第13話 吸血鬼の誕生
赤ん坊として生まれ変わった時でさえ、今の自分が自分じゃないだなんて思わなかった。
手を動かそうと思えば動かせて、声を出そうと思えば、それが鳴き声であろうと出せたからだろうか。全身を犯す闇の魔力は俺の体を削る取るようにして奪っていって、新しい別の何かに変えてゆく。
もう体の何処にも元の俺であったところなんてなくなってしまって、たとえ見た目が同じであっても俺じゃなくて。ああ、もしかしたら前世から続いている俺と言う何かも変わってしまったんじゃないか――。
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「あ――うぁ…!」
「おお、目覚めたか。だが早速で悪いが封じさせてもらうぞ。正しい形にうまれ――」
ガキの体に吸血鬼封じの拘束具をつけようと近寄るヨハンは差し出した手を噛み切られる。
骨ごとむしりとる、人形の腕をもぐようにたやすく。
「がああっ! 混乱しているのか!? わかっているのか? 母親は我らの手にあるのだぞ?」
「あがあああああ!」
「ひっ! くそっ、作り変えられた後はろくに動けないはずなのにっ!」
奴の目は正気を失っていた。理性を欠片も感じない、獣の目をしていた。
俺を、あいつを人間だとすら思っていなかった。
「マティアス! 助けてくれ! 何とかするんだ!」
何とかするのがお前の仕事だろう。そう叫び返したくなるをぐっと堪える。少しでも躊躇えばあっけなく終わってしまうかもしれない。それだけの恐ろしさがあった。
「お前ら、入って来い! 吸血鬼狩だ!」
祭壇の間に、控えていた部下たちが入ってくる。
教会の仕事は人攫いみたいな荒事だけじゃない。不死の研究の失敗作や天然物の不死を研究するための捕獲も含まれる。吸血鬼を相手にしたことも何度もある。
盗賊のふりをするための安い剣から、不死者を相手にするための魔力がこもった魔剣に持ち帰る。
「撃った後、一斉にかかれっ!」
腕から吹き出す血をなめとるのに夢中な吸血鬼から這々の体で逃げてくるヨハンを後ろに逃し、風を、炎を、雷を撃ちだす。
魔術は混ざり合うようにして拡大し、より強力なものに変わって襲いかかる。
ただのヴァンパイアなら灰すら残さず消え去る威力のはずだった。
「あはっ! あーーぁ!!」
狂人みたいに笑いだけを響かせる。吸血鬼がまとった、闇の…そう、闇の衣のようなものがすべての魔術を飲み込んでしまった。
まとった闇からは高純度の死の予感を孕んでおり、歴戦の猛者のはずが、誰一人その場から前に足を進められなかった。
赤子のように手をぷらぷらを動かしたかと思えば、一人の戦士を指差す。
「たべちゃお」
その瞬間に、背中から生えた何本もの剣がそいつを突き刺す。全身から血を抜き取るように、背中から、腕、足、肩と貫き続けて、最後に頭が砕かれる。
噴き出るように血が舞っているのに、地面に落ちた瞬間に消えてゆくのだ。
ああ…もしかしたら、吸われているのかもしれない。
闇そのものといえるようなバケモノなのだから、松明の光しかない薄暗いこの場所は、あいつの口の中にいるようなものかもしれない。
唯一の逃げ道だったはずの扉は、何故か真っ黒に染まっていて、逃さない意志だけは感じる。
「剣を引き抜け! 襲いかかれ! 斬りつけろ! 倒せない敵などいない!」
本当の意味での不滅など存在しない。魔術が効かなければ切り倒すだけだ。
死ぬような目になど何度だって会って来た。けれど俺は毎回生きて帰ってきた。
だから、今ここに居るんだ。そして今回だって切り抜ける。
神などいないが、神に愛されていると知っている。
悪魔などには負けない。
剣に長けた5人全員で、囲むようにして襲いかかり……全身を針のようなもので貫かれた。
(なんだこれ?)
自分の全身に刺さった針の先を辿って、それがあの化物の衣が変化したものだとわかった。
全身の熱が、吸い取られる。体の中心に宿っていたように感じる、命そのものが奪われてゆく。
針は管の役目も果たし、すするような音とともに、俺達から血と命を奪っているようだった。
(くそ、蚊かよ……)
そんな罵倒はけれど音にすら変えることができなかった。
ただただ吸われてゆくごとにしぼんでいく自分の体と、迫る終わりに絶望することしかできなかった。
(あっけ――ねえ)
そうして、月の教団お抱えの傭兵団と、ヨハンはすべてを吸い尽くされて死んだ。
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吐き気がした。
美味しいものをこれでもかと、口に押し込まれて、もうこれ以上食べられないよと答えたのに、残ってるから食べなさいとつめ込まれたみたいで。
こみ上げる気持ち悪さに耐え切れなくて、嘔吐する。
「ぐっ、げっ!」
朝食べたのはなんだっけ。回らない思考の中、ようやく思い浮かんだのはそんなことで、けれど、口から吐き出されたのは真っ赤な液体で、ぶちまけられたそれからは酸っぱい臭いじゃなくて、雨の日の鉄棒のような、そう、鉄の匂い。
「なに――これ」
たくさんのことが起こりすぎていて、整理できなかった。
でも段々と自分がどうなったかがわかってくる。
夜の教団になぜか狙われて、攫われた。
人を不死にするオーブを使って俺を変えようとした。
そして――体に湧き上がる力と、自由にならない衝動のままに暴れたのだった。
俺を捕まえていたはずの人間はもう、いなかった。
いや、生きていないだけでいるのかもしれない。地面にはたくさんの衣服と、抜け殻になった人の皮だけが落ちていたから。
――吸血鬼。
お父様がお母様と結婚する原因となった存在。
俺は自分の手を見てみる。
機能までは幼児の柔らかい体だったはずなのに、今は14歳位だろうか。
中学生くらいのがっしりしだした体に変わっている。
太陽のようだと褒められていた髪の毛も、まるで死そのものみたいに真っ黒で、お前は変わってしまったんだよと告げていた。
「お母様……」
どこか拙く響いた言葉。体の成長のせいだろうか。
覚えのない、似てるだけの成長した自分の声。まるで別人が耳元で喋ってるみたいに響く。
扉は簡単に開いて、そこには腰を抜かしたのだろうか。後ずさろうにもできない女が一人。
「ねえ」
「ひっ、殺さないで!」
「お母様はどこ? お前たちが俺と一緒に攫った女性はどこ?」
「ごめんなさい、知りませんっ! でも団長が連れてきたのは子供一人だけでっ! ほんとなんですっ!」
戦闘員じゃないんだろう。まったく抗おうとする意志も見せず、ただ怯えていた。嘘をつく気力さえなさそうに見える。
じゃあ――お母様は攫われていない? お母様に会わせてやるという言葉は嘘?
攫ってなかったんだと安堵する気持ちにはなれなかった。殺されているんじゃないかって、あの時抵抗すればよかったんじゃなかったって。
「戻ろう、家に……帰るんだ!」
俺は怯えた女性から今の位置を聞いて、帰り道を確認し、用意されていた馬車を奪って走らせる。
幸いにも、襲われた場所からそう遠くない。
一日もせずに、戻れるはずだった。
それにしても――さっきの人、美味しそうだったな。
自分の思考に驚いて首を振る。なにを考えてるんだ、俺は。
叱咤するように、鞭を振るい、馬を走らせた。




