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涙を知った野獣  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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石井貞治

◎石井貞治


 会員制の地下格闘技の主催者。残忍な性格の持ち主である。



 真幌公園には、今日も数人の親子連れが遊びに来ていた。昼の日射しの下、子供たちは砂場や遊具の周囲で思い思いの遊びに興じていた。皆、楽しそうな表情である。

 一方、その母親たちは数メートル離れた場所に集まり、いつも通りの井戸端会議にいそしんでいた。こちらも、楽しそうな表情を浮かべていた。

 実にのどかで、平和な風景ではある。

 しかし、親子連れが遊んでいる場所の反対側の一角にいるのは……のどかな風景とは真逆の雰囲気を醸し出す男二人がいた。片方はパーカーのフードを目深に被り、昼間だというのにサングラスを掛け、マスクを付けている。もう片方は、端正な顔立ちではあるが……その瞳には、氷のように冷たい光が宿っていた。

 その二人は、言うまでもなく明智とダニーである。


「兄貴! ほら見てよ! スッポンだ! 大きいスッポンが泳いでる!」

 池を指差し、楽しそうにはしゃぐダニー。サングラスとマスクに隠れているため表情は見えないが、その声は明るく朗らかだ。

「えっ、スッポンかよ。そんなのがいるとは、知らなかったな」

 答えながら、ダニーの指差す先を見つめる明智。そこには、三十センチはあろうかという大きなスッポンがいた。水面から頭を出し、悠然とした態度で泳いでいる。

「そういえば兄貴、スッポンて食べられるんだよね。美味しいのかな?」

「うーん、どうだろうな。俺も食ったことねえし」

 答える明智。だが内心では、そんなダニーの明るさに危ういものを感じていた。このところ、ダニーの様子は変だ。妙にテンションが高く、夜になるとそわそわしながら出かけている。明智はためらいながらも、口を開いた。

「なあダニー……お前、何かいいことでもあったのか?」

 明智が尋ねると、ダニーはびくりとした表情でこちらを向いた。

「えっ? な、なんにも無いよ! なんにも無いから!」

 慌てて答えるダニー。その表情は見えないものの、動揺しているのは明らかだ。いったい何があったのだろう。

 ダニーは最近、目に見えて変わってきている。檻の中の野獣から、人間へと。飼っていた雀のピッチーを逃がしたのも、人間性ゆえであろう。

 しかし、ダニーの最近の変化には、明智は不自然さをも感じている。少し浮かれ過ぎな気がするのだ。しかも、その変化は明智の知らない何者かによってもたらされた気がするのだ。

 では、何者がそんなことをしたのだろうか。


「兄貴、向こうから変な連中が来る」

 ダニーの声。明智が振り向くと、五人の少年たちがこちらに歩いて来る。恐らく高校生くらいの年齢だろうが、学校帰りには見えない。皆、私服であろうと思われる服装で、威嚇するような視線を明智らに向けながら歩いて来た。



「ちょっと、おじさんたち……どっか行ってくんないかな? 俺たち、ここで用事があるんだけど」

 少年たちは不快そうな表情で明智らを見ている。

「俺たちがここで何をしようが、お前らには関係ないだろう。お前らが失せろ」

 冷酷な表情を浮かべ、言葉を返す明智。すると、大柄な少年が前に進み出て来た。

「はあ? 何なんだてめえはよう?」

 言いながら、明智を睨み付けた少年。体は大きいが顔色が悪く、目は血走っている上に頬はこけている。明らかに、何らかの薬物をやっている顔つきだ。もし麻取(注:麻薬取締官の略)と擦れ違ったなら、一発で目を付けられてしまうだろう。

 明智は、ふうと息を吐いた。真っ昼間から、こんな連中に出くわすとは。どうやら自分は、トラブルとは無縁の人生を送れないらしい。

 それにしても、この少年たちには危険を察知する勘というものが無いのだろうか。彼らは、あまりにも警戒心が無さすぎる。相手の強さがどの程度のものなのか、察知できないのだろうか。明智は脅したくらいで、大人しく引き下がるようなタイプには見えないだろうし、ダニーに至ってはサングラスにマスク姿だ。どう見ても、一般人とは思えないはずだった。

 だが、少年たちには引く気がないらしい。むしろ、目をギラつかせて明智らを睨んでいる。

 どうやら、薬物をやっているのは一人ではないようだ。集団で一晩中ドラッグに耽り、効き目が切れてきたから外に出てきた……そんな雰囲気である。

「おいダニー、この近辺は治安が悪いな。俺たちも、いずれは引っ越さなきゃならんらしい」

 明智は、面倒くさそうに言った。真っ昼間から、ヤク中の少年たちに絡まれるとは。ここまで治安が悪くなっているとは知らなかった。

 あるいは、明智らがクリスタルを卸している桑原たちの仕業なのかもしれない。桑原興行は、この真幌市に根を張っている組織だ。明智と桑原興行が手を結んだせいで、真幌市の薬物汚染が加速度的に進んでしまったのだろうか。

 いずれにしても、そろそろ真幌市を離れる頃合いなのかも知れない。


 だが、少年たちは明智のそんな思惑など知るはずもない。

「おい、てめえら何を言ってんだよ! 殺すぞ!」

 大柄な少年が喚いた。同時に、明智に掴みかかって行く。だが、その前にダニーが動いた。音もなく少年の背後に回り込み、少年の襟首を掴んで片手で引き戻す。同時に、少年の腹に膝蹴りを入れた。

 ウッと呻き、前のめりに倒れる少年。ダニーはその少年を無理やり立ち上がらせ、片手で軽々と放り投げる――

 少年の体は宙を舞い、地面に叩きつけられた。

 一方、ダニーは平然としている。マスクとサングラスを着けたままの顔で、少年たちに言った。

「俺は暴力は嫌いだけど、兄貴に手を出すならトコトンやるよ」

 すると、少年たちの表情が歪んでいく。ダニーの冷めた迫力に、恐怖を覚えたのた。少年たちは、徐々に後ずさる。

 ダニーが一歩、前に出た。そのとたん、少年たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。倒れている少年も起き上がり、慌てて走って行った。


 だが……その時、明智は違和感を覚えた。今までのダニーなら、無言のまま瞬時に少年たちを叩きのめしていたはずだ。それなのに、今は相手に情けをかけるような動きをしていた。

 どういうことだろう。

「おいダニー、今のはいったい――」

「兄貴、ああいう奴は何が目的なんだ?」

 明智の言葉を遮り、逆に聞き返すダニー。その態度に、明智は若干ではあるが苛立ちを覚えた。

「知るか。あんな奴らはクズだ。真っ昼間からヤクなんかやりやがって。ヤクが切れて、苛ついてたんだろうさ。全員ぶっ飛ばしてやれば良かったのに」

「何で苛ついたりするのかな。みんなと仲良くするのが、俺は一番楽しいのに」

 ダニーの声は悲しげである。その声音が、明智をさらに腹立たしい気持ちにさせた。

「んなこと知るかよ。あいつらは、俺たちとは仲良くしたくねえんだろ。ぶっ飛ばされなきゃ分からないクズなんだよ。家畜と同じ……いや、それ以下だ」

 吐き捨てるような口調で言う明智。あんなカス共が何を考えているかなど知らないし、知りたくもない。

「兄貴、どうしてみんな仲良くなれないのかな。俺は人を殴らなくても平気だ。なのに、あいつらは兄貴を殴ろうとしてた」

 なおも悲しげな口調で呟くダニー。それを見た明智は、思わず口元を歪めた。ダニーのこの反応を、自分はどう捉えればいいのだろうか。

「そんなこと、お前は考える必要はないんだ。それよりも、明後日の試合に備えておけ。まあ、お前なら誰が相手でも負けないだろうがな」

 そう言うと、明智はダニーの肩を叩いた。ダニーの変化については、別の機会にゆっくり考えよう。今はまず、試合に集中すべきなのだ。


 ・・・


 その日の夜。

 ダニーは一人、真幌公園を歩いていた。辺りは既に暗くなり、人通りもほとんど無い。昼間の雰囲気が嘘のようである。

 そんな中を、ダニーは歩いていた。例によってサングラスとマスクを付けているため、どんな表情かは見ることが出来ない。しかし足取りは軽く、時おり楽しそうな仕草も見られる。

 やがてダニーは、目当ての場所へと辿り着く。そこには向坂史奈がいた。ニット帽を被り、革ジャンを着た姿で、公園のベンチに座っている。

 向坂はダニーに気付くと、軽く手を挙げた。ダニーもまた、ニッコリと笑う。

 そして、向坂の隣に腰掛けた。




「ふーん、そんなことがあったんだ」

「うん」

 頷いたダニー。既にサングラスとマスクを外している。

 ダニーは今まで、昼間の出来事を向坂に語っていたのだ。彼は滑舌の良い方ではないし、喋りも上手くない。そのため、話すのには非常に時間がかかった。

 にもかかわらず、向坂は急かすことも口を挟むこともなく、黙ったままダニーの話を聞いていたのだ。


「そいつらは、たぶん不幸なんだと思うよ」

「不幸?」

 ダニーが首を傾げると、向坂は頷いて見せた。

「うん。その子たちは不幸なんだろうね。幸せだったら、ドラッグなんかやる必要ないし」

 言いながら、向坂は空を見上げる。

「あたしには分かるんだよ。あたしは、今まで不幸だったから」

「えっ、そうなのか?」

 驚いた表情のダニーを見て、向坂は苦笑した。

「あんたには、分からないだろうね。あたしは日によって、人の顔が違うものに見えるんだよ」

「そ、それは……」

 ダニーにはそれ以上、何も言えなかった。彼には知識がないが、想像することは出来る。日によって、明智や小林の顔が別人に見えるとしたら……自分は混乱してしまうだろう。

 いや、それどころではないのだ。前に向坂は言っていた。コンビニの店員の顔がトカゲ人間のように見えた、と。もし明智の顔が、トカゲに見えてしまうとしたら?


「ダニー、人は不幸になると、自分の不幸しか目に入らなくなるんだよ。他人の幸せを素直に喜べるのは、自分も幸せな人間だけさ。昼間、あんたたちに絡んだガキは……幸せそうなあんたらがムカついたのかもしれないね。その気持ち、あたしには分からなくもないよ」

 そう言って、向坂は微笑んだ。だが、その表情には深い悲しみがある。ダニーは、何を言えばいいのか分からなかった。

 分からないまま、体が先に動いていた――

「ちょっ、ちょっとダニー! あんた何やってんの! 危ないよ!」

 思わず叫ぶ向坂。彼女の目の前で、ダニーは池を囲む柵の上に飛び乗ったのだ……。

 しかも、それだけでは終わらなかった。ダニーは、その場で大きくジャンプする。

 飛び上がると同時に空中で一回転し、柵の上に逆立ち状態で着地した。しかも、そのまま逆立ちで柵の上を歩き出したのだ――

「ちょっとダニー! 危ないだろ! 降りないと怒るよ!」

 向坂に怒鳴られ、ダニーは困ったような表情を浮かべて柵から降りた。すると、向坂はつかつかと近づいて行き、ダニーの頭を小突く。

「何考えてんの! 落ちたらどうする気!」

「い、いや……向坂が悲しそうだったから、喜んでくれるかと思って……」

 すまなそうな顔のダニーを見て、向坂はプッと吹き出した。

「んなことしなくても大丈夫だから。でも、ありがとう」






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