第12話 闇の申し子
生まれる時みたいだ。
思い出すのはこの世界に初めて目を開ける前の記憶。真っ暗闇の中、けれども、何処か意識は残っている不思議な感覚。
あの時と違うのは何処か冷たくて、あの時と異なるのは目覚めた後のけれど眠りにつきたくなるまどろみの気分であること。
このままずっと、こうして目を閉じていたいのに、何かが気になってそれを許してくれない。
「おかー……さま……」
俺を抱きしめてくれた人。暖かくて幸せで、家族だって、愛してるって――夢を見ている時に夢だと気づいて飛び起きるみたいに、意識を失う前の記憶が戻ってくる。
起き上がろうとしても、体は手も足も動かせない。
一体どうして。
唯一動かせる目であたりを見渡す。どこか古めかしい苔むした祭壇。
乾燥した空気。灯された松明と、そこから感じる熱気とは逆の寒々しいあたりの空気。
そして感じる強い闇の魔力。
「おい、目覚めたみたいだぜ。さっさと済ませてくれるか? 次の配達が待ってんだ」
「せっかちだな。金は弾んでいるんだ。少しは待てないのか?」
どうやら何かに俺は全身縛り付けられているらしい。しっかりと結ばれており、どんなに暴れても抜けられそうにもなかった。
そんな俺を覗きこむように男は……いや、もう初老といってもいいだろうか。
深いしわが刻まれ、たるんだ皮が年月を感じさせた。
彼は愛しい物を見るように深い笑みを浮かべる。
「はじめまして、リオン・フォン・アルカード。私は月の教団の一員、ヨハン。君に贈り物をしよう」
「おかあさまはどこ!」
「最初にママの心配か。見た目どうりの餓鬼だな」
「――ふむ。母親が心配か。再び会いたければいい子にするんだ。わかるな?」
「さすが教団のおエラは子供の扱いが上手い」
「だまれ、マティアス。口をはさむな」
彼らはどうやら俺が狙いのようだった。お母様のことは心配だったが、会わせてくれるという。
人質にされているかもしれない。だとしたら彼らに従う分にはむしろ安全なのかもしれない。
人質は生きていてこそなんだから。
状況は一向にわからないままだったけれど、安堵の溜息をつく。
「なにをすればいいの?」
「ああ、いい子だ。マティアス。運べ」
「あいよ。暴れんじゃねえぞ。手元が狂ってもいいならいいがな」
盗賊の男は俺の手足や首につけられた紐を切ると、猫でも持ち上げるようにひょいと拘束されていた台から運ぶと、あたりより少し高くなっている祭壇の天辺へ俺をのせる。
「横になれ」
言われるままに、横たわる。まるで邪教に捧げられた生け贄だ。
全身を冷やすその空気にぞっとする。
安心してよかったのだろうか。それこそ本当に、この場で悪い神に捧げられるのではないだろうか。
だとして、なぜ俺なのか。捧げるなら他にいくらでもいるはずだ。
あえて貴族の息子など選ぶはずない。だから大丈夫だ。
「さあ、このオーブを受け入れるがいい。その瞬間、お前は不老と不死の力を得て、我が主の孤独を癒やすだろう」
むしるようにして服はまくられ、ボタンははじけ飛ぶ。あらわになった体の、心臓の上に置くようにして、黒く丸い何かを俺の体の上に落す。
「さあ、夜の命を宿しなおせ」
まるで水の中にいれたみたいに、なんの抵抗もなく入り込んでいって、つかもうと伸ばした手は空をきる。
なんでもないように入りこんだくせに、胸が破裂しそうな異物感が、肉を押し上げるような痛みが、何かが根本から作り変えられるような恐怖が俺を襲った。
こわい、いたい、いやだ、だれか――助けて!
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莫大な魔力が吹き荒れている。
教団は信者たちから絞りとって肥えているせいか、俺達のような汚れ役をこなして生きる人間にとっても上客だ。汚いものを見るような貴族たちの目と違い、俺達も信者も変わらず見てくるヨハンの方が不快だったが、仕事は仕事だった。
不老の天使を教主にしている教団だけあって、月の教団は貴族受けがいい。特に不死の研究に関して何処よりも深い知識がある分、力のある国家ほど入れ込む傾向にある。
だからなのだろう。吸血鬼を生み出す夜のオーブなんてものをヨハンが持っていても不思議とも思わなかった。
だが、一目見るだけで闇の属性の才能がありそうだと思われる餓鬼の中にオーブが入りこんだ瞬間に、莫大な魔力が漏れ始めた。
恐ろしい圧力だ。全力で牙を剥いた竜でさえここまで荒ぶることはないだろう。
「おい、大丈夫なのか、ヨハン」
「ああ、すばらしい。成功だ。これなら永遠にエル様の身は守られる。すばらしい。ああ、最高の体だ」
取り憑かれたみたいにヨハンは子供の体をうっとりと見つめている。
こんな力の持ち主を隣に置くなんて、それが吸血鬼だなんて冗談を誰が受け入れるのだ。
天使の教主へ貢物にしては最悪にも程がある。
「吸血鬼の本能も、体に合わない中身も、なに、変えてしまえばいいことだ。不老であっても、不死であっても、不変ではないのだからな」
魔物の本質を変化させ、人を襲わないように変えたり、よりよい乳や卵、毛皮を生産するために変化を促す道具は確かに存在する。
アレほどの存在を捻じ曲げる道具があるのか、と普段なら思うだろうが、夜のオーブとその影響を見た後ならあるのだろうと納得できる。
ヨハンとて馬鹿ではないのだ。余裕の笑みが答えと言ってもいい。
「んで、どうやって運ぶんだ」
こんな荒れた魔力を放ち続けられては馬車などすぐ破壊される。
依頼された配達先はおそらくその変える作業をするための場所のはずだ。
「今は体が作り変えられている。終われば落ち着くはずだ。吸血鬼を封じる聖水や、札を用意している。棺桶に放り込んで運べ」
「手際のいいことで」
永遠の寂しさを紛らわせるためのペット。そのために人間をやめさせられ、その中身を変えられてずっと死ねずに利用されるのだから、哀れなものだ。
暴風雨のように吹き荒れる闇の魔力。だがそれは次第に収まり、むしろ出したものを回収するように、今度は逆に吸い込まれてゆく。
あたりの魔力を吸い尽くして、喰らい尽くしてゆく。
真っ黒な魔力に覆われ、吸い取られてゆくせいで、まるで黒の繭ができているみたいだった。
「すげーもんだな」
「エル様にも匹敵するかもしれんな。楽しみだ」
十分もすると祭壇を漂っていた濃厚な魔力は、全くなくなり、寒々しいほどだった空気が無味なものに変わってしまっていた。
闇の繭は消えており、そこには作り変えられた結果だろうか。
五歳位だったはずの子供は十数才くらいに成長していた。何よりも目を引くのは太陽のようだった金色の髪が真っ黒に染まっていることだった。
まれに一つの属性の力が強すぎる場合にその属性の影響が目や髪の毛に出てしまう人間がいる。
それでも、生来のものと混ざったような色になるのが多いが、光さえ反射しない黒となれば――
「闇の申し子、てか……?」
果たしてアレに言うことを聞かせることはできるのだろうか?
悪魔の王を倒すには弱い力と、弱らせるのがせいぜいの道具たち。
人間の情で訴えて聞き分けるのだろうか。
不安を感じていないのか、歓喜して駆け寄るヨハンを尻目にマティアスは剣を引き抜いた。