第ニ話 「出会い」
「あっ、あっ、驚かせちゃってごめんなさい。」
寝床に向かう俺の背後から慌てふためく声が聞こえてきた。
俺はもう一度画面の方に向き直って先程の光景が幻覚でない事を確かめた。
やはりそこには女の子がいた。画面の中に確かに彼女は映っていた。
俺は恐怖を感じ始めていた。
どこを切り取って見ても自分の理想をそのまま具現化したような少女だった。
まるで俺の脳内を誰かに覗かれているかのような不快感すら感じる。
彼女の肩まで届く程度に伸びた、少しウェーブのかかった癖のある赤色の髪、好奇心と輝きに満ちた丸く大きな黒い瞳、そして小さく整った鼻筋とこれまた小さく瑞々しいさっぱりとした唇が、大人に変わる直前の純白な少女を形容していた。
それに加えて、どこまでも純粋で屈託のない笑顔。
柔らかく優しくて、どこか懐かしい感じのする声色の女の子、あまりに理想そのもの過ぎて、以前にどこかで会った気さえしてしまったくらいだ。
こんな可愛い子会った事ないし、会ってたら俺はこんなに踏み外した人生を送ってはいないだろう。いや、会っていても結局相手にされないから今とは変わらないな。
一人静かに寂しい納得をする。
確かに俺の理想の子ではあるが、得体の知れない相手、惚れてはいけない相手だ。
どこに住んでいるかも知らない子で、きっとどこかのサイトから間違って俺とネット通話しちゃったんだろ。
いや、それはない。
彼女はどうやって来た?俺はライブチャットもネット通話もやってないし、そもそもアカウントを持っていない。
それじゃあ、この子に直接聞くしかない。
いや、待て、もしかしたらこの子はアンドロイドかもしれない。
もし周りに見られていたらパソコンに話しかけるイタイ俺。
それだけは回避しなければならない。
という言い訳を作り、人見知りである事がバレないようあくまで自然に目線をパソコンの画面からそらしながら俺は彼女に声をかけた。
「ど、ど、ど、ども。」
相手を見ずに口ごもりながらの挨拶、印象は最低レベルだろうな。
「おはよう、はじめまして。びっくりさせちゃってごめんなさい。わたしの名前はエミルって言います。あなたは?」
何なんだ?俺の設定した名前と同じって、どんな偶然なんだ?いや、見たのか?俺の書いたエミルのプロフを見たのか?
今思い返すとかなり恥ずかしい設定なんだぞ?
「エルだ。こちらこそよろしく。」
本当は別の名前だ。
怪しい相手には全ての個人情報を晒すのはまずい。
「へぇ、エル君て言うのかぁ。かっこいい名前だね!」
胸のあたりに何か電流が走った。
な、なんだ?男の心を掴む術を心得てでもいるのか?
会ってまだ5分も経ってないのに陥落間近なんだぞ!?
恋愛経験はないが、ギャルゲーをやりこんで相当経験値の高いこの俺がこんな状態なんだぞ!?
彼女の経験値、半端ないな。
どんだけ修羅場潜ってきてんだ?
俺の本能は今、絶対に本心を見せたらやばい事になる、と警告音を発し続けている。
本心の周りにコンクリートを流し込んで固める作業が急ピッチで進められているところだ。
何とか平常心を装って言葉を返した。
「エ、エ、エミル・・・ちゃんも・・・か、か、か、かわいい・・・・・・よ・・・名前・・・。」
なぜだ!?なぜなんだ!?なぜ向こうのペースになっている?
そしてキモオーラが出始めている!?
これはまずい!
このままだと数万円もするブランドバッグを何個も借金して買わされた挙句、怖い方達からの逃亡生活、夢はフカフカの布団でゆっくり眠れる日常を送る事。とかになっちゃうんだぞ?
落ち着け俺。
エミルとやらにはっきり言ってやれ。
俺は生身の人間にしか興味がないって。
お金も無ければば甲斐性もないから俺と絡んだって無駄だぞって。
そう決意し、顔を上げると、エミルは顔を真っ赤に染めて、恥ずかしそうに俯いていた。
「う・・うれしい・・・」
俺の中の分厚く、高い壁は完全に崩壊した。
あんなに固めたはずのコンクリート・・・固まる前にだだ漏れしやがった。
もはや彼女のためなら危ない人達からの逃亡生活も悪くはないか、と思い始めていた。
いくら諦め癖のある自分でも、俺の人生自体諦める訳にはいかない。
このままだと自分の暗い将来像が膨らんでしまいそうだったので、深呼吸をし、一旦落ち着いてから、まずはエミルに疑問に思った事をそのまま聞いてみることにした。
「エミル・・・ちゃんは今どこにいるの?何でそっちはそんなに真っ暗なんだ?」
「・・・それがわからなくて、しばらく前からこの暗い所を歩いていて、出口も見えないし、進んでいるのが前なのか後ろなのかもわからなくて・・・。」
「でもそんな時にね、急に目の前が明るくなったんだ。そこにはわたしの事が書いてあって、不思議に思って見てたらもっと明るくなってエル君が見えたんだ。光が見えるまではわたし、何だか暗い気持ちになってたから、エル君を見た時、凄く嬉しくなったの。」
「そうか、ずっと不安だったんだな。何とかそこ抜け出せればいいな。」
俺はそう答えながらもエミルの話を信じられずにいた。ずっと彷徨っていられるくらい長い洞窟やトンネルなどあるのだろうか。
外国か?そんな電波の悪そうなとこで通信できるのか?それに俺のパソコン内に入力した文字が見えるのか?どういう仕組みなんだ?
「ところでそっちのパソコンには他にどんな文章があった?」
「パソコンなんてないよ?文章も一つだけ。」
「パソコンじゃないのか!?」
「うん、空間の中に文字が浮かんで見えたの。光ってて綺麗だったなぁ。」
どんな空間なんだ?ますます、理解に苦しんでいく。全てを信じる事は出来ないが、更に他の質問をしてみた。
「そっち、そんなに暗いとこにいたら結構寒いんじゃないのか?薄着っぽいし・・・」
「ううん、全然陽は当たらないけど、寒くないよ。下もスカートだけど、全然。」
俺はエミルに聞こえないように唾を飲み込んだ。
その瞬間、俺にある考えが浮かんできた。
「その空間はどこまで広がってるんだろうな?」
「わからないけど、かなり広いんじゃないかな。」
俺の好奇心もどんどん広がっていった。
「そんな空間があるなんて信じられない。もしかしたらエミルちゃんはもうこの世にはいない霊的な存在なんじゃないのか?そしてそこはもう霊界なのかも・・・。でなきゃ、そんな所に存在できるはずがない。」
「えっ・・・」
あまりの唐突な推測に困惑するエミル。
その戸惑う表情も更にエミルの純粋さを引き立たせた。
俺は今まで女の子にこんな表情をさせた事がない。
というかそこまでの会話をした事自体がない。
嫌味を言ってよく怒らせたり泣かせたりした事はある。
そんな陰険で性格の曲がった俺だからクラス内で敬遠され、まるで汚物を見るかのような目つきで見られてきた。
今、そんな人生の中で素晴らしく新鮮な情景が広がり、征服欲という今まで出会った事のない感情を知り始めている。
こんな感覚初めてだ。だが、同時に罪悪感もあるにはあった。
いくら見知らぬ他人とはいえ、こんなに素直で純粋な女の子を騙すのは気が引けた。
いや、騙すと言っては語弊がある。これから行うのはあくまで確認作業の一貫だ。大切な事なんだ。彼女が心配なんだ。
俺はそう言い聞かせ、罪悪感を頭から振り払った。
「幽霊じゃないかどうかは足があるか見ればわかる。少し後ろに下がってみてくれないか?」
「う、うん」
もし自分が霊だったら、と恐る恐る後ろへ下がるエミル、全身を下心全開で眺めたいだけの俺。
ここまで来るともはや罪悪感は消え、ただひたすらに欲望だけが俺を支配しいく。
少しずつその全貌が明らかになるにつれ、心拍数は再び上昇を続けた・・・。