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私立英明高校にはヒーロー部がある。
中学生の頃、桜からその情報を聞いて、俺は一も二もなく進学を決めた。小さい頃からの夢を叶える為には、その部に入るしかないと思ったからだ。足りない偏差値を努力で補い、何とか入学を果たした俺は、入学式当日にヒーロー部へ入部しに行った。応対してくれたのは、副部長の愛川先輩だった。体力テスト、心理テスト、特殊能力テスト、面接、実技、――数々の難関をクリアした俺に、先輩は言った。
「おめでとう、皆守君。今日から君はヒーローの卵よ。君のヒーロー魂に期待しているわ」
その時の先輩の笑顔の眩しさは、今でも覚えている。
ヒーロー部の主な活動は、学内および町内の治安維持。本職のヒーローになれば、守る対象は都市全域、全国へと拡大していく。その練習台として、まずは身近な場所を平和にするというわけだ。
「ようこそ、新入部員の少年よ! 私が部長のレッドアポロンだ!」
部長は新入部員歓迎会の場でも、マスクとスーツを着けたままだった。戸惑う俺の手を握り、ブンブンと固い握手を交わしながら、部長は豪快に笑っていた。マスクのせいで表情は見えなかったけど、たぶん笑っていたんだと思う。この人の正体が、英明高校の生徒会長だと知った時は驚いたものだ。噂によると、生徒会長選挙のポスターも、マスクを被ったままだったらしい。どこのザ・グレート・サスケだ。
「君が優秀だという事は、ピンクから聞いている。共に悪を駆逐しようじゃないか!」
「はい! 一年B組、皆守宗次郎です! 強く優しく、熱いヒーローを目指しますので、よろしゅくお願いひますっ!」
「その意気だ! 頑張ってくれよ!」
最後に痛いくらい手を握られ、俺は手厚い歓迎と共に、部員達に受け入れられた。子供の頃からヒーローになる為に体を鍛え、特殊能力と武道の腕を磨いてきたのだ。その力をようやく平和の為に使える。一日も早く、部内の花形チームであるオリュンポスVの一軍メンバーに選ばれたくて、俺も燃えていた。
入部すると、俺は見習いとして、先輩達の活動を補佐に回った。新人はまずそうするのが、ヒーロー部の決まりらしい。司令部という名の部室でバックアップしたり、被害者を速やかに避難させたりするのが見習いの役目というわけだ。そうやって経験と実力を積み上げ、ゆくゆくは戦隊に組み込まれる。
余談だが、オリュンポスVには一軍と二軍、そして二人のサブメンバーがいる事を知ったのもこの頃。なるほど、全部で十二人だったのかと、深く納得したものだ。ただ、主神ゼウスが二軍のイエローなのは、何となく納得いかないが。
それはともかく、補佐とはいえヒーローになった俺は、必死で働いた。先輩達の補佐はもちろん、校内の巡回も休憩時間のたびにやった。登下校の際には町内もさりげなくパトロールし、何かあれば駆けつけた。町でちょっとした事件が起きた時には、オリュンポスVのメンバーが到着する前に解決した事も何度かある。さらに何もない時間は、ひたすらトレーニングに打ち込んだ。とにかく俺は、ヒーローとしてのスタートラインに立てた事が嬉しくて、張り切っていたのだ。
俺のヒーロー人生は、まさに順調だった。着実に実績を重ねていた俺は、ある日、部長ことレッドアポロンに呼び出された。部室に行くと、部長の他に愛川先輩、そして二軍チームのリーダー、レッドアレスが待っていた。何事かと緊張する俺に、部長はいきなり、とんでもない事を告げた。
「少年、朗報だ。おめでとう、君を今日からレッドアレスに任命する」
「えっ……!?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。オリュンポスVはヒーロー部の中でも実力、実績共にトップクラスのチームだ。二軍とはいえそのリーダーに一年生が抜擢されるのは、部の長い歴史でも類を見ない出来事だった。
「君の優れた能力と日々の活動を評価しての決断だ。それと、ピンクの強い推薦もあってね」
こほん、と咳払いが聞こえた。振り向くと、愛川先輩は真っ赤な顔でそっぽを向いていた。余計なことを言うなというサインだったのだろうが、レッドアポロンは腹芸の通用しない人だ。一言で言えば熱血バカ。二言で言えば、ものすごい熱血バカ。
「ピンクは一軍のブルー辺りに入れたかったみたいだが、さすがにそれは皆が納得しないからな……同じチームになれなくて残念だったな、ピンク」
「部長!」
真っ赤になって慌てる愛川先輩に、俺は天にも昇るような気持ちだった。浮かれるあまり、その大抜擢がもたらす結果など、考えもしなかった。
ヒーロー部に限らず、駆け出しの新人にいきなり追い抜かれて、気分のいい先輩などいるはずがない。一軍のブルーどころか二軍のレッドでも、皆は納得しなかったのだ。
最初は、ちょっとした噂話を耳にする程度だった。
「実戦経験もないのに、チームリーダーが務まるわけがない」
「皆守はレッドアレスに抜擢されて調子に乗っている」
「他のメンバーを見下している」
「愛川先輩に取り入って地位を獲得した」
噂の中身は身に覚えのない話が多く、正直言って腹も立った。だけど、活躍を見せる事で皆を納得させればいいと思っていた。最初の内は命令違反なんかもあるだろうけど、実力さえ認めさせれば解決すると。だが、そんな俺の考えは甘かった。
オリュンポスVの二軍メンバーは、ヒーロー活動そのものをボイコットしてしまったのだ。事件に遭遇して召集をかけても、誰一人来なかった。連絡に応答すらなかった。おかげで犯人グループの一人を取り逃がし、民間人に軽傷者が出た。
ショックと同時に、俺は怒りを覚えた。俺をリーダーと認められないのは仕方ないが、だからと言って事件から目を背け、市民を脅威にさらすなんて、ヒーローを志す者のやる事じゃない。そんな行為は、ヒーローに対する冒涜だと思った。
それでも、怒りに任せてメンバーを問い詰めたのは、軽率だったかもしれない。ただでさえ気に入らない新入生に、ヒーローの在り方なんて説かれて納得する人間なんかいない。そんな当たり前の事に気が回らないほど血が上っていて、先輩達に考えを改めてもらう事しか頭になかったのだ、その時の俺は。
当然、誰一人として俺の話を聞き入れるメンバーはいなかった。出動しなかった理由を聞いても「新入生の指示になんか従えない」と言われ、そのせいで民間人が危険にさらされた事についても「リーダーの責任だろ?」と笑われた。まるで話が通じなかった。恐らく彼らと俺とは、ヒーローを志す理由そのものが違ったのだろう。それがオリュンポスV二軍チームというヒーローの実態だった。
翌日、部室に行ってみると、俺が独断で事件に介入し、民間人に怪我をさせた、という噂が広まっていた。
それからしばらくして、俺はヒーロー部を辞めた。ヒーローらしからぬ先輩達からも、憧れていた愛川先輩からも目を背けて。ほんの一月前の話だ。
「そーちゃん!」
「うわっほう!」
回想に浸っていた俺は、唐突に眼前に現れた桜のアップに驚き、思わずのけぞった。その拍子に椅子から転げ落ちそうになったが、何とか踏み留まる。
慌てて周囲を見回すと、クラスメイト達が帰り支度に勤しんでいる。おかしいな、さっきまで朝のHRだったのに、いつの間にか放課後になってる。
「一日中ボーッとしてたけど、何かあったの? 授業中も昼休みも全然反応ないから、みんな気持ち悪がってたよ」
そうか、一日中考え事してたのか、俺。それにしても、気持ち悪いってのは言い過ぎだろ。
「後ろの席の片岡君がずーっと消しゴムのカスを投げてるのにも気づかないんだもん……ほら、頭にカスが積もってるよ。雪国のカカシみたいだよ」
桜が俺の頭を払うと、びっくりするぐらいの消しカスが地面に落ちた。どう見ても、固めたら消しゴム四つ分ぐらいにはなりそうな量。雪がこんな色してたらクリスマスのテンションだだ下がりだ。それから片岡、明日は覚えてろよ。お前の明日の昼食は、シャー芯ふりかけご飯だからな。
「んじゃ、俺は帰るかな。桜は?」
「これから部活だよ!」
「おい、ちょっと待て。これから部活だってのに、何であのヒップライン丸出しのちょいエロウェア着てないんだよ」
「え、ええ~? ちょいエロって……だいたい、教室から着ていく人なんかいないよ?」
「じゃあ桜が先駆者になればいいだろう! いいか、前例ってのは、誰かが作らないと存在し得ないんだぞ!」
「言葉だけ聞けば、何となく立派そうだね……そーちゃん、見たいの?」
「見たい。だから着替えろ、今ここで!」
「生着替え!? ユニフォームの比じゃなく恥ずかしいよ!」
小さい頃は一緒に風呂に入った事もあるんだから、恥ずかしがらなくていいのに。まあいい、別に本気で着替えさせようと思ったわけじゃないしな。
「それにしても、よく頑張るな、部活」
「えへへ……こうやって体を鍛えていれば、いつかスカウトされるかもしれないでしょ」
「ふーん、桜は大学とか企業の陸上部に進むつもりなのか」
「やだなあ、そーちゃん。そんなんじゃなくて、オリュンポスVのスカウトだよぉ」
「え……?」
「あたし、特別な能力とか何にもないけどさ……テレビのヒーローだって、元は鍛えただけの普通の人間だったりするでしょ? それなら、あたしにもチャンスはあるかな、って」
桜は手にしていたスポーツバッグを胸に抱きしめ、照れくさそうに笑った。桜がそんな事を考えて陸上に打ち込んでいたなんて、俺はまったく知らなかった。
「オリュンポスVの二軍チームって、能力のない人もいるんでしょ? だから私も、諦めないでがんばってみようかな、って」
期待を込めて俺を見上げる桜。そんなにオリュンポスVに入りたいのか。
「そっか。小さい頃からの夢だもんな」
「うん! せっかくヒーローのいる学校に入ったんだから、諦めたくないんだ」
桜のキラキラした瞳は、子供の頃のままだ。
……だったらなおの事、俺の計画は急がなければならない。今のままのオリュンポスVなんかに、それも二軍チームに、桜を入れるわけにはいかないのだ。
「頑張れよ、桜。俺は帰るからな」
俺は机の中の教科書を、ぎゅうぎゅうとバッグに詰め込んだ。大した数でもないが、バッグはパンパンだ。
「あ、そーちゃん……」
桜が俺に言いたい事は、だいたいわかる。だけど、俺はその夢に付き合うわけには――桜と一緒にオリュンポスVをやる事はできない。
「じゃーな。また明日」
まだ何か言いたそうな桜を置いて、俺は教室を出た。
俺には今日、会わなければならない人がいる。俺をクロウ・ザ・ダークナイトへと導いてくれた人であり、師匠と呼ぶべき人だ。心情的にはあまり持ち上げたくない人ではあるが、恩人には違いない。ヒーロー部を辞め、くすぶっていた俺に新しい道を示してくれた。
さて、いつものところにいればいいんだが……。
ここで一旦停止。