第2話 望まれた出産
それは深い眠りの後のような感覚だった。
ギリギリまで夜更かししたあとの、バタリと倒れるような眠り方の後の、何も感じない睡眠の感覚。
自分がさっきまでどうしていたのかがすぐに思いだせないまま、どこか暖かく何かに包まれていた感じに微睡む。
頭の片隅に違和感だけがあって、俺はそれを無視するように布団を探して手を泳がせるのだ。
「旦那様! お生まれになりましたよ!」
頭にいきなり響く大声に、俺はびっくりしてしまい、泣き出してしまう。
今までの人生で泣いたのなんてそれこそ小学生くらいの話で、『男がなくもんじゃない』と泣くたびに余計に怒られたり殴られたせいで泣かなくなった……はずなのに、こらえることすらできずに喚いてしまう。
俺は誰かに抱えられているのか、幾分か不安定な体勢で、それもまたなんだか耐えられない気持ちが湧いてくるのだ。
泣こうなんて思ってもいないのに、感情の枷が切られたみたいに全く絶えることなく涙と鳴き声が漏れだして止まらない。
「あぎゃー! おぎゃああぁ!」
「おお、なんと元気な子だ」
目の前の誰かはまるで壊れ物を受け取るみたいに俺を誰かから受け取り、よしよしとあやす。自分と比べればまるで巨人だ。
腕だけで俺の体より大きくて、けれどその表情には優しげなほほ笑みが浮かんでいる。
焼けた金髪に透き通るような青い瞳。まるでハリウッドからやってきたかのようながっしりとした体つきでまったく見覚えがなく、一体この人は誰なんだろうと不思議に思うばかりだ。
溢れる涙をぱちりと瞬いてからあたりを見渡すと、抱きかかえられた向かい側には透き通るようにきらきらと輝く金の長い髪と、白い肌の若い少女がいた。
きれいだがどこか幼く感じる目元がかわいい女性で、彼女もまた喜びに零れ落ちそうな笑顔を浮かべてこちらを見つめている。
「リオン、私がお前のお父さんだよ」
「私がお母さんよ、リオン」
俺に呼びかけるように何かを語りかけてくる。
言い聞かせるように何度もリオン、と呼びかけてきて、それが俺の名前みたいに聞こえてくる。
心の奥から湧き上がる喜びを抑えきれないとばかりにギュッと俺を抱きしめるその手に、なんだかすごい暖かさと心地よさを感じるのだ。
(ああ、きっと、彼は俺のお父さんで、彼女は俺のお母さんなんだ――)
何を言っているかは全然わからないけど、深い愛がこもった言葉は一つ一つが心地よかった。
今の状況が当てはまるものはなにか。
そう思うとそれが胸の奥でピッタリとハマるような感覚があった。
――俺は、転生したんだ。
こうして、第二の人生が産声を上げた。
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どうやら俺は転生をしたらしい。
らしいというのは俺を転生させたと説明してくれるような神様も悪魔も神官も現れなかったからだ。
とは言え、毎日抱きかかえられ、よしよしと撫でられ、母乳をもらっていれば状況くらいわかる。
まずは本名だが、俺の名前はリオン・フォン・アルカード。
アルカード家のリオンくんとなるようだ。
元々は山田、鈴木に並ぶ苗字で、名前もまたクラスに数人はいるため、同姓同名がめずらしくないありきたりな名前だった自分としてはリオンだなんてかっこよくてくすぐったさを感じる。
現世でも、凛音くらいならDQNネームにならずにすむと思えば、……思えば、きっと恥ずかしくない。
名前の後ろに一息つかないと言い切れないような、フラン何だのといろいろつかないのは楽で助かるが、シンプルな名前だからといって身分が低いわけではないらしい。
ベビーベットが基本の居場所だったから中々きづけなかったが、どうやらここは大きな屋敷で、使用人がたくさんいるお家みたいだ。
どうやら、お父様が伯爵らしいから、実際偉いのだろう。
とは言え、お父様自体は伯爵家の生まれではなく、元は男爵家の次男らしい。
それも、若い頃は冒険者としてぶいぶい言わせていたとか。
伯爵領に襲いかかり、支配しようとした吸血鬼の親玉を倒した縁で嫁ぐことになったとか。
贄にされそうだった良家のご令嬢を助けて結婚とかまるでサーガの英雄だと思うが、実際に今でも酒場で歌われることもあるらしい。
現場主義の実力派で民や騎士からも信頼が厚いとか。
対して、母親のアンリは初めての子供である俺が可愛らしくて仕方がないみたいで、乳母がいるにもかかわらず、進んで自分のものをあげようとしているし、領主の仕事に忙しい父親に変わって面倒を見てくれている。
体に引きづられて、あらゆる感情表現が泣くになってしまっている俺だけれど、彼女に抱かれるときの暖かさと安心感に、『愛されるってこういうことなんだ』と不思議に今をすんなりと受け止められてしまっている。
生前との年の差を考えれば近所のおねえさんくらいの歳の差の他人なのに、母親と思って顔を浮かべれば今では彼女の笑顔が浮かぶのだ。
とは言え、ここまで苦労がないというわけではなかった。
別にお乳は見ても興奮などしないし、お腹がすけばそれしかないんだからとすぐに慣れていったが、何度やってもなれないのはおしっことうんちだ。
体に巻かれた布オムツにそのまま漏らすしかないのだ。
そうしてびいびいと泣く。
泣いて呼ばれてくる侍女に世話をされる。
それがなんとも情けなく悲しく感じてまたワンワン泣いてしまうのだ。
子供だから普通? そうかもしれない。
でも、意識はもうしっかりしているのだ。
授業中にもりっとうんちして先生に世話をさせると想像すれば俺の悲しみが少しでも伝わるに違いない。
『泣かなくていいのよ』と言われたところで、泣くに決まってるはずだ。
それが毎日なのだから、お世話係の侍女には申し訳ない気持ちでいっぱいである。
ふとそれを思い出して泣いて、夜起きて暗くて不安な気持ちになって泣き叫ぶのだ。
うう、なさけな――あ、また泣きたく……
そんな赤ん坊時代だったが、寝て起きて泣いてと日々はあっという間に過ぎていった。




