岸田真治
◎岸田真治
白土市を支配している、神居家のトラブル処理係。狂犬と呼ばれ、裏の世界でも一目置かれている。
「てめえ、ざけんじゃねえよ!」
「チクりやがって!」
「殺すぞ!」
誰もいないはずの場所から聞こえてくる罵声。さらに、肉を打つような音も。
明智は思わず顔をしかめた。どうやら、何者かが自分の倉庫に侵入しているらしい。
足音を忍ばせ、音の源へと近づいて行く明智。この辺りは、かつて日本でも知られた工業地帯であった。町には工場が立ち並び、毎日フル稼働していたのだが……折からの不景気で、工場はバタバタと潰れていき、後は無残な廃墟だけが残された。その一つを、明智は個人的な倉庫として使っているのだ。
今、そこには四人の少年がいた。顔つきや制服から察するに、恐らく中学生だろう。三人の少年たちが、一人の少年に一方的に暴力を振るっている。予想通りの光景だ。
明智はため息をついた。こんな連中なら、全員を叩きのめせる。それよりも問題なのは、この場所が何時の間にか不良少年たちの溜まり場になっていたとは。
この様子から察するに、他の少年たちが入り込んでいたとしてもおかしくはない。となると、ここはもう使えないだろう。万一、隠した物を見られでもしたら……実に面倒くさい話だ。
もう一度、明智はため息をついた。ポケットからグローブを取り出し、拳にはめる。一見すると普通の手袋のようだが、拳の部分にはクッションが入っている。しかも、防刃の効果もあるのだ。
はめ終えた直後、明智は一気に襲いかかった――
完全に不意を突かれた少年たちは、明智の襲撃に為す術がなかった。明智の強烈なパンチが顔面に炸裂し、次々と地面に倒されていく少年たち。
一瞬にして、場の状況は変わってしまった。今は、三人の少年の方が地面に倒れている。うめき声を上げながら地面に這いつくばる様は、さっきまで、傲慢な表情で暴力を振るっていた姿とは完全に真逆である。
一方、先ほどまで暴力の餌食となっていた少年は、怯えた表情で後ずさっていた。まだ、何が起きているのか状況を把握しきれていないのだ。
明智は、その少年ににっこり微笑む。
「なあ君、こいつらをどうしたい?」
「えっ?」
戸惑う少年。明智はそれに構わず、なおも言葉を続ける。
「こいつらをどうしたいんだい? もし殺したいなら、これを貸すよ」
言いながら、明智は拳銃を取り出す。
優しい表情のまま、少年に手渡した。
「……」
少年は呆然となり、明智の顔と拳銃を交互に見ている。
「君は、いじめられっ子なんだろ? あいつらに、いじめられてたんだろ?」
明智の問いに、少年は頷いた。
「そうか。なら、あいつらをどうするかは、君が決めるんだ。この拳銃で、彼ら三人を殺すか……あるいは彼ら三人を生かしておくか、決めるのは君だ」
噛んで含めるように、じっくりと語る明智。
「いいかい、この拳銃は本物だ。引き金を引くだけで、彼ら三人を殺せる。どうするんだい?」
微笑みながら、じっと少年を見つめる明智。その表情は穏やかなものだった。生来の美しい顔立ちと、さらに先ほどの闘いぶり……少年には、抗うことなど出来なかった。
少年は、明智から拳銃を受け取る。
次の瞬間、立ち上がると同時に拳銃を構えた。
廃墟の中、乾いた銃声が響き渡る――
「ハハハハ! ざまあみろ!」
喚きながら、死体と化した三人を蹴りまくる少年。その顔には、狂気に満ちた笑みが浮かんでいる。
「ざまあみろ! 調子こいてんじゃねえよクズどもがぁ! オラ! オラ!」
罵声とともに、なおも蹴り続ける少年。その様子を、明智は冷たい表情でじっと見つめる。
ややあって、明智はため息をついた。もの言わぬ無抵抗な死体を相手に、一方的な暴力を振るい続ける少年……その姿は、とても醜いものだった。
先ほど三人の少年が行っていた、一方的なリンチと同じくらいに――
明智は、そっと少年の背後に近づいて行く。その瞳には、冷酷な光が宿っていた。
「君に、一つ言い忘れていたことがある」
言いながら、少年の首に腕を巻き付ける明智。
次の瞬間、一気に絞め上げた。少年は不意を突かれ、必死でもがく。だが、明智の腕を外すことは出来ない。
薄れゆく意識の中……少年が最期に聞いたのは、明智の声だった。
「人を殺せば、そいつも殺される」
「だから、工場の跡地に四人のガキの死体が転がってるんだよ。しかも、拳銃のおまけ付きだ。一人のガキが三人を撃ち殺した後、拳銃自殺してんだぜ。あんた、またしても大手柄だよ」
公衆電話の受話器に向かい、とぼけた口調で話す明智。
ややあって、ため息が聞こえてきた。
(いい加減にしてくれよ……お前、最近ちょっとやり過ぎだ。このままだと、どうなっても知らねえぞ)
柔田三郎の言葉を、明智は鼻で笑った。
「いや、俺は善意の発見者だぜ。事件現場を目撃したから、一般市民の義務って奴を果たしただけさ」
(あのなあ、冗談じゃねえんだよ。お前を狙ってる奴も、あちこちにいるらしいぜ。噂に聞いたんだが、最近じゃあラエム教の藤堂潤てのが、お前らを狙ってるらしい。用心しねえと、そのうち殺られるぞ)
「殺られる? フフフ……上等だよ。奴らがトチ狂った真似してきたら、いつでも返り討ちにしてやる」
愉快そうな表情で、言葉を返す明智。彼にとっては、そんなことは日常茶飯事なのだ。いちいち反応してなどいられない。
一方、受話器の向こうの声は止まった。唾を呑み込むような音が、かすかに聞こえる。
ややあって、柔田はかすれたような声で語り出す。
(お前、正気なのか? いったい何を考えて――)
「確かに、俺はイカレてるよ。自分が正気じゃないのも知ってる。だがな、そのイカレた奴に死体処理をさせたのはあんただぜ、柔田さん」
言いながら、クスリと笑う明智。すると予想通り、受話器からの声は止んだ。その沈黙は、柔田の今の心中を言葉よりも詳しく語ってくれている。
明智は、さらに言葉を続けた。
「分かるな? あんたは、俺と同じ船に乗ってるんだよ。俺とあんたは、運命共同体だ。俺が沈めば、あんたも沈む。あんたは、俺の言うことを聞くしかねえんだよ。頭のいいあんたなら、分かってるだろうが」
ギリリ、という音が聞こえた気がした。受話器の向こうで、柔田が奥歯を噛み締めているのかもしれない……。
だが、明智の知ったことではなかった。
「じゃあ、頼んだぜ柔田さん。いつもの通りにな」
柔田は刑事であるが、他人には明かせない過去がある。
ある日……数年前から内縁関係にあった女と、ちょっとしたことから口論になった柔田。挙げ句に、彼は女を突き飛ばした。掴みかかってきた女を引き離そうとしたのだけなのだが――
その結果、女はコンクリートの床に後頭部を打ちつけて死亡した。
もし、その事件が公になっていたら、柔田の刑事としての人生は、そこで終わっていたであろう。現役の刑事が起こした殺人事件……マスコミの格好のネタだ。しかも、女はコロンビアから来た不法就労者である。柔田は、その女を密かに匿っていたのだ。
初めは、憐れみからだった。しかし、いつの間にか二人は男女の仲になり……気がついてみると、二人は夫婦のような関係になっていたのだ。
彼女の死を確認し、柔田は激しく動揺した。だが、彼はそこで最悪の選択をしてしまった。
当時、知り合ったばかりの情報屋・明智光一……その男に、柔田は相談したのである。
美しい顔に優しい笑みを浮かべ、明智は言った。
「大丈夫だよ、柔田さん。俺に任せておくんだ」
あの時、明智は確かに見たのだ。
柔田の目は、泣き晴らして真っ赤になっていた。女がバラバラに解体され、焼却炉で灰になっていく様を、死人のような顔つきでじっと眺めていた。
明智にはわかる。柔田は、あのコロンビア人の女を本気で愛していたのだ。その本気で愛していた女を、自らの手で殺めてしまった柔田。もっとも明智には、その心情は理解できないし、する気もないが。
いずれにしても、それ以来この男は変わってしまった。死んだ魚のような目で仕事をこなし、ダルそうな表情で明智の頼みを聞く……完全なる悪徳警官と化してしまった。
もっとも、今では単なる悪徳警官では済まされない所にまで手を染めてしまっている。明智らのやらかした悪事のうち、かなりの部分を後始末させられているのが柔田なのだから。
出会った当時と比べると、柔田は痩せた。ヤク中に間違えられてもおかしくはない。実際、ストレスから逃げるために押収した薬物をやっているのかもしれない。
しかも最近では、明智に対し忠告めいたセリフを吐くことも多くなった。明智らと組むことに、嫌気がさしてきているのは間違いない。
やはり柔田は、この稼業には向いていないのかもしれない。今のところ、まだ使い道はある。だが、この先に奴の後釜が決まったら、すっぱり切り捨てるとしよう。
その後、寝ぐらへと戻る明智。
ダニーは大人しく、ソファーに腰掛けてテレビを観ていた。だが、帰って来た明智に向かい、嬉しそうな笑顔を向ける。
「兄貴、お帰り」
そう言うと、ダニーはもじもじしながら立ち上がった。
「あの、兄貴……俺、買い物に行ってきていい?」
「買い物?」
明智は、ダニーをじっと見つめた。今日のダニーは挙動不審である。たかが買い物に行くだけなのに、妙に落ち着きが無いのだ。
「ダニー、本当に買い物だけなのか?」
明智の問い。すると、ダニーの表情が変わった。明らかに動揺している雰囲気だ。
明智は口元を歪めた。ダニーが隠し事をしているのは明らかだ。しかし自分は、ダニーのプライベートな用事にまで首を突っ込むべきなのだろうか。
少なくとも、ダニーは明智に隠し事をしている……それだけは、はっきりしている。だが、隠し事の一つや二つあったところで、いちいち目くじらを立てる必要もあるまい。
明智は、ダニーのことをあまり束縛したくはなかった。確かに、ダニーは端から見ていて危うい点が多々ある。しかし束縛が過ぎれば、首輪を付けられ動物扱いされていた時代と同じではないか。
ダニーには、自由に生きて欲しい。
そんなことを考えていた時、明智のスマホが震え出した。小林からの連絡である。間違いなく、仕事の話である。
「ダニー、気をつけて行くんだぞ」
そう言うと、明智はスマホを取り出す。一方、いそいそと出かけて行くダニー……。
その後ろ姿を見た時、明智は微かな不安を感じた。




