13/12/13 ブラフ・ワンの線
遙か地平線から、並列に黒い十一本の【線】が伸び、空を切り取っている。
それこそが鎖された都市【ブラフ・ワン】の生命線である。
ブラフ・ワンは透明な半球状ドーム、俗称:天井に覆われた隔離都市である。直径三マイルのドーム内に六十万の人口を抱え、【居住区】【工業区】【農業および環境区】の大きく三区に分かれている。五年毎の選挙によって選出される【代表市民】と呼ばれる首長と、【代議院】【貴族院】の二院からなる政府を持ち、出産率を含め徹底された衛生管理が為されている。
ドームの外には荒涼とした世界が広がっている。乾いた大地や大気は有毒物質に汚染されていた。ドーム外で人が活動するには専用の防護服が必要であり、有害物質を除去する電解フィルターは僅か数分しか効果を持続できない。有害物質に晒された人間は癌や白血病などを発症し、必ず死に至る。
幾度か汚染物質の除去を試みられたが、結果は不可能というものであった。
ブラフ・ワンの伝承によれば、かつて繁栄を極めた人類は過去幾度かの戦争を経て、自らの技術によって住む場所を奪われたとされている。伝承を真実とするならば、ブラフ・ワンとは人類の業である。
ブラフ・ワンの中心地には天井まで届く【タワー】が聳え立っている。そしてドームから突き出した部分に、黒い線は接続されていた。それらの存在理由や機能について、ブラフ・ワンの市民は部分的にしか把握できていない。数世代にも及ぶブラフ・ワンの歴史の発端で、全ての資料は抹消されていたからである。
線は、【ビス・ヌ粒子】と仮定されるエネルギー物質をもたらす供給ラインと見なされている。タワーは巨大な変換器であり、限りなく百パーセントに近い変換効率を持つビス・ヌ粒子を電気エネルギーへ変換、ブラフ・ワンの全てを維持しているのだと。ビス・ヌ粒子の存在は長年の研究の成果だが、タワーの内部構造やビス・ヌ粒子精製は失われた技術として未知である。技術者達は巨大なブラックボックスであるタワーの末端部分、つまり配電装置のみメンテナンスしている。
そして線は彼方から幾本かの柱に支えられ、真っ直ぐブラフ・ワンへ繋がっているが、その始点についてもブラフ・ワンの市民は知らない。ブラフ・ワン同様の都市あるいは異なる文明社会、または装置のみがあるなど諸説が伝わっているが、いずれも伝説の域を出なかった。
ある時、事件が起きブラフ・ワンは一時騒然となった。
線が切断されたのである。十一本の内一本が支柱との間で分断され、だらりとドームにもたれ掛かった。経年劣化によるものと推測された。
市民らはこの事態に混乱したが、「ビス・ヌ粒子による発電量に変化は見られない」という旨の政府発表がなされると、束の間の安堵を得た。
しかしその数年後、またも一本の線が切れた。この時発生したのは騒乱ではなく、静かな疑念だった。またしても発電量は変わらなかったのである。
偶然にも供給の途絶えた二本が切れたのだろうか。何らかの【送り手】なる存在が線の切断を察知し、ビス・ヌ粒子の供給を切り替えたのかも知れない。技術層や知識層、市井に至るまで様々な憶測が繰り広げられたが、杳として不明であり結論は得られなかった。
それから数年置きに一本、また一本と線が切れていく。だがブラフ・ワンもタワーも何一つ変わらない。人々の不安と不信は年々膨らんでいった。
最後の一本となった時、とうとうブラフ・ワンは暴動となった。全く変わらぬ発電量と人々の生活が、いずれ最後の線が切れた時の恐怖を煽ったのだった。
不安の爆発は政府へ向けられた。ブラフ・ワンとタワーへの疑心が渦巻く内に、政府への猜疑へと変貌したのである。政府は全てを知っているのではないかと人々は詰め寄った。
無論ながら代表市民ならびに二院の代議士達もブラフ・ワンの市民であり、市井の人間と同様に不安であった。自らも無知である事の説明に努めたが、しかし理性を失った人々の暴走は止まらず、ついには代表市民の殺害に至り、ブラフ・ワンは内紛状態に陥った。
紛争は政府側が圧倒的優位であった。政府は自らの管理化にある工業区で武器を製造し、警官隊の武装を強化、さらに食糧生産を担い医療施設の整った農業および環境区を閉鎖した為、一般市民が占拠する居住区は荒廃の一途を辿った。
六年間の抗争が続き、やがて最後の線は途絶えた。
すぐに発電が止まる事はなく、ブラフ・ワンは機能していた。タワーにはビス・ヌ粒子の貯蔵機構があると思われた。しかしその状態が永遠に続く事は無いだろうと、ブラフ・ワンの人々は武器を捨て、共に終末の日を待った。
そしてその時は訪れた。
突如としてタワーからアラームが発せられた。単調かつ単純に連続する電子音はドーム内を反響し、あたかも獣の咆吼の様相を呈していった。
アラームがピタリと鳴り止み、代わり、女性の声が響いた。
「送電機能障害。システム、緊急停止」
それはタワーの作り出す合成音声である。
「保護機能、停止。ブラフマ、解放」
市民は息を呑み、ただ黙した。
轟音と共にドームの天井が七つに割れ、ブラフ・ワンが開いていく。大気には汚染物質。人々は死を覚悟した。
ブラフ・ワンの天井が解放され、蓮の花の如く開いた。ところが人々は体調を悪化させなかった。汚染物質を計測する機械は、ドーム内のそれと同程度を示した。
世界を覆っていた汚染は消失したのだ。
一年の後、ブラフ・ワンから調査隊が出発した。タワーが沈黙して以来、原始の時代に戻りつつあるブラフ・ワンを救済する術を求め、そして外の世界と線の始まりを探訪すべく。
調査隊はひたすら線を辿っていく。地平線を越えブラフ・ワンのタワーが見えなくなっても、まだ線は続いている。ひたすら辿る。
まず驚いた事は、ブラフ・ワンから距離が開けるにつれ、荒んだ地面に植物が増えていく事だった。自然の川にも遭遇し、その水と周辺に生息する昆虫や魚類や甲殻類を採取して、旅を続けた。
漸く線の発端を発見すると、調査隊のメンバーは一様に唖然とした。
あったのは廃墟の群である。ブラフ・ワンの様な隔離都市ではなく開け放たれた街は、建物や道路に至るまでメンバーの知らない技術の塊であったが、そのいずれもが破壊されていたのだ。
街を探索したが人間の姿は遂に見付からなかった。しかし何やら文化的な象徴らしき建物を発見し、その内部にて資料を入手する。調査隊は図書館と思しきその建物を拠点として、研究を開始した。
結果、判明した事実。
ブラフ・ワンは正式名称を【ブラフマ】といい、その実は都市機構を備えた巨大発電施設である。ビス・ヌ粒子と呼んでいたものは、ブラフマが発電する際に発生する副産物に過ぎない。つまりブラフ・ワンこそがエネルギーの供給源であり線の始点だったのだ。
そしてビス・ヌ粒子は強度の有毒性を持つが、大気中に放出後は極短期間で消滅する。ブラフマは、持続的に汚染物質ビス・ヌ粒子を放出し続ける発生源そのものでもあった為、遠隔地に建造され、そしてそのメンテナンスを目的として内部に人々が居住する必要があった。
だがブラフマから遠く離れた街の住人は、ビス・ヌ粒子を取り除く技術を研究しなかった。ただ恩恵を享受し、他人事の安寧の元に生きていたのである。
そして遂に送電線が朽ち落ちて、電力の供給が途絶え、街ではかつてのブラフ・ワンと同様に暴動が発生し、自滅したのだった。
調査隊の隊長は研究結果からある考察をした。
昔、僻地へ追いやられた彼らの先祖は、そうした人々への憤怒と憎悪によって、敢えて自らとブラフマの存在理由を歴史から消し去ったのではないか。数世紀数世代を経て人々の記憶から完全に失われる事が、彼らの目論見だったのではないか──と。
それは遠大な復讐劇である。
それは永久のカルマである。
一日二日一話・第五話。
今回はお題無し。固有名詞について悩んでいる間に日を跨いだので、またも素直に。