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涙を知った野獣  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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白土市

◎白土市


 四方を山に囲まれた地域。表面上はごく普通の田舎町だが、余所者を歓迎しない閉鎖的な空気が流れている不気味な場所。



 白土市は、四方を山に囲まれた地域である。真幌市から、車で二時間ほどの距離だ。豊かな自然が特徴であり、周囲の山もさほど険しいものではない。

 そんな場所を、明智と小林は訪れていた。無論、彼らの目的は観光ではない。この白土市は、彼らにとって重要な場所なのだ。


 明智の目の前には、一台のキャンピングカーが停まっている。かなり大きなもので、一家四人くらいなら生活するには困らないであろう。車内では、何者かが忙しなく動き回っている。周囲には木が生い茂り、人の気配は無い。

「おい博士ハカセ! ちょっと話したいことがあるんだけどな!」

 言いながら、明智は車のドアをバンバン叩いた。傍らでは小林が、苦り切った表情で立っている。

 しばらくして、中から防毒マスクのようなものを装着し、作業着のようなものを着た男が出てきた。明智に向かい、何か喋りかけているが、防毒マスク越しのせいでほとんど聞き取れない。

「なに言ってんのか分からねえよ。マスクを取ってから話せ」

 明智がそう言うと、男はマスクを脱いだ。その素顔は、頭の禿げ上がった温厚そうな中年男である。

 だが、その中年男の口から出たセリフは――

「明智さん、この車には近づかないでくれと言ったはずだ。下手すると、有毒ガスが発生する場合もある。命が惜しいなら、ここに来る時には事前に連絡してくれ」

「ああ、そうかい。しかしな、こっちも急ぎの用なんだよ。新しい取り引き先が出来た。今までよりも、多めに作ってくれ。頼んだぜ博士」

 言いながら、明智は男の肩にパンチを食らわす。親しみを込めた軽いパンチ……のつもりなのだが、男は顔をしかめていた。


 この博士と呼ばれている男は、もともと優秀な化学者であったらしい……少なくとも、本人はそう言っている。実際のところ、優秀だったかどうかは不明だ。明智も、確かめたわけではない。もっとも化学者であったのは間違いないし、化学の知識だけは確かだ。事実、ここでクリスタルを製造しているのは博士なのだから。

 博士はかつて、都内の大手製薬会社にて勤務していたエリートである。しかし、彼はある特殊な病に取り憑かれていた。幼い少女以外は愛せない、という病に……。

 やがて彼は逮捕され、全てを失った。化学者という肩書きも地位も失い、刑務所へと収監された。そして数年後、恥ずべき罪を犯した前科者として社会に放り出されたのである。

 昔は、エリートコースを順調に歩んでいた博士。だが今では何もかもを失い、明智の下でクリスタルを製造しているのだ。


「博士、よろしく頼むぜ。これからは、クリスタルも大量に作ってもらわなきゃな」

 ニヤニヤしながら、明智は博士の胸をつつく。正直に言うなら、明智はこの博士という男のことは好きではない。

 だが、どうしようもなく嫌いというわけでもない。博士がプライベートで何をしようが、明智の知ったことではないのだ。博士の趣味や嗜好が今も変わっていないことは、明智もよく知っている。

 そんな博士が、逮捕されるリスクを犯すことなく欲望を満たすためには、明智の協力が必要なのだ。明智は、博士の好みに合う少女を斡旋している。

 代わりに、博士は明智に自身の化学知識を提供している。両者は、持ちつ持たれつの関係であった。




「明智さん……あの変態博士とは、いつまで付き合うんですか?」

 帰りの車の中、苛ついたような口調で尋ねる小林。彼は、博士のことが好きではない。今も、博士に対する嫌悪感を隠そうともしていなかった。

「まあ、そう言うな。奴も、今は必要だ」

「そうですか。俺も人殺しですからね……善悪がどうこう言う気はないです。はっきり言えば、奴より俺の方が悪でしょうからね。しかし、奴が幼女を襲ったということに対しては、許容できない部分があるんですよね」

 珍しく、感情を露に喋り続ける小林。この男は、自身の中に法よりも大切な何かがあるのだ。その何かが、博士という人間を拒絶している。小林にとって、幼女を襲うのは殺人よりも嫌なことであるらしい。

 もっとも、その点については明智も同じである。


「そんなことより、成宮の件はどうなった?」

 話題を変えるべく、明智は尋ねる。

「ああ、成宮ですか。奴は会うそうですよ」

「そうか……小林、次はこの白土市に足掛かりを作る。そのためには、成宮の協力が必要だ」

 そう、明智の頭の中では既に次のプランが出来上がっていた……この白土市を支配する大物と、それなりの関係を作ること。そのためには、情報屋である成宮亮に動いてもらう必要がある。




 その二日後。


「おいダニー、もう一度だけ聞くぞ。本当にいいんだな?」

 明智はゆっくりとした口調で尋ねる。すると、ダニーは頷いた。

「うん。ピッチーはもう元気になったし、空も飛べるはずだよ」

 そう言って、ダニーは笑った。ケロイド状の皮膚に覆われた顔には、心なしか寂しげな表情も浮かんでいるように見えた。


 ピッチーを、外に逃がす……ダニーがそう言い出したのは、昨日のことであった。

 クリスタルの製造元との話し合いの後、家に帰って来た明智。すると、意を決した様子でダニーが口を開いた。

「兄貴、明日ピッチーを外に放すよ」


「ダニー……お前、本当にそれでいいのか? 後悔しないのか?」

 尋ねる明智に、ダニーは少しためらうような仕草をしている。

 その様子を見た明智は、さらに言葉を続けた。

「まだ迷ってるなら、明日もう一度よく考えてみろ。今すぐ決める必要はない。逃がしたところで、すぐに死ぬかもしれないんだぞ。この前の、猫に捕まった雀を覚えてるか? ああなるかもしれないぞ」

 明智の言葉を聞き、ダニーはしばらく俯いていた。何かを考えているかのように……しかし、再び顔を上げる。

「に、逃がす! 俺は決めたんだ!」

 ダニーの声には、ただならぬ決意が感じられる。それを聞いた明智は、怪訝な表情になった。

「何故、ピッチーを逃がそうと決めたんだ? 俺に理由を教えてくれ」

 優しい口調で、尋ねる明智。すると、ダニーはおずおずとした態度で口を開いた。

「ピッチーには、友だちがいない。可哀想だ」

「友だち?」

 聞き返した明智に、ダニーは頷く。

「ピッチーは、ずっとカゴの中だ。友だちもいない。このままじゃ可哀想だ。だから外に出してやりたい。自由にしてあげたいんだ」

 ダニーの言葉には、深い悲しみがこもっている。明智は、思わず眉間に皴を寄せていた。それは怒りゆえではない。むしろ困惑のためであった。ダニーの口から、そんな言葉が出てくるとは予想だにしていなかったのだ。

「そうか……けどな、お前がいるだろ。ピッチーにとって、お前は友だちじゃないのか?」

 しかし、ダニーは首を振った。

「ピッチーには、兄貴がいない」

「……」

 明智は何も言えず、下を向く。ダニーの発した言葉の持つ意味は、充分すぎるくらい理解している。だが、何と答えればいいのだろう……今の明智には、返すべき言葉を見つけられなかった。


 黙りこむ明智の前で、ダニーは語り続けた。

「俺は兄貴と出会えたお陰で、いろんなこと教わった。日本の言葉も、ラーメンも、テレビも。檻の中にいたら、知らないことばかりだった。ピッチーも、もっと色んなことを知りたいはずだ。自分の羽根で、広いところを飛びたいはずだ」

 熱く語るダニー。彼はいつになく雄弁である……明智は圧倒されながらも、どうにか口を開いた。

「わかった。お前の好きにしろ」




 今、明智とダニーは郊外の草原に来ていた。他に人はいない。明智とダニー、そして車を運転した小林だけである。

 ダニーは空を見上げた。抜けるような青空、という表現がピッタリであろう。雲ひとつない空。明智の心にすら、何かしら響くものがあった。

「空がこんなに青いとはな……忘れていたよ」

 珍しく感傷的なセリフを言いながら、明智も空を見上げた。

 やがて、ダニーは鳥カゴを開ける。

 すると、ピッチーはためらっているかのように、恐る恐る動いている。今まで鳥カゴの中で暮らしていたため、外に出るのが怖いのだろうか。そんなピッチーに、ダニーは声をかける。

「ピッチー、お前はもう自由だよ。空に飛んで行くんだ」

 すると、ダニーの思いが通じたのだろうか……ピッチーは恐る恐る、鳥カゴの外に出る。

 次の瞬間、空へ飛んで行った。


「ピッチーの奴、振り返りもしないで飛んで行ったな。恩知らずな奴だよ」

 そう言って、苦笑する明智。怪我をして動けなかったピッチーを、ダニーは付ききりで世話をしていたというのに……ピッチーには、恩義を恩義と感じるだけの知能がないのだろうか。

 いや、それは人間も同じだ。人間はすぐに恩を忘れる。あるいは、忘れたふりをする。恩を返す人間など、本当にごく僅かだ。


「ピッチーも、兄貴みたいな友だちに出会って欲しいな」

 青空を見上げ、ぽつりと呟くダニー。

「俺か……俺みたいな友だちには、会わない方が幸せかもしれないぜ」

 明智もまた、呟くように言った。もっとも、これは明智の本音でもある。客観的に見て、自分のような人間が友だちとして相応しいとは思えない。サイコパス、パラノイア、シリアルキラーなどなど……客観的に見て、自身を評価するキーワードとして思い浮かぶのは、そんな言葉ばかりである。お世辞にも、いい言葉ではない。

 明智としては、何気ない独り言のようなセリフのつもりであったが……ダニーの反応は違っていた。

「そんなことない。兄貴がいなかったら、俺は今も檻の中にいた。兄貴がいたから、俺は檻の外に出られたんだ」

 しみじみと語るダニー……明智の心に、複雑な思いが生まれた。

 だが、それらを押し隠して微笑む。

「そうか……ところで、小林をどう思う?」

 そう言って、明智は車の方を向いた。車の中では、小林がスマホで何やら話している。恐らく仕事の話であろう。

「小林さんは、いい人。兄貴の次にいい人」

 ダニーは笑顔で言った。小林がいい人、と呼べるかどうかは疑問だが……信頼できる人間ではある。明智も、小林には全幅の信頼を置いている。

 だからこそ、万が一の場合は彼に頼みたい。

「おいダニー、もし俺に万が一のことがあったら、小林の所に行くんだぞ。分かったな?」

「えっ? 万が一って、何?」

 首を傾げるダニー。

「万が一ってのはな……例えば、俺が死んだりした時のことだよ。その時は、小林に電話するんだ――」

「兄貴は死なないよ。俺が死なせない。俺が兄貴を守る」

 自信たっぷりに言うダニー。すると明智は、優しい笑みを浮かべた。

「いいかダニー、俺も病気になるかもしれないし、車に轢かれるかもしれない。人生、何が起きるかは誰にも分からないんだ。俺の身に何かあった時、お前を助けてくれる人間が必要だ。俺の言っていることが分かるな?」

 幼い子供に言い聞かせるように、明智は落ち着いた口調でゆっくりと語りかける。その言葉を、ダニーは神妙な様子で聞いていた。

「ダニー、俺に何かあったら、小林に連絡するんだぞ。小林なら、お前と上手くやれるはずだ。分かったな?」

「うん、分かった。でも、兄貴は俺が守るから」






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