春の雨の中で……
「会長、なんか雨が降りそうですよねぇ……」
四月の中旬のある日、一日中晴天だという天気予報は見事に外れ、ふと外を眺めると、空にはどんよりと黒い雲が立ち込めていた。まあ、春の…気は変わりやすいとは言うけど……
「ふっふっふー、あたしはちゃんと傘持ってるぞー。トモは持ってねーだろー」
小夜子会長が小さな体で胸を張り、誇らしげに僕に言う。
「会長、その傘ずっと生徒会室に置きっ放しのやつでしょ……前に会長が置き忘れて埃まみれになってるやつ」
「うっ……うっさいなぁ、トモは傘持ってないからひがみかぁ?」
「残念でしたー、僕だって傘持ってますよ。折り畳みだけど、いつもカバンに入れてるし」
「なんだよ、おまえいつも傘持ち歩いてるんかよ……」
小夜子会長が呆れた顔になる。まあ、普段から傘持ち歩いている高校生なんて僕くらいなんだろうけど。
「トモっちは男の子なのに、なんかそういうとこきちっとしているね」
「さっちゅん先輩ーっ、なんかそれって僕が普通の男子じゃないってことですかぁ?」
「あたいはトモっちはむしろ普通じゃない男の子の方がいいかなぁ……かわいいし」
「いっ……いやっ、女の子にかわいいとか言われてもぉ……僕……困るし……」
「みんなー、お茶が入りましたよー」
優子ちゃんがいつものようにお茶を淹れてくれる。今日もいつものように、まったりゆるゆるの生徒会室だ。
「コンコン」
生徒会室の扉をノックする音が聞こえる。そして、
「遠山、入ります!」
この前から生徒会役員を体験してもらっている、この春入学したばかりの一年生、遠山由加里ちゃんだ。
「由加里ちゃん、そんなに肩肘張らずにそのまま気軽に入ってくればいいのにー」
僕は緊張しているであろう由加里ちゃんをリラックスさせるつもりで言った。
「そうそう、トモなんか三日目からは『おつかれーっす』とかだったからな」
会長も由加里ちゃんの緊張をほぐす。しかしまあ、何も僕を引き合いに出さなくてもとは思うけど……
「津島先輩、お言葉ですが……男子であるあなたが、そうやって一番だらけているのはどうかと思います!」
由加里ちゃんからの厳しい一言だ。
「えっ……ぼっ……僕って……そんなにだらけてるのかなぁ……」
「そういう感じで緊張感のないところです!」
僕は後輩である由加里ちゃんにバッサリと断言された。まるで時代劇で斬られた侍のように……
「ユカちゃん……いくらなんでもトモくんかわいそうだよ」
優子ちゃんが僕を庇ってくれる。
しかし、
「千代崎先輩っ! そうやって甘やかすのはいけないと思います! あと、私のことは名字で呼び捨てでお願いします」
由加里ちゃんは、頑なに下の名前やあだ名で呼ばれることを拒否する。
「おい、ゆかりーん、おまえなんでそんなに頑固になってるんだよ。生徒会の仲間なんだから気楽にいこうってば」
小夜子会長は由加里ちゃんに気を利かす。
「ユカっち、遠慮なんかいらないんだって。あたいたちみんな仲間なんだからさ」
「そうそう、ユカちゃん、お茶飲んでリラックスしなさいって」
さっちゅん先輩も優子ちゃんも、由加里ちゃんを解きほぐそうとする。
「さっきから、仲間仲間って……生徒会ってそういうのとは違うんではないんでしょうか?」
「仲間って……僕はいいことだと思うけど……お互い信じ合えるって……ね」
僕は素直な気持ちで言ったつもりだ。
「津島先輩、あなたって最低ですね」
「最低って……僕が……」
由加里ちゃんの言葉に呆然とする僕……そして小夜子会長、優子ちゃん、さっちゅん先輩……
「私、ここにいてはいけないようですね……みなさん、お世話になりました……失礼します」
そう言い残して、由加里ちゃんは生徒会室から出て行ってしまった。
ふと、窓からそらを見上げると、空は今にも泣き出しそうな感じだ……まるで由加里ちゃんの心の中を表しているようだ……
「やっぱり……雨降り出したよ……」
僕はカバンに入れていた折り畳み傘を取り出す。そして、校門を出た通りにある桜並木の下で、七高の制服を着た一人の女の子が……どうやら傘を忘れて困っている様子だ。どこかで見たことある女の子……
「由加里……ちゃん?」
「どうしたの? びしょ濡れじゃないか……とりあえず僕の傘に入って」
僕は由加里ちゃんに傘を差し出す。とてもじゃないが放っておけない。
「どうして……どうして私なんかにかまうんですか……さっき津島先輩にあんなに酷いこと言ったのに……」
「だっ……だって……こんな雨の中、そんなにびしょびしょになっているの放っておけないよ……それに……生徒会の仲間だしね」
「また仲良しグループですか?」
雨でびしょ濡れになった由加里ちゃんの表情は、相変わらず険しい。
「津島先輩……私は清く正しい学校をつくりあげたいのです。今の生徒会はそれとは真逆です。いつか生徒がやりたい放題に暴走してしまいますよ」
由加里ちゃんはますます険しい表情になる。
「そうなのかなぁ……ウチの生徒会って開校以来こういうノリらしいんだけど今までそういう問題起きたって聞いたことないし……」
「それに、この学校……真面目なんだけど、なんか誰もがのんびりした感じだし、緊張感もあまり感じられないし……平和過ぎるというか……」
「のんびり? ……それっていいことだと思うけどね……僕は……それに、ウチの学校って素行の悪い生徒とかもいないでしょ? まあ、そういう校風でもないし……」
僕がそう言っても、由加里ちゃんは納得してくれない。
「私は高校生って、これから大人になるという自覚が必要だと思います。そして、今からでも大学進学へ備える必要もあるし……」
「大学進学って……由加里ちゃん、まだ高校に入ったばかりなのに?」
僕は由加里ちゃんの言葉に驚く。この春に高校生になったばかりの後輩からそんな話が出るとは思わなかった。
「大学進学か……ウチの学校、ほとんどの生徒が推薦でそこそこの大学に行くからあまり意識してないかなぁ……まあ、なんだかんだでみんな真面目だから大学側からスカウトみたいな感じ?」
正直、僕も大学進学のことはあまり意識していなかった。毎日楽しい高校生活を送ることが最優先だったこともあって。
「なんか呆れました。もっと必死に頑張ってより上位の学校を狙うとか、そういった考えはないのですか? 私はもっと緊張感を持つべきだと思います」
確かに、由加里ちゃんの言うことはもっともなのだが……僕は何か違和感を感じる。
「由加里ちゃんはそんなに緊張感があった方がいいの?」
「津島先輩! だから下の名前で、しかもちゃん付けで呼ばないで下さい! そういうところが緊張感がないって言うんですよ」
「だって、緊張感とかそういうのでピリピリしたり、変に競争意識してガツガツするよりは、僕はみんながのんびり笑顔がいいかな……と」
僕はあくまで、素直な気持ちで言ったつもりだ。
「のんびり笑顔って……津島先輩はよくそういう無神経なことが言えますね」
「無神経って……どうして?」
「あえて言いますが……私は中学時代は酷いいじめに遭っていて……生徒会もいじめっ子たちの策略で無理矢理やらされて……それでも、より良い学校にするために頑張りました。それでも、結局何も変わらず……笑顔なんて……私は……忘れましたよ……」
ふと見ると、気丈だったはずの由加里ちゃんの目にほんの少しだが涙が浮かんでいた。
「仲間だね、由加里ちゃん……僕も中学のときは酷くいじめられたクチだからね……」
「津島先輩……」
「でもね、七高に入って、成り行きだけど生徒会に入って……ようやく本当に信じられる仲間と出逢えて、本当の笑顔を手に入れられたかな……僕は……」
「津島先輩……わっ……私……」
そう言うと同時に、由加里ちゃんが僕の胸に飛び込んできた。僕のさしていた傘が宙に舞う。
「津島先輩……津島先輩……私……そんなこと言ってもらったの……はじめてで……」
彼女の中で、何かぷつりと切れたのだろう……
「由加里ちゃん……今まで本当に辛かったんだね……でも、もうひとりじゃないよ……僕たち、生徒会の仲間がいるからね……」
由加里ちゃんは涙が枯れるくらい、泣き続けた。僕の胸の中で……
「おふたりさーん、何やってんだよ」
「かっ……会長っ……それに優子ちゃんに、さっちゅん先輩……何でこんなところに?」
「うんにゃ~、トモがゆかりんをどう口説くかじっくりと観察させてもらってなぁ」
「ちっ……違いますって会長っ! 僕は由加里ちゃんが雨に濡れてたから……それで……」
「わっ……私も……津島先輩とは何もないんですから……」
僕も由加里ちゃんも、突然のことで慌ててしまう。
「わかってるって、あたしたち影でずっと見てたからさ。ゆかりんもどうやら仲間になってくれそうだしな」
小夜子会長の笑顔、優子ちゃん、さっちゅん先輩の笑顔が、僕と由加里ちゃんを取り囲む。
そして、さっきまで泣いていた由加里ちゃんも笑顔になっていた。もちろん、僕も……
「由加里ちゃん……笑顔……手に入れられたね」
「はいっ! これからもよろしくお願いします。トモ先輩っ!」
昭和五十九年四月も終わる頃……冷たいはずの雨が、なぜか暖かく感じる……
今回はちょっとシリアス気味な話でした。
まあ、普通の生徒会しか知らない人が、七高のゆるゆるお気楽生徒会を見たら、誰でも「大丈夫なのかな」とは思うんでしょうけどね。
果たして、由加里ちゃんがこれからどこまでキャラが崩れていくのか……僕にも予想できません(笑
というわけで、読んでくださりありがとうございました。