いました。もう、商品価値は無いそうです」

 苦笑しながら語る小林。だが、明智の表情は変わらない。

「だから何だ? 奴らがトチ狂った真似してきたら、いつだって返り討ちにしてやるさ。命が惜しかったら、最初からこんな世界に首を突っ込むかよ」

 吐き捨てるような口調で言った明智。そう、命を惜しむくらいなら裏の世界に足を踏み入れたりしない。ただ一つの目的だけを見据え、そこに進んで行くだけだ。


「ダニーは天才なんだよ。生まれる時代が違っていれば、あいつは神話に名を残す英雄になっていたはずなんだ。それが、何の因果かこんな時代に生まれちまったせいで、あんなポンコツ女に化け物呼ばわりされるんだよ。顔が綺麗なだけで何の取り柄もねえクズ女に、な……」

 誰にともなく、独り言のように語り続ける明智。小林は黙ったまま、その言葉を聞いていた。

「誰が何と言おうが、ダニーは本物の天才だ。あいつに勝てる奴はいない。なのに、あいつは現代に生まれちまったばっかりに、化け物として扱われるんだよ。こんな理不尽な話があるか……」

「そのダニーさんは、今どうしてるんですか?」

 小林の問いに、明智の表情が柔らかくなった。

「ウチだよ。あいつ、ここんとこ暴れさせ過ぎたからな。たまには休ませてやらねえといけねえ。今ごろ、トマトのサンドイッチでも食ってるんじゃねえかな」




 明智は今も、ダニーの試合を初めて観た時の想いを忘れていない。

 旅行でタイに行った時、道案内兼通訳の男は明智をとある場所へと案内した。「明智さんには、是非ともこれを見ていただきたい」などと言いながら。

 通訳の真意は、今もって分からない。だが明智は、その通訳に対し感謝の念を抱いているのは確かである……ほんの、欠片ほどではあるが。


 通訳に連れられて行った場所は、地下に造られた闘技場であった。中心には、巨大な鉄製の檻が設置されている。その周囲を取り囲んでいるのは、年齢も服装もバラバラの男女であった。中には、欧米人の旅行客らしき者も混じっている。

「明智さん、あなたはツイてますよ。今日はね、凄い奴が出ますから。あなたなら、あいつの凄さが分かるでしょう」

 そう言って、意味ありげに笑う通訳。だが、明智は首を傾げた。何が言いたいのだろうか?

 その直後、屈強そうな数人の男たちが現れた。その男たちは、誰かを庇うように囲んでいる。

 やがて、男たちに囲まれ歩いていた者が、檻の中に入って行く。同時に、男たちは檻の扉を閉めた。

 直後、観客席のあちこちから小さな悲鳴が上がる。

 檻の中にいる男は、全身をケロイド状の皮膚に覆われていたのだ。髪の毛や眉毛は一本もなく、耳たぶや鼻も削げ落ちている。鍛え抜かれた肉体であるのは一目瞭然であったが、それよりもケロイドの方が遥かに目立つ。さらに首には、犬のような首輪を付けられていた。

「あいつがダニーです。この地下闘技場のチャンピオンですよ」

 通訳が、そっと耳打ちする。だが、明智はその言葉をほとんど聞いていなかった。

 何故なら、続いて檻に入って来たのは……鎖に繋がれた、凶暴そうなドーベルマンだったからだ。飼い主らしき者が懸命になだめているが、今すぐにでも襲いかかって行きそうな雰囲気である。

「おいおい、本気なのか」

 明智は思わず呟いていた。どんなに鍛えられた人間だろうと、凶暴な猟犬のドーベルマンが相手では勝ち目は薄い。ドーベルマンの牙は刃物にも匹敵する威力があるし、顎の力も強い。全身の筋力も人間を上回っているし、スピードに至っては比べること自体が間違っているレベルだ。

 例えるなら、何の運動経験もない素手の一般中年男性が、ナイフを持った特殊部隊の青年と戦うようなものだ。人間とドーベルマンとでは、それくらいの殺傷能力の差があるだろう。

 そんな明智の思いをよそに、通訳は自信たっぷりに言った。

「ダニーは強すぎて、人間相手だと勝負にならないんですよ。まあ、見ててください……奴の闘いぶりを」


 やがて試合が始まった。飼い主はドーベルマンの首輪から鎖を外し、素早く外に出る。

 同時に、檻の扉が閉められた。


 だが……闘いは、ほんの数秒で終わった。

 それは、あまりにも唐突な幕切れであった。試合開始直後、ダニーの喉めがけ跳躍したドーベルマン。しかし、ダニーはドーベルマンの頭をはたき落とし、同時に左の膝蹴りを放つ――

 ダニーの膝は、ドーベルマンの下顎を撃ち抜いた。しかし、ダニーの攻撃は止まらない。さらに、上から肘を落とす。

 ダニーの肘を首筋に受け、地面に叩き落とされたドーベルマン。するとダニーは犬の首を両腕で絞め、一瞬で捻り殺した――


 場内は、沈黙に包まれていた。あまりに呆気ない幕切れに、どう反応していいのか分からないのだ。

 しかし、明智だけは違っていた。

 その時、明智の頬を一筋の涙が伝っていた。そう、明智は涙を流しながら、檻の中にいるダニーを見つめていたのだ……。


 物心ついてから、涙の存在すら忘れていた明智。両親が事故で死んだ時でさえ、明智は涙をこぼさなかった。

 しかし今、明智は泣いていた。

 ダニーという、本物の天才の放つ技を目の当たりにした明智。ダニーの流れるような動きは美しく華麗で、しかも力強い。まさに、神技と呼ぶに相応しいものだ。明智がこれまで見たどんな芸術作品よりも、ダニーの動きは素晴らしかった……気がついてみたら、明智の目から涙が流れていたのだ。

 明智にとって、それは生まれて初めて味わう感覚であった。悲しみでも嬉しさでもなく、感動ゆえの涙……そんなものが存在すること自体、明智は知らなかったのだ。

 そして、明智は呟く。


「あいつは俺が引き取る。俺が、あの天才に相応しい居場所を与えてやる」







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