第14話 帰還と再開
最初に感じたのは強烈な吐き気だった。
攫われた謎の施設から馬車を走らせ、家に戻るべく暗い道を歩かせた。
大して娯楽のないこの世界では、夜が早いし、子供の体だったから、9時を回るくらいの時間になるともう頭が重くなってくるのがいつもの事だった。
けれど、体質が変わってしまったのか、今は全くそんなことがなく、むしろ調子がいいくらいだった。夜のはずなのに、不思議と何処までもなにがあるかはっきりくっきり見え、馬車を操るのにも全然苦労しないくらいだった。
様子が変わったのは夜が明け出してからだ。暗かった夜空に太陽が顔を出し、雲間から光を差し始める。徹夜明けなんていうのはテスト前だけの経験だったが、家に戻るために馬車を夜を徹してかけるのはそれ以上の重労働だった。
だからすぐには気づかなかった。ただ無理したのかなと思って、馬車の中に戻って革袋から水を飲んで少しだけ休んで、また従者台に戻って馬を走らせる。
けれど、馬車の中から出るとすぐに気持ち悪くなってしまうのだ。
休んで、外に出て、戻って休んで外にでる。
繰り返すごとにより気持ちが悪くなり、4度目で吐いた。
胃にあった血液は消化されきったのか、出たのは胃液で、酸っぱさが鼻に来る。
だがそれ以上に再び嘔吐感に襲われ、嫌になって空を仰ぎ見る。
――目が焼けて視界が潰れた。
反射的に馬車の中に逃げ込めたのは幸運だった。もしのたうちまわれば目が見えなくなった今、死んでしまう可能性もあった。
(これが、吸血鬼……!?)
暴れまわった記憶はあやふやで、溢れ出るような力も今では落ち着いてしまったおり、何よりも自分が変わってしまった現実に向きあいたくなくてただ、帰ることだけを考えていたせいだ。
でも、こうなっては今自分がどうなっているかを把握しないでおくことはできなかった。
「吸血鬼に変わってしまった」
吸血鬼は血を吸う。吸われたものは吸血鬼の命令を受け入れ、操られてしまう。
吸われて命を落とすと、死後数日の後、吸血鬼として復活する。
吸血鬼はたくさんの特殊な能力を持つが、同時に太陽を含めた光に弱く、闇に強い。
そして、吸血鬼は人にとって討伐対象である。
吸血鬼は人を襲い吸血鬼に変える。
人を襲い子を生ませる魔物がいるが、吸血鬼の増加速度はそれ以上だ。
毎日吸わなきゃいけないわけではないようだが、しようとすれば食事のたびに増えるのだから。
それだけに、人を襲う吸血鬼の出現報告はすぐに広まり、排除される。
お父様は俺を受け入れてくれるだろうか。
俺を愛してくれていることを信じている。良い父親だ。
でも、同時に領主でもある。お父様が領主としてどれだけ頑張っているかはわかっている。
冒険者としても優秀な彼が吸血鬼になった息子をどう扱うかはわからなかった。
第一、見た目がこんなにも変わってしまっているのだ。
リオンだとも思わず、吸血鬼として殺される。そんな未来だって頭をよぎった。
どのみち、日の出ている時間の迅速な移動は難しそうだった。
馬車を操り、道を外れ、森の中に入ってから、馬車に戻る。
睡眠用の毛布をまとい、なるべく素肌を晒している場所を減らし、馬車の奥に隠れた。
じっとして、ただ日が落ちるのを待つ。
幸運にも追手も俺を不審に思うような相手にも出くわさず、家へと戻ることができた。
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心臓が不安で破裂しそうだと思いながら、ベルを鳴らす。
屋敷から出てきたのはフェリシアだった。
彼女はだれだろうと不思議そうな顔をして俺を見ている。
リオンだとは思っていない。それが少し悲しかった。
「セドリックさんはいらっしゃいますでしょうか」
「……当家にどのようなご用件でしょうか」
「リオンについてお伝えしたいことがあります」
息を飲むのがわかる。フェリシアは仕事以上に俺をかわいがってくれていると思っているし、その子供が旅の中で襲われて行方不明。
その上で、その子について知っていると言われれば動揺するのもしょうがないだろう。
「すぐに伝えてきます。しばらくお待ちください」
屋敷に連れられ、接客用の部屋に通される。
吸血鬼と言っても、地球の創作とは違い、別段家に招かれなければ入れない、ということはなさそうだ。まあ、十字架に弱くないようなので、神の敵対者ではなく、吸血鬼という魔物なのだろう。
出された紅茶に口をつける。いつもの味なのになんだか妙においしく感じられた。
なにを話そう、どう話そう。
いざとなるとまとまらない考えに困っていると、慌てて走ってくる音が聞こえてくる。
歩幅や音でわかる。あれはお父様だ。
ドアを壊さんばかりの勢いで開くと、今まで見たことがない、焦った表情を浮かべたお父様が入ってくる。
「君がリオンを知っている少年か!」
「あ、はい、実ははなしたい――」
向い合うと、お父様は驚いたようにこちらを見る。
唖然とする様子に、どうしたものかと悩んでいると、思わず漏れたみたいな声で尋ねられる。
「リオンなのか?」
「だ、旦那様?」
吸血鬼になってしまったのに、体が成長してしまって年齢が変わっているのに、髪の毛が金から黒に変わって全く印象が違うだろうに。
自分が変わってしまったことが怖かった。でも、お父様はわかってくれた。
それが何より嬉しい。
「……うん。そうだよ、お父様」
「良かった。生きていてくれて。お前を失ってしまったんじゃないかと、お前たちを外に行かせたことを後悔していた」
ギュッと抱きしめるその暖かさは生まれた時から全然変わらなくて、とても心地よかった。