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おっさんと別れた俺は、そのまま街をぶらぶら歩いていた。ヒーロー部だった頃にパトロールしていたルートを何となく歩きながら、事件の予兆やら、困っている人やらがいないかをチェックするわけだ。これはもう癖みたいなもので、ヒーロー部を辞めたからハイおしまい、って具合にはならなかった。
何せこの町は、ちょこちょこ犯罪や事件と出くわすから。そうこうする間にも……。
「誰かー、捕まえてー!」
と、まあこんな程度の事件はわりとしょっちゅう起こる。
正面から走ってくるスクーターと、そのだいぶ後ろで叫んでる女の人。スクーターに乗った男が持っているのは、明らかに女もののハンドバッグ。定番の引ったくりだ。このタイプの犯行は、過去に何度も対応した事があるので、言い方は悪いが手慣れている。
「せーの……」
距離と、スクーターが向かってくるタイミングをはかって、二、三歩助走をつけ、一気にジャンプ。スクーターは勝手に俺に迫ってくるわけだから、ただ男の頭の高さまで跳んで、足を真っ直ぐのばしてやればいい。それで、引ったくり犯は自分から跳び蹴りに突っ込んできてくれる。ちなみに跳び蹴りのポーズは、ブルース・リーを参考にするとキマる。
「へぐっ!!」
不気味な悲鳴を上げて、犯人は後ろに吹っ飛んだ。そのまま主を残してスクーターは俺の下を通過していった。後ろに転がった犯人は、仰向けに地面にひっくり返っている。女性のバッグをスクーターの上からかすめ取ろうなんて奴は、これぐらいやってもかまわないだろう。
男の手からもぎ取ったバッグを女性に返したところで、周りに人が集まってきたので素早くその場を離脱した。警察が来て事情聴取とかになったら面倒だ。ヒーロー部にいた時は、警官が「ああ、いつもご苦労さん。いい感じにやっとくから、行っていいよ」なんて言ってくれたもんだが、今はそうはいかない。例えるなら、警察からも信頼された名探偵が、子供になった途端に事件現場から締め出されるようなもん……全然ちがうか。
それにしても今日は暑い……クロウのスーツで活動したら、ぶっ倒れる事まちがいない。今日は結構な距離を歩き回ったし、余計な運動をしたからなおさらだ。
仕方ない、喉もカラカラだし、ちょっと休憩しよう。確かこの辺に、スタバがあったはずだ。
ちなみに我が町におけるスタバとは、某有名コーヒーチェーンではない。サービス内容は似ているが、正しくはSvsBコーヒーという名前だが、とにかく語呂が悪いので誰もそう呼ばない。いつの頃からか、この店の不可解な名前は「スーパーマン対バットマン」を意味するという微妙な噂が流れ、それぞれの頭文字をとって――あるいは「似たようなもんだからスタバでいいじゃん」という理由でそう呼ばれている。
そんな話はどうでもいい、アイスラテだ。
俺はレジカウンターでアイスラテを受け取り、フロアの隅っこの席に陣取る。ストローの刺さったカップのフタを取り、乾いた喉にアイスラテを流し込んだ。一緒に転がり込んできた氷を、口の中でコロコロ転がしていると……。
「私、やっぱり納得がいきません」
背後の席から、そんな聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。怒りを滲ませながらも、落ち着いた響きを持つその声は、今朝も聞いたばかりだ。
俺は、ポケットから小さな鏡を取り出して、背後の様子を伺った。
「まあ、少し落ち着くんだ、ピンク」
俺の後ろの席には、四人の男女が座っていた。一人はピンクビーナスこと愛川先輩。そして、眼鏡をかけた真面目そうなのが、ヒーロー部部長、レッドアポロンこと沢渡信二先輩。茶髪のチンピラっぽいのがブルーヘルメス、ショートカットの女の人がイエローアテナの中の人だ。名前は忘れた。あと一人、今はいないけどグリーンバッカスっていうのがいて、この五人がオリュンポスVの一軍メンバーだ。
どうでもいいけどオリュンポスV、ギリシャ神話とローマ神話を混ぜたネーミングはやめてほしいぞ。どっちかに統一してくれ。
「私は冷静です。冷静に、昨日の件を公表するべきだと言っているんです」
鏡の中の愛川先輩は、まっすぐに沢渡部長を見ている。昨日の件というのは、つまりクロウ・ザ・ダークナイトの存在を公表するという事だろう。
「だがな……グリーンは奴にビビッて学校を休んでるんだ。そんな事を他の生徒に知られたら、ヒーローとしての面目は丸つぶれだぞ」
グリーン、俺の蹴りで骨じゃなくて心が折れちゃったのか! でも学校休む事ないじゃん。学校関係ないじゃん。
「そんな事を言っている場合ですか? 彼の目的が何であれ、我々以外のヒーローにとっても脅威になるかもしれないのに……情報を共有して、対策を練るべきでしょう?」
「そんな心配いらねーよ、音子。今度見つけたら俺がボコボコにしてやる……」
と、ブルー。スリーパーで真っ先にねんねした奴が、偉そうに。
「だから、今は奴の正体を探るのが先だろ。わざわざ恥を公表するこたぁねえ」
それにしても、ブルーは外見も言動もチンピラっぽいな。そういうセリフを吐いた奴は、返り討ちに遭うのが定番だって事、知らないらしい。ふと鏡の角度を変えてみると、イエローもブルーの言葉にうなずいている。
「あたしも公表には反対。内申に有利だっていうからヒーローやってんのに、負けたのがバレて評判が下がったら意味ないじゃん」
「イエロー、そういう事は、思っていても口に出すんじゃない。それと、我々は負けてなどいない、苦戦しただけだ」
「はいはい……リーダーったら固いんだから」
「いいかピンク、我々は力無き市民の希望なんだ。絶対的なヒーローとしてあり続けなければならないし、決して負けてはいけないんだ」
眼鏡を押し上げながらほざく、沢渡部長。当り前だけど、愛川先輩は納得していない様子だ。
「……そうかもしれないけど……」
それにしても、聞いてるだけでむかむかしてくる会話だ。あんたら、ヒーローを何だと思ってやがる。言葉の上ではもっともらしい体裁を整えてるけど、あんたが心配してるのは体面だけだろ。
「ともかく、奴の事を公表しないのは部員の総意だ。これ以上、仲間の和を乱すような発言は慎んでくれないか」
そう言って沢渡部長は話を打ち切った。まだ何か言いたそうな相川先輩を視線で制する。
「確かに奴は強いが、昨日は不意打ちだったからな。次に会ったら昨日のようにはいかない。我々のチームワークで、奴の野望を粉砕してやろう」
ふーん、野望ねえ……まあ、そっちがそういう心づもりなら、俺も遠慮なくやらせてもらうけどな。
「じゃあ、そろそろ奴の捜索を再開しよう。イエローは住宅街の方を、ブルーは飲み屋街。俺は二軍と合流して、方針を相談してくる。ピンクは……」
「私は、もう少しこの商店街を探してみます」
愛川先輩は、仲間から目を逸らすように言った。思いつめたような表情だが、三人はそんな彼女を置いて、さっさとスタバを出て行った。
俺は鏡の角度を自分の顔に戻し……あ、俺ちょっと鼻毛伸びてる。鼻から飛び出す前に切らなきゃ……。
「皆守君」
「うひゃい!」
鼻毛のチェックに勤しんでいると、背後から声をかけられた。いつの間にか、愛川先輩がこっちを向いている。バレてたのか。
「ここ、座ってもいいかしら」
「はあ、まあ……」
本当はあまりよくはないが、盗み聞きがバレていたならジタバタしてもしょうがない。俺がうなずくと、先輩はトレーを持って俺の向かい側に腰を下ろす。トレーに乗っているのは四人分のグラス。自分のグラスぐらい返却口に持ってけよ、ヒーロー。
「恥ずかしいところを見せちゃったわね」
「いや、鼻毛チェックの方が、よっぽど恥ずかしいです」
「そうかもしれないわね」
ぐふっ。
先輩が目を伏せた。そのまま口をつぐんでしまったのは、やはり聞かれたくない話を俺に聞かれたからだろうか。
「何か、大変な事になってるみたいですね」
「そうね……大変な敵が現れたものだわ」
敵……か。そうだな、俺は敵対したんだ。オリュンポスV、そして愛川先輩に。
「狙われるのも、自業自得と言えるかもしれないけど」
改めて見ると、先輩の顔色が悪い。強大な敵の出現に、チーム内での微妙な立場、それに揃わない足並み。先輩が憔悴する要素は山ほどある。
「おかげで、しばらくはクロウ探索に精を出す事になりそうよ。私としては、チームの雰囲気が荒れている事の方が気になるけどね」
先輩は苦笑して、俺の顔をじっと見てくる。何か言いたそうな、あるいは何かを言ってほしそうな、憂いを帯びた表情。こんな表情の愛川先輩を、俺は前に見た事がある。
「皆守君……部を辞める前の事、覚えてる?」
先輩が不意に言った。覚えてるも何も……忘れられるわけがない。
「部内に、いろんな俺の噂が飛び交ってましたね。俺が陰で他の部員の悪口言ってるとか、犯罪者と共謀して手柄を立てようとしたとか」
二軍メンバーを中心に、目障りな俺を追い出そうとばらまかれた噂だ。
「知ってる? 皆守君がレッドの座欲しさに、私をたらしこんだ……なんて噂もあったのよ」
「マジですか 卒業したらホストやれそうですね」
馬鹿にしやがって。俺が愛川先輩をたらしこむとしたら、この美貌とけしからんボディ目当てに決まってるだろうが。見くびられたもんだ。
「
「金で人を雇って軽い事件を起こさせて、自分で解決してる、なんて噂もありましたよ。アホか、こちとら人を雇うほど金持ってねーっての」
思い出して憤慨しているふりをしてみせる。愛川先輩は俺をみて、くすり、と笑った。どことなく、辛そうな笑顔だった。
「噂が立って、どんどん立場が悪くなって……私がどんなに『相談に乗るからちゃんと話して』って言っても、君は何も言ってくれなかったわね」
そうだ。あの頃の俺に味方がいたとしたら、『力になる』と言ってくれた愛川先輩だけだった。結局、相談はできなかったけど。
「当り前よね。『あなたの所属しているチームは、ヒーロー魂の欠片もない人の集まりです』なんて、優しい皆守君が私に言うはずがないんだもの」
最初に落胆したのは、チームメイトである二軍の態度についてだったが、一軍メンバーの本性についてもすぐに気が付いた。結局のところ、ヒーロー部員のほとんどは、俺の期待したようなヒーローではなかったのだ。そしてその事実を、俺は先輩に告げる事ができなかった。先輩の言うような理由じゃない。ただ、信じてもらえないと思ったからだ。
「別に優しくはないですよ。オリュンポスVをこき下ろして、先輩に嫌われるのが怖かっただけです」
「ふふ……冗談ばっかり」
さらっと流された。これも嘘じゃないんだけどな。
「君が辞めた後……部内の空気が変わったの。それまで隠してた物が表に出てきた、って言えばいいのかしら。智絵なんか、内申目当てだって事を隠しもしないしね」
智絵? ああ、イエローの本名か。アテナの名が泣くぞ……と思ったけど、アテナって知略の神様でもあるから、あながち間違ってないか。チープな知略だけど。
いずれにせよ、先輩もヒーロー部の実態に気が付いたし、うんざりしてもいるようだ。
「そこまでわかってて、何で辞めないんですか?」
俺は、そんなヒーロー部に耐えられなかった。汚れたヒーローを見ていられなくて、逃げ出してしまった。安易な選択ではあるけど、少しは楽になれるはずなのに。
「そうね……」
先輩は長い髪をかき上げながら、少し考えて言った。
「私が中から、皆の意識を変えてみせようと思ったから、かな」
「意識を変える……」
「今のところ、あまりうまく行ってはいないけどね」
そりゃそうだ、多勢に無勢もいいとこだもんな。先輩一人がどれだけ息巻いてみても、部長をはじめ他のみんながあの様子じゃ、さっきみたいに封殺されるだけだろう。
「本当はね、皆守君が部に戻って、手伝ってくれたらいいのに、って思ってたの。だから、今朝もついついひどい事を言っちゃった……ごめんなさいね」
「いえ、それは別に……気にしてません」
「ありがとう……ごめんなさいね、つまらない話ばっかりで」
先輩は話題を変えようとするかのように言葉を切り、アイスコーヒーのストローに口を
つけた。氷が溶けて薄まったコーヒーがまずいのか、わずかに眉を寄せる。それから、じっと俺の顔を見つめてくる。
……憂いを帯びてる、っていうのかな。ちょっと潤んだみたいな瞳が揺れてて、長い睫も小さく震えてるみたいな……とにかく凄まじい破壊力なんだが。心の底から、何とかしなきゃ、という気持ちが沸きあがるような、そんな目だ。よくわからんか……いや、俺もわからないんだけども。
何だろう、愛の告白か……んなわきゃない。
「ねえ、皆守君……」
「は、はい……」
柄にもなく緊張する。本気で告白だと思ってるわけじゃないけど、先輩の表情がどうしても俺の動悸を速めてしまう。
「今夜は二軍と合同で、パトロールを兼ねたクロウ大捜索会があるの」
「は?」
何だいきなり。俺のドキドキを返せ。
「私達一軍は学校の周辺、二軍は繁華街を中心に捜索するんだけど、夜の任務って嫌よね。夜更かしは美肌の天敵だもの」
「は、はあ……まあ、そうっすね」
先輩の話題転換についていけず、間抜けな返事しかできない俺。
「いけない、チームの秘密を部外者に漏らしてしまったわ。この事、誰にも話しちゃダメよ?」
うかつすぎやしませんか、先輩。俺を誰だと思って……いや、隠してるんだから、知らなくて当たり前なんだけども。
「話しませんけど……」
「お願いね? じゃあ私は行くから。またね、皆守君」
先輩はさっきまでと打って変わって、何やら楽しそうに店を出て行った。
う~ん、よくわからん。
でも、今夜の二軍の行動が判明したのは大きいな。そろそろ二軍を標的にしようと思ってたところだし。
いったん帰って準備するとしようか。