宗教とか自己啓発と言うのは「善意の詐欺師」の面だけ付き合ったらいいのかもしれない。宗教善用法とは?
宗教とか自己啓発と言うのは「善意の詐欺師」としてだけ付き合ったらいいのかもしれない。
宗教とか
自己啓発とか、
成功哲学とか
瞑想とか
まあこれらは一緒くたにして
自己改革法?ともいえるでしょう。
つまり今の、惰弱な自己を変革して、人生の成功者に高める方法ですよね。
人はなぜ宗教を信じるのか?
それははっきり言って「現世利益」しかないでしょう。
まあ、厭離穢土、欣求浄土という。現世否定の宗教という側面もあるでしょうが。
でも名もなき庶民の宗教への、一縷の望みとは
それは「現世利益」「病気直し」「家族の安泰」でしかないわけですよ。
崇高な理念で。神と合体したいとか、
神になりたいとか
この世を捨てて、完全な修行生活をしたいとか
そんな、恐れ多い野望は。庶民が持つはずがないですよね。
庶民が宗教に求めるものは
ささやかな家族の平和と日々の生活の安全だけですよ。
そういう意味では
いわゆる「自己啓発」も同様です。
本屋に行くとそのコーナーには
「こうすれば大成功できる」
「大金持ちになる方法」
「人生の勝者になる奥義」
「成功はこの方法でつかめ」
「病気も貧乏もあなたが劇的に変えられる」
などなど、いかにも?という書名の本が所せましと並んでいます。
まあ、私もこれらの本が好きで?
往時、、片っ端から買って読みふけったものでした。
まあはっきり言ってこれらの本が言ってることとは
一言でまとめれば
「あなたの気持ちを変えれば世界も変わる」
ということでした。
もっと言えば
「あなたの気持ち次第でどうにでもなるんですよ」ということでした。
まあ、これって、はっきりって気休め?というか
「なにも根拠なんかなくっても、とりあえず、ポジティブシンキング」、、ってことですね。
自分を信じ切る
決してネガティブにならない。
良いように、良いようにしか考えない。
すべてをにこやかに全肯定する。
つまりは根拠とか、自信とか全くなくってもいいから
とにかくすべてを善ととらえ、決して根暗にならない。
自分を信じ切り
世界を信じ切り
決して暗くならない、たとえ、どんなことがあったとしても、、。
常に前進、常にポジティブ
常に笑ってどんなことも受け入れる。
私が様々な自己啓発書を乱読して得た共通の結論は、つまり、奥義とは、、これでしたね。
要するに「気持ちの問題だよ。気持ち次第でどうにでもなるんだよ」
という、気休め?志向?
それがいわゆる「自己啓発書」の全貌だったのですね。
でもこれって?
はっきり言ってこれは
「善意の詐欺師」ですよね?
確かに暗くなるよりはどんなときもどんなことが起こっても笑って受け入れるのは
素晴らしいことですよ。いつもネアカで、ポジティブで、
笑顔で全肯定って、、、。
まさに、宗教的なサトリにも通ずる境地ですよ。
でも?本当にそうなのか?
本当はただの、気休めにすぎないのでではないだろうか。
だって、ご当人の現実は全く不幸そのものなんですよ。
貧乏で病気で、食うものもろくになくって、
それなのに
いつかよくなる
きっと、よくなる。
自分を信じるのです。
笑ってすべてを受け入れなさい
すべては良いほうに回っているんです。
って?
これってただの気休めでしょう?
そういえば
ひと昔まえ、には超能力ブームがありました。
高藤総一郎
高塚光
宜保愛子
末広千幸
中岡俊哉
ユリ・ゲラー
エドガー・ケイシー
丹波哲郎
シルバー・バーチ
懐かしい?名前ですね。
彼らはそれほどの悪名ではなくて。独断的に言い切るならば、彼らもまた。「善意の詐欺師」?だったともいえるかもしれませんよね?
もちろん宗教もほとんどすべてが、善意の詐欺師です。
例えば、イエスキリストも、私はその代表選手?だったと思うのです。
「信じる者は救われる」、、って?
「あなたが強い信念で、山に向かって動けと言えば山は動く」、、って?
「食べることや衣服のことでわずらうな。神はすべてを与えてくれる」、、って?
「そのときイエスは盲人の目に手を当てて見えるようになれというと盲人は見えるようになった」、、って?
信じればすべては思うようになる。
そうならないのは
「お前たち信仰の薄いものよ」だからなのだという信念論主義?
信じればすべて叶うって。
叶わないのは信心不足?
もっとお布施をしなさい、
もっと勤行をしなさい、
もっと折伏をしなさい、
って?
どっかの新興宗教みたいですよね。
こんなのって、
あなた信じますか?
ただやみくもの信じれば叶うって?
そんな甘い世の中ではないでしょう。
こういう信念主義は
「念ずれば花開く」とか
「病気とは心の影にすぎない」
「あなたの人生はあなたが思い描いたようになってゆく」
という霊能者の託宣にも表れているんですね。
これは両刃の剣です。
使い方次第で「良薬」にも「毒薬」にもなります。
盲目的にのめりこんで、狂信的になったら怖いです。
以前、とある小さな宗教結社で
教祖様が
「この娘には狐がとりついている」と霊言があり、
それを信じたその一家がその精神病の娘を
竹や木の棒で一晩中叩いてキツネを追い出そうとして
結果。その娘は殴り殺されてしまった、、という事件がありました。
家族はその後の取り調べで、こう警察に言ったそうです。
「とりついてる狐を追い出そうとしただけで、私たちは何も悪いことはしてません」と、
信じる者は救われないというこれが、冷酷なる現実ですよね。
この娘ははっきり言って、精神病だったのでしょう。
それを棒で叩いてみても治るハズがありませんよね。
宗教的な盲信、、狂信のコワサですよね。
はっきり言えば「信じる者は救われないこともある」という現実です。
確かに熱烈に信じて何事かを成し遂げた人もいるでしょうが
まあほとんどの平凡なる庶民には縁遠いお話なんです。
宗教や自己啓発に盲信的にのめりこんでは、危険です。
ある意味。「醒めて見ている」ことが肝要でしょうね。
のめりこむと宗教も自己啓発も
たちまちキケンな「猛毒」と大化けするからです。
私の場合には
散々自己啓発書を乱読してみて、その本の言ってることの、
「いいとこどり」だけして、
善意の部分だけ信じてみましたよ、
それこそが最良の方法だと
サトリましたね。
つまり
このブログのタイトルでも言ってるように、
「善意の詐欺師」?である部分だけを信じて実践するってことでしょうかね。
そして
「狂信的な悪の指南書」的な部分はよーく、かみ分けて避けるってことがこの手の
自己啓発本や
宗教書の
正しい
路を誤らない
利用法なのでしょうね。
でも例えばお酒にしても、
すこーしだけ飲んでれば百薬の長とわかっていても、
そこで止められないのが
あさはかな人間のサガ(性)なんですよ。
ついつい浴びるように飲んでしまう。
ちょっとだけ飲んでれば、健康増進になるのにね。
それが人間という愚かな生き物の悲しいサガなんです。
だからおかしな新興宗教にしても
怪しげな自己啓発にしても
ついついのめりこんでしまう。
いいとこどりだけしてれば、人生の良薬なのにね
盲信して
狂信して
あげく身を滅ぼすことになる、
という
愚かで悲しい
人間のサガなんでしょうね。
まあつくづく
人間の愚かしさというものに
あきれるしかないのでしょうね。
結局最大の愚は、あなたが誰かに頼ろうとするというあなたの心の持ち方なのです。
仏 (ブッダ)も言ってますよね。
「あなた自身を、あなたの法燈明としなさい」と。
どこ遠くのかなたに偉大な聖者が住んでいて
あなたがはるばる旅をして探し求めて
人生の謎と疑問をその聖者に解いてもらう、、、、。
そんなことは幻想にすぎないんですよ。
そういうあなたの他人頼りの心が最大の愚なんですよ。
そもそもあなたの人生とはあなた自身が決めるべきものです。
誰かエライ先生に決めてもらうようなスジではないハズでしょう?
あなたの心の奥深くに答えは秘められています。
ただし、目の前の雑事に忙殺されて、あなたにはその奥底にある答えが
見えないだけなんです。
だから、
心を澄まし
落ち着いて
静かに
そして真剣に
尋ねなさい、
あなた自身に
あなた自身の心に。
あなたの心の奥深くに、
そうすれば聞こえてくるはずです。
心からの真実の答えが、
なぜなら、
ほんとうの答えはあなた自身の中にあるからです。
どこか遠くの聖者様が答えてくれるべきものではないのです。
心だけがあなたの人生の本当の答えを知ってるのです。
なぜなら、
心はすべてをお見通しだからなのです。