「ひかり」は西へ
昭和五十九年は八月のとある日、僕たち七高生徒会役員一行は、新幹線でひたすら西へ向かっている。
「えーと……今年も合宿という名の旅行……やるんですね……会長」
「なんだ? トモは嬉しくないのかぁ?」
「でっ……でもー……二年連続で九州とか……なんか贅沢過ぎて……大丈夫かなぁと……」
「大丈夫っ! 気にするなっ! 何と言っても天下の東西電鉄グループのご令嬢様が付いているからなっ!」
小夜子会長が自信満々に言う視線の先には、苦笑する優子ちゃんの姿があった。「一応」生徒会の活動ということで、僕をはじめみんな七高の制服姿だが、去年のノリから考えると、どう考えてもただの観光としか思えないのだが……それは気にしないでおこう。
「わーっ! 新幹線って速いなー! さすが超特急ひかり号だ!」
さっちゅん先輩が何気にはしゃいでいる。しかしまあ、超特急って八十年代の今時にはめっきり聞かなくなった言葉だ。
「こっ……これが新幹線ですか……わっ……私今まで乗ったことなかったんで」
由加里ちゃんは、どうやら初めて新幹線に乗ったようで、好奇心満々なようだ。
「しかしまあ、新幹線で博多までだと六時間か……長いですよねぇ……」
僕は何気に呟いた。去年は飛行機で一時間半くらいだったこともあって、新幹線の六時間はとても長く感じる。
「しゃーねーだろ、今回は飛行機の切符は満席で取れなかったんだから。それにトモは去年は飛行機嫌だって言ってただろ」
小夜子会長が僕をたしなめる。まあ、去年の僕は最初飛行機を嫌がったのは事実だが。
「トモくん……ごめんね。どうしても飛行機の席が取れなくて……」
「いっ……いや、優子ちゃんが悪いわけじゃないから……」
「トモ、おまえ優子とあたしではまるで態度違うな」
小夜子会長が割って入る。
「だってー、優子ちゃんは僕に優しくしてくれるけど、会長はいっつも僕のこと物で叩いたりするんだもん」
「うっ……うっさい! それよかトモ、おまえネクタイちゃんとしろ!」
「あっ……すみません……暑かったんでつい……」
僕はさっき駅のホームで待っているとき、暑かったこともあって制服のネクタイをだいぶ緩めていた。
「トモくん、わたしがネクタイ直してあげる」
優子ちゃんはそう言うと、僕のネクタイを手際よく直してくれる。なんだか照れくさい。
「なんかこれって夫婦みたいだね」
優子ちゃんが何気に言った言葉に僕は思わずドキリとしてしまった。
――僕と優子ちゃんが夫婦……本当だったら……いいなぁ……僕は何気に心の中で想像してしまう。でも、優子ちゃんは大会社のお嬢様……一般的家庭出身の僕には望みないかな……いや、もしかしてということも……とりあえず今は考えずにおこう。
「トモっ! おまえ何にやけてるんだよ!」
小夜子会長が突っ込みを入れてくる。
「べっ……別に……何でもないですよ……なんでも……」
どうやら僕は思っていることがすぐに顔に出てしまうようだ。そう言えば、前に生徒会室でトランプやっていたときも、僕は彼女たちに手の内を読まれてしまっていたようだし……ポーカーフェイスなんて僕には無理なのかな……
新幹線は相も変わらず、西を目指して走る。まだ終点の博多まで二時間以上ある。そして僕以外、女の子たちはすっかり熟睡している。
僕はヘッドホンステレオで音楽を聴きながら車窓の景色を眺めていた。音楽用にまともに使えるのは九十分テープまでなので、四十五分に一度はカセットテープを裏返したり交換したりするのが意外と面倒だ。そして、気が付くともっと困った問題が起きてしまった。
――どうしよう……トイレ……行きたくなってきたなぁ……
新幹線のホームで列車を待っているとき、僕は暑かったこともあって飲み物をかなり飲んだこともあって、気が付いたら結構ギリギリな感じになっていた。冷房も効いていることもあって冷えたこともあるのだろう。しかし、僕の右肩には優子ちゃんの頭が寄りかかり、そしてその先の通路側にはさっちゅん先輩が脚を投げ出して熟睡している。そして、僕の正面には小夜子会長が、その隣には由加里ちゃんが……
――これじゃ僕……ここから出られないよぉ……
気持ちよさそうに寝ている彼女たちを無理に起こすのもなんか悪いし、小夜子会長に至っては無理に起こしたりなんかしたら機嫌悪くなって何か物で叩かれそうだ。そして、優子ちゃんが僕の肩に寄りかかっているという、なんだか嬉しいシチュエーション……かと言って、このまま終点の博多駅までトイレを我慢できるかどうかもわからない。
――どうしよう……どうしよう……
そう思っていたとき、ふと見ると正面に座っている小夜子会長は目を覚ましていて、僕をじーっと見つめていた。
「トモ、おまえさっきから何もじもじしてるんだよ」
「かっ……会長……起きてたなら僕に声かけてくださいよぉ……」
「いやぁ……なんかおまえがもじもじそわそわしているの見てるの面白くって」
小夜子会長は意地の悪そうな顔で僕を見つめている。
「あっ……あのー……会長、僕……トイレ行きたくって……でもみんなが寝てて通れなくって……」
「トイレ? でかい方か? 小さい方か?」
小夜子会長が僕にわざと意地悪して恥ずかしい質問をする。
「会長っ、それって今ここで言わなきゃいけないことなんですかぁ?」
「言わなきゃ行かせないぞ!」
「わっ……わかりましたよぉ……その……小さい方で……」
僕は耳の先まで赤くなっているのを感じる。
「そうかー……さてどうしようかなー……このまま我慢させて優子の前で恥ずかしーい姿拝ませてやろうか?」
「そっ……そんなぁ……会長ぉ~……意地悪しないでくださいよぉ……僕本当に漏れそうなんですから……」
「わかったわかった、おいっ! みんな起きろ!」
小夜子会長が優子ちゃん、さっちゅん先輩、由加里ちゃんを起こす。
「トモくん……どうしたの? 顔色悪いわよ」
「トモっち、どうしたんだ?」
「トモ先輩、何もじもじしてるんですかぁ?」
優子ちゃん、さっちゅん先輩、由加里ちゃん……みんなが僕の姿をじっと見つめる。
「みんな、トモ様はトイレに行きたいんだってさ、通してやれ」
小夜子会長がわざとらしく言う。
「会長っ、そんなにハッキリと言わないでくださいよぉ……恥ずかしいじゃないですかぁ……」
「うっさい! いっつもギリギリまで我慢するおまえが悪いんだっ!」
「わかりましたから……僕……行ってきますからっ!」
小夜子会長を始め、生徒会のみんな、そして周囲の乗客が僕に注目しクスクス笑う中、僕は慌てて車内のトイレに向かう。
とりあえず、ようやく僕はトイレを済ますことができた。
しかしまあ、七高の生徒会役員って僕以外は全員女子だから何かと気を遣ってしまう。他の人からしたら何もそこまで気を遣わなくてもいいと思われるけど、やはり僕も彼女たちも『年頃』ということもあるし……まあ、僕がちょっと考え過ぎなのかもしれないけど。
気が付くと、列車はいつの間にか九州の地に差し掛かっていた。そして、車内にオルゴールの音が鳴り響く。
「まもなく、終点、博多に到着します。どなたさまもお忘れ物なきように……」
長かった新幹線の旅も、ようやく終わりを告げるようだ。
昭和五十九年八月……僕たち生徒会役員一同は、今年も九州の地に降り立つ。
というわけで……またもや夏合宿なお話です。っても、なんかトモくんがいじられているだけな話ですが……まあ、年頃の男の子と女の子って、どうでもいいことで気を遣ったりしますよね。
当時は東京や新横浜あたりから新幹線で博多までだと6時間……今より1時間以上も長かったんですよね。もちろん初代の丸いボンネットの「元祖」新幹線の時代です。