成宮亮
◎成宮亮
裏社会の住人。明智や小林らと顔見知り。裏の情報に詳しい。
「明智さん、成宮から連絡が来ましたよ」
小林の言葉に、明智は顔を上げる。
「そうか。で、あいつは何と言ってたんだ?」
「神居桜子には、えらく仲のいい男友だちがいるそうです。その男と親しくなっておけば、桜子に近づくことも可能だと言っていました」
小林の言葉に、怪訝な表情をする明智。
「男友だち? そいつは何者だよ?」
「どっかの金持ちのボンボンらしいんですがね、この男もかなりの変人だそうです。石井貞治という名前で、えらい格闘技好きだとか。自分で地下格闘技のイベントもプロデュースしてるらしいですよ」
「地下格闘技だぁ? ふざけた野郎だな」
吐き捨てるような口調で言った明智。彼は、タイでの出来事を思い出したのだ。ダニーのような者を闘わせ、自身は高みの見物を決め込むような人間たちが大勢いた。闘う人間が傷ついたり、時には死んだりしたとしても、平気な顔で笑っている連中だ。
桜子の友だちのボンボンも、その類いの人間なのだろう。
「しかし、その神居桜子には、そこまでの価値があるんですか?」
不思議そうに尋ねる小林に、明智は頷く。
「お前も知ってるだろう。神居家は、白土市を支配している大物だ。表と裏、その両方に顔が利く。銀星会に対抗するには、神居家の力が必要だ」
そう、明智らがのし上がって行く上で、銀星会は避けて通れない相手だ。このまま行けば、いずれ銀星会とぶつかることになる。
もちろん今の明智らでは、銀星会と正面からの喧嘩は出来ない。強力な後ろ楯が必要だ。そのためにも、まずは神居家との関係を築く必要がある。
銀星会は、日本でも最大の広域暴力団だ。ところが、白土市においては、その影響力はほとんど無い。今のところ、士想会の事務所があるくらいだ。それも、ほんのお飾りでしかない。何の活動もしていない、形だけの事務所なのだ。
つまり、白土市に逃げ込めば、銀星会も下手に手を出せない。
その白土市を支配しているのが神居家である。
「ところで、ダニーは今どうしてるんですか?」
小林の問いに、明智はクスリと笑った。
「あいつは、今日は留守番だ。初めて買い物に行くとか行ってたぜ」
じっと前を見つめながら、明智は答えた。彼の視線の先には、地面にしゃがみこみ、不安そうな表情を浮かべる二人の子供がいる。彼らは親に捨てられ、戸籍もない。
したがって、消えたとしても誰も探したりしない。
彼らは、実の親から百万で明智に売られたのだ。そして今から、専門の業者に一人一千万で売られていく。その行く末に何があるのか、明智は知らないし興味もない。
ただ、あの子らは初めての買い物というイベントを、永遠に体験できないであろう。
・・・
その頃、ダニーは一人でコンビニへと歩いていた。一人での買い物は、生まれて初めての体験である。
いつもと同じようにパーカーのフードを被り、サングラスとマスクを付けて夜道を歩くダニー。しかし、その足取りは軽い。
だが、彼は足を止めた。
コンビニの前に、妙な者がうろうろしている。ニット帽を被り、革ジャンを着た女だ。明らかに挙動不審な態度で、店の前を行ったり来たりしている。
ふと、その目がダニーを捉えた。
すると、女はおずおずとした態度でこちらに近づいて来る。
ダニーは、どうすればいいのか分からなかった。目の前の女から、敵意は感じられない。ダニーは敵意や殺気などを感じ取る感覚に関しても天才的である。獣じみた勘の働きにより、明智の危険を未然に防いだこともある。
その勘が言っているのだ……目の前の女は、自分の敵ではないと。
しかし敵意が無いのだとしたら、どう対応すればいいのだろう。ダニーはこれまで、他の人間を「敵か、そうでないか」で判断してきた。敵の場合は、自身の圧倒的な腕力で叩き潰せばいい。そうでない場合は、兄貴分である明智に任せていた。
しかし今、ここに明智はいないのだ。こういう場合、どうすればいいのだろうか。
「あ、あの……こないだは、迷惑かけてゴメン」
困惑しているダニーに対し、女はしおらしい態度で頭を下げる。
「えっ……あ、うん」
ダニーは、どんな言葉を返せばいいのか分からなかった。そもそも、明智や小林以外の人間とは話したことがないのだ。
「あ、あのさ……あたし、悪気があったわけじゃないんだ。ただ、あんたの顔が気になって……あ、変な意味じゃないからね」
言いながら、女は上目遣いにダニーを見つめる。
ダニーは、どう対応していいのか分からなかった。自身の顔が、他の人間と比べて醜いことは理解している。そんな自分の顔が気になる、ということは……。
それが何を意味するのか、考えるまでもない。
「ねえ、あんた凄い力だったね。何かやってるの?」
そんなダニーの気持ちなどお構い無しに、話し続ける女。ダニーを見る目からは、溢れんばかりの好奇心が感じられる。だが他の人間と違い、恐れや嫌悪感は抱いていない。少なくとも、ダニーの目には、そう見える。
ダニーは意を決して、サングラスとマスクを外して見せた。
ケロイド状の皮膚に覆われた、醜い顔が露になる。
「俺の顔、怖くないの?」
すると、女の表情が変わった。先ほどまでの朗らかな様子が消え失せ、暗い顔つきになる。
「ねえ、ちょっと来て」
そう言うと、女はダニーの腕を掴む。そのまま引っ張って行った。
ひとけの無い路地裏まで、ダニーの手を引いて行く女。ダニーは戸惑いながらも、女の後に付いて歩く。
女は立ち止まると、ダニーの目の前でニット帽を脱いだ。
髪の毛の生えていない頭が剥き出しになる。さらに額から後頭部にかけて、一本の長い傷痕があった。
「昔、車の事故に遭ってね……頭の骨が割れちゃったんだよ。あたしの頭には、骨の代わりに鉄板が入ってるんだよ」
何の感情も交えず、淡々とした口調で語る女……ダニーは黙ったまま、彼女の話を聞いていた。
「三年前、あたしは両親と車に乗って旅行に行ったんだ。そしたら、酔っぱらいが運転する車が猛スピードで突っ込んで来て……父さんと母さんは即死、あたしも頭の骨が割れちゃった。死んでもおかしくなかったけど、奇跡的に助かったんだってさ」
「よ、良かったな」
狼狽えながら発したダニーの言葉に、女は笑みを浮かべる。ただし、その笑みは歪んでいた。
「うん、命は助かった。でもね……それ以来、目がおかしいんだよ」
そう言うと、女は空を見上げる。
「あれ、何に見える?」
言いながら、女は空を指差す。綺麗な満月が浮かんでいた。
「月……丸い月が見える」
ダニーが答えると、女は嬉しそうに頷いた。
「うん。あたしの目にも、月に見える。丸い、綺麗な月にね」
女は、じっと月を見つめている。しかし、ダニーは何と言えばいいのか分からなかった。これまでダニーの周囲にいた人間は皆、きわめて特殊な人間ばかりである。明智にしろ小林にしろ、普通とはいえない。
目の前にいる女もまた、普通ではないのは明らかである。しかし、明智や小林とは種類が違う。
ダニーには何の知識も無いが、持ち前の動物的な勘の働きにより物事に対処してきた。しかし目の前にいる女に対しては、どうすればいいのか分からない。
「ねえ、昨日コンビニにいた店員の顔は、どんな風に見えた?」
不意に女が尋ねた。
「えっ?」
「コンビニの店員の顔、あんたにはどう見えた?」
女の質問は、ダニーにとって意味不明であった。何を言っているのだろうか……しかし、ダニーは真面目な性格である。自分に理解できる範囲で女の問いを解釈し、可能な限り正確に答えようと考えた。
「ふ、普通の人に見えた」
「普通、か」
言いながら、女は下を向いた。
「あたしには、あの店員がトカゲみたいに見えたんだよ」
「トカゲ?」
予期せぬ言葉に、狼狽えるダニー。だが、女は語り続ける。
「そう。さっきも言ったけど、あたしは交通事故に遭って頭の骨が割れた。何時間もの手術の挙げ句、奇跡的に一命を取りとめたらしいんだよね……あたしには、全く実感は無いんだけどね」
そこで女は言葉を止め、ダニーを見つめる。その目には、尋常ではない何かが感じられた。ダニーはその迫力に気圧され、黙ったまま彼女の次の言葉を待つ。
「確かに、あたしの命は助かったんだよ。でもね、それから目がおかしくなってさ。人の顔が歪んで見えたり、怪物みたいに見えるんだよ。医者の話だと、手術の後遺症で脳の認知機能に障害が残ったんだって……んなこと言われても、どうしようもないよね」
淡々とした口調で語る女に対し、ダニーは何も言えなかった。女の語った話の中には、難しい言葉も出てきている。全てを完璧に理解できた、とはいえない。それでも、目の前の女が大変な思いをしていることだけは分かった。
だが、その時に一つの疑問が浮かぶ。
「じゃあ、俺の顔はどう見えるの?」
尋ねるダニー。他の人間の顔が、トカゲに見えたり歪んで見えたりする……では、自分の顔はどうなのだろう?
すると、女はニッコリ微笑んだ。
「あんたの顔は、普通に不細工に見える」
「えっ?」
戸惑うダニー。普通に不細工……その文字の部分だけを見れば、悪口にしか思えない言葉だ。
しかし、女の表情からは親しみが感じられる。さらに暖かみも。明智が自分を見る時と、同じものが感じられる。
「そう、普通に不細工。でもね、他の奴らとは違って見える」
言いながら、女は手を伸ばした。ダニーの頬に、軽く触れる。
その途端、ダニーはびくりと反応した。すると、女は慌てた様子で手を引っ込める。
「あっ、ごめん。でも、同じなんだよ」
「同じ?」
「そう。あんたの顔に触った感触と、あたしの目に見えてるもの。それがピッタリと一致してるんだ」
またしても、奇妙な言葉を吐く女。ダニーには、よく理解できなかった。
「ど、どういう意味?」
「あたしの目に見えてる他人の顔はね、触った感触と一致しないんだよ。虫みたいな顔に見えるのに、触った感触は柔らかい。毛むくじゃらに見えるのに、触ったらツルツル。これって、凄く気持ち悪いんだよね……」
言いながら、女は俯いた。その顔には、暗い表情が浮かんでいる。
すると、ダニーは女の手を取った。
そして、自分の顔に触れさせる。
「俺の顔でよければ、触っていいよ」
すると、女はダニーの顔を撫でるように触れていく……ダニーは不思議な気分だった。鼓動が早くなり、その場から逃げ出したいような衝動に駆られる。
だが同時に、何とも言えない心地よさをも感じていた。
「一緒だ……あんた、触った感触も一緒だよ」
言いながら、女はにっこり微笑んだ。つられて、ダニーも微笑む。
「ねえ、あんたの名前は何ていうの?」
「ダニー」
「ダニーか……外人みたいだね。あたしは向坂史奈ていうんだ。よろしくね」
そう言うと、向坂は右手で握り拳を作り、ダニーの前に突き出す。
きょとんとするダニー。すると向坂は苦笑し、空いている左手を伸ばす。
「ほら、手を握って……こうやって合わせるんだよ」
ダニーは言われるがまま、向坂と拳を合わせる。
「友だちのしるしだよ。ダニー、また会おうね」




